第16話 Cultural festival act3  ~開催~

 23日 午前7時前。


 通い慣れてきたメイン通りを小走りで駆け抜けると、目的地の小洒落た佇まいの建物が見えてきた。

 店の前に到着した瑞樹は、店のドアを開けずに勝手知ったる何とやらと、裏口に続く通路を駆け降りた。


 通路が開けて広い場所に出ると、店の裏口に見知った車が横付けされている。


「大谷さん! おはようございます!」

「うわっ! ビックリした! って……あれ? 瑞樹ちゃん!? こんな所で何やってんの? 文化祭は?」

「勿論行きますよ! でもその前に我がカフェの看板メニューの積み込みを手伝いに来たんです」


 瑞樹はそう宣言して、工房に向かう。


「いやいや! 昨日だって遅くまで手伝ってもらったのに、そんな事なでしなくていいって……あんまり寝てないんだろ?」


 瑞樹は大谷の制止に素直に応じるように、クルっと振り返る。


「大丈夫ですよ! まだまだ10代ですからね!」


 全然盛り上がっていない力こぶらしき物を得意気に見せ、瑞樹は若さをアピールすると大谷は観念したのか、瑞樹に積み込みの指示を始める。

 滞りなく積み込みを終えた大谷は、電車と徒歩でここに来た瑞樹を車に乗せて、配達先である英城学園に向けて車を走らせた。


 車が走り始めて暫くして、何度目かの信号待ちをしている時、大谷が何やらガサゴソと漁りだした。


「どうせ朝飯食ってないんだろ。朝はちゃんと食べないと頭も体もしっかり働かないぞ! 学校に着くまでまだ時間があるから、それ食っときな」


 大谷はそう言って、漁っていた物を隣に座っている瑞樹に手渡した。

 それは大谷の店のロゴが印刷されている、昨日瑞樹が持ち帰り用に使用した紙袋だった。

 瑞樹はキョトンとした様子で袋を受け取り中身を覗き込んでみると、中にはサンドイッチとまだ温かいメロンパンが入っていた。


「うわぁ! 美味しそう! このパン頂いていいんですか?」

「あぁ、積み込み手伝ってくれた賄いってやつだ。おっと、これもだな」


 そう話して缶コーヒーを瑞樹に手渡した。


 袋の中から焼き立てのメロンパンの甘い香りがする。

 その香りを目を閉じてゆっくりと深呼吸をするように吸い込むと、瑞樹の頭の中に幸せそうな顔をして、メロンパンを頬張る間宮がはっきりと浮かんできた。


 目を開いた瑞樹も、想像の中の間宮に負けない程、幸せそうに笑みを零す。


「やっと元気になってきたなぁ!」


 そう話しかけられてドキッとした。


「え? ここに来た時から元気いっぱいだったじゃないですか」


 瑞樹は少し慌てた様子で、大谷の言った事を否定した。


「そうだなぁ。元気に笑顔で積み込みしてくれたよな。――でもな、目が笑ってなかったぞ」

「――――!」


 今日学校に平田が来るかもしれない。

 その事がずっと頭にあって、瑞樹は昨晩もあまり眠れなかった瑞樹は、何でもいいから無理矢理にでも体を動かしていないと、不安に飲み込まれそうで怖かったのだ。

 

(――そう。これは自分の為にやった事で、大谷さんの事を気にしていたんじゃない……それなのに、キレイ事並べて……ズルいよ)


「……ははは……バレてましたか」

「まぁね。何があったのかなんて詮索するつもりはないけど、何でも1人で抱え込もうとするのは違うと思うぞ。迷惑をかけたくないとか考えてるんだろうけど、人間なんて生きてるだけで誰かに迷惑かけてるようなもんだんだからな!」


 大谷はそう話して、大きな手で頭を優しく撫でてくれた。

 大きな優しい手……まるで間宮さんに撫でられているようで、自分の意志に逆らって涙が零れそうになる。


「――ありがとうございます……パンいただきます」

「おう! しっかり食べて本番頑張れよ!」


 紙袋からメロンパンを取り出して一口かじると、甘いはずのパンが少ししょっぱい味がした。

 そんなメロンパンを食べながら、改めて今日という日を迎えるまでに、自分で決めた事を再確認する。


 昔の事を乗り越えないと、やっぱり先に進めないと改めて思う。

 いや、そうするべきだと思えるようになった。

 もう逃げるのは終わりにしよう。平田あいつが来るというのなら、逆にチャンスに変えてしまえばいいと、思えるようになれた。


(――もう、私は1人じゃないんだから)

 

 ◇◆


 英城学園があるE駅の前で、俺は松崎と待ち合わせて文化祭が行われる学校に向かっている。


「なぁ……松崎さんや」

「何だい? 間宮さんや」

「確かお前、高校の文化祭に行くなんて歳考えろとか言ってたよな」

「そういえば、そんな事言ったかもなぁ。それがどうかしたのか?」


 松崎と合流したのはいいが、今日の松崎の恰好に我慢が出来なくなった間宮は、少し棘を含んだ言い回しで話す。

 

「そんなお前が高校の文化祭に行くってだけでも意味が分からないのに、若い連中に対抗しようと無理なんてしないで、お前こそ歳考えた方がいいと思うんだけど……」

「は? 俺は無理なんてしてねぇし! いつもこんな感じだし!」

「いや、喋り方を真似してもキモいだけだからな」


 実際松崎の今日の恰好はかなり変だった。

 このクソ暑い日に、サマーニットとかいう被る意味を見いだせないアイテムを被り、おまけにコウモリなんて物をかけている。

 汗をダラダラ流して、こんな物を被っているのを間宮には無理をしているようにしか見えなかったのだ。


「もういいよ。好きにしろよ」

「言われなくても、好きにするし!」


 (まだその口調でいくつもりなんだな……)


 間宮は「はぁ」と深い溜息を吐きながら、周囲の痛い視線に耐えて学校に向かった。


 英城学園の正門前に到着すると、入場する前から長蛇の列が出来ていた。


「うへぇ……何だよ、この行列は!?」


 松崎が長蛇の列に眩暈がしたような仕草を見せると、間宮にはとうとう脱水症状でも起こしたように見えたのだが、その事を話すとまた拗ねそうだからと、黙っている事にした。


「多分チケットの確認に時間がかかってるんだろ」


 瑞樹から貰ったチケットを見ると、それが容易に想像出来た。

 きっと偽造チケットが出回っている事を、学校側も把握しているのだろう。


「ライブ会場に入るのは覚悟してたけど、学校に入るだけでもこれだもんなぁ……先が思いやられるわ」

「だから、無理してついてくる事なかったんだぞ? それに俺は瑞樹を守る為に来たんであって、神楽優希のライブの為じゃない」

「あぁ……分かってるよ」


 松崎のボヤキに付き合いながら30分程並んでいると、ようやく間宮達の番が回ってきた。


 間宮は手に持っていたチケットを受け付けに手渡した。


「はい。3-Aの瑞樹 志乃さんのご招待ですね」


 誰からのチケットかを確認した受付を担当している生徒は、手早くチケットにスタンプを押し半分に切り取り、その半券を間宮に戻す。


「この半券で今日一日何度でも再入場できますので、紛失しないように大切に保管しておいて下さい」


 どうやら再入場が可能なようで、間宮は受け取った半券を大事に財布の中に仕舞った。


「わかりました。暑いのにお疲れ様です」


 受付をしている女子生徒達を労い、柔らかい笑顔を見せながら校内に入った。


「ちょっと! 誰!? あのいい感じのお兄さんは!」

「うん! うん! あの笑顔ヤバいって! 流石あの瑞樹先輩の招待客って感じだよね! ……でも一緒にいた人も瑞樹先輩の知り合いなのかなぁ」

「それな! 暑いのならサマーニット脱いだらいいのに……汗だくじゃん!」


 受付の女生徒達は間宮と松崎を品定めするかのように、キャッキャとはしゃいでいたのだが、そこでもサマーニットの事に否定的意見が聞こえてきたのに、松崎はニットを脱ぐどころか更に深く被り直していた。


 間宮と松崎は受付で手渡された案内パンフを眺めながら、暫く歩いてベンチに腰を下ろす。


「さてと! まずはどうするよ。松崎さんや」

「ん~。お前って朝飯食ってきたか?」

「いや、今朝はちょっと寝坊したから、バタバタで飯食べてる時間がなかったんだ」

「そっかぁ。俺のまだだから、取り敢えず何か食いに行くか」

「だな! ボディーガードするにしても、腹が減ってはってやつだな。それじゃあさ! そのガード対象の女の子のクラスがカフェやってるらしいから、様子見がてら軽く何か食べに行ってみるか」

「おぉ! それはいいな! 誰を守ればいいのか分からないなんて、間抜けな話だもんな」


 行き先が決定して2人がベンチから立ち上がった時、間宮は訊き馴染みのある声に意識を向ける。


「間宮さ~ん!!」

「ん?」


 間宮は呼び止められた方に顔を向けると、大きく手を振る加藤がこちらに駆け寄ってくるのが見えた。


「おっはよ! 間宮さん!」


 そう挨拶する加藤の後ろに、馴染みのある面々の姿も見えた。


「おはよう、加藤。それに希ちゃんに神山さんに佐竹君。今日は団体さんだな」

「そうなんだ! 神ちゃんが神楽優希の大ファンなのを知ってたから、志乃がチケット二枚くれたんだ! まぁ佐竹はいつものオマケなんだけどさ」


 佐竹をオマケ扱いにした加藤は、ニヒッと笑みを浮かべた。


「オマケって酷くね?」


 ガックリと肩を落とす佐竹に、間宮は相変わらずだなと苦笑いを浮かべた。


「はっはっは! 君達は付き合ってるのかな? 仲いいねぇ!」


 そんな加藤と佐竹のやり取りを見ていた松崎が、何だか懐かしそうに微笑む。


「べ、別に付き合ってなんてって……あれ?」


 やはり暑かったのだろう。

 頑なに被り続けていたニット帽を脱ぎ、コウモリも外して汗だくの顔を拭き取っている松崎を見て、加藤が首を傾げていると、松崎もアッと声を漏らした。


「確か駐車場で声をかけた子だよね?」

「あ、やっぱり! そうです。確か……松崎さんでしたよね?」

「名前覚えてくれてたんだな。……え~と」

「あ、名前教えてなかったですね! 加藤愛菜っていいます」

「愛菜ちゃんか! よろしくな!」


 いきなり名前呼びされて驚いたのか、加藤は照れ臭そうに俯いたが、嫌がってる様子はなかった。


「ん? 2人って知り合いだったのか?」

「あぁ、ほら! 前に話しただろ? 間宮が合宿から帰ってきた日に、駐車場で間宮の居場所を訊いたって。その時話しかけた子が愛菜ちゃんだったんだ」

「あの時話しかけた子って、加藤の事だったのか」


 松崎の説明を聞いた間宮は、加藤との繋がりに世間の狭さに苦笑いを浮かべていると、今度は希が間宮に声をかけてきた。


「おはようございます、間宮さん。今日はお姉ちゃんの事宜しくお願いします!」

「おはよう希ちゃん。お姉ちゃんの事は心配しないで、折角文化祭に来たんだから楽しんでね」


 希はもう一度頭を下げてから、加藤の元に駆けていく。

 その希の目にうっすらと隈が出来ているのを見逃す間宮ではなく、少しでも早く安心させてあげたいと強く思った。


「おはようございます、間宮先生。お久しぶりです」

「神山さん、おはようございます。合宿以来ですね」


 まだ自分の事を先生と呼ぶ子がいた事に気付き、間宮は苦笑いを浮かべた。


「あの……間宮先生。松崎って人とはどういう関係なんですか?」


 何時も礼儀正しい佐竹だったのだが、挨拶をすっ飛ばしてそんな事を訊いてくるところを見ると、松崎の存在が相当面白くないのだろう。


「松崎は同じ職場の同期なんですよ」

「……そうなんですね」


 佐竹の目には、松崎の存在が要警戒人物に映っているのだろう。


 気が付けば瑞樹を除いた、天谷ゼミ合宿組がそろい踏みの現状に、間宮は笑みを零した。


 軽く談笑した後、間宮達が瑞樹のカフェに行くと話すと、加藤達もついて行く事になり、案内に従いながら皆で瑞樹のクラスである3-Aを目指した。



 目的のカフェ前に到着すると、文化祭が始まって間もない時間だった為、生徒達は自分達の催し物で忙しく、ここのカフェの人気を知らない一般の客が3組並んでいるだけだった。


 順番の最後尾に並んだ間宮は、カフェの入口を見ながら感心したように頷く。


「カフェにこれだけ並んでるなんてな。ここのカフェって人気あるんだな」


 腕を組んで感心する間宮に、加藤が素早く反応する。


「いやいや! 志乃に訊いたんだけど、昨日のプレオープンの時は開店と同時にこの廊下一本分の行列が出来たらしいよ!」

「マジか! そんな行列が出来るカフェってどんなカフェだよ!」


 とんでもない行列が出来るカフェだと聞いて、間宮より先に松崎が驚きの声を上げた。


 暫くして間宮達の順番が来て、教室のドアをスライドさせて店内に足を踏み入れると――。


「いらっしゃいだにゃあ! ようこそカフェ猫娘へ! お客様は何名ですかにゃ?」


 店内に入って来た猫娘姿の女子生徒が、元気に可愛らしく猫感満載で間宮達に声をかける。


「……え? 瑞樹……か?」

「んにゃ?」


 女子生徒は間宮の声掛けに、可愛らしく肉球を頬に当て首を傾げる。

 だが次第に笑顔を引きつり始め、最後には固まってしまった。


「うにゃっ!? ま、間宮さん!?」


 接客についた客が間宮だと分かると、一瞬で茹蛸猫娘が完成した。


「にゃ、にゃんでここに!? 私は厨房担当で会えないって言ったにゃん!」

「な、何でって朝飯でも食べようかって事になって……それなら瑞樹のクラスの売り上げに貢献しようと思ってな……」



 ついに始まった文化祭本番!

 まずはこんな先制パンチ的な出来事から――瑞樹にとって長い長い一日が始まった。

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