第12話 藤崎の未来 act 3

 ついにキタッ!


「そういえば、藤崎先生はどこにお住まいなんですか?」


 この質問を私は待っていた。

 しかも別れ際なんて、最高のタイミング!

 タイミングがあまりに良過ぎて、間宮さんも期待してるんじゃないかと思ってしまうレベルだ。


「も、最寄り駅はW駅なんですけど、そこから歩いて15分位のアパートなんです」


 間宮さんには、私が1人暮らしをしてる事は伝えてある。

 そしてこの時間に、駅からの徒歩時間を考えると――私は間宮さんの次の言葉に全神経を傾ける。


「歩いて15分か……」


 来い!来い!カモン!


「もうこんな時間ですし、藤崎先生が迷惑でなければですけど、自宅まで送りましょうか?」


 キタ――――!!


「め、迷惑だなんて……そうですね。それじゃあお言葉に甘えていいですか?」


 少し照れた顔を見せた私だったけど、間宮さんから見えない方の手はグッともう1度ガッツポーズを作っていた。


「勿論ですよ。それじゃ行きましょうか」

「はい!」


 満面の笑みで応えた私は、さり気なく間宮さんとの間にある空間を詰める様に寄り添って、自然な距離感を作りながら駅に向かった。

 


 O駅から電車に乗り込みW駅を目指す。

 平日のこの時間だけに、車内はガラガラで乗り込んだ場所から一番近いシートに体を預けた。

 それから色々な話をした気がするけど、私の意識は既に自宅前に到着した時の事でいっぱいになっていた。


 そんな邪な事を考えているうちにW駅に着き、電車を降りて自宅であるアパートを目指して歩みを進める。


 そういえば間宮さんはこの状況をどう思っているんだろう。

 私より年上なわけだし、こういうシチュエーションだって初めてってわけじゃないと思う。

 それなら私が何を期待しているのか……察してくれているんだろうか。


「こんな遅くまで連れ回してすみません。明日の仕事に差し支えないですか?」

「いえ、凄く楽しかったですよ。待たされた甲斐がありました」

「ははっ、耳が痛いです」


 フワフワと酔った私達は顔を見合わせて、楽しそうに笑い合う。


 うん!いい感じだ。


「送って貰っておいてこう言うのも変かもですけど、間宮さんこそ明日のお仕事大丈夫なんですか?」

「えぇ、仕事柄接待とかで慣れてますからね。年末年始なんて毎日午前様の生活になってしまいますから」


 そうだった。間宮さんは外回りの営業職だったんだ。

 それなら当然、接待もあったりするのだろう。

 間宮さん人当たりいいから、得意先でも引っ張りだこってイメージあるもんなぁ……。


「それは大変ですね。お体には十分に気を付けて下さいね。わ、私に出来る事があったら、何でもしますから遠慮しないで言ってください!」

「ははっ、ありがとうございます。でも大丈夫ですよ! 営業の辛いところではありますけど、それも仕事の内なので泣き言なんて言ってられませんからね」


 何でもする攻撃は、完璧にスルーされたかぁ……。


「あっ、ここが私の住んでるアパートです」


 私は足を止めて、自宅であるアパートを間宮さんに紹介する。


「そうですか。それじゃ、僕も帰りますね。おやすみなさい」


 私からの言葉に期待している様子は全く感じない。

 お約束の送り狼精神は微塵もないようだった事に私は少し凹んだけど、今はそんな事気にしてる場合じゃない!


「あ、あの!」

「はい?」

「よ、よかったら私の部屋でお茶でもどうですか? す、少し酔いを醒ましからの方がいいかなって……その……」


 は、恥ずかしい……。

 はしたない女って思われたかな……。

 男の人を誘うなんてした事がなかったから、こんな時どんな顔したらいいのか分からないよぉ。


「……嬉しいんですが、あまりゆっくりしてると電車が無くなってしまうので、今日はこれで失礼します」


 ――そうなのだ。間宮はそう言うと思っていた。

 なのに、何も対策を思い付かなくて必死に引き留める言葉を絞りだそうとしていると――そんな私を見兼ねたのか、神様が助けの手を差し伸べてくれたかのように、突然さっきまで星が見えていた空から大粒の雨が降ってきた。


「ま、間宮さん! 早くこちらへ!」


 突然の雨に慌てていた間宮を、藤崎はアパートの正面玄関の中に案内する。


 マジか!こんな事ってあるの!? 

 確か今日の天気予報って降水確率10%だったはず……。

 これは神様が応援してくれてるとしか思えない。


「おかしいなぁ。今日って晴れ予報だったはずなんですけど」


 うん。私も同じ天気予報観てたから、知ってる。


「あ、間宮さん。これ見て下さい」


 そう言って、間宮にアメダスを開いたスマホを見せた。

 小さいが丁度雨雲が私達の住んでいる場所にかかっている。


「ゲリラ豪雨ってやつでしょうか。でも、この分だと少し待っていれば止むと思います」


 間宮さんも私のスマホを覗き込みながら、うんうんと頷いている。

 これなら自然に部屋に誘える口実を得る事が出来たはずだ。


「藤崎先生。申し訳ないのですが、必ず直ぐに返しますので、傘を貸して頂けませんか?」


 まだ抵抗しますか……。

 でも、神様がくれた、このチャンスを逃すつもりはありませんよ!


「すみません。お貸ししたいのは山々なんですが、先日の雨が降った時にゼミに忘れてきてしまって、家に傘がないんです」


 嘘だ。大嘘だ。

 傘はウチに玄関口にしっかりと鎮座している。

 だが、下駄箱が邪魔をしている為、覗き込まないと傘立ては見えないはずだから、バレる事はないだろう。


 こんな咄嗟に嘘をつく事に良心が痛まないわけではないけど、今はそんな悠長な事を言っている場合ではない。


 ――私は今日、勝負するって決めてるんだから!


「それにこの分だと、珈琲を飲んでいる間に止みますから、やっぱりウチで雨宿りしていって下さい」


 お願い!

 お願いだから、ここで止むのを待つとか言わないで!


「……そ、そうですね……。あの、本当にお邪魔じゃないですか?」


 ――あぁ……神様……ありがとうございます。


「も、勿論です! 是非ゆっくりしていって下さい!」


 私は少し上ずる声も気にする事なく、間宮さんの気が変わらない内にとそそくさと部屋に案内した。


「い、今お茶を用意しましから、適当に座っていて下さいね」

「あ、いえ、お構いなく」


 良かった。余計な出費だとカップを1つだけ購入しようとしたけど、来客がないとは言い切れないからと、もう1つ珈琲用のカップを買っておいて……本当に良かった。


 珈琲を淹れてキッチンからリビングに戻ろうとした時、間宮はキョロキョロと見渡す事もせずジッと正座してテーブルに視線を落としていた。


 女が男を部屋に入れたら、何が一番恥ずかしいかというと、部屋をキョロキョロと散策される事だったりする。

 それを知ってか知らずか、間宮は一切そういう事をせずにジッと一点を見つめていた。


「……インスタントですが」


 少し言葉に詰まりそうになったけど、無事にカップを間宮さんの前に置けた。

 

「すみません。いただきます」


 不思議な感じだ。

 強引に連れ込んだのは自覚してるんだけど、私の部屋に間宮さんがいて、私が淹れた珈琲を飲んでいる。

 降っている雨が窓を激しく打ち付ける音が聞こえる。

 その状況が、一層この部屋に私達2人だけという事を意識させてくれている。


 いい年をしてとは自分でも思う。

 思うけど、そんな今の自分が好きなんだ。


 今日、間宮さんと会ってからずっと楽しかった。

 これからもこんな時間が続けばいいと思ってる。

 でもそれは友人としてではなくて、1人の女として扱われたい。


 ――――だから……私はこの先が欲しい。


「あ、あの……間宮さん」

「はい。何ですか?」

「さっきお店で、実家に戻って顔を見せろって言ったじゃないですか」

「えぇ、言いましたね」

「その時、実家に間宮さんも来て貰えませんか?」


 私は思い切って両手をギュッと握りしめながら、勝負にでた。


「え? それってどういう……」

「実家に一緒に来てもらって、両親に紹介したいんです。――この人が真剣に交際している恋人だ……って」

「――――」


 ようやく一緒に来て欲しいと言った意味を、理解してくれたようだ。

 鈍い人だとは思ってたけど、ここまでとはね……。


 少しの沈黙が流れ、降り続けている雨が相変わらず激しく窓を叩く音だけが響き渡り、その音が今の私の気持ちを加速させていく――そんな気がした。


「……あっ、えっと。雨止みそうにないですね……。そろそろ終電なので、濡れずにというのは諦めてそろそろ失礼します」

「――それなら泊まっていけばいいじゃないですか」


 間宮さんがそう言うのは、この場を逃げようとしているのは分かってる。

 でも、もう止まれない私は、後戻り出来ない爆弾発言を投下した。


「ははっ……な、何を言ってるんで――」


 うん。そう言うんだろうね。

 でも、この気持ちは止まらないんだよ……間宮さん。


 私は感情の赴くまま、玄関に向かって私に向けていた背中に顔を埋めて、両手を彼の腰に回した。


「親に紹介したいと思う程、本気で貴方の事が好きです。もし……もし私の気持ちを受け入れてくれるのなら……私は構いません」


 構わない……ううん。私がこの人に抱かれる事を望んでいるんだ。

 私の全部を知ってもらって、間宮さんの全部を知りたいから……。


「……藤崎先生。お気持ちは嬉しいのですが……僕は……」

「――間宮さんの気持ちが私に向いていない事は、分かってるつもりなんです……。でも、ここで断られても……諦めたくありません。だって今、誰かとお付き合いしてるわけじゃないんですよね?」


 断わられる覚悟はしていたつもりだった。

 でも、この腰に回した手を解きたくない。

 間宮さんの温もりを誰かに渡したくない。

 まだ誰かのものになっていないのなら、先の事なんて誰にも分からないじゃない。


 ――だから、今は私の告白を断らせるわけにはいかない。


「……そうですね。僕は誰とも、お付き合いしているわけじゃありません」


 そう話す間宮の声から、微かに泣き声が混じっている気がした。


「確かに藤崎先生に気持ちは向いていません。というより……誰にも気持ちを向けていません」


 間宮さんの言葉に驚いた。

 私はてっきり瑞樹さんに気持ちが向いているとおもっていたから。


 予想外の言葉に腰に回していた手の力が緩んでしまったのか、間宮さんはそっと私の手に触れて、優しく抱擁を解いてゆっくりを顔を真っ赤にした私に振り返った。

 

「僕は誰かを好きになる資格がないんです……ですから藤崎先生の気持ちに応える事は出来ません……ごめんなさい」


 こんな深い悲しみを滲ませた顔をした間宮さんを、私は今まで見た事がない。


「――え?」


 自分の気持ちを打ち明けた後、間宮さんからの返答を色々と想定していたけど、この返答は完全に想定外だった。

 誰も好きにある資格がない?

 どういう事なにか、さっぱりわからない。


 間宮さんの言った意味が分からずに、私はただ立ち尽くす事しか出来なかった。

 

「それじゃ、僕はこれで失礼します。珈琲御馳走様でした……おやすみなさい」


 間宮さんは立ち尽くす私にもう1度頭を下げて、玄関のドアを開けると、少し小降りにはなっていたけど、雨はまだ止んでいなかった。

 

 玄関を開けて振り続ける雨音が大きく聞こえたのをきっかけに、我に返った私は慌てて隠す様に置いてある傘立てに手を伸ばす。

 

「あ、あの、これ使って下さい」


 私は隠していた傘を躊躇なく、濡れて帰ろうとする間宮さんに差し出した。

 こんな事をしたら、間宮さんがどう思うか分かっていたけど、そんな事より彼に風邪をひかれる方が嫌だったんだ。

 

「え? 傘は置き忘れたんじゃ……」


 予想通り反応に、私は観念して頬をポリポリと掻いた。

 

「あ、あはは……まぁ、なんというか……そういう事……です」


 そんな私を見て、間宮さんにも考えていた事が伝わったようで、困った顔を向けられてしまったけど、彼はその事について何も言わずに傘を受け取ってくれた。

 

「それじゃ、失礼します」

「あ、あの傘はもう一本ありますから、駅まで送らせて下さい」

「ははっ、そんな事してもらったら、ここまで送ってきた意味がなくなるじゃないですか」


 それもそうかと諦めた私は、追いかけようとした足を止めた。


「き、今日はありがとうございました……それと困らせてしまってごめんなさい」


 彼を騙した罪悪感はあったから、素直に謝りはした。

 だけど、後悔はしていないし、ましてや諦めてなんていない。

 

「いえ、さっきも言いましたが、藤崎先生のお気持ちは本当に嬉しかったので、謝られると困ります」

「――で、でも!」

「これからも仲良くして頂けると、嬉しいです」

「……い、いいんですか?」

「勿論です! これからもとして宜しくお願いします」

「……はい。こちらこそ宜しくお願いします」


 ……友人か。

 まぁ、嫌われたり、軽蔑されなかっただけでも、今回はよしとしよう。

 勿論友人で終わる気なんて全くないし、次のチャンスを手放す気もない。

 だけど、今はホッとしている彼に気持ちをこれ以上乱したくなかったから、大人しく間宮さんに小さく手を振ってみせた。


 間宮さんはニッコリを微笑んでから、駅に向かって歩いていく。

 その間、もうこっちを見てくれる事はないんだろう。

 見慣れた傘を、彼の背中が少しづつ小さくなっていく。

 私は姿が完全に見えなくなるまで見送った後、雨を降らせ続ける空を見上げた。

 

 夜空を隠した分厚い雲から、雨粒が落ちてくる。

 そんな雨と共に泣きたい気分のはずなんだけど、何故か泣けなかった。

 それは多分、自分自身を拒絶されたわけではなくて、間宮さん自身の心に問題がある事に気付いたからだろう。


 私がどうこうではなく、誰の侵入をを許さない扉のような物が、彼の中に確かにある。

 その扉の正体までは分からないけど、その扉を開ける事が出来れば、彼の気持ちを私に向けられるかもしれないと、考えてしまったから、涙が全く零れないんだ。


 泣いてる場合じゃないぞと、雨がそう語りかけてくれている事にしよう。


 だって――まだ諦めたくないんだもん。

 まだ、私は全力を出し切ったわけじゃないんだから!


 私は自分にそう強い誓いをたてると、いつの間にか分厚い雲の隙間から小さな星が顔を覗かせていて、降り続いていた雨も止んでいた。

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