第9話 やきもち

 10月3日 side瑞樹


 今日は藤崎先生が講師の英語のコマを受講していた。

 合宿から戻ってきてからの藤崎先生の講義は日増しに切れ味が増していくというか、実に有意義な講義を展開してくれている。


 そして講義がもう少しで終わるという所で、講義室に異変が起こる。


 ノックする音が聞こえて藤崎先生がドアを開けると、明らかに先生の様子が変わった。

 驚いたようで気まずそうに見える藤崎の案内で講義室に入って来たのは、何と間宮さんだった。

 講義を受けていた生徒達が騒ぎだす。

 それはそうだろうな。夏期合宿に参加した人なら、間宮さんの事を知らないなんてあり得ないんだから。


「えっと、皆さんお久しぶりです。今日は講義をする為ではなくて、今回このゼミの端末を新しい物に入れ替える事になったんです。それにあたって普段端末を使われている皆さんから要望があれば可能な限り対応したいと思い、お話を聞かせて頂きたくてお邪魔しました」


 間宮さんからの説明を受けて、皆の反応は三者三様といった感じだった。

 とりあえず残し僅かになってたけど、講義を再開。

 受験前って事もあって、突然の間宮さんの登場に沸いた講義室だったけど、講義が再開すると皆目つきを変えて受講している。

 ――だけど、私は違う。

 藤崎先生には申し訳ないし、受験生なのにって思うところもあるんだけど、間宮さんが同じ空間にいるのを無視して講義なんて受ける事なんて出来ない。

 藤崎先生の講義は右から左へすり抜けて、私の意識は講義室の端にいる間宮さんに集中する。

 時折、一緒にいる女の人と小声で話す内容が気になったり、クスっと笑みを零す女の人に苛立ったりで、一秒でも早く講義が終わるのをそわそわと待った。


 少しだけの時間だったはずなのに、途方もなく長く感じた講義が終わって、テキストを急いで仕舞い間宮さんの元へ駆けよろうとしたんだけど、ここで藤崎先生から「それじゃ、今日の講義はここまでね。それでさっき間宮さんから話があった事なんだけど、少しだけ時間貰っていいかな」と席を立とうとした私を制止した。

 勿論、それは私だけに言ったわけではなくて、生徒達全員に言った事なんだけど、藤崎先生にそう言われた他の皆は席を立たずにいたから、私だけ立つ事が出来なくなってしまった。

 聴取という事だから、強制的じゃないのは分かっている。

 だけど、この場合聴取を拒否しても講義室を退室するだけで、そんな事をしても意味がないから仕方なく席に座っている事にした。


 やがて川島と名乗る間宮さんと一緒に入って来た女の人が教壇に立って、皆に事の成り行きを説明した後、色んな質問を投げ始めた。

 勿論、そんな話などに耳を貸す事なく、私はずっと間宮さんに意識を向けている事は言うまでもない。

 そして、今度は隣に立った藤崎先生と話をする間宮さんに苛立っている。

 何であの人には綺麗な女の人が寄ってくるんだろう。

 思えば、合宿の最終日にこの人は間宮さんの頬にキスをしたんだ。

 絶対間違いなく、藤崎先生は間宮さんの事が好きだ。

 綺麗で頭も良くて色気が凄い大人の女性って感じで、今も間宮さんの隣にいるのが物凄くお似合いで滅茶苦茶腹がたった。


 そんな時、間宮さんと藤崎先生の雰囲気が変わった。

 楽しそうに話していたはずなのに、2人は教壇に視線を向けたまま話ているんだけど、藤崎先生は物悲しそうな表情をしていて、間宮さんも辛そうな顔をしている。

 話している内容は周りが煩くて全く聞こえなかったんだけど、重要な話をしているのは分かる。


 ようやく聴取も終わり解散の流れになった。


 今度こそはとすぐに席を立ったんだけど、隣の女子に声をかけられてスタートが遅れた。

 適当に相槌を打って速攻で講義室を出ると、ゼミの玄関先で間宮さんを発見!しかも一緒にいた女の人はいないもよう!

 チャンスと歩くスピードを上げたんだけど、近づく度にさっきまで楽しそうに女の人と話している間宮さんの顔を思い出して、気持ちとは裏腹に、声をかけた時は完全に膨れっ面だったと思う。


「おぅ、瑞樹も今日講義だったんだ」

「……うん。てか、間宮さん達が入って来た講義室に私もいたんだけど」

「え? そうなのか……気付かなかったよ」


 はぁ!? 気付かなかったぁ!? 

 どんだけ私の事眼中にないのよ!


「藤崎先生と何話してたの?」


 そう訊いたら、間宮さんの眉がピクっと跳ねた。

 その動きだけで、2人だけの話だという事は分かった。


「……瑞樹には関係ないだろ? 大人は色々あるん……いっ!?」


 聞きたくない返答が返ってきたと思った瞬間、気が付けば話を遮って間宮さんの靴を勢いよく踏んづけていた。


「った! 何すんだよ!」

「自分の胸に訊いてみれば!?」


 間宮さんが私の事を妹くらいにしか思ってないのは分かってる。

 間宮さんの部屋に泊まったのに、何もしてこなかったのが良い証拠だ。

 そんな事があったから、余計に子供扱いされるのが我慢出来なくなっていた。


 少し?乱暴な意思表示を間宮さんに向けていると、さっきの女の人が恐る恐るといった感じで声をかけてきた。

 入り辛いのなら入ってくるなと思ったけど、間宮さんはすぐに切り替えて川島という女の人に向き直る。


 正直、全く面白くない。


 間宮さんはこのまま女の人をホテルまで送っていくと言う。

 思春期真っ盛りの私には、ホテルと訊くとどうしてもあのホテルを連想してしまうんだけど、どうやらこの人は出張で来ているみたいでビジネスホテルに滞在しているらしい。


「お仕事の邪魔してしまってすみませんでした」


 素直にそう謝ってみたんだけど、間宮さんは気にする素振りも見せずに「じゃあな」と言い残して川島さんと一緒にゼミを出て行く。


 大人の世界。

 高校生の私なんかじゃ、理解出来ない世界。

 どうしようもない壁が存在している。

 その壁を認める度に自信を無くしてしまうのだ。


 ◆◇


 ゼミを出てO駅のホームで電車を待っている。

 ううん。正確に言うと待っている電車はもう3本程眺めているだけで乗ってはいない。


 何よ!仕事なのは分かってるけど、ちょっとくらい相手してくれてもいいじゃん……ばか。


 ベンチから立ち上がる気が起きない私は、そんな愚痴を頭の中で零しまくっていた。


「飲むか?」


 俯いてボヤいていると、頭の上からそう声をかけられた。

 馴れ馴れしいナンパかと思ったけど、その声は聞き覚えがあったから頭を上げたら、おでこに温かくて硬い物体をそっと当てられた。


「ひゃぁい! な、なに!?」

「あははっ、下ばっかり向いてるからだぞ」

「……ま、間宮さん」


 おでこに当てられていたのは温かいホット珈琲の缶で、それを手に持っていたのはさっき愛想なく別れた間宮さんだった。

 どうやらホテルに送り届けた後、すぐに帰ろうとしていたらしいんだけど、これじゃ私が待っていたみたいで恥ずかしい気持ちになった。


「ん、どうぞ」

「……あ、ありがと」


 恥ずかしさから素っ気なく缶コーヒーを受け取った私は、間宮さんがベンチに座った逆方向に視線を落とした。


「何かさっきから機嫌悪くないか?」

「……別に」

「そうか?」


 夏の虫から秋の虫の鳴き声に変わっていく、いつものホーム。

 毎日同じような生活を送っていても、季節はしっかりと変わっていくんだ。

 ホット珈琲が美味しくなる季節が巡ってきた。

 ――そんな事を考えていると、何だか無性に寂しくなってきた。


「……だれ?」

「え?」

「さっきの女の人……だれ?」

「あぁ、ゼミのシステムが総入れ替えする事は知ってるだろ? 彼女は開発担当者で、サポートの為に本社に来て仕事を手伝ってくれてるんだ」

「そうなんだ……綺麗な人だね」

「まぁ、そうなんだろうな」


 曖昧な返答に首を傾げる私。


「なに? 曖昧な事言うね」

「ん~。だってさ……隣に凄く綺麗な女の子がいるから、返答に困ったんだよ」

「んなっ!?」


 は?なに!? この人何て言った!?


 今、私の事綺麗って言った!?


 サラッととんでもない事を言った張本人は、秋の虫の鳴き声を目を閉じて心地良さそうに、手の持っていた缶コーヒーの缶をゆらりと回しながら静かに座っている。

 そんな涼し気な横顔と爆弾発言の相乗効果といえばいいのか、兎に角そんな事を言ってくれる間宮さんが隣にいる事が、さっきまでの苛立っていた気持ちを静めてくれた。

 チョロいとは思うんだけど……こ、これが惚れた弱みってやつなんだろうかと私は諦めに似た笑みを零した。


 受験勉強に追われて、間宮さんの顔を見る事が出来ない。

 だけど、今日の私は数週間分の元気を充電出来た気がする。

 本当に単純だなとは思う。思うんだけど、こんな自分が好きなんだよね。


 ん! 藤崎先生の事は気になるけど、私は私だもんね。

 ライバルの動きで自分の行動を変える程、残念ながらそんな器用な事は出来ない。


 私は私に出来る事をして、隣で気持ち良さそうに目を閉じている間宮さんに気持ちを知って貰う。


 焦る気持ちはあるけれど、いつかこんな事で悩んだ事もあったねって、懐かしく笑顔で振り返れる気がするから……。











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