第8話 諦める為のお願い

「ま、間宮さん……」

「……藤崎……先生」


 講義室前に向かい合う間宮と藤崎。

 昨日、偶然に会ったりしていなければ、お互い笑い合えたのかもしれない。だが、現実はお互いまともに言葉が出てこない。


「講義中に失礼します。株式会社RAIZUの川島と申します。この度弊社のシステムを購入して頂く事に際して、現場で講師様や生徒さんのお声を聞いて欲しいと、天谷社長より命じられたのでお邪魔させて頂きたのですが、宜しいでしょうか」

「え? あ、あぁ……社長の許可があるのでしたら、もう講義も大方終えてますのでお入りください」


 言葉を失ってしまった2人の間に川島が割って入り、事情を説明して藤崎の案内で講義室に足を入れる。気まずい感が半端ない間宮は外で待とうと考えはしたのだが、担当者として流石にそういう訳にはいかずオズオズと川島の後ろについて入室した。


 中にいた生徒達は何事かと目を見張っていたが、最後に入って来た間宮の姿を見て講義室がワッとどよめく。


「あれ!? 間宮先生じゃん!」

「えぇ!? どうして間宮先生がいるの!?」

「きゃー!! 間宮先生お久しぶりですぅ!」

「え!? なになに!? またstorymagicやってくれるんですか!?」


 この反響に間宮も驚いたようで、圧倒的な若さの勢いに飲まれるかのように、弱腰で進めていた足が無意識に数歩後退した。

 ここのゼミで行われた夏期合宿で臨時講師を務めた事を知らない川島は、間宮に向けられた大歓声に只々目を見開きポカンと口を開けている。


 藤崎はそんな対応を受けている間宮にクスクスと笑みを零しながらも、その瞳には尊敬の念が溢れていた。

 1人の男として好意を抱いている藤崎だったが、その気持ちと同様にこれだけの信頼と実績を掴みとった講師として尊敬する気持ちも忘れていない。

 確かに昨日完全に自分の気持ちを否定された。

 だが一晩眠れない夜を過ごして思い知らされたのは、間宮への気持ちに諦めがつかない事だった。

 とはいえ、もうしつこく付きまとうのは違うと心に誓ったばかりなのに、こうして目の前にいる間宮の姿を見せつけられると誓った事が呆気なく崩れ去ってしまいそうになり、藤崎の顔が酷く歪んだ事を間宮や生徒達は気付いていなかった。


「えっと、皆さんお久しぶりです。今日は講義をする為ではなくて、今回このゼミの端末を新しい物に入れ替える事になったんです。それにあたって普段端末を使われている皆さんから要望があれば可能な限り対応したいと思い、お話を聞かせて頂きたくてお邪魔しました」


 ポカンと呆気にとられて黙り込んでしまった川島に変わって、間宮がそう生徒達に事情を説明した。


「えー!? 講義してくれるんじゃないんですか!?」

「久しぶりにstorymagic聞かせて下さいよぉ!」


 間宮の講義を受けた事がある生徒達は、またあの講義をと騒ぎ出した。実際あの講義で明るい展望が見えた生徒達も多く、期待するのも仕方がない事なのかもしれないが……。


「はい! まだ講義中なんだから騒がない! とりあえず残りの講義始めるからね!」


 そんなざわついた空気をパンパンと手を叩き藤崎が沈めて見せた。そうして教壇に戻る藤崎の後ろ姿を見た間宮は、随分と講師らしくなったなと嬉しそうに微笑んだ。


 講義が再開すると、さっきまでの落ち着かない空気が見事に消え去り、講義を受けている生徒達の目つきが変わる。

 藤崎の講義内容に意識を向けると、あの合宿の時に得たものに磨きがかかっていて、生徒達の為に展開されていたそれは藤崎にしか出来ない素晴らしい講義だった。


「それじゃ、今日の講義はここまでね。それでさっき間宮さんから話があった事なんだけど、少しだけ時間貰っていいかな」


 藤崎の問いに生徒達が頷くのを見て、川島が藤崎の代わりに教壇に立ち改めて経緯を生徒達の話し始める。

 堅苦しい話し方をせずに、生徒達に寄り添うような柔らかい口調で話す川島に次々と意見する声が上がり、僅かな時間で意思疎通を終えた川島と生徒達が密度の濃い意見交換が始まった。


「随分と頼もしい相棒が来られたんですね」


 壇上の川島を眺めていると、教壇を降りた藤崎が間宮の隣の立ちそう話しかけてきた。

 その口調からは、昨日の事を気にしている雰囲気ではない事に間宮は一定の安堵感を抱き、頼もしいと言われた川島を見て口を開く。


「えぇ、おかげでやる事がない程ですね」

「ふふっ、いいじゃないですか。私から見ても間宮さんは普段から働き過ぎな印象ですから」

「はは、貧乏暇なしってやつですよ」


 そんな何気ない話に花を咲けせていると、途中から藤崎の声のトーンが下がり慎重に言葉を選ぶような仕草を見せながら、静か口を開いた。


「あの……昨日は無神経な事を言ってしまって……本当にすみませんでした」


 そう言って昨日の事を謝る藤崎だったが、顔は壇上の川島に向けられたままで、頭を下げる仕草も見せなかった。

 藤崎は冷静だった。

 合宿で間宮に謝罪した時、周りにいた生徒達にその姿を晒してしまって間宮に迷惑をかけた事を忘れていなかったのだ。

 また間宮に迷惑をかけない為に、表向きは平静を保ちながら気持ちはしっかりと伝えた。


「……いえ、僕も言い過ぎたと反省してたんです。藤崎先生は何も知らないのにって……」

「それでもです。気持ちが解らないこそ、言葉を十分に選ぶべきなのに、私は自分の感情を押し付けるだけで……最低です」

「……もうこの話は止めましょう」


 生徒達は相変わらず川島との意見交換に夢中になっていて、間宮達の空気に気付いた様子はなかったが、もし気付かれたら藤崎の今後に影響が出る事を恐れた間宮は話を切ろうとした。


「そうですね。ただ、最後に一つだけお願いがあるんですが……いいですか?」

「はい」

「こんな場所で話す事じゃないのは分かっているんですが、今を逃すとまた逃げてしまうので……」

「逃げるって、別にそんなつもりは……」

「はい、それは分かってます。あの日から私を避けていたのは、女に恥をかかせてしまったって罪悪感からだって事も理解してます。ですが……これだけは聞いて欲しい事なんです」

「……分かりました」


 これから藤崎はこんな場所で何を話すのだろうと、構える間宮に視線を合わせる事なく藤崎は話を続ける。


「あれから間宮さんの事を諦めようとしたんですが、どうやら駄目みたいなんです」

「…………」

「ですから、時間は取らせませんので、近い内に会って貰えませんか?」

「……僕は」

「違いますよ」

「え?」

「考え直して欲しいと言ってるわけじゃありません。お互いちゃんと向き合った状態で私の気持ちを聞いて欲しいだけです」


 気持ちを伝えると言う藤崎に間宮は首を傾げる。

 それは再度告白すると言う事であって、違うと言った藤崎の言葉は矛盾しかないのだから。


「気持ちを聞いて貰った後で、しっかと間宮さんの気持ちを聞かせて下さい。そして……最後に私を振って欲しいんです」


 燻る気持ちを完全に切って欲しい。

 そうして貰わないと、気持ちが前に向かないと告げる藤崎の頼みに、勘違いをさせてしまった間宮に拒否する選択はなかった。


「……分かりました。近い内に連絡します」

「……無理言ってすみません。ありがとうございます」


 振って欲しいと言った藤崎が礼を言う事に違和感があっが、今の間宮にはそれを伝える術を持ち合わせていなかった。


 ◇◆


 生徒達から聴取を取り終えた川島は、最後に間宮と一緒に講義室の端に立っていた藤崎にもシステムの要望を求めた後、満足そうにタブレットを落として教壇を降りた。

 最後に間宮と川島が時間をとらせてしまった生徒達に感謝の気持ちを伝えて講義室を出ると、川島が塾長にも挨拶をしてくると詰め所に向かった為、間宮はゼミの出入口で待つ事にした。


「……間宮さん」


 川島を待っている間、スマホを弄っていた間宮に訊き馴染んだ声がかかり、スマホから視線を外すとそこにはブスっとした顔をした瑞樹がいた。


「おぅ、瑞樹も今日講義だったんだ」

「……うん。てか、間宮さん達が入って来た講義室に私もいたんだけど」

「え? そうなのか……気付かなかったよ」


 言うと、益々瑞樹の頬が膨らんでいく。


「え? どうした?」

「……間宮さんってさ」

「うん?」

「……やっぱりいい!」


 プイっとそっぽを向いた瑞樹に間宮が首を傾げていると、視線を戻さないまま瑞樹が口を開く。


「藤崎先生と何話してたの?」


 間宮達が講義室に入ってきた時は間宮に視線が集まり盛り上がっていたが、その後は川島の語り掛け方が良かったのか、生徒達は川島との意見交換に集中していた。

 だが、瑞樹だけは違う。

 間宮が入ってきた時から、再開した藤崎の講義すら耳に入らずにずっと間宮の姿に釘付けになっていたのだ。


 当然、川島が教壇に立った後、藤崎とのただならぬ雰囲気も目撃していたわけで、周りが騒がしかったから話の内容までは聞き取れなかった瑞樹だったが、その空気だけで談笑していたわけではない事は分かっていた。


「……瑞樹には関係ないだろ? 大人は色々あるん……いっ!?」


 言い切る前に間宮の足に痛みが走る。

 目線を落とすと、自分の足の甲に瑞樹のローファーが乗っていた。


「った! 何すんだよ!」

「自分の胸に訊いてみれば!?」


 突然、瑞樹に勢いよく足を踏まれた間宮はたまらず抗議したが、一歩も引く気配はなく、膨れ具合が更に増した顔でそう言い返す瑞樹。


「何怒ってんだよ」


 困惑する間宮にフンッと鼻を鳴らす瑞樹の様子を伺っていた川島が何事かと戻ってくる。


「えっと……どうかされましたか?」

「あ、あぁ、川島さん。挨拶終わったんですね……それじゃホテルまで送りますよ」

「あ、ありがとうございます……でもいいんですか?」


 川島がそう疑問を投げかけると、瑞樹はバツの悪そうな顔でゼミの鞄を持ち直してペコリと頭を下げた。


「お仕事の邪魔してしまってすみませんでした」


 瑞樹がそう謝ると、腑に落ちない気持ちもあった間宮だったが、とりあえず仕事モードに切り替えて「じゃあな」と言い残して、間宮は川島を連れてゼミを後にした。


 ◇◆


 立ち去った2人をボーっと眺めていると、同じ講義を受けていた男子生徒が駆け寄って声をかけてくる。


「お疲れ、瑞樹さん! 俺チャリなんだけど、駅まで乗せてってやろうか?」

「うっさい! ハゲ!!」

「いや、ハゲてねぇし!」


 瑞樹は男子を一蹴して駅に向かって走り去った。

 学校はともかく、ゼミでは問題を起こさないように気を付けていた瑞樹だったのだが、あまりにもタイミングが悪かった。

 間宮の事に関してだけは、以前より感情がコントロール出来なくなっている事を自覚していたのだが、ここまで酷くなっている現状に瑞樹は只々唇をギュッと噛んだ。


 藤崎だけではなく、あの同僚らしい川島という女性の存在を知った瑞樹。

 間宮と比べて遥かに子供だと劣等感を抱いている瑞樹にとって、間宮の周りに大人の女性が増えてしまうと、不安が増してしまうのだが……。

 ――最大のライバルだと思っている藤崎が、実はすでにフラれている事を瑞樹はまだ知らない。














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