第33話 瑞樹 志乃 act8 ~最初で最後のデート・後編~

 8月5日。


 待ち合わせのA駅前。


 時計を見ると、待ち合わせ15分前。

 周りを見渡しても、まだ瑞樹は来ていないようだ。

 昨日は不安と期待で全くと言っていい程、眠れなかった。


 なのに、気怠さはなく頭をスッキリと冴えているのは、今日という日をどれだけ待ちわびていたのかの証明だろう。


「あれ? 早いね!」


 駅前の時計台に凭れるように立っていると、俺の右横からそう声をかけられた時、勿論誰が来たのかは確認しなくても分かっていたけど……どこかその台詞に違和感を感じる。


「おはよ! 瑞樹さん。楽しみで早く目が覚めちゃってさ」

「ふふっ、私も何だか緊張しちゃって、昨夜は中々寝付けなかったよ」


 俺と同じ気持ちだったんだと知って嬉しくて心が躍った時、違和感の正体に気が付いた。


「――敬語じゃ……ない」


 そうだ。どれだけ気を許してくれても、言葉使いだけはずっと他人行儀に敬語で話していたのに、今朝は砕けた口調で話しかけられていたんだ。


「あぁ……今日はさ……その、折角のデートなんだし、敬語じゃあれかなって思って……岸田君が嫌なら戻すけど?」

「ううん……ううん! 絶対に戻さないで! 2度と瑞樹さんの敬語は聞きたくない!」


 本心だ。心の底からそう思う。


 ずっと気になっていた事。でも、無理に変えてって頼むのも違う気がして、我慢していた事だったから、最後の最後で何だか報われた気がした。


「あはっ、そこまで言われると、ちょっと照れるね」

「あ、ご、ごめん」

「ふふっ! 何で謝るかなぁ」


 瑞樹はクスっと笑みを零して、駅の改札口の方を指さして力強く言う。


「さぁ! 今日はデートだよ。私こうみえてデートなんて初めてだし、岸田君が誘ったんだから、エスコート任せるからね!」


 ふざけんな!可愛すぎかよ!


 もう何もかも投げ捨てて、彼女だけを欲してしまう自分を抑えるのに、既に四苦八苦してる、俺の身になってほしい。


「あ、あぁ! 勿論だ! 俺も初めてだけど、受験勉強そっちのけで練りに練ったプランに任せてくれよ!」

「えぇ!? こらこら、受験生! 何やってるの!?」

「はははっ、よし! まずかモールで映画な!」

「練りに練った割には、ベッタベタじゃない?」

「うっせ!」


 こんな冗談も言える仲になった。

 今日の彼女は、俺の中でずっと存在し続けると思う。

 パッとしない地味は俺が、高嶺の花の存在だった彼女と同じ目線で話し合えて、肩を並べて歩いている。

 瑞樹の傍を離れて色々な事があるんだろうけど、ずっと真ん中にいるのは彼女なんだと思う。


 この今日という日を大切にしたい。

 1分1秒逃さずに、心に刻み込むんだ。


 ◇◆


「観たい映画ってこれ? 最近よくCMやってるやつだよね?」

「うん。この映画の原作読んだ事があってさ。実写化されたらどう映るんだろうって興味があったんだ」

「へぇ、これって恋愛ものだよね? 岸田君ってそういう本読むんだ」


 小悪魔的に笑みを浮かべ、白い歯を見せる瑞樹に、ギュッと心臓を捕まれた気がした。


「わ、悪いかよ」

「別に悪くはないんだけどねぇ」


 俺達が観ようとしている映画の人気が高い為か、チケット内場の受付には行列が出来ていた。

 瑞樹は目を見開き溜息をついていたが、よしっ!と気合いを入れて列の最後尾に足を進める。


「映画のチケットなら事前にネットでキープしてあるから、チケット買う必要ないよ」

「えっ? そうなの?」


 俺は入場ゲート脇に設置されている端末から、予約していた席が記されたチケットを二枚引き出して得意気に見せると、瑞樹は何故がジトっとした目で俺を見ていた。


「え? なに?」

「……なんかさ……慣れてない? 岸田君」


 言っている意味が分からない。

 俺は行列に並んでいる時間が勿体ないからと、事前に準備していただけなのに……。


「どういう意味?」

「だってさぁ、あっち見てみてよ」


 言って瑞樹さんが指さした方と見ると、行列の中には俺達くらいの中学生や、高校生の姿があった。


「普通は私達が映画っていったら、あの列に並んでるものなんだと思うの」

「う、うん」

「なのに岸田君は女の子を待たさないようにって、ネット予約なんてしてくれてエスコート完璧なんだもん……嬉しいんだけど、何か慣れてるなぁってね」


 言いたい事は分かった。

 だが、とんでもない誤解である。


 慣れてるどころか、女子と映画なんてグループで観に行った事すらないのだから……。このチケットだって映画好きの両親の名義で購入してもので、普段は映画自体滅多に観に行ったりしないのだ。


「ご、誤解だって! 慣れてるどころか、女子と映画なんて瑞樹さんが初めてだし、折角のデートを待ち時間に使うのは勿体ないって思っただけで!」

「……そっか。デートの時間を大切にしてくれて――ありがとう」


 もう何が何だか分からなくなりそうだった。

 何で、こんな顔を見せてくれるようになった彼女と、今日でサヨナラしないといけないんだ……。

 楽しいのに辛い。幸せなのに、この日が来なければ良かったのにって思う。


「えっと、予約って学割って効くの? いくらだった?」

「え? いいよ。俺が誘ったんだし、これは俺が払うから」

「そんなの駄目だよ! 自分のは自分で払うから、金額教えて」


 奢ると言っているのに、瑞樹はムッとした顔を見せて拒否する。


「いいから、今日くらい格好つけさせてくれよ」


 俺は頑としてチケット代を受け取らずに、鞄から取り出している財布を彼女の方に押し戻した。

 すると、諦めてくれたのか財布を鞄に戻そうとした時、チケット売り場の隣に併設されているフードコーナーを見て、瑞樹の目が輝く。


「それじゃ、ドリンク系とフード系は私が払うから! これは決定事項だから!」


 瑞樹は必死にそう訴えかけるから、俺はそこも奢るつもりだったけど、これで気が済むならと苦笑いを浮かべて頷くと、彼女はニッコリと笑みを浮かべてフードコーナーに駆けて行った。


 館内に入り、あらかじめ抑えておいた席に腰を下ろす。


 瑞樹は気を使っているのか、ポップコーンを買ってきてくれたのはいいのだが、何と4人くらいでシェアするような、超ビッグサイズだった。

 そもそも、映画館で4人でシェアするってどゆこと!?って思わず突っ込まずにはいられない程の迫力満点のポップコーンが、俺と瑞樹さんの間に鎮座するそ。それは2人の間にそびえ立つ壁のようで、ハッキリ言って邪魔な存在の何物でもない。


 そんな特大ポップコーンを殺気だった目で見下ろしていると、続々と他の客達が館内に入ってくる。


 やがて照明が落ちて、面白そうな予告が始まった。


 本当に面白そうに見えるのだ……予告は。




 映画を観るのは、勿論初めてではない。


 だけど、女子と2人並んで映画を観るのは初めてで、ポップコーンを取ろうとした時、指が触れたらどうしようだとか、そんな事ばかり考えていると、美味しそうにジュースを飲んでいた瑞樹がそっと顔を近付けてくる。


「実は、私もこの原作読んだ事があるんだ。だから、実写化されてどうなるのか知りたかったんだよね」

「そ、そうなんだ」


 この場合、俺が読んでいた事を知った時、ニヤニヤと揶揄っていたくせに、瑞樹さんも一緒なんじゃん!ってツッコむとこなんだろうけど、そんな事よりも暗闇で顔を近付けてきて、耳元で囁いた瑞樹の行動自体にドギマギしてしまい、それどころではなかった。


「ほら、今って私ボッチで一緒に観に行ってくれる友達なんていないから、連れて来てくれて嬉しい。ありがと」


 にっこりと本当に嬉しそうに笑顔を見せてくれる彼女が可愛すぎて、この暗闇の効果も手伝って、俺はホントにどうにかなりそうだ。


 こんなんじゃ、映画に集中なんて出来ないって……!


 心でそう呟いた時、予告が終わり更に照明が落ちかと思うと、目的であった本編が始まった。


 ◇◆


「おもしろかったなぁ!」

「だよね! 原作知ってるのに、泣いちゃったんだけど!」


 集中出来ないとか言っていたけど、物語の出足の演出方法が好みだったせいか、直ぐに意識は映画の中に入り込み、俺と瑞樹はエンドロールが流れ始めるまで、1度も会話する事なく満喫したのだった。


「ラストの見せ方とか色々想像してたんだけど、いい意味で裏切られた感が半端なかったよね!」

「ほんとそれ! いや、あれは感動するでしょ! マジで観に来てよかったわ!」

「あははっ、ホントだね。連れて来てくれた岸田君に感謝っ!」


 いちいち可愛過ぎかよ!


 映画館を出てカフェで休憩をとったんだけど、そこでもテンションは下がる事なく映画の感想会になった。

 同じ何かを共有する事が、ここまで楽しいと感じたのは初めてで、映画の面白さも相まって、俺達は盛り下がる事を知らない。


「いいなぁ――私もあんな風に一生懸命に恋愛出来たりする日が来るのかなぁ」


 恐らくなのだが、彼女は心の中でそう呟きたかったのではないだろうか。

 だが、高揚した気持ちが口に出てしまったって事なんだろう。

 その証拠に、何事もないように店の窓から外の様子を伺っている瑞樹の耳が、真っ赤になっていた。

 きっと映画のヒロインの心境に、強くリンクしてしまったんだろうな。

 まぁ、あの映画を観たらそうなるのも頷けるんだけど……。



 俺達が観た映画は、決してハッピーエンドで終わる物語ではなかった。


 主人公が25歳、ヒロインが17歳の高校生での年の差恋愛物語。


 色々な障害を乗り越えて、2人の気持ちが近付いて、ハッピーエンドを迎える直前、主人公が海外で勝負するチャンスを掴んだ事をきっかけに、事態は急展開を迎える。

 男として仕事で勝負するか、彼女に気持ちを伝えて2人で歩いていくか……大きく揺れる主人公の為に、ヒロインは自分の気持ちを押し殺して「おじさんと付き合うのも疲れたし、他に好きな男が出来たから」と嘘の別れ文句と共に、悪役を演じて別れを告げた。

 揺れていた主人公はこれをきっかけに迷いを絶ち、活躍の場を海外の求めて旅立つ決意をする。


 出発前日。


 主人公の同僚から、本当は迷っていたのではなく、キッパリと日本に残ると執行を提案していた上司に返答していた事を知ったヒロインは、お互いの事を想い過ぎて、最悪なすれ違いをしてしまった事に愕然としてしまう。


 後悔しかない気持ちを胸に、空港に走るヒロイン。


 もう取り消す事が出来ない過ちを、どんな形でもいいから謝りたい一心だったが、一足遅く主人公を乗せた飛行機は空に飛び立ってしまった後だった。


 ――それから6年後


 東京で主人公とヒロインが偶然にも再開してしまう。


 主人公の腕にはまだ小さい赤ちゃんがいて、隣には幸せそうな奥さんがいた。


 そしてヒロインの隣には恋人と思われる男性と、ヒロインの左手の薬指に婚約指輪が光っていた。


 主人公とヒロインは、お互いのパートナーに気付かれないように、視線を合わせず歩み寄り、すれ違った瞬間だけ口元に笑みを作り、心の中だけで同じ言葉を伝えあう。


 ――ありがとう。


 その言葉の後、町の騒音が湧きあがり大都会の小さな一角で、小さな恋が終わった事を告げて、スクリーンにはエンドロールが流れたのだった。



「瑞樹さんは本当に好きな相手の為なら、自分を犠牲にする恋愛がしたいの?」

「へ!? あ、あれ!? 今声に出てた!?」

「う、うん」

「恥ずかしい……」


 頭の中で考えていた事を知られてしまっていた事実に、瑞樹は顔を真っ赤に染めながら、ボソボソと質問に答え始める。


「えと……大切な人の人生だから、力になりたいって思う事はあっても、足を引っ張る存在にはなりたくないかな。だから、もしそんな選択を迫られる事があったら、同じ事をするかもしれない……わかんないけど」

「そっか……。うん! 瑞樹さんっぽいな」

「私っぽい?」


 瑞樹さんは俺の言った事に首を傾げていたけど、その質問を苦笑いで応えてカフェを出た。


 モール内にある映画館だった為、カフェを出た俺達はそのままショップ巡りをしたり、受験勉強ばかりで運動不足だからとボーリングや卓球もした。どれもやり慣れた事ばかりなのに、瑞樹さんと一緒だとまるで違う楽しさを感じた。


 夕方まで遊び、少し早い夕食をフードコートでお互いの好きな物を食べている時、今日1日あった事を話している彼女の顔は本当に楽しそうだった。


 モールを出て電車でA駅まで戻ってくる。


 今日は本当に楽しかった。


 何でこれで最後なのかと、仕方がないと諦めていたはずなのに、引っ越しをしないといけない事態を、俺は心の底から恨んだ。


 改札を抜けて駅前に出た時、さっきまでの雰囲気が嘘の様に、俺達の間に重い空気が流れる。

 そんな空気を振り払う様に、俺は足を止めて少し後ろをトボトボと歩いている瑞樹と向き合うと、彼女も足を止めて黙ったまま俯いた。


「え、えっと。俺歩きなんだけど、よかったら送っていこうか?」

「……ううん。気持ちだけで十分だから、大丈夫。それに明日の引っ越し早いんでしょ?」

「でもさ!」

「……ありがとう。でも、ここで別れよ」


 まるでこれ以上一緒にいたら、決心が鈍るからと言われている気がした。


 それは俺も同感で、きっと瑞樹を困らせてしまう自信しかなかった俺は、黙って頷く事しか出来なかった。


「えっと……傍にいるって言っておきながら、こんな中途半端な事になってしまって――ごめん」

「ううん。岸田君が謝る事じゃないよ……それにいつまでも甘えてるわけにもいかないしね」


 そう話す瑞樹さんの優しく微笑む顔が、俺の胸をギュッと締め付ける。

 また独りぼっちの生活に戻るんだ……平気なわけがない。


「本当は同じ高校に進学して、一緒に登校したり遊んだりしたかった……こんな別れ方なんてしたくなんかない――したくなんかないんだ!」

「……うん、分かってる。私もそうなったらいいなって思ってたから、残念だけどね――でも私の事は心配しないで」

「……うん。知り合って三ヶ月間、本当に楽しかった。瑞樹さんと仲良くなれて、本当に良かった――ありがとう」

「ううん。私の方こそ、本当にありがとう。凄く楽しい時間だった……ずっと忘れないよ。新しい学校でも頑張ってね! 応援してる」


 別れの言葉を交わした俺達は、自然に差し出し合った手を握る。


「それじゃ、さようなら。瑞樹さん」

「うん。さようなら、元気でね! 岸田君」

「……瑞樹さんもね」


 最後にそう声をかけると、瑞樹は小さく手を振り駐輪所に向かって行った。


 その小さくか細い背中からは言葉通りの頼もしさはなく、迷子の子供を見るようで……でも、これ以上一緒にいると、彼女のいう通り彼女が一番望まない結果になってしまいそうで、俺は歯を食いしばってこの場を離れた。


 ◇◆


 駐輪所の壁に姿を隠して、岸田君が歩き出すのを確認した途端、必死に我慢していた涙がボロボロと流れ出す。


 もう我慢する必要はない。それが号令となり涙腺が完全に決壊してしまったらしい。

 でも、決壊を起こした涙腺を塞ごうとは思わない。


 今日は、今だけはいいじゃない。



 お互いの気持ちを確かめ合ったわけじゃない。

 でも、私にとってこれが初恋なんじゃないかと思ってる。


 小さくなる彼の背中を見て思う。

 もうあの背中を呼び止めては駄目なんだと。


 呼び止めてしまったら、これから新しい学校で頑張らないといけない岸田君に、きっと無茶をさせてしまうから……。


 ……だから、もう終わりにしよう。


 私にとっての中学生活で、岸田君に出会えた事が、唯一の忘れたくない思い出が出来たんだから。



 ――中学三年生。大人でもないが、子供と呼ばれるのも抵抗がある複雑な年頃に、私達は初めて別れというものを経験したんだ。


 忘れる事はない。


 この経験がこれからの長い人生の中で、どれほどの財産になるのか分からないけれど、この記憶は大切にしなければならない。


 自転車をゆっくりと押しながら帰宅途中に聞こえてくる虫達の鳴き声に、私はそう心に誓いを立てたんだ。



 ◇◆



 岸田と別れて、夏休みが明けても、学年中の瑞樹への対応は変わる事はなかった。


 そんな夢みたいな事を期待しているわけじゃない瑞樹は、岸田との思い出の証になったキーホルダーをギュッと握りしめて、こんな事で負けたりしないと強く前を向く。

 その後、殆どの時間を受験勉強に費やし、塾長を唸らせる成績を武器に学校や両親の承諾を得た瑞樹は、その勢いをそのままに念願だった難関校である英城学園の合格を果たしたのだ。


 ――ここから仕切り直しだと、同じ失敗は二度としないと、瑞樹は合格者の受験番号が並ぶ掲示板に向かって、そう独り言ちた。

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