第29話 瑞樹 志乃 act4 ~プレゼント~
少しづつ距離が縮まり、時間が経過する度に気持ちが大きくなる。
もう誰にも渡したくなんかない。
瑞樹には後ろめたい気持ちはあるけど、こんな事でもない限り、俺なんかが彼女に近付く事なんて出来ない存在なんだから。
そんな彼女と今は、殆ど毎日一緒に並んでランチしている。
もう恋人同士と言っても問題ないのでは?と思える程、俺達は親密な雰囲気を漂わせていると思う。
日を追うごとに笑顔が増えていく彼女の顔を一番近くで見ている事が、今の俺には何事にも代えがたい幸せなんだ。
――なのに、もう明日死んでもいいって思える程、幸せの絶頂にいた俺だったけど『もう明日死んでもいい』という言葉が、単なる言葉の綾なんだと思い知らされ事態になってしまった。
瑞樹が中庭にほぼ毎日来るようになってから、2週間程が経ったある日の事だ。
俺のクラスの授業が長引き、少し遅れて昼休みになった。
先生が教室を出る前から、俺は鞄を漁っていつものコンビニ袋を取り出していると、隣のクラスから俺のクラスの方へ廊下を歩いてくる瑞樹を見つけた。
隣の3-1の授業も長引いていたんだと知った俺はホッと胸を撫で下ろしていると、俺のクラスの前を通り過ぎる瑞樹とバチっと目が合った。
目が合った瑞樹は少し恥ずかしそうに微笑んで、そのまま立ち止まる事なく立ち去って行く。恐らくいつもの中庭に向かっているのだろう。
というか、そんな事よりも……だ。
か、か、可愛い!もう超絶可愛い!無敵だ!チートだ!反則だ!
そんな彼女の視線が俺にだけに向けられて、微笑んでくれる。
その事がどうしようもなく嬉しくて、大声で周りにこの嬉しさを伝えてやりたい衝動にかられてしまう程、幸せで感動的な一コマだった。
もう隅っこで盗み見するだけの日々とはおさらばだ!
心の中でそう叫びながら、俺はコンビニ袋を振り回しながら、彼女が待つ中庭に向かう為、教室を飛び出した。
だが……勢いよく4階から3階に繋がる階段を飛び跳ねるように駆け下り始めた時、怖いくらいに順調だったバラ色生活が狂い始める。
「よう! 岸田だっけか!」
4階と3階の途中にある踊り場から、そう呼び止められた俺はピタリと足を止めた。
「最近、瑞樹にちょっかい出してるらしいじゃん」
ニヤリといやらしい笑みを浮かべて俺にそう話してくるのは、瑞樹をこんな状況に追い込んだ張本人である、平田だった。
「――――」
何も答えず平田の前を横切り、3階へ向かおうとする俺に、さっきより怒気を含んだ声が耳に届く。
「俺の命令が、お前にだけ伝わってなかったのか!?」
「……え、いや――その話なら知ってるけど」
平田の声に早くこの場から立ち去りたかった足が恐怖で止まってしまい、無視しようとした口が勝手に開いてしまっていた。
俺は平田から視線を逸らして俯いた。
今まで影が薄い立場をフル活用して、なるべく目立たないように立ち回り、こういうトラブルに巻き込まれないように生きてきた。
それは中学の虐めが一番質が悪い事を知っているからだ。
義務教育を過ぎた高校生になると、退学という痛いペナルティがある為、大っぴらな行動は慎む傾向があるが、義務教育中の中学生にはその意識が低い。
だから、俺みたいな奴は、この中学時代は特に神経を使う必要があったのだ。
そう考えてきた俺にとって、目の前に広がっている現実は悪夢そのものだった。
手足が震えて、口の中の水分がなくなり、無意識に涙が滲んでくる。
「そうかぁ! じゃあお前は俺の命令に従わないって事でいいんだな?」
俺のシャツの襟元を持ち上げるように締め上げた平田は、さっきまでの笑みを消して睨みつけながら、最終確認をとってきた。
――怖い、怖い、怖い――でも!
「そ、そうだ! 大体フラれたからって、何で瑞樹さんにこんな酷い事するんだよ!?」
みっともなく裏返りそうになった声を必死に落ち着かせながら、俺は平田にそう啖呵を切った。
「チッ!
フラれた平田は諦める気はなく、手段を選ばずどんな手を使っても、瑞樹を自分のモノにする為だけに、学年中を巻き込んで彼女を徹底的に追い込むのだと言い切ったのだ。
「そ、そんな事……瑞樹さんが何したってんだよ! フラれたのはお前に魅力がなかったってだけの話だろ!」
「あぁっ!?」
額に青筋を浮かべた平田は、締め上げていた腕に更に力が籠り、天井に向かって俺を突き上げるように釣り上げる。
苦しくて声を出す所か、息をする事も儘ならなくなった。
でも俺は弱音を吐きそうな気持ちを押し殺し、歯を食いしばって僅かに視界に入っている平田を睨みつけると、頭突きするのかと構えてしまう程顔を突き合わせてきた。
「そうか、そうかぁ! んじゃジックリと話し合う必要があるなぁ。放課後にプールの旧更衣室に来いよ! あそこなら誰も来ないからゆっくりと話せんだろ? 逃げたら――分かってるよな!?」
締め上げた力を解いた平田は一方的にそう告げると、俺の肩をポンと叩き立ち去ってしまった。
「まぁあれだ! 身分相応って言葉があんだろ? お前は瑞樹を眺めてズリネタにするだけで我慢しておくべきだったって事だ。くっくっくっ」
平田が立ち去った後、平田の取り巻きの1人が俺にそう言う。
何が身分相応だ。
確かに俺には勿体ない相手なのは自覚してる。
でもな! 平田なんかよりよっぽど近づく権利を持ってんだよ!
取り巻き達も完全に立ち去り、遠くから複数の視線は感じるが、誰も近寄らない踊り場に1人残された。
拒否権はない。
というより、元々彼女に近付こうと決めた時から、覚悟する必要があった事だ。
……逃げるわけにはいかないよな。
っと、その前に中庭に行かないと!瑞樹が待ってる!
俺は勢いを取り戻して、一気に階段を駆け下りて中庭に向かった。
「はぁ! はぁ! 遅れてごめん!」
両手を両膝につき息を切らして、瑞樹が待っている中庭に到着した俺は遅れてきた事を謝った後、いつもの瑞樹の左隣に座った。
「それは別にいいんですけど、何かあったんですか?」
「い、いや別に。途中でちょっと友達に声かけられただけだよ」
俺は一番疑われにくい、当たり障りのない嘘をついた。
「そうですか。でも、それじゃあ友達にご飯誘われたんじゃないですか? 無理に付き合ってもらわなくても、私は大丈夫ですよ?」
何言ってるんだか。
俺の最優先は瑞樹なんだ。
それ以外なんてどうでもいい。
友達に声をかけられたってのは嘘だけど、もし本当の話で飯に誘われていたとしても、即答で断ってたよ。
「違う! 違う! この前でた課題を写させてくれって煩くてさぁ!」
「なるほど。岸田君は真面目に課題に取り組んでるんですね。意外かもです」
「えぇ!? 意外って酷くない!? こう見えても提出物の提出率100%なんだけど!」
「フフっ! それは失礼しました!」
ここ最近の事だけど、瑞樹の笑い方が以前のように戻ってきた気がする。それだけ俺を信用して気を許してくれてるって現実を、やっぱりどんな事があっても手放す事なんて無理だと再確認した。
その後も彼女の笑う声が聴きたくて、口下手なりに必死に身振り手振りで話題を振る事に夢中になっていた為か、ポケットに突っ込んであったスマホがスルッと抜け出して、地面にカシャンと音を立てて落ちてしまった。
「ヤバッ! やってしまった!」
慌ててスマホを拾い上げ画面を中心にチェックしたが、どこも壊れたり割れたりしていない事に安堵してしていると、瑞樹は俺のスマホを覗き込むようにして、口を開いた。
「前から気になってたんですけど、岸田君のスマホに付けてるストラップみたいな物って、自転車の鍵とかを付けるキーホルダーですよね?」
そう尋ねられて、俺もキーホルダーに視線を落とす。
そのキーホルダーは青いビニール製のバンドに青い球状の飾りと、小さな鈴が付いている100均等で売っていそうな、どこにでもあるキーホルダーだ。
「これ? そうだよ。自転車の鍵とかに付けるキーホルダーなんだけど、これは亡くなった婆ちゃんが大事にしていた物でさ。婆ちゃんが亡くなる前に俺にくれた物なんだ」
「確かに年季がはいってそうですね」
「ははっ、そうだね。何でもこれのおかげでいい事が沢山あったらしくてさ、ずっとお守り替わりに持っていたらしくて、今度は俺が守って貰えって渡されたんだ。でも自転車の鍵はお気に入りのキーホルダーやグッズで一杯になってたから、ちょっと変かなとは思ったんだけど、スマホのストラップにしてるんだよ」
俺はそう話して、小さな鈴をチリンと鳴らして聴かせると、瑞樹は心地よさそうに聴いてくれた。
「そうなんですね。お婆さんの形見なんですね」
「うん。どこにでもありそうな物なんだけど、小さい頃から可愛がってくれた婆ちゃんの形見だから、ずっと使ってるんだ」
「何だか、そういうのっていいですよね」
瑞樹が俺に微笑みかけて見せた表情と、髪を指先で耳にかける仕草が、何故か俺には儚く見えた。
まるでもうすぐ、自分の前からいなくなるような……。
急に意味もなく不安になり、何か行動を起こさないといけないような強迫観念にかられて、気が付けば見せていたキーホルダーをスマホから取り外して、瑞樹に差し出していた。
「え? なんですか?」
キョトンとした瑞樹の手をどさくさに紛れて握って引き寄せ、掌にキーホルダーを置いて握らせた。
「これ、瑞樹さんにあげるよ」
チリンと聴き慣れた音が、瑞樹の掌で鳴る。
「そ、そんな大切な物貰えるわけないじゃないですか」
彼女は慌てて握らされたキーホルダーを俺に手渡そうとする。
「うん。でも俺はこれのおかげで凄くいい事があったからね! だから今度はこれが瑞樹さんを、きっと守ってくれるよ!」
神頼みと言われようが、迷信だと笑われようが、俺はこのキーホルダーの力を信じている。
だって、俺なんかが瑞樹とこうして知り合えたんだから!
「凄くいい事ってなんですか?」
「こうして瑞樹さんと仲良くなれた事だよ。きっと地味な俺を婆ちゃんが導いてくれたんだと思うんだよね」
「――そ、そんな……私なんて」
頬を赤く染めて、恥ずかしそうに俯く瑞樹の差し出されていた手を、そっと自分の両手で包み込むように握った。
少し瑞樹の手が震えている。
そんな弱々しくて壊れてしまいそうな手の温もりを感じながら、俺は赤い顔をした瑞樹の目を真っ直ぐに見つめた。
「このお守りがきっと瑞樹さんを守ってくれる。今は辛いだろうけど、きっと瑞樹さんに幸せが訪れるようになるから、このキーホルダーを信じて受け取って欲しいんだ」
そう話すと、瑞樹の目に涙が浮かんだ。
とても綺麗な涙で、俺は一瞬見惚れてしまったが、慌ててハンカチを取り出して手渡すと、彼女の小さくて掠れる声が聞こえた。
「こんな私にも、幸せなんてくるんでしょうか……」
「来る! 絶対に来るよ!」
「――はい。ありがとうございます」
頷いた拍子に溜まった涙が、瑞樹の大きな瞳から零れ落ちる。
この涙が、今までの悲しい涙ではないようにと、瑞樹の手に収められているキーホルダーに願った。
◇◆
大切にしていたキーホルダーを少し強引だったかもしれないが、彼女に渡す事が出来た。
思い付きの様に渡したんだけど、実は彼女が中庭に来てくれるようになった時から決めていた。
迷信と馬鹿にする事は出来ない。
だって、この俺なんかがずっと憧れていた瑞樹と仲良くなれたんだから。
この幸運を手放したくなんてない。
絶対に平田達に負けるわけにはいかない。
ホームルームが終わり、担任が職員室に戻っていくの同時に、教室が騒がしくなった。部活に向かう者、教室で友達を笑い話に花を咲かせる者、どこかへ遊びに教室を出て行く者と様々で、俺はこれから平田に呼び出された場所へ向かう為、気合をいれて1人教室を出た。
「……岸田君」
教室を出て渡り廊下に向かおうとした時、背後から少し小声で呼び止められ振り向くと、そこには優しく微笑む瑞樹が立っていた。
「あっ……」
咄嗟の事で言葉が上手く出てこなかった。
「何だか怖い顔してましたけど、何かあったんですか?」
瑞樹に指摘されて、眉間に皺を寄せていた事に初めて気が付いた。
「あ、あぁ! 何でもないよ。夕日の日差しが眩しかっただけ――瑞樹さんは、今帰るとこ?」
「はい……えっと……ですね」
何だか歯切れが悪く彼女らしくないと首を傾げていると、瑞樹はモジモジと頬を赤らめて、少し俯き上目遣いで口を開けたり閉じたりと落ち着きがなくなっていた。
「え? なに?」
「……あ、あの。よ、よかったら……一緒に帰り……ませんか?」
梅雨が明け、いよいよ夏が訪れようとしている夕暮れ。
昼間と比べて、幾らか気持ちの良い風が廊下を吹き抜けていく度に、彼女の夕日を浴びて、透き通るような赤みを帯びた髪を揺らす。
日常的によくいる場所なのに、彼女の周囲だけ非日常的な感覚を覚えて、まるで幻想的なものを見ているような感覚に陥った。
そんな夕日に負けない位に、顔が赤くなった彼女に一緒に帰ろうと誘われたのだ。
何十回、いや、何百回と自分の都合のいいように妄想してきた事が、現実として訪れた。
嬉し過ぎて、幸せ過ぎて、俺は場所を弁えずに泣いてしまいそうになるのを、ギュッと唇を噛んで堪える。
「ご、ごめん……今日は水泳部の後輩達に練習を見て欲しいって頼まれてて、今から向かう所だったんだ。誘ってくれたのは凄く嬉しいんだけど……」
後ろ髪を引かれるどころか、体は向かう方向に向いているのに、心は微動だにしない感じだ。
でも、俺達の関係をもっと良くする為にも、絶対に避けられない壁と戦う事が最優先だ。
そう自分に強くそう言い聞かせて嘘の用事をでっち上げて、彼女からの初めての誘いを断腸の思いで断った。
「そ、そうですか。それじゃ仕方がありませんね……それじゃお先に失礼します」
一瞬寂しそうな顔が見えた気がしたが、瑞樹はすぐに笑顔を向けながら小さく手を振って、反対側の下足室に繋がる廊下を歩き出した。
俺は瑞樹の背中が完全に見えなくなるまで見送って、気持ちを落ち着ける為に軽く深呼吸をした後、彼女とは反対方向の廊下を踏みしめて、呼び出された場所に向かった。
――絶対に、誰にもこの幸せを邪魔させない!
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