第19話 Cultural festival act6 ~追跡~

 つい数秒前まであった楽しさや、充実感が一瞬で凍り付く。

 覚悟はしていたつもりだったけど、やはり当人と対峙すると体が硬直し、足が震える。


 中学時代、この男のせいで楽しかった学校生活が一変した。

 心を砕かれた様々な出来事が鮮明にフラッシュバックして息苦しくなり、吐き気を覚える。


「お前の学校って広いのなぁ! ここ見つけるまで苦労したぞ」


 平田はニヤリといやらしい笑みを浮かべ店内を見渡し、強張った表情の瑞樹に視線を戻した。


「そう? そのままずっと迷っていればよかったのにね」


 瑞樹は震える足にグッと力を込めて虚勢を張り、瞬時に折れそうになった心を奮い立たせて、平田を睨みつける。


「おいおい! ここは猫コス女が男に尻尾振る店なんだろ!? 睨んでないでさっさと俺達にも尻尾振ってご機嫌とったらどうだ?」


 平田が瑞樹にそう悪態着くと、周りにいた平田の仲間達の馬鹿笑い声がカフェ中に響き渡った時、パンッ!!と頬を引っ叩く音が混じる。


「ふざけるなっ!!!」


 右手を大きく振り抜いた仕草になった瑞樹が、まるで別人のような殺気に満ちた目で左頬にビンタを喰らい顔を僅かに歪めた平田に向け怒鳴りつけた。

 冷静に努めるつもりだった。

 だが平田の頬を叩き怒鳴りつけたのは、自分が馬鹿にされたからではない。

 貴重な受験勉強の時間を削り、この日の為に頑張ってきた皆の事を馬鹿にされた事が我慢出来なかった。


 怒鳴り声と怒りに満ちたビンタの音が響くと、店内にいた全員の視線が瑞樹と平田達に集まる。


「おい! 兄ちゃん! この店はドMキャラを喜ばせる為にドSカフェだったのか!? 今の見てたよな!? ツラをいきなり叩きやがったぞ! どうしてくれんだよ!!」


 引っ叩かれた平田は、偶々視界に入った杉山を睨みつけ声を荒げた。


「ウチのスタッフが申し訳ありません。お怪我はありませんか?」


 怒鳴りつけられた杉山は、平田に平謝りして騒動を収めようと頭を下げた。


「ふざけんな! 怪我したに決まってんだろ! どう責任とってくれんだよ! あぁ!?」


 平田の怒鳴り声が響き、カフェにいた客達は足早に店を出始める。

 そんな客達に深く頭を下げて見送った瑞樹が、平田に向き直り口を開く。


「アンタ達の目的は私なんでしょ!? どこにでも行ってやるからこれ以上皆に迷惑かけないで!」


 瑞樹にそう言わせた平田達はニヤリと口角を上げる。


「……杉山君。迷惑かけてごめんね……。閉店までまだ少しあるけど、ちょっとお店離れていいかな?」


 瑞樹は杉山にそう問うと、無理矢理ニッコリと笑顔を作った。


「それは構わないけど……でも、お前……」

「このままこいつらがここに居たら皆にもっと迷惑かけちゃうから、場所を変えて話をつけてくるだけだから、心配しないで」


 杉山はそんな音便に済ませる事が、出来る事態ではない事は分かっていた。

 このまま瑞樹を行かせてしまったら、きっと大変な事になると危惧しているのに……平田達の圧に押し負けてこれ以上言葉が出せず、ただ黙ったまま俯く事しか出来なかった。


「話しが纏まってよかったぜぇ! じゃ、ついてこいよ! 瑞樹」


 平田にそう言われた瑞樹は、言われるがままカフェを出て行ってしまった。


 ◇◆


 校内の各クラスの出し物を眺めながら歩き回っていた加藤は、再び希と瑞樹達のカフェ猫娘に向かう。

 せっかく文化祭に来たのだから、少しは楽しもうとした2人だったが、さっきの神山とのトラブルのせいで加藤に元気がなく、またついて回っている希もションボリと落ち込んでいた為、なんとなく加藤達は瑞樹達のカフェに戻ろうと足を向けたのだ。


「変な空気にしちゃってごめんね。希」

「……いえ、そんな事よりお姉ちゃんの事で神山さんと雰囲気が悪くなったのが、本当に申し訳なくて……」

「希がそんな事気にしなくていいよ。それに神ちゃんと本気で喧嘩したわけじゃないし、きっと分かってくれると思うから」


 片目を閉じ白い歯を見せた加藤は、希の肩をポンと叩きそう話した。


 カフェに戻ると、もう廊下に並んでいる客の姿はなく落ち着いているようだった為、希とカフェでお茶しようとドアを開けた。

 店に入ると猫娘が接客に応じてきたのだが、どこか様子がおかしく感じた加藤は、店内を見渡してみると胸騒ぎを感じる光景がそこにあった。


 胸騒ぎの原因。それは仕事中のはずの瑞樹の姿がどこにも見当たらなかったからだ。

 上半身を覗き込むようにして厨房もチェックしてみたが、見える限りでは瑞樹の姿を確認できない。


「あの! 私、瑞樹志乃の友達なんですけど、志乃ってここに居ますよね?」


 加藤がそう尋ねると、猫姿の女子生徒から笑顔が消え失せ「……それが」と歯切れの悪い言葉を残して、俯いてしまう。


 ドッと背中に汗が吹き出して、流れ落ちていく。

 一瞬で口の中が渇き、心臓の鼓動が激しくなる。


 女生徒に事情を訊くと、少し前に平田がここに現れて騒動を起こしたらしい。

 志乃はその騒動を収めようと、平田達と一緒に出て行った聞かされた。


 (――仕事中は安全だって思いこんでて、完全に油断した!)


 加藤は希と向かい合い頷き合うと、踵を返してカフェを出ようとする。


「ちょっと、アンタ達! 志乃に何があったのか知ってんの!?」


 教室を出ようとした時、厨房から出てきた麻美が2人をそう呼び止める。


平田達あいつらに大人しく志乃を渡したアンタらに期待なんてしてない! 無関係装うなら中途半端に首を突っ込むな!」


 加藤は麻美の問いに何も応えず、突き放すように怒鳴りつけ教室を後にした。


 腹が立つ。

 それはクラスメイト達にではない。

 仕事中は安全だと決めつけて、その結果見事に親友を連れ去れてしまう事になってしまった、自分自身に心底腹が立つ。

 色んな人達を巻き込んで、自分が志乃を守るって息巻いた結果がこの様だ。


 でも!今は自分を責めている場合ではない!


 自虐モードから頭を切り替えた加藤は、顔を真っ青にして必死についてくる希に語尾を荒げて指示を出す。


「希! あっちの方から志乃を探して! 私は間宮さんに連絡してから、反対側を探すから!」

「は、はい! 分かりました!」


 希は加藤の指示に言葉身近にそう言い残して、向きを変えて走り去る。


 走り去る希を見送った加藤は、呼吸が乱れたままスマホから間宮の番号をタップして耳に当てる。


「もしもし! 間宮さん! 志乃が平田に連れ去られたらしいの! 私達も探してるんだけど、間宮さんも志乃と平田達を探して!!」


 一方的に言葉早くそう伝えると、加藤はじわりと涙を浮かべながら全速力で走り出す。


 (――お願い!無茶な事しないで!志乃!!)


 ◇◆


 平田達に連れられていた瑞樹の左隣が騒がしくなってきた。

 神楽優希のライブが始まる時間が迫り、ライブに参加しようと学校の生徒達や来客者が次々と体育館に集まってきているからだ。


 そんな人集りを見て、瑞樹は平田達の狙いに気付く。


 直ぐに平田達が自分に接触してこなかった事が解せなかったのだが、その理由がはっきり分かったのだ。

 もうすぐ文化祭の最大の目玉であるライブが始まる。

 当然、ライブに参加しようと殆どの人間が体育館に集まり、他の場所に人気ひとけが殆どなくなる事を計算していたのだろう。

 そんな状況なら多少騒いだ所で、誰も気付かない可能性が高い――これは完全に確信犯だ。


 しかも今向かっている方向には、昨日自分が大谷と連絡を取る為に移動した焼却炉があるだけの校舎裏しかないはずだ。

 平田はカフェに来るまでに、入念に下調べを行ってきたのだろう。


 平田の権力が及ばないこの学校なら無茶は出来ないなんて、余りにも楽観視していたのかもしれない。

 でも、もう後戻りは出来ない事を悟った瑞樹は、これから起こるであろう出来事に腹を括った。


「なぁ、校内じゃなくて、外に連れ出した方がいいんじゃねえの?」

「バーカ! 門の所には先公がいるだろうから、そこで騒がれたら厄介だろうが!」


 平田の仲間の提案を、平田は薄ら笑いを浮かべて却下する。


「でもよ! 確かに超いい女だけど、気が強そうだから黙らせるのに骨が折れるぞ」

「心配すんな! 一発で抜け殻にして無抵抗に出来る魔法の呪文があるんだよ。まぁ見てろって! クックックッ」


 後ろから睨みつけている瑞樹をチラリと見ながら、平田はそう言い切り不敵な笑みを浮かべた。


 ◇◆


 加藤達と別行動をとる事になった神山と佐竹は、神楽優希のライブに参加する為に、体育館前に出来た行列の中にいた。

 神楽優希の大ファンの神山にとって最高のイベントだったのだが、ワクワクした表情を見せるどころか、空虚な様子でただ並んでいるだけに見える。


「心ここにあらずって感じだね」

「……え?」


 佐竹が神山に苦笑いを向けながらそう話すと、神山の顔が引きつり目を見開き佐竹に振り向く。


「べ、別に! そんな事より佐竹君はカトちゃんと一緒にいなくて良かったの?」

「ん? あいつには希ちゃんがいるからね。それに神山さんを1人になんて出来ないって思って」

「……気を遣わせて……ごめんね」

「ははっ、気にしなくていいよ」


 ニッコリと微笑む佐竹を見て、神山は自信無さげな顔つきで口を開く。


「ねぇ佐竹君……私って何か間違った事カトちゃんに言ったの……かな」


 こんなションボリした神山を見た佐竹は、ゆっくりと首を左右に振りクスッと笑みを零す。


「いいや、間違ってなんていないよ。友達を助けようとした神山さんは、何も間違ってなんていないよ。……でも」

「……でも?」

「加藤が断った事も神山さんの事を心配して言った事だから、あいつも間違っていないって思う。お互いの事を心配しての事だったんだからさ、元気出しなって!」

「――佐竹君」


 その時、ライブ会場である体育館の入場時間になり三か所ある扉が開かれ、先頭集団が次々に会場に入りだした。

 神山達は最後尾に近い場所だった為、まだここまで人の流れが動き出す事はなく、神山は先頭を陣取っていた連中がぞろぞろと動き始める姿を見つめながら、小さく口を開く。


「私さ、文化祭の後のお泊り会で2人ともっと仲良くなりたかったんだ。瑞樹さんとカトちゃんみたいに、何でも話せる仲になりたかったんだよね」


 動き出した行列のあちこちから大きな声が聞こえてきたが、佐竹には神山のか細くなった声が何故かしっかりと聞こえていた。


「神山さんも、あの2人と仲いいじゃん」

「……ううん。少しなんだけどさ、あの2人の間に壁を感じるんだよね。2人が長い付き合いだったら話は別なんだけど、カトちゃんとはお互い合宿が初見だったじゃん? だから気になっててね……」


 掠れる声でそう話す神山に、佐竹はこれ以上何を言っても、今の神山に届かないなと諦めた佐竹は、何となく行列の前ではなく自分の後方に目を向けた。

 そこには最後尾の生徒が目を輝かしている姿と、その更に後方の通路を歩く複数の人影が見えて、佐竹はその人影を目で追うと、その中に猫娘姿の瑞樹の姿がある事に気付く。


 瑞樹以外の連中は、ここの制服を着ているわけではなく、ガラの悪い私服姿の男が6人いて、瑞樹はその連中に連れられて行くように見えて、その後方には加藤や間宮の姿がない事に気付いた佐竹は、この連中が加藤が言っていた平田達だと確信した。


 ようやく後方にいた神山達の列も流れ始めた時、佐竹は神山の肩にポンと手を置き、小さく頭を下げる。


「神山さんごめん! 急用が出来たから一緒にライブに参加出来なくなった! 僕はもう行かなきゃなんだけど、神山さんはライブ楽しんで来てね」

「え? 佐竹君!?」


 神山が呼び止めようとしたのは聞こえていた佐竹だったが、立ち止まる事なく神山の前から走り去って行った。


 神山と別れた佐竹は、瑞樹達の集団から距離をとり尾行していると、体育館から少し離れた校舎裏に入って行く。

 佐竹は物陰に隠れ瑞樹達の様子を伺うと、そこには平田と思われる男と瑞樹が立ち止まって向かい合っていた。


 少し離れた物陰からでも、瑞樹が平田を睨みつける表情がハッキリと見えた佐竹は、あんなに怒りを表に出す瑞樹を初めて見たと、ゴクリと喉を鳴らしながらスマホを掘り出し、震える手でスマホを耳に当てる。

 佐竹は間宮に連絡をとり、瑞樹達の居場所を伝えてスマホをポケットに戻して、加藤達には連絡をしなかった。

 どう考えても、この場に女の子が駆けつけてもどうにかなるとは思えない。加藤達の瑞樹を思う気持ちを考えると心苦しさはあったが、それよりも彼女達の身の安全を優先した。


 (――僕……僕はどうしたいい?このまま間宮さんが駆けつけるのを待った方がいいのか!?)


 ◇◆


「一応訊くけど、私に何の用?」


 校舎裏で平田と対峙している瑞樹が腕を組み、睨みつけながらそう言う。


「何の用って決まってんだろ? あの時の再現だ! もう一度だけチャンスをやるよ!」

「再現? チャンス?」

「あぁ! 改めて言うぞ? 俺の女になれ! 瑞樹!」


 平田は不敵な笑みを浮かべ、瑞樹にかなり顔を近付け命令口調でそう要求する。


「は?」

「返事はよく考えてからした方がいいぞ。返答次第でこれからお前に起こる死にたくなる事態を、回避出来るかもしれねえんだからなぁ!」


 平田は受け入れざる負えない脅しを、瑞樹に突きつけてきた。


「正気? ここをどこだか分かってる? いくら人気ひとけが少ない場所っていっても、騒ぎ方を選ばなければ誰かが気付くと思うんだけど?」

「まぁ、普段ならそうかもしれないけどなぁ! でも今から神楽優希のライブが始まるんだぜ? 大声なんか出しても誰も気が付かねえよ!」


 ドンッ!ドンッ!ドンッ!


 体育館の方からライブが始まる直前で、オーディエンス達のテンションを煽る為に、ドラムがリズムを刻む音が聞こえてきた。その音が鳴りだした途端、会場のボルテージが上がり大歓声がここまで響き渡ってくる。

 その大歓声が聞こえる会場を指さして、平田は悪人面でニヤリと口角を上げて、瑞樹の希望を打ち砕くようにそう言い切る。


「んで? 俺の女になる決心はついたよな? 瑞樹?」


 もはや性欲を丸出しにした顔をした平田が、瑞樹の体を舐めまわすようないやらしい視線を絡ませ、更に顔を近付けようとした時だった。


 パンッ!!


「誰がお前のモノになんかなるか!!」


 瑞樹は平田の顔を力いっぱい平手打ちをお見舞いして、大声で叫ぶように平田の要望を拒絶した。


「おい! いい加減にしろよ! この女!!」


 平田の周りにいた仲間の1人が瑞樹に詰め寄ろうとしたが、平田は手を伸ばして仲間を制止させて、再びいやらしい薄ら笑いを浮かべる。


 そして瑞樹にとって、あまりにも想定外の事を平田の口から発せられる。


「なぁ、瑞樹よ。――あのキーホルダーってまだ大事に持ってんのか?」

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