第31話 瑞樹 志乃 act6 ~意気込みと消沈~
「こんにちは! 瑞樹さん!」
いつもの中庭に向かうと、今日は岸田君が先に来ていた。
昨日と違い今日はいつもの……ううん。いつも以上に明るく見える。
「こんにちは。岸田君」
「いやー! 4時間目体育だったから、腹減ったわ!」
いつものコンビニ袋からパンを取り出す岸田君は、本当に昨日とは別人みたいで、まつで憑き物でもとれたような変貌ぶりだ。
「いただきま~す!」
「い、いただきます」
合掌してパンを勢いよく頬張る岸田君を見て、何だか今日はお弁当を食べられる気がして、私も箸を伸ばす。
食事中はお互いの受験勉強の進捗具合などを話し合った。
堅苦しい話題だけど、話す相手が誰もいなかった私にとっては、凄く楽しい時間なんだ。
だけど、食事が終わって缶コーヒーをグビッと飲み干した岸田君が、妙な話題を振ってきた。
「あ、あのさ……平田の事なんだけど、今はどう思ってんの?」
「え? ひ、平田君ですか? どうって言われても……」
「い、いや! 平田って小学生のまま図体だけデカくなったって感じしない?」
「……どういう事ですか?」
「何ていうか、小学生の男子って好きな女の子に悪戯したりして、その子の気を引こうってするじゃん? 今回の件もそうなのかなって思ってさ」
確かに小学生の頃は、そんな事する男子は結構いたと思う。
女子から言わせれば、好感度なんて地の底にまで落ちる最低の行為なんだけど……。
「もしそうなら、私は平田君の事を心底軽蔑しますね」
どうしてそんな事を訊くんだろう。
彼の真意は分からないけれど、平田の名前が出たのなら丁度いい。
「あの……岸田君」
「ん? なに?」
昨日あれからずっと考えていた事。
考えるのが怖くて、無意識に避けた事。
「こうしてここで会うの――今日で最後にしませんか?」
「え?」
岸田君は驚いた顔をしている。
私なりに覚悟を決めた事ではあるけれど、ホッと安堵した表情じゃなくて良かった。
「ど、どうして!?」
彼はそう言いながら勢いよくベンチを立って、私にそう問いただす。
でも私は見逃さない。
立ち上がった時に、一瞬顔を歪ませた事を。
「平田君と何かありましたよね?」
「――!?」
「隠しても無駄ですよ――正直に話して下さい」
私は彼の目を射抜き、無言の圧力をかけると、彼の目は激しく泳ぎだした。
「いや! 何もないよ。俺みたいな陰キャの事なんて、平田あいつの眼中にないよ。瑞樹さんの考えすぎだって」
泳いでいた目を直ぐに私の目に合わせて、岸田君はそう言い切る。
彼は嘘をついている――それは間違いない。
……でも、なんでだろ。岸田君が嘘をついてくれてホッとしている自分がいるのは……。
「嘘ですよね? だって急にそんな体になるなんて、絶対におかしいじゃないですか!」
「おかしくなんかない! これは本当に筋トレの筋肉痛や、階段から落ちた傷だ! 嘘じゃない!」
優しい嘘。
自分が情けなく感じる嘘。
岸田君の優しさに甘えたくなる――情けない。
「――そうですか。変な事言ってごめんなさい」
「い、いや! いいんだ。俺の方こそ大きな声出してごめんね」
嘘なのは分かっている。
でも、これ以上追及せずにいたのは、私の傲慢だ。
岸田君がそう言ってくれるのなら――もう少しの間だけ、甘えさせてね。
◇◆
鬱陶しい梅雨が完全に明けて、今年も本格的な夏がやってきた。
と言っても受験生である私達には季節など関係なく、受験勉強に日々追われている。
そんな生活の中で、私の唯一の楽しみである昼休みのランチタイムは、この季節だと暑さで中庭で過ごす事が出来なくて、私達は比較的風通しの良い当別棟に繋がる渡り廊下で、お弁当を広げていた。
今日は明後日から始まる期末試験に向けての、勉強会ランチをしていた。
「そうです。だからここでこの公式を当てはめれば、もっと簡単に答えを導けるようになるんですよ」
「ホントだ! でも、こんな解き方誰に教わったんだ?」
「私が通っている塾の講師から、教わったんですよ」
そう得意気に言うと、岸田君は呆気にとられた顔を見せてから、プッと吹き出した。
「何で笑うんですか? もう数学教えてあげませんからね!」
私は頬を膨らませて拗ねる素振りを見せる。
でも、あれだけ人を信じられなくなっていたのに、彼といると心が和んで肩に入っていた力が抜けて、何だか以前の私に戻ったような気になる――不思議だな。
「あ! ご、ごめん!」
両手を合わせて、慌てて謝る彼を見て、私も思わず吹き出してしまった。
「ふふっ! 冗談ですよ。怒ってなんていませんから」
「な、なんだよ……超焦ったじゃんかぁ!」
最近になって思う。
変な緊張感だとか警戒心が解けてきたのか、家にいる時より自然に笑えている気がする。
勿論どこでもではなくて、こうして岸田君といる時だけなんだけど。
まるで昔からの友達のような安心感がある。
『信頼』恐らくこの言葉が一番当てはまっている。
だから、そんな岸田君に近しい未来の話を聞いて貰いたくなった。
「あの……前から考えていた事なんだけど、英城を受験しようと思ってるんです」
「え? 英城ってあの英城学園!? あそこって偏差値相当高かったよな」
「はい。勿論、今の私の成績じゃ厳しいんですけど、塾長に相談したら本気なら夏期講習からカリュキュラムを組んでくれるそうなんです。勉強の内容次第では凄く伸びしろがあるから、可能性は十分にあるって言ってくれたんですよ」
「何でそこまで無理して、英城を受験したいのか訊いてもいい?」
岸田君はそう訊いてきたけど、本当は理由を察してるんだろうな。
「私が今の状態になってから、進路指導の先生に訊いて回ったんですけど、この学校の6割が第一志望に上野高校の名前を記入してるそうなんです。そんな高校に進学したら、まだこの状態が続くかもしれない……。だから、私の事を全く知らない高校に進学しようと調べたら、誰も志望してなくて、自宅から通える学校は英城学園しかなかったんです」
「そ、そっか……そうなんだ。が、頑張れよ! 上野と英城からじゃ狙える大学だって雲泥の差だろうし、可能性が十分にあるのなら、挑戦するべきだよ!」
応援すると言ってくれているけど、私が英城を受験したいと話した時から、明らかに彼の表情が曇った。
岸田君も上野を受験すると訊いていたから、これだけ優しくしてくれている人と離れる選択をした事は、ある種の裏切りと捉えられても仕方がない事だ。
彼との友情よりも、自分の保身を選んだ私は、最低だと思う。
「お、俺の英城受験しようかなぁ……なんて…無理か。ははっ」
「無理だなんて思わないですけど……」
「あははっ! ストーカーみたいで気持ち悪いよな」
思っても見なかった岸田君の言葉。
彼と一緒に英城に通う高校生活が、容易に想像出来てしまう。
もし、そうなったら毎日が楽しいだろうなとは思うけど、私に付き合って彼の将来を曲げてしまうのは……同じくらいに怖い事だった。
その後、私達は進路に話題をするのを止めて、期末テスト対策のノートを読み込んで昼休みを終えた。
◇◆
「これが今日の分だ」
放課後、いつもの旧更衣室に向かった俺は、今朝手渡されたスマホと1000円を待っていた平田に手渡した。
「おう! 毎度! 毎度!」
まるで関西の商人口調で、現金とスマホを受け取った平田がニヤリと笑みを浮かべている。
「約束は守ってくれよ」
「わーってるって! おぉ! バッチリ映ってんじゃねぇか! お前盗撮経験とかあんじゃねぇの?」
「そんわけないだろ。じゃあ、俺帰るから」
「おぅ! お疲れ! 明日もこの調子で頼むぜ!」
平田の最後の言葉をまともに聞かずに、旧更衣室から立ち去り帰路についた。
罪悪感がないわけがない。
でも、彼女を1人にしない為には、これは避ける事が出来ない事なんだ。
俺は自分自身に言い訳がましい事を呟きながら、自宅に足を進めた。
自宅まで残り半分くらいの距離まで来た時、ふと昼休みに瑞樹さんが話してくれた進路の事が頭を過る。
英城学園――確か上野高校より3ランク上の学校だったと記憶している。
確かにあそこなら、この学校から志望する奴なんて殆どいないだろう。
上野を受験勉強なんてしなくても、受かる程のレベルなら狙えない事もないのかもしれない。
俺はというと、上野ならそこまで必死にならなくても、恐らく大丈夫だというレベル。
でも、絶対に不可能という事ではないはずだ。
もし、瑞樹さんが本当に英城に進学出来たら、もう平田あいつの手が届かなくなる。
という事は、隠してさえいれば、俺の気持ちを伝える事だって可能だし、もしかしたら俺の気持ちを受け入れてくれるかもしれない。
「なんだよ! よく考えたら状況的に良くなるって事じゃんか!」
テンションが急激に上がった俺は、道端で1人口に出してそう言う。
周りからしたら、相当気味の悪い奴に映っているだろうが、今はそんな事全く気にならない。
なら! 俺も英城を目指したら、もっと明るい未来が待ってるって事じゃね!?
平田の監視が完全に外れて、大手を振って瑞樹さんと同じ学校に通る生活――駄目だ! 想像しただけで顔面の筋肉全部がダルんダルんに緩んでしまうじゃないか!
――そうなったら、もう誰にも邪魔なんてさせない!
未来に光を見た俺は、帰宅したら自分の進路を両親に話して許可を貰うと意気込んだのだが……その意気込みは直ぐに消沈してしまう事になる。
◆◇
「はっ!? 転校!?」
帰宅すると、珍しく親父も帰ってきていて、久しぶりに家族全員で食卓に着いた時、親父から神妙な面持ちでそう告げられた。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ!」
俺は思わず声を荒げる。
親父は仕事柄、転勤は何度かあったのだが、子供に転校ばかりさせたら可哀そうだからと、今までは単身赴任で転勤してくれていた。
しかし、今回の転勤は本社になるらしく、事実上最後の転勤になるそうなのだ。
そうなると、流石に定年まで単身赴任というのも難しいという事と、これからは家族の時間を大切にしたいという両親の切望から、転校を打診されたというわけだ。
「な、何で今なんだよ! せめて卒業まで何とかならないの!?」
「すまんな。転勤の辞令があった時は、そうするつもりだったんだが――」
急な転校話を持ち出したのは、知人が海外に永住する事になったらしく、大きな駅の直結マンションを手放す事になり、今なら格安で譲ってもいいと声をかけられたかららしい。
確かにこの家のローンもまだ残っている状態で、新しい家を購入となると厳しいという事は、中学生の俺にでも分かる事だった。
しかもまだ建って新しいマンションらしく、立地条件と共に申し分のない話だったのだが、知人が8月中に出て行く事になった為、早急に返事を求められているのだと話した。
「真人には申し訳ないと思ってるんだけど、こんな条件なんて2度と出てこない話なんだ。今まで仕事ばかりでお前の事もあまり関われなかった分、これまでの時間を父さんに取り戻させてくれないか?」
「で、でも……俺にだって――」
こんな形で瑞樹と離れたくなんてない。
それは俺の為だけじゃなくて、俺がいなくなると、また1人になってしまう彼女の為にも、転校なんてしたくない。
折角、志望校も変更して、これから死に物狂いで勉強に打ち込んで、瑞樹と一緒に高校生活を送る未来を夢見たところだったのに……。
「友達の事や、進路の事で迷惑をかけてしまう事は分かっている。でも向こうのマンションからなら、極端に遠い学校でもない限り通学には最適だし、こことは比べ物にならない位に便利な場所に住めるんだよ。真人――父さん達の我儘を聞いてくれないか? 頼む!」
親父だけでなく、母さんまで深く頭を下げて俺に理解を求めてくる。
今まで俺の事を優先してくれてきた親父だ。単身赴任だって大変だったと思う。
その苦労も全て俺の為にしてきた苦労なのか、重々承知している。
それに何を言っても、所詮俺は中学生の子供でまだまだ親に頼らないと生きていけないんだから、そんな俺に拒否権なんてないんだ。
「――分かったよ……親父」
受け入れるしかなかった。挑戦するまえにリタイヤなんてしたくなかったけど、こればかりは自分がどれだけ頑張っても、どうしようもない事だ。
俺は転校を承諾した後、ベッドに潜り込み歯を食いしばり声を殺して、静かに涙を流した。
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