第13話 突然の訪問者 act 3

 川島さんからの熱のあるオファー。

 あれからずっと頭の真ん中にある。

 憧れた仕事で、やりたかった事。

 その分野の中枢の人間に求められた。

 男としても働く人間としても、こんなに光栄で嬉しい事はない。


 ……はずなんだけど、正直迷ってる。

 少し前の俺に教えてやったらビックリするだろうな。

 凄いチャンスが巡ってきた事じゃなくて、その話を受けるかどうか迷ってるって事に。


「はぁ……今日もやっちまったな」


 仕事に集中しないといけない。それは頭では分かってるんだけど、営業部の誰が俺の異動希望と開発部からのオファーを揉み消したのかが、どうしても気になって仕事が手に着かなかった。

 今日だって大した仕事量じゃなかったのに、結局残業しないと駄目だったとか……情けないよな、ホント。


 O駅からA駅に着いて、いつものように駐輪所へ向かい自転車の鍵を開錠した。

 そこでいつものルーティンになっている瑞樹の駐輪スペースを見たんだけど……。


「あれ? あいつまだ帰ってないのか?」


 時計を見るともう22時を過ぎている。

 確か今日はゼミじゃないはずだから、友達と遊んでんのかなと、その時はその程度の事しか考えなかったんだけど、まさかあんな事になってるなんて考えもしなかった。


 自宅のマンションに着いてロビーを抜けて自宅前まで来た時、一日の疲れをふぅっと吐き出して鍵を開錠する。

 ここまでは何時もの生活で、何時もの匂いに包まれて何時もの静寂が迎えてくれる……はずなのに、何だかリビングから明かりが漏れていた。

 それに見慣れない靴が沢山あるんだけど……。


 俺は自分の家を恐る恐る上がりリビングのドアを開けると……。


「……は?」


 おかしい……おかしい状況になっていた。

 部屋の中に親父達がいる。


「おぅ! やっと帰ってきたか。先にやっとるで!」

「――」


 うん……おかしいよな。


 ま、まぁ百歩譲って親父とオカンに康介までいるのは良しとしようじゃないか。

 こういう事があるかもしれないと、スペアの鍵を渡してたんだからな。


 只々だ! 只々何故その家族の中に瑞樹がいる!?

 何で一緒にお好み焼き食ってんの!?


「ま、間宮さん、おかえりなさい。お、お邪魔してます」


 やっぱり見間違いとか、そっくりさんじゃないのか……。


 何で親父達と瑞樹が一緒に俺の部屋にいるんだ!?


「……え、えっと」

「まぁ、そんなとこに突っ立ってないで、説明するから座れや」

「……あ、あぁ」


 昔から思ってた事だけど、何で人んチに勝手に上がり込んでる親父が偉そうなんだよ。

 ってそんな事今更かと諦めた俺は、スーツをドレッサーにかけて瑞樹の隣が空いてたから、そこに腰を下ろした。


「それで? なんでこうなってんだ?」

「なんやねん、お前! 大阪人が標準語なんか使うなよ。気持ち悪いわ!」


 まぁ、向こうの知り合いが今の俺の話し方聞いたら同じ事言われるとは思うけど、厚かましく俺んチで踏ん反り返ってる親父にだけは言われたくない。


「ええから、さっさと説明せえや!」

「ふん! それでええねん! 実はな?」


 俺は親父から事の経緯の説明を受けた。

 どうやら偶然に瑞樹と親父達は出会ったみたいで、関西弁を話してるから俺の身内だと思って声をかけたらしい。


「なるほど、話は理解したわ」

「おぅ! まぁそういう事や! まぁ良介も飲めや」

「アホか! 親父達が間抜けなせいで瑞樹に迷惑かけたってだけやんけ! せやのに、無理矢理引き留めるとか何考えてるねん! 瑞樹は高校生なんやぞ!? こんな時間まで帰らんかったらどうなるかくらい分かるやろ!?」


 本当に恥ずかしい。

 親父の性格を考えたら、その時の状況が目に浮かぶ。

 絶対に嫌がる瑞樹を無理矢理引き留めたはずなんだ!


「ま、間宮さん。私嫌がってなんていないよ! ビックリはしたけど、雅紀さん達に無理矢理引き留められたわけじゃないし、それにお好み焼き凄く美味しかったしね」


 親父達に苛立った俺の袖をクイッと引っ張って、瑞樹はそう言うから一旦落ち着こうと席について深く深呼吸をした。


「瑞樹が言ってる事ホンマか!?」

「おぉ、ホンマや。俺は案内してくれた礼がしたかっただけやし、嫌がってると思ったら諦めてたわ」

「てことは……瑞樹に迷惑かけた事に変わりないやんか!」


 やっぱり納得出来ない。

 瑞樹は優しいから、俺の身内って事で断れなかっただけのはずだ。


「まぁまぁ! 良兄。確かに瑞樹ちゃんに頼ったとこあるけど、親父達なりにお礼がしたくて誘った事なんやから、そう目くじら立てんなや」

「康介、お前が付いてて何やらせとんねん!」

「あほか! 良兄以外オトン達を大人しくさせれる奴なんておらんやん!」


 暴れ馬の手綱を握れるのは俺だけと言われても、迷惑なだけだっての!


「ね、ねぇ! 間宮さん。私ホントに無理してないし、楽しいよ? 断ろうとしたのは、久しぶりの団欒を邪魔したくなかっただけだしね」

「ほらみろ! 瑞樹ちゃんもそう言うてるんやから、ええやんけ!」


 全く……久しぶりに顔見せたかと思うとこれだ……。

 親父はやっぱり親父で、全然変わってない。


 俺は瑞樹の皿周りを見渡すと、どうやら食事は終わってるみたいだったから、ネクタイを緩めて席を立った。


「もうええわ。とりあえず遅い時間やから、瑞樹を送ってくわ」


 言うと、瑞樹も席を立ち食器を纏め始めた。洗い物をしようとしているんだろう。


「ええよ、瑞樹ちゃん。後片付けはウチがやっとくから、良介の言う通り遅い時間やから、送って貰い」

「いや、でも……私何もしてないですから」

「お礼がしたくて誘ったんやから、そんなん当たり前やん」


 オロオロとしてる瑞樹に「いくぞ」とだけ告げて、俺は玄関に向かう。

 少し強引かもしれないけど、気にする性格の瑞樹はこれくらいしないと動こうとしない事は分かってる。


「えっと、それじゃすみません。ご馳走様でした」


 リビングからそう言う瑞樹の声が聞こえる。


「こっちこそ調子に乗って遅くまで悪かったなぁ」

「いえ! ホントに楽しかったですから」


 言って、瑞樹が会釈しながらリビングから出てきた。

 瑞樹の姿を確認して、さっき脱いだばかりの革靴に足を通すと、瑞樹もいそいそとローファーに足を通す。


「んじゃ、いってくるわ」

「うん。ちゃんと送ってあげるんやで」

「誰のせいでこうなってると思ってんねん……」


 呆れ口調でそう言うと、親父達は笑ってる。

 笑うとこじゃないと思うんだけどな。


「それじゃ、御馳走様でした。おやすみなさい」


 瑞樹がもう一度会釈してから玄関を出たところで、瑞樹は小さく息を吐く。


「ごめんな。疲れたよな」

「え? ううん、違うの! こんなに賑やかな食卓って初めてだったし、お好み焼きも凄く美味しかったし、凄く楽しかったしね」

「でも、疲れたでしょ?」

「疲れたのはそうかもだけど、雅紀さん達のせいってわけじゃなくて、間宮さんの家族に会うなんて初めてだったから、緊張してただけだから」


 そう話す瑞樹は笑顔だったから、嘘や気を遣って言ってるわけじゃないと分かる。

 考えてみたら、瑞樹の性格を考えたら見知らぬ人間に声をかけるなんて勇気がいったはずだ。

 だけど、俺の身内だからと助けてくれたんだ。であれば親父達に怒る前に、瑞樹に謝る事以外に先に言う事があった。


「ありがとう、瑞樹。親父達を助けてくれて」

「ふふ、うん! どういたしまして!」


 嬉しそうに笑顔を見せる瑞樹を見て、これが正解だっと理解する。

 帰ったら親父達にも言い過ぎたって謝らないとな。


「んじゃ、いこっか」

「うん!」


 俺達はマンションを出て、瑞樹の自宅に向かう。

 自転車を駐輪所に置きっぱなしだったから、取りに行こうかって言ったんだけど、明日は歩いて駅に行くからいいと言われたから、歩いて自宅に向かう事にした。


「そういえば手に持ってる袋って……」


 瑞樹の手には学生鞄と東京では見かける事が少ない紙袋を持っていた事が気になっていた。

 瑞樹には馴染みがない物だろうが、俺には懐かしい袋だったからだ。


「うん。帰る時に涼子さんがお土産にってくれたんだ。何でも東京じゃ売ってないに肉まんなんだって」


 やっぱりあの店の袋だったか。本当は俺の土産に買ってきた物なんだろう。


「やっぱりそうか。人気の店なんだけど、東京の方には進出してないから、東京からこっちに出張で来てた人とかよく買って帰るらしんだよ」

「へぇ! そんなに有名なんだね。食べるのが楽しみ! 沢山貰ったから、希達と食べるよ。涼子さんにお礼言っておいてね」

「あぁ、分かった」


 土産の話をしながら俺のマンションから瑞樹の自宅まで丁度半分まで来た所で、また瑞樹が口を開いた。


「そういえば、これ貰った時にさ」

「うん」

「涼子さんにあんな子だけど、これからも仲良くしてって頼まれたんだけど」

「……俺は子供か!」

「あはは! ほんとそれ! それに、仲良くしてもらってるのは私の方なのにね」


 笑った後に、自虐気味な事を言う瑞樹。

 何の事を言ってるのか理解出来なくて首を傾げていると、瑞樹が話を続ける。


「間宮さんがいてくれなかったら、今の私はいなかったんだよ。それこそ、見ず知らずの雅紀さん達に声をかける事なんて絶対に出来なかったと思うもん」


 それは違う。

 確かに瑞樹の過去を払拭させようと動いた事は認める。

 だけど、それは瑞樹の為というより、そうする事で俺自身が救われると思ったからだ。

 今思えば、どうしてそう思ったのかは分からないんだけど、確かにそう確信してあの時は動いた。

 肝心のところがハッキリしないから口にはしなかったけど、少なくとも瑞樹の為だけではなかったと断言できる。


「あ、そうだ! 話し変わるんだけど、大阪の人ってお好み焼きをおかずにご飯食べるってホント?」

「え? あぁ、そうだけど?」

「マジで!? 炭水化物祭りじゃん!」


 そう言う瑞樹に俺は思わず爆笑してしまう。

 話した内容が面白かったのもあるけど、瑞樹とこんなくだらない話をする事が久しぶりで、少し恥ずかしくなったのを誤魔化す為に少し不自然だったとは思うけど、大笑いしたのだ。



 ◆◇


 久しぶりに間宮さんと砕けた話が出来たような気がする。

 やっぱりこの人といるのは楽しい。


 ――楽しいけど、喉元まで出かかっている事があるんだ。

 ううん。正確には喉元まで出かかっている名前がある。


『優香』


 この名前が頭にこびり付いて離れてくれない。

 間宮さんにとってどんな関係なのか。

 いや、雅紀さん達の話し方だと、どんな関係だったのかが正しいのかな。


 訊きたい。知りたい。

 でも、訊いたらいけない気もする。

 訊いてしまったら、この楽しい空気が壊れてしまって、ただ単に間宮さんを困らせてしまう気がするから。


 間宮さんの背中を眺めながら、当たり前の事に気付かされる。

 この人は大人なんだ。話して貰った事はないけれど、きっと今まで色々な人がこの人と関わってきたんだ。

 それは友人だったり、同僚だったり、取引先だったり……そして恋人だったり……。

 確かに今はそんな関係の人はいないかもしれない。

 だけど、これまで色んな女の人が彼を好きになったり、愛したはずなんだ。

 逆に言えば、これまで間宮さんも好きになったり、愛した人がいたわけで……。


 それに比べたら、私はまだ親に育てられている立場で、狭い世界で子供は子供なりに悩んだり、傷付いたり、苦しんでいたりしてるけど、間宮さんみたいな大人から見れば狭い世界で悶えてるようにしか見えないと思う。


 ――間宮さんと私の年齢差の事で、黒い感情が渦巻いてる。こんな事を考えるのは初めてだ。


 ――悔しい……。




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