第15話 和解 act 2

 一方、東京観光ツアーに出かけた三人が乗る車の中は沈黙が支配していた。

 そんな空気を嫌った涼子が色々と話題を提供するも、雅紀と茜は相槌を打つだけで何1つ話題が膨らむ事なく尽く撃沈している。


 そんな言葉にし辛い空気を破ったのは茜だった。


「あ、あのさ……その、今……昔話した仕事に就いてるんだ」


 緊張がそうさせているのか、関西弁ではなく標準語で話しかける茜。


「……そうか」


 雅紀は雅紀でぶっきら棒にそう答えるだけだった。


 茜は運転に集中しながらも、途切れ途切れではあったが、家を飛び出してからの事をなるべく丁寧に雅紀と涼子に説明していると、途中で雅紀の口が話を遮る。


「……茜」

「え? な、なに?」

「……お前……今幸せなんか?」


 雅紀の漠然とした質問に、丁度信号で車を停めた茜は後部座席に座っている雅紀の方を体ごと振り返り、そんな質問をする雅紀の顔をジッと見た。

 どんな意図があってそんな事を訊くのか、雅紀の表情から読み取る事が出来ない。

 だが、何かウラがあるようには見えないと判断した茜は重い口を開く。


「やりたかった仕事に就けて頑張ってる。だからメッチャ幸せや! そりゃ色々苦労した事もあったけど、後悔した事は一回もあらへん!」


 茜は腹を括った顔つきで、雅紀に思いの丈を吐き出した。


「……そうかぁ。それならええねん」


 認めて貰えたと思っていいのだろうかと思う茜は助手席に座っている涼子を見た。

 涼子は何も言わなかったが、黙ったままコクリと頷き微笑んで見せた。

 雅紀の言葉と涼子の微笑みが、ずっと心に引っかかっていた物を溶かしてくれる。それと同時に目頭が熱くなった。


「ホラッ! 信号青やぞ! さっさと運転せんかい!」

「あ、う、うん!」


 茜は慌てて前方に意識を戻して、アクセルをゆっくりと踏み込む。

 静かな排気音だけが車内に響く。

 ついさっきまでと車内に流れる音は変らない。

 だが、車内の空気は明らかに変わった。


「……ありがとう」


 掠れる声で小さくそう呟く茜は、口元を手で被せて声を殺して涙を流す。

 運転中なのに視界が歪んでしまってどうしようもないと判断して、車を路肩に寄せてハザードランプを焚いて車を停めた。


 もう昔の様には戻れないと諦めていた。

 もう実家に帰れる事なんて無理だと諦めていた。

 もう両親とまともには話し合える事を諦めていた。


 数年間諦めていた事が許されたのだ。

 絶対に表に出さなかった感情が、溢れてしまう事を制御出来なくなった。


(……良兄が言うた通りやったな)


 嬉しくて……嬉しくて……涙が止まらない。

 雅紀と涼子の想いが茜の全身を包み込まれるのを感じた。ステアリングを握る手の震えが止まらない。


「ほらっ! いつまで停まってるねん。観光案内してくれるんやろ?」

「う、うん! そうやったな! 任しといてや!」


 路肩の停めていた車をゆっくりと発進させる。

 これから諦めていた親孝行が出来ると、茜はまだ乾き切らない涙の後をそのままに、これからの展望に希望を抱いたのだった。


 ◇◆


 部屋探しにアタリを付けた良介と康介は一旦物件をキープして貰った後、夕方に帰宅したのだが雅紀達はまだ帰っていなかった。

 部屋に戻り一息ついていると間宮の携帯に茜から連絡があり、今晩は家族全員で飲みに行こうという話になった。

 その電話越しから聞こえる茜の声が弾んでいる事に気付いた間宮は、上手くいったんだと安堵の息を吐いた。


「上手くいったんか!?」


 電話を切ると、ニヤニヤした顔をした康介がそう訊いてくる。


「あぁ、ホンマに世話の焼ける親子やで」

「良兄もな!」

「なんでやねん!」

「良兄がちゃんとオトン達に定期的に顔見せとったら、今回だって俺について来る事なかったんやからな!」


 結果論かもしれないが、間宮が疎遠になっていたからこそ、今回東京まで両親が訪れたのだ。だから茜との話し合いの場を作れたのだからと間宮は康介の言い分を否定した。


 現地集合する事になっていた為、間宮達は再び身支度を整えてマンションを出た。

 待ち合わせしているのはA駅前の居酒屋だった。

 間宮と康介は歩いて駅前に着くと、康介が駅前の脇にバスケットのハーフコートがある事に気付き、嬉しそうにコートに駆け寄った。


 このコートは基本的に無料で利用できる為、いつもは何組かのプレイヤーで賑わっているのだが、今日は特に寒かったからか誰もプレイしておらず、ネット脇に誰かが忘れていったボールが転がっているだけだった。


「ストバスのコートあるやん! 丁度ボールも転がってるし腹減減らすのに、久しぶりに1on1やろうや! 良兄!」


 転がっていたボールを間宮に軽く投げ渡す康介の目がキラキラしていた。


「最近まで現役やったお前とか!?」

「おぅ! 前やった時は負けたけど、もう良兄にも勝てるで!」

「あれから少しは上手くなったんやろな?」


 投げ渡れたボールを勢いよく弾ませて間宮がそう言うと、康介は鼻で笑いながら上着を脱ぎ捨てる。


「あほか! これでも元エースやったんやぞ! 運動不足のおっさんに負けるかいな!」


 自信満々の康介とコートに入る。

 オフェンス側の間宮がディフェンス側の康介にワンバンドでパスを出す。ボールをキャッチした康介は関節をグルグル回しながら、間宮にワンバウンドでボールを戻すのを合図に、2人は腰を落として構えに入った。


「運動不足の俺に負けたら、大恥やぞ康介!」

「そんな事有り得へんから、かかってこんかい!」


 コンクリートにボールが弾む音を響かせて、久しぶりの1on1の兄妹対決が始まった。


 ◆◇


「いや~志乃があの参考書持ってて助かったよ。流石に値段が高過ぎて親に言い難くってさぁ!」

「あはは、分かる分かる! 私も値段言ったらお母さんの顔が引きつってたもん」


 値段的に手を出し辛い参考書を、たまたま瑞樹が持っていたのをこの前のお泊り会で知った加藤は、その参考書を借りるついでに瑞樹の部屋で勉強会をする為に自宅を訪れていた。


 帰宅時、駅まで加藤を送る為に2人でA駅の駅前に到着すると、何だか人だかりが出来ていた。

 人だかりが出来ていた場所がバスケットコートがある方だと気付いた加藤は、瑞樹の手を引いて人だかりの真ん中に向かう。


「あれ? あれってさ……」

「え? 何で?」


 人だかりが出来ていた原因。

 それはコートでバスケットをしている2人だった。

 プレイしている2人が素人の瑞樹と加藤でも分かる程、レベルの高い勝負を繰り広げていて、時折ギャラリーから歓声が上がる程の盛り上がりをみせている。


「はぁはぁはぁ……いい加減ミスれよ」

「良兄こそミスれよ……はぁはぁ……全然決着つかへんやんけ!」


 2人は勝負を始めてから、一度もシュートを落とす事なく平行線が続いていた。

 お互い体力が削られるばかりで、呼吸が相当荒くなっている。


「ね、ねぇ! あれって間宮さんだよね!? もう1人は誰なんだろ!」

「あの人は康介さんっていって、間宮さんの弟だよ」

「えぇ!? 間宮さんって弟いたの!?」


 間宮と白熱の勝負を展開している康介に興味津々なのか、加藤は興奮気味に康介を見つめている。


「てか、何で志乃がそんな事知ってんの?」

「昨日、ここで偶然康介さんと間宮さんの両親に会ってさ、間宮さんの住んでる所が分からなかったみたいだったから、道案内したんだよ」

「マジか!? そうやって外堀から囲むとか志乃もやるねぇ!」

「そ、外堀なんて囲んでないから! 変な事言わないでよ!」

「あはは、てかさ! 康介さんだっけ? メッチャイケメンじゃね!?」


 どうやら康介は加藤のドストライクだったらしく、間宮と勝負してる康介に釘付けのようだった。


「もう、愛菜ったら! 佐竹君に言いつけるよ!?」

「え~!? あいつと別に付き合ってるわけじゃないんだしさ! 特に問題ないじゃんか」

「それはそうかもだけど……」

「そうだ! 志乃は間宮さんで私が康介さんの応援合戦しようよ!」

「えぇ!? やだよ、恥ずかしい!」


 突然の提案を瑞樹は全力で拒否したのだが、こんな時の加藤は厄介な事を良く知っている瑞樹は、すぐに諦めの溜息をつく。


「いいから! いいから! いくよ! 頑張れ! 康介さ~ん!」


 加藤は瑞樹の返答を待たずに、両手を口元に当てて大きな声援を康介に送った。

 その声援にギャラリーの視線が集まったのだが、加藤は気にする素振りも見せる事なく、声援を送り続ける。

 面識のない男を名前呼びする度胸と、周囲の注目にも臆する事なくはしゃぐ加藤に苦笑いを浮かべながらも、昨日の悔しさを吐き出したくなり、瑞樹も口元に両手を当てて間宮の名を叫ぶ。


「が、頑張って! ま、間宮さん! 負けるなぁ!」


 大きな声を出した瑞樹は何だかスッキリした気分になった。


 ――負けるな……か。


 2人の勝負の応援をしているはずなのに、何だか自分に言い聞かせている気がした。


 瑞樹も間宮に声援を送り始めた為、更に周りの視線が集まる。

 それだけ瑞樹の容姿が優れていて、そんな綺麗な女子高生が大声を上げるのが珍しかったのだろうか。ギャラリー達も瑞樹達の声援に負けじと声を出す人が増えたのだった。


 そんな白熱した勝負は、意外な形で決着がつく事になる。


「なんやお前ら! 飲み屋で先に飲んでたんとちゃうんかいな!」


 瑞樹と加藤の後ろから、まだ聞き慣れない大阪弁が聞こえた。


 その声を聞いて間宮と康介の動きが止まった。


 瑞樹と加藤の後ろにいたのは、間宮と康介の父である雅紀と母である涼子。それに間宮の妹である茜だった。

 ちょっと暇潰しに始めた1on1だったのだが、2人は何時の間にか白熱してしまっていた為、こんなにギャラリーが出来ていた事を雅紀に声をかけられるまで気が付かなったのだ。


 どうやら雅紀達も人だかりが気になって近寄ったらしく、まさかその中心に自分の息子達がいる事に驚きと呆れが入り交じった顔をしていた。


 大阪弁に反応して振り返った瑞樹の前に雅紀達がいて、瑞樹は驚き加藤は首を傾げている。


「あれ? 瑞樹ちゃんやん! こんな所で何やってんや?」

「こんばんは。いえ、私達も偶然通りかかっただけなんですけど……あ、昨日は御馳走様でした!」


 言って慌てて会釈する瑞樹を見て、加藤は更に首を傾げていたのだが、瑞樹の変わりように何かを察したようだ。


「え? 志乃の知り合い? あ! もしかしてこの人達が!?」

「う、うん。間宮さんのご両親だよ」

「こんばんは! 私も間宮さんの友達で加藤って言います!」

「おぉ! そうなんか! 良介の友達は随分若くてベッピンな女の子ばっかりやなぁ!」


 言って大笑いする雅紀に、加藤の緊張が一瞬で解けたようだった。


「あれ? 志乃ちゃんじゃん。久しぶりだねぇ」

「あ! 茜さん。お久しぶりです!」

「何や、茜とも知り合いなんかいな」

「志乃ちゃんの学校の文化祭でウチが担当してるアーティストがライブした事があってな。その時に色々とお世話になったんよ」


 そう話す茜は楽しそうだった。

 瑞樹は以前間宮に少しだけ聞いた事があった。

 妹の茜は両親と就職先の事で揉めて、勢いだけで家を飛び出したままだったという事を。

 そんな茜が両親と楽しそうに話しているのを見て、茜達の仲が戻ったのだと察して、瑞樹は他人事なのにホッと安堵した表情を見せた。


「あれ? 瑞樹? こんなとこで何してんだ?」

「気が付かない程、夢中だったんだね」


 折角恥ずかしい思いをしてまで声援を送ったのにと、瑞樹は少し拗ねた表情でそう訴える。


「あれ? 瑞樹ちゃんやん!」


 康介も今気が付いたようで、もういいと苦笑いを浮かべる瑞樹に2人は首を傾げた。


「お前ら待っててくれたんか? そんじゃ久しぶりに家族全員が集まったんやから、今日はパァっとやろうやないか!」

「しゃーないなぁ。親父の奢りならええで!」

「おぅ! まかせんかい!」


 言って雅紀は胸をドンと叩いて、奢れと言った康介にドヤ顔を向ける。

 その様子を間宮は苦笑いを浮かべていた。

 恐らく昔からこんな流れがデフォなのだろう。


「そうや! 志乃ちゃん達も一緒にどう?」


 雅紀の号令で一気に賑やかな空気になったところで、茜が瑞樹達も一緒にどうかと誘いをかけた。


「いえ! 今日こそ家族団欒の邪魔はしたくないので、気持ちだけで十分ですよ。茜さん」

「えぇ!? 折角じゃん! 康介さんとお近付きになれるチャンスなのに!って痛い痛いってばぁ!」


 厚かましく間宮家の飲み会に参加しようとした加藤のお尻を、瑞樹はニッコリと笑顔を見せたままギュッと抓った。


「ははっ、それじゃまたな。瑞樹、加藤!」

「うん! またね間宮さん」

「うぅ……お尻が痛い……」


 瑞樹は笑顔で、加藤は名残惜しそうな顔で間宮一家と別れて駅に向かって行った。


 その晩。

 居酒屋で深夜遅くまで賑やかに飲んだ。

 まるでこれまでの溝を一気に埋めるように騒ぎ尽くした夜になった……。


 ◇◆


 翌日の朝。

 二日酔い気味の重い体に鞭を打って、出勤する身支度をする間宮の寝室に康介が入ってきた。


「今日、昨日紹介して貰った部屋の仮契約したら、一旦親父達と一緒に大阪に帰るわ」

「おぅ! 悪いんやけど今日アポ取りしてる予定がビッシリで見送り行かれへんけど、気を付けて帰れよ」

「別にええよ。本契約とかでもう一回こっちに来る時と、本格的には2月中にこっちに引っ越してくる予定やから、その時はまた頼むわ」

「了解や!」


 そこまで言うと、康介の表情が変わる。


「あのな……。ホンマは昨日酒の席で言うつもりやったんやけどな……」

「ん? なんや?」

「その……優香さんの事って……まだなんか?」


 康介の口から優香の名前が出ると、間宮の肩がピクリと反応をみせた。


「なんやねん…朝っぱらから藪から棒に」

「いや、ずっと気になってたんや……。良兄もいつまでも若いわけやないんやで」

「分かってるよ。てか俺の事なんか心配してる暇あったら、これからの自分の事心配しとけや」

「……そうやな……ごめん」


 言って話を切ろうとした間宮だったが、康介は間宮から視線を外したまま話を続けた。


「しっかし瑞樹ちゃんやったっけ? あの子って俺らにとって不思議な縁があると思わへんか?」

「なんでや?」

「だって、あの子をきっかけに俺らが纏まったとこあるやん? それに久しぶりに良兄の顔見て思ったんやけど、あの頃から比べたらめっちゃ角が取れたように見えたで!」

「……そうか?」

「絶対そうやって! だから優香さんの事吹っ切れたんかと思ううて訊いたんやからな」


 康介が何が言いたいのか直ぐに間宮は察しがついた。

 だが、それは康介の勘違いだと否定しようとしたのだが、間宮は敢えて何も言わずにやり過ごす。


「そんじゃ、そろそろ会社行くわ」

「あ、あぁ! いってらっしゃい。またな、良兄! 瑞樹ちゃんにも宜しく伝えといてくれ」

「おぅ!」


 言って間宮は玄関に向かい靴ベラを使って革靴を履いていると、今度は雅紀が話しかけてきた。


「良介……これで子供達が全員そっちで暮らす事になったわけやけど……な。その……なんや」

「分かってる。あいつらの事は俺が気に掛けとくから、親父達は心配せんとゆっくり休んでてや」


 雅紀が言い辛そうにしてるのは、まだあの時の事を引きずっている間宮に頼み事するのは心苦しいものがあったのだろう。

 その様子を雅紀の後ろに立っていた涼子も少し寂しそうな顔をしていた。


「気を付けて帰れよ。そんじゃいってきます!」


 二日酔いはどこへやらと、間宮は元気な声でそう言って部屋を出て行く。


 口には出さなかったが、ずっと両親の事が気になっていた。

 でも逆に心配かけていた事を知った間宮は、元気なところを見せないといけないと思った。

 妹の茜の問題が、昨日の酒の席で見事に解消したのだから、不必要に両親に心配などかけたくない間宮だった。


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