第26話 瑞樹 志乃 act1 ~孤立~
あれは中学3年生になって少し経ち、G・Wが目前に迫ったある日の事だった。
放課後、掃除当番だった私は、一年の時から仲が良かった友達の
届いたトークアプリの内容を確認すると、送り主は同じクラスの平田からで、話があるから掃除が終わったら、体育館裏まで来て欲しいという内容だった。
平田とは3年になって初めて同じクラスになったんだけど、始業式から色々と関わる機会が多くて、割と仲の良い方の友達だった。
「メッセ―ジ、誰からだった?」
少し困った顔をして画面を覗いていたからか、いつもなら何も言ってこない沙織が訊いてくる。
「……うん。何か平田君が話があるから、来てくれって……」
「平田ぁ!? あぁ……平田って志乃を狙ってるって噂になってたもんね」
そうなの?
私は初耳なんだけどと言うと、アンタが鈍いだけじゃんと笑っていたが、わざわざ呼び出す事を知った沙織は、噂は本当だったんだなと1人で納得してうんうんと頷いていた。
「で? 本当に告ってきたらどうすんの?」
「うん……私の場合、平田君がどうって事より……」
「だよねぇ。志乃ってば馬鹿みたいにモテるのに、まだ恋愛とかに興味ないんだもんねぇ」
「……うん」
そうなんだ。
私は恋愛に今の所、興味を持てていない。
でも、人を好きになる事を否定しているわけではなくて、周りの友達が誰かを好きになったり、付き合ったりしている話を聞くと、心が温かくなったりはするんだ。
仲の良い男の子の友達はいるけれど、恋愛対象として見た事は一度もない。
それはその男の子達がどうしたって事ではなくて、私が単に臆病なだけなのだ。
「でもすごいよね! 志乃に告ってきた男子って、3年になってもう3人目じゃんね!」
「そんな事どうでもいいよ。それに平田君が告白してくるって決まったわけじゃないし、それにもしそうだとしても、ゴールデンウィークが近いから、遊び相手が欲しいだけかもだし……」
告白ラッシュだと面白がる沙織に、私は他人事だと思ってと溜息をついてそう否定した。確かに大きなイベント前になると、何故かカップルが増える傾向が、うちの学校にはあるからだ。
「いやいや! 確かにそんな流れはあるけど、志乃に告ろうとする男子はそんな奴1人もいないから!」
そう言い切れる根拠がどこにあるんだろうと、首を傾げた。
「そうなのかなぁ……ていうか、そっちの方が困るんだけどなぁ」
溜息交じりにそんな事を話していると、いつもは億劫に感じている掃除が妙に早く終わった気がした。
浮かない顔をした私と、これから起こるであろう告白劇場に興奮している沙織と下駄箱で靴を履き替えて、手を振り合う。
「それじゃ、沙織は先に帰ってて」
「おっけ! じゃあ夜電話するから、結果報告よろしくぅ!」
結果なんて解り切っている事を訊いて、何が面白いんだろうと首を傾げた私は、呼び出されている体育館裏に向かう事にした。
正直、この時間が一番苦手だ。
断わる言葉を考えたり、断った時の相手の顔を想像すると、別に悪い事をしたわけでもないのに、罪悪感に苛まれるからだ。
私が体育館裏に着くと、平田君はもうこの場所に来ていた。
まぁ、私は掃除当番だったんだから、当たり前なんだけど……。
「平田君、待たせちゃってごめんね」
「え? あ、いや! 全然!」
壁に凭れかかっていた平田君は、私が来た事に気付くとサッと姿勢を正して、緊張した面持ちになっていた。
その態度はいつもの豪快なイメージからは想像も出来ないもので、私は何だか居たたまれなくなり、足元に視線を落として目を逸らした。
「あ、あのさ!」
「う、うん」
早速本題に入るようだ。
うん……その方がいいと私も思う。
「2年の時からずっと瑞樹の事が好きだったんだ! だ、だから……その、俺と付き合ってくれ!」
平田君は少し乱暴な言葉で、気持ちを伝えてくれた。
その台詞が何だか平田君らしいなって思う
「……ごめんね。平田君の気持ちは嬉しいんだけど、まだ恋愛しようと思えないから……平田君の気持ちに応えられない……ごめんなさい」
嘘じゃない。
誰だって好意を伝えられたら、嬉しいと思うはずで、でも気持ちに応えられるかどうかは、別の話なんだ。
恋愛に興味がないのも嘘じゃない。
ただ興味があったとしても、乱暴なイメージがある彼を好きになれそうにないという本音もあるけど、その事をわざわざ話す必要はないよね。
私は平田君に頭を下げて、本人を極力傷つけないように、可能な限り柔らかい口調で丁重に断った。
「そうか……。で、でもよ! 興味がないだけで、好きな奴とか付き合ってる奴がいるわけじゃないんだよな!?」
「え? う、うん。そんな人はいないけど……」
「なら! まだ可能性がないってわけじゃないよな!? 今は無理でも諦めないで待っててもいいよな!?」
しまったと思った。
これまでもこの台詞で断ってきたんだけど、こういう流れを盛り込まれた事はなかった。
こんな事なら、正直な気持ちを伝えれば良かったと後悔した。
どれだけ待たれても、彼に気持ちが向く事は想像出来ないんだから。
「なぁ! いいだろ! 瑞樹」
彼に諦める意思はないみたい。
それは中学入学当初から何かと話題になる事が多かったらしい私が、押しに弱い事を知ったのかもしれない。
いくら待たれても平田君の気持ちに応えられる気がしない。
どう考えても、平田君の隣にいる自分が想像出来ない私は、諦めたように口を開いた。
「……ごめん。いくら待たれても、平田君と付き合う事は出来ないよ」
オブラートに包む事なく正直な気持ちを伝えると、グイグイと押そうとしていた平田の口が止まり、同時に表情が歪んでいく。
そんな平田の表情に、心がチクリと痛み再び俯いた。
2人の間に暫く沈黙が流れていたが、やがて平田君はズボンのポケットに両手を突っ込み、私を横切り立ち去ろうと歩き出した。
「チッ! お高くとまりやがって……」
すれ違い様にそう吐き捨てると、平田君は苛立ちを滲ませて、のっしのっしと中学3年にしては大柄な体を揺らして立ち去って行った。
平田君の背中が見えなくなってから、私も曇った顔を取り繕う事もせずに、そのまま下校して家路についた。
帰宅すると、さっきまで妹の希がゴロゴロしていたソファーを横目に、夕飯の支度に取り掛かる。
帰宅途中にスーパーに寄り、今晩の夕食の食材を買うつもりだったのが、さっきの平田君との事を考え込んでしまっていたのが原因で、帰宅するまで買い物の事を忘れてしまっていた事に気付いて、急いで引き返そうとしたんだけど、どうしてもそんな気力が湧かず、冷蔵庫にある物で夕飯を作る事にした。
今晩は希のリクエストで唐揚げを作る事になっていたから、事情を説明して献立を変える事を説明したら、希から大ブーイングを受けた。
いつもなら「ごめんね」と謝っていたんだろうけど、今日の私は腹の虫の居所が悪かった。
「いつもゴロゴロしてばっかりで、何も手伝おうともしないくせに、自分勝手な事ばっかり言わないで! 食べたくないのなら食べなくていいから!」
「なにその言い方!? お姉ちゃんが何食べたいって訊くから、答えたんでしょ!」
私の言い方が相当癇に障ったのか、希も怒鳴り気味の声でそう反論すると、私の呼び止めも聞かずに黙って部屋に戻っていってしまった。
八つ当たりだ。
あの子に何も関係ない事だし、ソファーでゴロゴロしているのだって偶々で、いつもなら手伝おうとしてくれていたのに……。
私はもう一度、さっきまで希が使っていたソファーに目をやり溜息をついた。
今晩も両親は遅くなるからと連絡を貰っていたから、いつものように希と向かい合って食卓に着く。
さっきの事を気にはなってたけど、何故か謝る気が起きなかった私。
だけど、2人の間に出来てしまった空気だけでも戻そうと、食事をしながら何度か話しかけてみたけど、希は愛想の無い相槌を打つばかりで、食べ終わるとさっさと部屋に戻っていってしまった。
洗い物を終えて、静まり返ったリビングに腰を下ろす間もなく浴槽に向かう。
熱いシャワーを頭から浴びて溜息をつくと、『お高くとまりやがって』平田君のあの言葉が頭の中を巡っていく。
どうすればよかった?
どう話せば良かった?
どうすれば傷つけずに、断る事が出来た?
平田君が立ち去ってから、ずっとこの事が頭の中を支配している。
だがどう考えてみても、そんな方法なんて見つかるはずもなく、私はまた溜息をついて、今日の事を振り払うように、少し乱暴に髪を洗い始めるのだった。
入浴を終えて希の部屋のドアをノックして、ドアを開けずに「おやすみ」と声をかけたが、中からは何も返答がなく肩を落として自室へ戻るのと同時に、手に持っていたスマホが震えた。
沙織からのメッセージだった。
メッセージの内容は、下校の時に言われていた平田君との結果報告についての催促なのは、見なくても分かっていた私は、今はあまり話したくないから、明日学校で話すとだけ伝えてスマホをベッドに投げるように置いた。
とてもではないが、今日は受験勉強どころではない。
切り替える事が出来ないと諦めた瑞樹は、今日は早々にベッドに潜り込み眠りについた。
翌朝、まだ少し重い足取りだったけど、いつものように教室のドアを開けて中に入りながら、クラスメイト達に「おはよう」と挨拶をする。
正直、笑顔で挨拶をするのが苦痛ではあったけど、ルーティンの重要性をテレビで見てから、大事にするようになった私は、努めていつものように笑顔を作ってみせる。
「お、おはよう……」
「……おはよ」
だがクラスの皆の方がいつもと様子が違うように思えた。
私はそんな空気に首を傾げて、自分の席に向かっていると、通り過ぎた後からこちらに視線を向けて、コソコソと小声で話している声が耳に届く。
ん?っとその話声が気になったが、立ち止まる事なく自分の席に着き鞄を広げて教科書を机に入れようとした時、一番聞き慣れた声が聞こえた。
「志乃! おはよ!」
「おはよう。沙織」
「ねぇ、沙織。皆何かあったの? 何だかいつもと違う気がするんだけど」
「――多分、これが原因だと思う」
沙織はそう話しながらスマホを取り出して、立ち上げた画面を見せた。
見せられたのは、送り主が表示されていない不特定多数に送られたチェーンメールだったのだが、その内容に私は愕然とした。
『3-Aの瑞樹志乃は学校では大人しくしているが、他校の男2達、大学生1名、社会人1名の4股をかけている。その他にも小遣い稼ぎに金持ちオヤジ相手に援交している、股ゆるビッチだ!』
「な、なによ! これ!」
メールを見た私は声を荒げて、席から立ち上がった私にまた視線が集まり、ヒソヒソと話す声が大きくなる。
ショックだった。
こんな根も葉もないメールにもショックだったが、一番ショックだったのは、こんなメールを見てくだらないと笑ってスルーするのではなく、真に受けて疑いの目を向けたクラスメイト達の反応がショックで、唖然としてしまった。
「くっだらない! 誰がこんなゴミみたいな事したんだか!」
その言葉に我に返り視線を向けると、そこには忌々しいと言わんばかりの顔でチッ!と舌打ちする沙織がいた。
「沙織は信じてくれるの!?」
「はっ!? 当たり前でしょ! 真に受けてるこいつらが馬鹿過ぎんだっての!」
沙織はそう言って、こちらに視線を向けているクラスメイト達を睨みつけると、周りのクラスメイト達は気まずそうに眼を背けた。
「ありがとう、沙織だけでも信じてくれて嬉しい」
沙織の手をとり、私は心から感謝した。
「何でお礼なんて言うかなぁ。私達は入学してからの友達なんだよ?。志乃の事は私が一番知ってるんだから、当たり前の事だって!」
白い歯を見せ微笑む沙織を見て、ザワザワしていた心が落ち着いていくのか感じた。
「まぁ明後日からゴールデンウィークなんだし、その間にそんな根も葉もないくだらない噂なんて、きっとキレイに消えてるよ!」
「そう……だよね。うん! きっとそうだね!」
沙織の言葉を頼りに、私はそれからも続いた周囲の目を気にしない様に努めて、連休に入るまでの二日間をやり過ごした。
帰宅して部屋に1人になると、ずっと意識して何時もの私を演じていた力が抜けて、変わりに激しい疲労と暗い気持ちに体を支配されていき、ベッドに倒れ込むように体を預けた。
一体誰があんなメールをばら撒いたのか。
その犯人がクラスにいるかもしれない可能性を考えた時、無意識に涙が零れ落ちそうになったのを、無理矢理枕に顔を埋めて耐えようとしたが、すぐに嗚咽が込み上げてきて、私は家族に聞こえないように必死に枕を力いっぱい顔に押し付けて泣いた。
今日もとてもじゃないが、勉強どころではなく、私はただ深夜遅くまで泣き続けた。
連休に入り泣き尽くして気持ちの整理をつけた私は、連休初日から受験勉強に集中した。
不安な気持ちを完全に拭い去れた訳ではなかったけど、沙織の言葉を信じて机に向かう。
勉強だけではなく、沙織と遊びに行く予定があって、楽しい時間を過ごせた事で、随分と気持ちを落ち着ける事が出来た私は、本当に心から沙織に感謝した。
◇◆
――だが。
連休明けにはいつもの雰囲気に戻っている事を期待していたんだけど、降りかかった負の連鎖は自然消滅という形で断ち切れていなかった事を、不安気に登校してきた私はすぐにそれを知らされる事になる。
「お、おはよう」
教室の前で一度深呼吸をしてドアを開けて、いつもより少し小さい声で教室にいるクラスメイト達に挨拶をした時、そこで異常な光景を目の当たりにする。
誰一人として挨拶をする私に、視線すら合わせようとしないのだ。
「……え?」
クラスメイト達の対応は無視というものですらなかった。
まるでこの場の存在しないかのように、クラスメイト達は始業前の雑談を楽しんでいる。
そう。まさに空気のように――。
青ざめた顔で席に着いた私は、まだ登校していない沙織が教室に入ってくるのを、息を潜めるように待った。
暫くして沙織が教室に現れて、私の横を通って席に着こうと歩いてくる。沙織の顔を見て、自然と気持ちが明るくなった私は、助けを求める眼差しで近くまで来た沙織に声をかけた。
「沙織。おはよう」
――だが、瑞樹は目を疑う光景をまた見せつけられる。
挨拶をしたはずの沙織は、他のクラスメイトと同様に私と視線すら合わせる事なく通り過ぎて、何事もなかったかのように席に着いたのだ。
「……え? さ……おり?」
少し足早に通り抜けて行った為、お揃いで買ってからずっと愛用している香水の香りが変わっている事に気付いた。
後ろの席に座った沙織の方を振り向き、震える声でもう一度呼びかけたてみたけど、まるで全く声が耳に届いていないように、何も反応がなかった。
う……そ。沙織までそんな――どうして!?
その後直ぐに担任の教師が教室に現れて、生徒達はそれぞれの席に戻っていき、いつものホームルームが始まった。
いつも冗談を交えながらホームルームを進行させる担任だったので、3-Aのクラスの朝はいつも笑い声が絶えない教室だった。
その賑やかな声達に紛れて、背中から意識しないと聞き逃しそうな小さな声が耳に届く。
小さな声でも、聞き取りにくい状況でも、私はこの声を聞き逃したりしない。
「志乃……ごめんね。こうしないと私も……ホントにごめんなさい。私も志乃を無視なんてしたくないから――もうこっちを振り向かないで欲しい」
沙織の言葉を背中越しに聞かされた私は、目を見開いて愕然とする。
ガックリと机の上に視線を落とすと、自然に体が小刻みに震えだす。
止めようと思えば思う程、震えが大きくなり、私は両腕を自分の体に巻き付けるように抱いた。
ずっと仲のいい友達だったんだ。
私は沙織に言った事はなかったけれど、親友だとも思っていた。
その親友だと思っていた沙織にまで、裏切られてしまったんだ。
どうしてこんな事になった?
どうして私がこんな目に合わないといけないの?
私の何が悪かった?
――どうして!
心の中で自問自答を繰り返すが、心当たりが全くと言っていい程なく、私はただ現状に困惑する事しか出来なかった。
「ん? どうした? 瑞樹。顔色が悪いみたいだけど」
青ざめる一方の顔色に気付いた担任が、心配そうに声をかけてくる。
だが、担任に声をかけられている時でさえ、クラスメイト達は私に声をかけるどころか、視線を向ける事すらはなかった。
「い、いえ……大丈夫……です」
涙が溢れてくる。
何が何だか全く分からない。
――ただ、ただ……悔しかった。
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