第30話 瑞樹 志乃 act5 ~裏切りという名の想い~
近くにあった古びた水道の蛇口を捻り、勢いよく流れ落ちる水の中に頭ごと突っ込み、無心で水を大量に浴びる。
ぼんやりと朦朧とする意識で、正門に繋がる正面通路に設置されてある時計を見やると、針は18時過ぎを指していた。
平田に呼び出された旧更衣室に向かい、平田と対峙して一言、二言、話した所まではハッキリと覚えているのだが、そこから先の記憶が曖昧だった。
平田に鳩尾に蹴りを喰らってから、記憶が途切れ途切れになっていて、気が付けば手入れが殆どされていない雑草が生い茂った地面に倒れていた。
立ち上がろうと上体を起こしただけで、酷い痛むが全身に駆け巡り、表情が激しく歪む。
だが、体中が酷く痛むのに、不思議と首から上は痛みを感じない。
恐らく、痛めつけられた事を周囲に知られないように、服を着ている箇所だけ攻撃したのだろう。
慣れている奴のやり口だ。
きっとこれまでも、この手で気にくわない奴を潰してきたのだろうが、それはそれで、こちらとしても都合が良かった。
目立つ箇所に怪我を負ってしまうと、瑞樹が余計な事に気付き、自分を責めだしてしまう可能性があるからだ。最悪の場合、俺に関わろうとしなくなる事も、彼女の性格を考えれば十分にあり得る話だ。
瑞樹は悪くない――悪いのは平田の行動を甘く考えていた俺だ。
水を被ってぼやけた頭を無理矢理起こして、足や腰に力を入れてみる。
うん。なんとかまともに動けるようにはなったか。
とにかく腹部と腰回りを中心に痛めつけられたようで、下半身に力が入らず立ち上がれなかったのだが、痛みはあるものの歩けるまでには回復したようだ。
痛みが薄れてきたのか、慣れてきたのか分からないが、他に意識を回す余裕が出来た為、ポケットに入れてあるスマホが小刻みに震えている事に気付いた。
……いててっ
手の甲まで傷があり、ポケットに手を突っ込むと傷が擦れて痛みを感じたが、我慢しながらスマホを取り出して画面を立ち上げると、思わず目を見開いた。
『もう水泳部の練習は終わりましたか? 気を付けて帰って下さいね』
絵文字も何もない簡素な文章だった。
今まで彼女がどんな文章のやり取りをしていたのか知らない。
でも、この文章からもしっかりと瑞樹らしさと、優しさが滲み出ている。
3週間ほど前に、念願だった携帯の番号とトークアプリのIDの交換をしたんだけど、電話はもちろん、メッセージのやり取りさえした事がなかった。
だから彼女からメッセージが届いたのは、本当に驚いた。
予期せぬ嬉しい出来事というのは不思議な事に、さっきまで感じていた痛みが急激に和らいだような錯覚を起こす事があるのだと、俺は初めて知った。
気が付けば顔面の筋肉を緩ませ、首から下がボロボロの人間とは思えない速さで『ありがとう! 今から帰るところだったんだ。また明日昼休みにな!』と返信していた。
するとすぐに既読が表示されたかと思うと、可愛いペンギンがサムズアップしているスタンプが返ってくる。
嬉しくて、少し恥ずかしい感じが体中に駆け巡り、気が付けば俺はその場でグッとガッツポーズをとり、何とも言葉では表現し辛い充実感に似た感情を爆発させていた。
帰宅すると家族に怪我の事を悟られない様に、痛みを我慢していつもと変わらない自分を演じた。
もしバレたりしたら、大事になってしまう。
それで平田達があぶり出されて、罰を受けるのは一向に構わないのだが、自分が平田に暴行を受けた事を瑞樹に知られるのは避けたかった。
傷が染みるのを我慢して湯船に浸かりながら、状況を整理する。
まず助かったのが、水泳部の引退前に大きな大会があったのだが、あっさりと地区予選で敗退した為、すでに俺は部活を引退していた事だ。
まだ現役ならば、どうしても体の怪我を隠す事が出来ないからだ。
これから夏に入り暑い日が始まるけど、体育の授業はジャージを着こんで隠す事が出来るし、制服は長袖のワイシャツを着ていれば大丈夫だろう。
問題は平田達からの暴行がいつまで続くか……だ。
俺は極力平田の神経を逆なでしないように、暴力に対して抵抗する事なくサンドバッグに徹した。
無抵抗な奴を嬲っても面白くないと、すぐに飽きがくるように努めて、平田と根競べをするつもりだった。
だが、想定外だったのは、平田の暴力が想像以上に酷かった事だ。
流石に気を失う程叩かれるとは思っていなかった。
あんな暴力……耐えられる気がしないぞ。
俺は痛みを押して風呂から上がり、脱衣所にある洗面台の鏡で自分の姿を映す。
至る所に内出血が起きていて、その上擦り傷や切り傷も多数確認出来た。
その怪我を見て、平田の功名さに驚かされた。
あれだけの暴力を受けたのに、どこの骨からも痛みを感じないのだ。
これは偶然じゃない。
わざとそうしたんだ。
骨折させてしまうと、流石に事が大きくなり、この一方的なリンチが表沙汰になってしまうだろう。
だから打ち身程度で収まる箇所だけ狙って、暴力を振るっていたんだ。
この事実から、俺はある結論に至った。
このまま我慢していても、卒業するまで続く事を……。
そして、俺がこの怪我を絶対に秘密にしようとする事も、計算しているんだ。
ゴミクズのような男なのは違いないが、どうやら馬鹿ではないらしい。
長期戦は無理だ。耐えられそうにない。
――瑞樹がこの事に気付く前に、早急に対策を講じる必要がある。
「岸田君。どうかしたんですか? 何だか動きがぎこちない気がするんですけど……」
翌日の昼休み、何時もの中庭に駆けつけた時、先にベンチに座っていた瑞樹にそう指摘された。
実際、今朝起きた時、痛みが引く所か更に酷くなっていて、ベッドから出るのも苦労したんだ。
だから、学校に着いたら極力体を動かさずに回復に努め、彼女との時間だけ元気なふりをするつもりだったけど、やっぱり気付かれたようだ。
「あぁ――いや! 昨日後輩の練習見てたら、体が疼いちゃってさ。基礎連の時ムキになって後輩達と腕立てやら腹筋のタイムアタックなんてやったから、全身筋肉痛なんだよ……ははっ」
「ふふっ。もう引退してるんですから、現役と勝負なんてしたらそうなりますよ」
「だよなぁ! 高校入ったら一から鍛え直しだよ」
咄嗟に出てきた嘘のわりには、上手く誤魔化せたと思う。
「私も引退して勉強ばっかりで全然体動かしていませんから、もう後輩達にも負けちゃうんでしょうね」
彼女はそう言って、少し寂しそうに頬んだ。
「瑞樹さんってテニス部だったよな」
「あれ? 何で知ってるんですか? 同じクラスになった事なかったですよね?」
入学してからずっと見てたからだよ――なんて言ったら引かれるんだろうなぁ。
「お、俺って水泳部だったから、プールからテニスコートが良く見えてて休憩の時とかに練習見てたりしてたんだよ」
本当は毎日欠かさず見てた。
テニス部をではなく、瑞樹だけを見てた。
キラキラと楽しそうにボールを追いかける姿が、今でも目に焼き付いている。
「そういえばコートとプールって近かったですね。何だか恥ずかしいです」
「恥ずがる事ないよ。テニスをしている瑞樹さん、凄く恰好良かったんだから!」
思わず本音がだだ漏れてしまった。
「あ、ああ、ありがとうございます……」
彼女は恥ずかしそうにモジモジと俯いてしまった。
ちくしょう! 可愛い! 可愛いぞ!
何で瑞樹を諦めないといけないんだ!
無理!どんだけ邪魔されても、諦めるとか絶対に無理だ!
そんな可愛過ぎる生物をドギマギしながら眺めていると、至福の時間の終わるを告げる予鈴が鳴った。
彼女は相変わらず殆ど食べていない弁当を片付けベンチを立ち、座ったままの俺に、キュッと小さい手が更に握られて小さくなった手を差し出してきた。
「これ、よかったらどうぞ」
瑞樹はそう言って握っていた手を開くと、可愛らしい袋に入った飴玉が、彼女の掌に乗っていた。
「あ、ありがと」
「いえ、それじゃ午後からも頑張りましょうね」
ニッコリと微笑んだ彼女は、両手を胸の前でギュッと握り拳を作り、ガッツポーズを作る。
瑞樹は俺を悶え殺したいのだろうかと、割と本気でそう思いながら、校舎の中に向かう彼女の背中を見送った。
◇◆
地面を滑るように倒れ込み、生い茂った雑草が容赦なく皮膚を傷つける。
小学生からやっていた水泳で鍛えた腹筋の鎧が、あっさりと蹴り破られた痛みと、内臓を吐き出しそうな嘔吐感が襲ってくる。
何故無抵抗な人間に対して、ここまで容赦のない事が出来るのか……俺には全く理解できない。
俺が面白くない存在なのは自覚している。
だからと言って、こんな事をしたって状況が好転するわけがない事は、いくら馬鹿な
倒れ込んだ俺に、後は平田の仲間達に取り囲まれ、四方八方から蹴りの雨を降らされる。
やっぱりだ。
適当に蹴っているわけじゃなくて、ちゃんと骨折しそうな箇所をキッチリと外している。
やがて蹴りの雨が止むと、ニヤニヤと蹴られる俺を愉快そうに眺めていた平田が近付き、倒れ込んでいる俺の襟元を無理矢理締め上げてきた。
「まだ話し合いが足りないようだなぁ! また明日ここで待ってるからなぁ!」
締め上げた襟元をまるで手に着いた汚い物を振り落とすように、俺の上半身を地面に叩きつけ、平田はのっしのっしと仲間達を引き連れて立ち去っていった。
倒れたまま小一時間が経過した頃、俺はようやく起き上がる事が出来た。
「ってぇ……駄目だ。飽きるまで我慢していたら、先に俺が壊れちまう。それにいつまでも瑞樹さんに隠せる気がしないな……」
俺は昨日と同様に、古い水飲み場で頭から水を浴びて頭の中をスッキリさせた後、体を引きずる様に正門まで辿り着くと、クラスで仲が良くて同じ元水泳部の田村が正門の壁に凭れかかっていた。
「お前……大丈夫か?」
「田村か……はは、格好悪いとこ見られちゃったな」
平田に暴力を振るわれている事を、誰にも話していない。
だけど、田村には何となくだがバレていたようで、平田達が学校を出て行くのを確認してから、ここで待っていたらしかった。
俺達は少し歩いた所にある、小さな公園にあるベンチに缶コーヒーを手に持ち腰を下ろす。
暫くどちらも話す事もなく、もう公園で遊んでいたであろう子供達も帰ったようで、俺達の珈琲を啜る音と、時々走り去る車やバイクの排気音だけが聞こえるだけの時間が流れる。
「なぁ岸田……もうやめ――」
「田村! それ以上何も言うな!」
俺は田村が言いかけた言葉と遮り、語尾を荒げてそう指摘したのが気にくわなかったのか、田村はベンチから立ち上がって俺に前に立つ。
「でもよ! お前の気持ちを分からなくはないけど、こんなんじゃ体がもたねえだろ!」
そんな事は分かってる。
だけど、決して口に出すつもりはないが、平田の圧力に屈した奴が何を言っても、ただの儀弁にしか聞こえない。
「心配してくれてるのに悪いんだけど、ここで逃げたらまた戻っちまうんだよ……折角、笑顔を見せてくれ始めたってのに……」
俺は意図的に悔しそうに唇を噛み、握った拳を震わせた。
完全な芝居というわけではないが、仕草をオーバーに見せた方が田村を黙らせやすいと思ったからだ。
「……分かったよ。もう俺からは何も言わない。でもよ! 本当にどうなっても知らねえからな!」
「あぁ。心配させてしまって悪かったな」
立ち上がっていた田村は、地面に置いてあった鞄を肩に下げて俺を置いて公園を立ち去って行った。
「ツッ! さっきより酷くなってるな……」
俺は痛みで顔を歪めながらヨロヨロと立ち上がり、覚束ない足取りで家路についた。
その夜、受験勉強を進めようとしたのだが、相変わらずの痛みで全く集中出来きなかった俺は、テキストを閉じて倒れ込むようにベッドに潜り極力痛みを感じない体制を探りながら、部屋の電気を消した。
彼女の笑顔を守る為にはどうすればいいか。
始めは平田達の一方的な暴力に耐えてさえいれば、平田達も飽きてくれると思っていたが、この調子だと飽きられる前にこっちが壊れてしまう。
――もう、これしかない……のか。
ベッドの中でそう独り言ちると、悔しさで涙が滲んでくる。
今日平田達に殴られている時、考えていた事がある。
人間は不思議な物で、暴力に対しても慣れがあるようで、昨日は気を失う程だったのに、今日は考え事が出来る程になっていた。
でも、それはあくまで感覚的な事であって、慣れたからといっても実際は怪我もするし、こうして痛みで苦しんでいるわけだが。
その時思い付いた方法。
多分だけどこの方法なら、彼女の苛めがなくなるとまではいかないだろうけど、少なくとも俺と彼女に何もしなくなるはずだ。
ただ、この方法は俺にとってかなり苦しい状況になる。
でも、俺はその方法を選択する事を、布団を頭から被り泣きながら決めた。
――だって……瑞樹さんの安全を最優先する事だから。
◇◆
「あの……岸田君。聞いてますか?」
翌日の昼休み。突然瑞樹にそう問われてハッとした。
いや、突然ではないな……いつものベンチに座っていつものコンビニで買ったパンを口に運んだ時から、意識は別の所に飛んでいて、何度も声をかけられていたのに、全く彼女の声が届いていなかったんだ。
「あ、ご、ごめん! 聞いて……なかったかも」
「……もういいです」
頬を膨らませツンとそっぽを向く瑞樹……可愛い過ぎんだろ!
そんな顔も見せてくれるようになったんだな。
拗ねた彼女の横顔を眺めながら、自分の行動は間違っていなかったと確信出来た。
瑞樹を、また感情のない人形に戻す訳にはいかない。
その為なら、俺は手段を選ぶ事を止めたんだ。
例え――それがどんな裏切り行為だったとしても。
「……ごめん瑞樹さん。この後ちょっと用事があって行かないとだから、今日はもう戻るよ」
「え? も、もう戻るんですか? まだ予鈴まで20分位ありますよ?」
「……うん。ホントにごめんね。それじゃ、また明日ね!」
これ以上一緒に居たら決心が鈍ってしまいそうで怖かった。
これから起こす行動は、そういう類のものだから……。
俺は背中に向けられている彼女の視線を感じて、後ろ髪を引かれる想いで教室に戻った。
◇◆
放課後、俺はすぐに教室を飛び出した。
昨日みたいに、彼女から一緒に帰ろうと誘われない為だ。
幸いな事に隣の1組は、まだホームルームが終わっていないようでホッと息をつき、俺はいつもの旧更衣室に足を向けた。
「よう! 今日もボコられにご苦労なこったなぁ。一応訊いとくぞ! 俺の命令に従う気になったかぁ!?」
そう問う平田だったが、どうせ答えが変わる事はないだろうと思っているからか、俺の返答を待たずにジリジリト距離を詰めてくる。
平田の想像通り、あんな命令に従うつもりはない。
だが、もう大人しくサンドバッグをやってやるつもりもないんだ。
昨日までの俺なら、こうして距離を詰めてこられようと、一歩も動く事なく平田達の暴力が襲ってくるまでジッとしていた。
でもな……今日は違うんだぞ。
俺は意を決して半歩前に足を進めた所で、両膝をつき両手を地面に置いた。
「身の丈に合っていない事をしてしまって――すみませんでした!」
これまでの事を謝罪して、額を地面に突き合わせて土下座をしたのだ。
額を地面に付けると、生い茂った雑草が顔や耳に当たり、カサカサと音が鼓膜に響いた。
ジャリジャリと平田達の足音が近づいてくる。
俺の謝罪に対して、平田がどんな顔をしているのか分からない。
「なんだよ……俺にあんな啖呵切っておいて、もう降参かよ!」
頭上から吐き捨てるような言葉が落ちてきたが、俺は黙ったまま頭を下げ続ける。
「はぁ……まあいいか。んじゃ明日からお前も瑞樹を空気みたいに扱うんだぞ! 分かったなぁ!」
平田の声に少し怒りを感じた。
その怒りの正体がなんなのか、俺には到底分かるはずもないのだが、何故か妙にその事が気になったのだが、今はそれどころではない。
「いえ! 出来れば瑞樹との関係を続けさせて頂けないでしょうか!?」
「はぁ!? 何言ってんだ!? お前!」
平田の仲間が怒鳴る。
「岸田ぁ! マジで言ってんじゃねぇよなぁ!?」
平田の語尾も荒くなったところで、俺は意を決して下げていた頭を平田に向かって上げた。
「本当に瑞樹を落としたいのなら、急に瑞樹さんへの態度を変えさせるのはマズいとは思わないか?」
ずっと気になっていたんだ。
俺様キャラの
瑞樹さんからどういう風に気持ちを伝えられたのかも訊いた。
それらの状況を踏まえて、俺なりに出した答えは――
でも諦める事が出来なかった。
だから他の男と付き合ってしまう事になるくらいならと、今回の馬鹿な行動に出たのではないか。
そうの考えに至ったのには、彼女の断り方を知っていたからだ。
瑞樹は、平田の事を拒否したのではなく、恋愛をする気がないと返事した事によって、今は駄目でもいつかは気持ちを受け入れてくれるのではと、期待したんじゃないだろうか。
もし、そうなのだとしたら、これは彼女への嫌がらせだけではなく、他の男に言い寄らせない為に予防線を引こうとしたのではないかと、俺はそう考えたんだ。
仮にそうだとしたら、俺は平田にとって脅威ではないと判断させればいい。
――だから、俺はある提案を思い付いたのだ。
「あれだけサンドバックに徹してやってたのに、首から上を狙わないのは、大事にならない為……だけじゃないんだろ?」
「――――」
何も反論せずに、黙ったのが何よりの証拠だ。
足を止めた平田の正面に立つように、土下座していた体を起こして、真っ直ぐに平田の目を射抜くと、動揺しているのがよく分かる。
「勿論タダでと言うつもりはない」
「は?」
「1000円だ。1日1000円で彼女を借りたい」
「1000円!? 借りる!?」
「そうだ。学校がある日に毎朝ここで1000円払うから、俺と彼女の邪魔しないで欲しいんだ」
「お前……正気か!? 瑞樹をモノとして扱うって言ってるんだぞ!?」
「……分かってる」
そうだ……理解している。
俺だってこんな手段は取りたくなかった。
どんな理由があるにせよ、彼女を裏切った事には変わらないんだから。
「――いや、駄目だ! それじゃあいつを追い込む事が出来ないからな!」
――そう言うと思ったよ。でも、違うだろ?本音は俺に瑞樹を取られるのが怖いだけなんだろ?
「形だけでいいんだ。形だけ瑞樹さんの側にいさせてくれればいい」
「――」
「俺は彼女の側にいるだけだ。俺が気持ちを伝える事は絶対にないし、万が一、瑞樹が俺の事を好きになってくれたとしても、絶対に拒否する事を約束する。それに……」
「なんだよ」
「それにどれだけ瑞樹を追い込んでも、絶対に平田と付き合うという選択肢は選ばない! 彼女は凄く強い
だから諦めろ!俺も諦めるから!
俺が言い切る事に何も反論してこない。
分かってる。
こんな事をしたって、瑞樹さんが自分のモノのなる事なんてないって、本当は分かってるんだよな。
「へっ! 瑞樹が俺のモノになるかは別にして、毎日1000円は旨い話だよなぁ」
よしっ!のってきたな。
「でもよぉ! 俺はそれでいいんだけどよぉ。それじゃあ、こいつらに悪いからよぉ」
平田をそう言って、自分の後ろに立っている仲間二人を親指で指した。
欲張ると碌な事がないって、知らないのかよ! クソッ!
「1日1000円払うだけでも、中坊には大金なんだぞ! これ以上は勘弁してくれよ」
どう考えても、これ以上は無理だ。
平田に払う金だって、元々水泳以外の趣味がなかったから、余った小遣いやお年玉を貯めていた金で、卒業まで支払う額の計算をしたら、ギリギリ足りる金額だったんだ。
「まぁそうだろうなぁ! だからこれ以上払わずに済む方法を思い付いたんだが、訊くか?」
「何をしろって言うんだよ」
平田の提案なんて、初めから碌な内容ではない事は分かっていた。
しかも、それを俺に実行させるつもりなんだろう。
「簡単な事だって! スマホを3台用意するからよ、お前らが会っている時にそのカメラを仕込んで瑞樹を盗撮しろ」
「は!?」
「この学校だけでも、あいつに気がある奴なんて、腐るほどいるからなぁ! そいつらに画像を売って金にするんだよ! どうだ?」
そんなフザけた提案をされて、俺は本当に瑞樹の事が好きなのか疑わしく思った。
だが、更衣室を盗撮しろだとか完全にアウトな要求ではない。
「1つ条件がある。この盗撮の事もそうだけど、平田に金を払っている事を瑞樹さんには内緒にして欲しい。勿論、画像を買った奴らにも口止めする事。この事を約束してくれたら、盗撮を引き受ける」
「いいぜぇ! 俺も瑞樹にバレたら折角の収入源を失う事になるからなぁ!」
「約束だからな!」
瑞樹さんが卒業までもてばいい。
卒業した後で、この事を知って嫌われるのなら仕方がない。
それが、結局暴力に屈してしまった俺への罰だから……。
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