第32話 瑞樹 志乃 act7 ~最初で最後のデート・前編~

 いよいよ期末テストが始まった。


 教室内は静まり返り、問題のプリントを捲る音と、シャープペンシルを走らせる音だけが、教室を支配している。

 これまで瑞樹に教えて貰った成果を、余す事なく発揮しなければいけないのに……。


 クソッ!何でテスト前にあんな話すんだよ!親父!


 転校の2文字がずっと頭の中に鎮座していて、はっきり言ってテストどころじゃなかった。

 直ぐにでも、勉強を教えてくれた瑞樹に謝りたかったけど、テスト期間中は午前で下校になるから、中庭で会う事が出来ない。

 まぁ、そのおかげで平田へのレンタル料金が発生しないから、盗撮をしなくて済むのが唯一の救いなんだけど……。


 

 そして3日間の全テストの終わりを告げるチャイムの音と同時に、シャープペンシルを倒す様に手放して、机に突っ伏した。

 結果は採点結果を待つまでもなく、散々な結果になってしまった。

 クラスの連中もテストから解放感からか、ずっとピリピリした空気をぶっ壊す程の元気な声で埋め尽くされた。

 正直そのテンションについて行けない俺は、早々に教室を出て帰宅する事にした。

 

 自室に戻ってきた俺は、制服から部屋着に着替えたところでスマホが震えて、送信者を確認すると、瑞樹からメッセージが送られてきた。

 内容は予想はしていたけど、テストの出来栄えはどうだったかとか、もうすぐ始まる夏休みの事などで、本来なら飛び跳ねるように返信を送るところなんだけど、俺は何も返信する事なく、ベッドに倒れ込んで眠りについた。



 翌日、結局悶々と考え込みながら眠ったせいか、眠りがかなり浅かったみたいで、大きなあくびをしながら登校していると、正門が見えてきたと所で、〝ドンッ〟と何かに突撃されたような衝撃を受けて、足取りが覚束ない俺は少しよろめいた。


「いてっ!」


 突然の衝撃にムッとした俺は、恨めしそうに振り返ると、そこには頬を膨らませた瑞樹が立っていた。

 

「既読スルーとか酷くないですか?」


 驚いた。目を見開いて固まってしまう程、驚いた!


 登校時に声をかけられるどころか、姿すら見かけた事がない彼女が、突然自分の体を突撃させてきたものだから、俺は驚きすぎてポカンと彼女を眺める事しか出来ずに、言葉を発するのに少し時間がかかってしまった。


「み、瑞樹さん」

「ん~~!」


 瑞樹は口を尖らせて、訴えるような目で俺を見ている。どうやらかなりご立腹のようだ。

 勿論、彼女が何に怒っているのかは分かっていたけど、まさかここまで行動に移して訴えてくるとは、正直思っていなかった。


「ご、ごめんな。昨日は……その……色々あってさ」


 咄嗟に言い訳を口にしようとしたけど、転校の事をまだ話したくなかったから、内容のないぼやけた事しか言えなかった。


「……別にいいですけど」


 プイッと顔を背ける瑞樹に、不謹慎だとは思いつつも、こんな可愛い拗ね方をするんだと、俺は内心では彼女の可愛さにドキドキさせられた。


「ホ、ホントにごめんね」


 俺は手をパンッと合わせて謝って見ると、口を尖らせっていた彼女がプッと吹き出す。


「嘘ですよ、別に怒っていません。おはよう、岸田君」


 その笑顔が見たくて、毎日払いたくもない金を平田に払ったいたってのに、今はその笑顔がズキズキと胸に痛みを残した。


「お、おはよう、瑞樹さん」


 夢や妄想では何度も見た事がある光景。

 瑞樹と並んで一緒に登校する光景。


 ――でも、あれだけ望んでいた光景が、今は辛くて仕方がないなんて……。

 あまり怒っていなかった瑞樹は、昼休みもいつものように中庭にいて、俺と一緒に昼飯を食べてくれた。


「何だか顔色が悪くないですか? 昨日の事なら本当に怒ってませんよ?」

「え? そ、そうかな……。実はテストの出来が悪くてさ……」

「え? あんなに勉強したのにですか? そんな事じゃ英城に合格出来ないですよ?」


 俺はまだ転校の事を話したくなくて、咄嗟にテストの手応えについて話を振ったんだけど、その時の瑞樹に返答に飯を食べている手が止まった。


「え? 俺も英城目指していいの?」

「ん? 岸田君が英城を受験するのに、何で私の許可が必要なんですか?」

「それはそうだけど……だって、あの時迷惑そうな感じだったからさ」

「迷惑なんて思っていません。ただ、私個人の考えに岸田君を巻き込むのは嫌だなって思ったんです」

「迷惑だなんて思うわけないじゃん! そりゃ瑞樹さんと同じ高校に進みたいなって思いもあるけど、将来の事を考えたらやっぱり狙える大学の選択枠が増えるのもあるわけだし」

「そ、そう……ですか。それなら、いいんですけど」


 俺が思わず、同じ高校に行きたいなんて本音を漏らしてしまったせいで、大学の選択枠が増えるとか言い訳も空しく、お互い恥ずかしくなったのか、その後は黙ったまま昼飯を食べ終えた。


「そ、それじゃあ、そろそろ戻りましょうか」


 瑞樹のぎこちない様子に気付かないフリをして、俺もベンチから立ち上がってお互いの教室に戻った――ように見せかけて、俺は瑞樹が教室に入った事を確認してからスマホを取り出して、ある相手にメッセージを送った。


 ◇◆


 その日の放課後、俺は殆ど毎朝来ている旧更衣室に向かっていた。

 目的は只一つ。俺の事情が急展開を迎えた事を武器に、あいつらに一矢報いる為だ。


「おっせーよ! 呼び出しておいて、待たせんじゃねぇよ!」

「悪かったな」

「んで? 大事な話ってなんだ?」

「明日から、瑞樹のレンタルは必要ないって言いに来たんだ」

「……はぁ!? お前、その意味分かって言ってんのか!?」


 平田の顔色が一瞬で変わった。

 もうこの優雅な生活が身に沁みついてるんだろうな。


「あぁ。だからこれも今日限りだ」


 持ってきた盗撮用のスマホが入ったビニール袋を平田の足元に放り投げてやった。

 勿論、今日の分の撮影データなど入っていない物だ。

 足元に転がった袋を平う事もせずに、もの凄い形相で平田が俺に向かってくるけど、もうビビる必要なんて全くないんだ。


「お前はもう俺を縛る事が出来なくなったんだよ」

「何言ってんだ!?」


 平田が俺の襟元を締め上げた時、俺はニヤリと笑みを浮かべて言ってやった。


「俺、転校する事になったんだ。この意味……お前には分かるよな?」

「は!? 転校だぁ!?」

「あぁ、だから、お前の暴力に怯える必要がなくなったんだ。それは、この事をチクってもお前らの報復を怖がる必要がないって事だぞ」


 そこまで言うと、平田の力が抜けて釣り上げられていた両足が地に着く。

 まったく、なんて馬鹿チカラだよ。


「俺が言いたい事は分かったよな? だから、これからは俺達の邪魔をするな! もし続けるというのなら、俺にだって考えがあるぞ」


 別に金が惜しいわけじゃない。これ以上、瑞樹の画像が出回る事を防ぎたい一心だっただけだ。


「……チッ! このまま黙っていればチクったりはしないって事でいいのか?」

「あぁ、それは約束する」


 やっぱりクズだけど、馬鹿じゃないな。

 いくら義務教育中の中学生だと言っても、これ程の事やっていたんだから、無害というわけにはいかない。

 まして、俺達は受験生なんだから、こんな事が公になれば進学にも大きな影響を及ぼす事は理解出来ているようだ。


「用件はそれだけだけど、どうすんだ?」

「……分かった。これ以上、お前らの邪魔はしない」

「それでいい。じゃあな」


 俺は歯ぎしりする音が聴こえてきそうな平田を横目に、用件は済んだと現場から立ち去った。

 短い時間だけど、これでようやく誰にも邪魔されずに彼女と会える。

 今はそれだけでいいと思った。



 それから1週間程が過ぎた。

 約束通り俺達の間に平田達が介入する事なく、俺は純粋に瑞樹との時間を楽しんだが、結局転校の話をする事が出来ずに、終業式を迎えてしまった。


 終業式を終えた俺は、裏門前で母親と待ち合わせて、一緒に職員室に向かった。

 用件は転校の正式な手続きの為だ。

 事前に話は通っていたから、手続きに対した時間はかからなかったんだけど、担任に何故クラスメイト達に挨拶をする事を拒否したのかと、何度も尋ねられた。

 別にクラスの皆に言いたくなかったわけじゃない。

 ただ、言ってしまうと、隣のクラスにいる瑞樹にまで知れ渡ってしまうかもしれないからだ。

 完全に孤立していると言っても、近くでその話をする声を耳にする可能性を恐れた。


 瑞樹の中で俺はどんな存在になっているのは分からないけど、もし、それなりに大きなウエイトを占めている存在になれていたとしたら、俺から話していない転校の件を周りから知ってしまったら、きっと彼女を傷つけてしまうと思ったんだ。


 俺は言わなかった事は担任に謝って、夏休み明けに宜しく伝えてくれるように頼み、学校を後にした。


 裏門を出た所で、俺は用事があるからと母親と別れて、俺はぼんやりと歩き出した。


 ――そういえば、瑞樹の住所とか知らないんだよなぁ……。


 瑞樹に会いたい。

 もう帰宅している頃だろう。明日から夏休みで学校で会う事が出来ない。

 ここまで転校の話をする事を引っ張ってしまうとは思っていなかった俺は、瑞樹の家に行きたかったんだけど、住んでいる住所を知らない事に気付き、俺はスマホを取り出して、トークアプリで瑞樹を何度か見かけた事があるコンビニに呼び出した。



 ◇◆



「え!? 今なんて言いました!?」


 呼び出してから30分程してから、待ち合わせしていたコンビニに瑞樹が現れて、コンビニで買った飲み物を手渡して、近くにあった公園に向かった。

 今日も暑かったのか、公園で遊ぶ子供達の姿もなく、俺達は屋根があるベンチに座り買った飲み物を一口飲んでから、俺は余計な話をすっ飛ばして転校する事を瑞樹に告げた。


「……うん。突然なんだけど、親の都合で引っ越す事になって……さ」

「う、嘘……ですよね!? 私を揶揄おうとしてるん……ですよね?」


 彼女は相当動揺しているように見える。

 まぁ、「そうなんですか」とサラッと流されるよりはマシなんだけど、想像以上の反応に俺は次の言葉を見失ってしまった。

 瑞樹の反応で、彼女は俺を信頼してくれていた事を再確認出来たけど、この反応はどちらかと言うと、俺に依存しているに近い気がした。

 だが、それも無理はない。

 突然、学年中から孤立してしまって、心が壊れそうになっていた時に、唯一彼女に近付いた存在が現れたのだから、依存するなと言う方が無理だというものだ。


 そんな瑞樹の問う声に、現実を受け入れたはずの心が酷く疼いた。

 嘘だって言いたい、揶揄っていただけだって笑いたい――でも、嘘でも何でもなく本当の事なんだ。


「……ごめんね。瑞樹さんの傍にいるからって言ったのに……こんな事になってしまって」

「――――」


 勿論寂しいし、悲しい思いだったけど、それ以上に俺が心を痛めているのは、俺がいなくなった後の瑞樹の事だ。

 ようやく明るく笑えるようになったってのに、また元の感情が見えない彼女に戻ってしまう事が、俺にはそれが一番怖い事なんだ。


 ◇◆


 転校すると聞かされた時、ショックのあまり縋るように冗談だよねと、受け入れる事が出来なかった。


 また孤独と不安だけの日々が戻ってくるのが、正直怖くないなんて思えなかったからだ。

 岸田君が突然に転校の話をしてきたのは、きっと以前からあった事なのに、私の事を心配して今まで黙ってくれていたんだろう。

 もしかしたら、ギリギリまで抵抗してくれていたのかもしれない。

 そう思うと、駄々をこねる事しか出来ない自分が嫌になった。


 でも、私の事は置いておいて、岸田君にとってはいい機会だと思った。

 ずっと何もないと言い張っていたけど、今回の件の首謀者が平田なんだとしたら、私に近付いてくる岸田君に何も圧力がかからないわけがないはずで、受験前の彼にとって余計な枷でしかないのだから。


 だから転校すれば自由の身になれて、私みたいな厄介ごとを抱えた人間に関わる事もなく、受験に集中して明るい未来を掴めるはずだもん。


 ――いつまでも、岸田君の優しさに甘えるわけにはいかないよ。


「そうなんですね。凄く寂しいですけど、仕方がない事なんですから、気にしないで下さい。私は大丈夫ですから」


 受け入れなければと、彼が気にしなくて済むように、私は出来るだけ気丈に振舞った。

 

「……うん。そう言って貰えると、救われるよ――あ、そ、それでさ。瑞樹さんって8月5日って何してる?」

「え? 5日ですか? ちょっと待って下さいね」


 そう言った瑞樹はスマホを取り出して、スケジュールの確認をとってくれた。


「その日は特に予定はないので、家か図書館で受験勉強するだけですね」

「そ、そうなんだ……だ、だったらさ!」


 言え!今言わないと、もうチャンスなんて二度とこないぞ!


「その日、1日俺に貰えないかな」

「え? そ、それって――」

「う、うん! 俺と1日デートして欲しいなって」


 もう会う事が出来ない――だからこそ言えた台詞だった。


 情けない話だが、転校に件がなければ、きっと卒業するまで誘う事なんて出来なかったかもしれない。


 そんな情けない自分に心で溜息をつきながら、瑞樹の返事を待つ。


 突然のデートという単語に、意識してしまったのか、彼女はモジモジと俯いて何か考え込んでいるようだった。

 沈黙が生まれた事で、緊張していて聞こえていなかった車やバイクの排気音、それに通行人達の声が耳に入ってくる。

 俺達を見た周囲の人達から見て、この状況ってどんな風に映っているんだろうと、この場で関係ない事を考えていると、俯いていた瑞樹の顔が上がり俺の目を真っ直ぐに見た。


「はい。私なんかで良ければ…いいですよ」

「!! ホントに!? や、やった! やったぁ!!」


 勇気を出して誘ったデートをOKしてくれたんだ。

 もう飛び上がる程嬉しかった。

 いや、実際飛び跳ねていたんだけど、恥ずかしいとかそんな事を微塵も考えずに、俺はひたすらに喜びを全身で表していると、瑞樹が少し恥ずかしそうにクスクスと笑みを零しているのが見えた。

 

 ◇◆


 デートの誘いを受けると、彼は受験勉強の邪魔はしたくないからと、その場で解散になった。

 帰宅して部屋に戻ると、ついさっきの事が頭の中をグルグル回ってきた。

 デートの事じゃなく、岸田君が転校してしまう事をだ。


 夏休みに入って学校には当分通わなくていいから、目先の事は問題ない。

 だけど、二学期が始まれば、もう彼はいないんだ。

 岸田君にはああ言ったけど、今からもう不安で押し潰されそうになってる。

 折角、私と一緒に過ごしてくれる人と出会えたのに……どうして……。


 その時、私は彼に依存していた事に気が付いた。

 私はいつの間にか彼を頼っていて、信頼という都合のいい言葉だけで、彼の事を縛っていたんだ。

 私はこういう状況になって、初めて考えた事があった。


 ――私にとって、岸田君はどんな存在なのかと。


 それが知りたい。

 勿論、信頼している大切な人なのは間違いはない。

 だけど、それだけなのかな……それだけで、私はここまで岸田君を頼っていたのかな……。


 5日の岸田君との最初で最後のデート。


 その日に、私は自分の気持ちを確認しようと決めた。

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