第11話 藤崎の未来 act 2

 久しぶりに間宮さんの顔を見ながら、美味しいお酒を飲めている。

 少し前まで連日のようにしていた事なのに、今夜はあの時とは酔い方が違う。

 それはきっと以前は同じ講師仲間としてであって、今は1人の女として間宮さんの隣にいるからだ。


 勿論男性と2人で食事をしたり、お酒を飲んだりするのは初めてではない。

 寧ろ一般的な平均と比べたら、場数的には圧倒的に多い方だと思う。

 でも、ドキドキ感と安心感がこんなに仲良く同居した状態になったのは初めてで、それがきっと私の心を捉えて離さない彼の魅力なんだと思う。


 心地の良いジャズが流れる店内で、間宮さんと色々な話をした。

 でも昔の話ばかりで未来の話をしていない事に気付いたのは、店に入って2時間程経過した時だった。

 その間、間宮さんもそんな話題を振ってくる事はなかった。


 彼の意図は解らないけど、私は意図的にその話題を避けていたと思う。

 話し出してしまうと、その時点で間宮さんとの関係を進めたくて、関さんと楽しんでいる場の空気を壊してしまうのが怖かったからだ。



 ――今は、先の話はいい。


 その前に自分の事をもっと知ってもらう為に、これまで殆ど周りの人間に話した事がない事を訊いてもらいたいと、少し会話が途切れたタイミングで話題を変えた。


「あの……実は私、教師だったんです」

「え? そうだったんですか?」

「はい。地元の中学校で教鞭をとっていたんですが、目指していた世界と違う気がしてすぐに退職してしまったんです……勝手に辞めたりしたから、親に勘当されてしまったんですよね……はは」


 あの時は間違った事をしていないと思ってたから、親が怒ってまさか勘当されるとは思わなかった。

 次の仕事も決まってないのに、辞表を撤回してこないんだったらすぐに出ていけって追い出されてしまって、お金がなかったからあの合宿では生活の為に必死だったんだ。


「……そうだったんですか。それであの時、あんなに必死だったんですね」

「お恥ずかしい限りです……」

「いえ。そうとは知らずにあんな事言ってしまって、すみませんでした」

「謝らないで下さい。間宮さんは何も間違った事言ってないんですから……それに……あの時の間宮さんは、私の理想像だったんです」

「理想像?」

「……はい。私は生徒達と向き合って、一緒に悩んで導いていくような熱血教師に憧れて教師の道を目指したんです。でも……現実は生徒より保護者の反応ばかり気にする毎日でした。モンスター化した保護者に騒がせないように気を付けろ……毎日そればかり聞かされてました」

「そうですか……。理想と現実と言えば簡単なんでしょうけど、教師になると頑張ってきた分、辛かったんでしょうね」

「えぇ……そんな生活が本当に嫌になって、辞表を叩きつけて辞職したんです。その事で父を凄く怒らせってしまって、悪いのは自分だと分かっていたんですが、売り言葉に買い言葉ってやつで……」


 駄目だ……。

 私の事を知って貰おうと話し出したけど、話せば話す程……負け犬の遠吠えにしかなっていない……。


 こんな話してたら――引かれちゃう。


「ご、ごめんなさい! こんな話つまらないですよね……ははっ」

「……いえ、そんな事ありませんよ」


 聞いてくれる。こんな重い話を……真剣に耳を傾けてくれている。


「それで勘当同然で家を飛び出してしまったと……」

「はい……。幸い私の友達の殆どが1人暮らししていたので、その友達を頼って転々と泊まり歩きながらバイトでお金を貯めて今のアパートを借りたんです。でも生活が苦しくて就活どころじゃなくて、バイトで食いつなぐのがやっとで……。そんな時に偶々始めた塾講の仕事がシックリきたんです」

「教師も講師も勉強を教える事には、変わらないですからって事ですか?」

「えぇ。塾の生徒達は目標があって、皆そこを目指して頑張っている。そんな生徒達の空気に刺激を貰ったんです」

「それで天谷さんの所に?」

「はい! 勿論雇用条件が良かったのもあるんですが、一番に理由は天谷さんに憧れたんです」


 バイト先の講師仲間に聞いたんだ。

 天谷という人物の事を。

 講師達の間では有名人で、バイトの講師からゼミのバックである親会社の社長にまで昇りつめた、天谷のサクセスストーリーに鳥肌が立ったのを覚えている。


 その当時あのゼミは弱小塾で、生徒数も少なく講師のギャラも安いものだった。

 当然有能な講師は他の進学塾から良い条件で引き抜かれて、残ったのは他に行く所がない講師達の吹き溜まりになってしまっていた。

 そんな最底辺に落ちぶれたゼミに、講師のアルバイトとして入ってきた天谷が革命を起こしたと聞いている。

 まだstorymagicのような特別な講義方が確立されていたわけではなかったが、それでも当時としては革新的な講義を積極的に展開した結果、半年後には塾生の成績が右肩上がり大幅に上がったそうだ。


 そんな天谷はその後も次々とゼミの空気を変えていき、生徒達だけではなく、腐っていた講師達の目の色を劇的に変えて見せた。

 ついに天谷が現れて1年足らずで関東エリアで知る人ぞ知る、有名進学塾に成長させたのだ。

 経営陣は挙って天谷に正規雇用を打診したのは当然だった。

 天谷は講師はバイトだけだったゼミで、超異例の好条件を勝ち取り、初の正規雇用講師となった。


 それから僅か2年で都内でトップ3の実績を残すようになり、毎年多くの生徒を抱えるまで急成長を遂げた。

 この快挙は親会社のトップにまで届き、現場を離れ経営側へ上がれと辞令を言い渡された天谷は、現場はこれまで育てた講師達に任せて経営業務に就く。

 経営側に移っても天谷の快進撃は止まらず、次々に革命を起こし、気が付けば全国展開するまでの有名進学塾に成長を遂げた。


「天谷社長は経営者としても超一流ですし、講師としても僕の師匠にあたる方ですからね。同じ女性の藤崎先生が憧れるのは当然だと思います――ただ」

「ただ……なんですか?」

「あの地位まで昇りつめるのに、他の全てを犠牲にしたのも事実としてあるんです。例えば結婚して女性の幸せってやつを手に入れる事を諦めたと仰ってました」

「……そうですよね。あれだけの事を成し遂げる為、色々な事を犠牲にされたんでしょうね……」

「えぇ……僕達では想像も出来ないようなご苦労があったと思います」

「はい。私はそこまでの覚悟があるわけではありませんし……け、結婚にだって憧れがあります。ただ社長に現場は藤崎に任せておけば安心だと言って頂けるようになるのが、私の当面の目標なんです」


「その目標は藤崎先生なら必ず成し遂げられるよ!」


 少し席を外し気味の位置でグラスを磨いていた関が、突然2人の会話に入って来た。


「そ、そうでしょうか……」

「あぁ、何たって若い頃の天谷さんと同じ目をしているからね!」


 関は藤崎の目を真っ直ぐに見つめ、ニッと白い歯を見せた。


「そういえば、僕は社長が専務の時からしか知りませんが、確か似てるかもしれませんね」


 間宮もそう言って藤崎の目をジッと見つめると、藤崎はアワアワと慌てたが、視線だけは逸らす事なく、間宮と向き合った。


 間宮さんの優しい瞳が、私の目線から離れない。

 こんなに見つめられる事なんて、初めての事で心臓が破裂しそうになる。

 でも、そんな気持ちとは逆に間宮さんの目を見ていると、吸い込ませそうになる。

 この表現は普通男性が女性に対して使う言葉だと思うけど、間宮さんの瞳の奥に宿る優しさ感じると、自然と距離を詰めたくなってしまう。


 そして――何故か、目から涙が流れ落ちてしまった。


「え? 藤崎先生!? ど、どうされたんですか!?」


 慌てる間宮さんを見て、自分が涙を流している事に気付いた私は、鞄からハンカチを取り出して涙を拭き取った。


「あははっ どうしたんでしょうね……私……すみません」

「いえ、大丈夫ですが、何か気に障る事言ってしまいましたか?」

「違うんです……間宮さんは何も悪くなんてないんです。ただ、こんな事言ったら怒られるかもですが、間宮さんに見つめられていたら……何だかお父さんを思い出してしまって……」

「お、お父さんですか!?」


 間宮さんは私がそんな事を知ってしまったせいで、カウンター席からガクッと落ちそうになってしまった。


「あはははっ! 間宮君がお父さんかぁ。それはいいねぇ!」

「関さん!!」

「ご、ごめんなさい! 決して間宮さんが老けているって意味じゃなくてですね……。間宮さんの目が優しくて――優し過ぎて、何だかお父さんに守られてるような気がしてしまって」


 私は必死にフォローしたつもりだけど、話せば話す程マスターの関さんのニヤリとした笑みの深さが増していく気がした。

 

「うんうん! 藤崎先生の言ってる事は解るよ。間宮君は若いのに、妙に安心感を与えてくる所があるよね」

「そ、そうなんですよ。私の事をそんなふうに見てくれる人って初めてだったので、何だか混乱して失礼な事言ってしまってすみません」


 私はそう言って、顔を引きつらせている間宮さんに頭を下げた。

 

「ははっ。驚きましたけど、別に怒ってるわけじゃありませんから、謝る必要なないですよ。それより……藤崎先生」

「はい」

「近い内に一度ご実家へ戻って、御両親に顔を見せてきたらどうですか?」

「……実家にですか。そんな事しても、また父に怒鳴られるだけですよ」


 砕けた顔を見せていた間宮さんが、突然に少し真剣な表情でそう言うものだから、私は実家の両親を思い出して、気分を少し落とした。

 そんな私を見て、間宮さんは手元のグラスに視線を落として話を続ける。

 

「表面上は色んな父親がいると思いますが、娘をもつ父親なんて根っこは皆同じですよ」

「根っこは同じ?」

「はい。根っこの部分は、娘の事が心配で心配で堪らないんですよ。世界中の父親は娘の幸せだけを願っているんだと思います」

「どうして、そう言い切れるんですか?」

「僕の父がそうだからです。心配だからこそ、安全なレールを引いて導きたがるんです。心配だからそのレールから外れようとすると怒るんです。決して娘を自分の所有物として扱っているから怒るわけじゃないんです――心配だからこそ、大切な娘の事が信じきれない愚かな生き物なんですよ……父親ってのはね」

「心配だからこそ、娘の事を信じきれない……」


 間宮さんの語り部を聞いて、私は呪文のようにその言葉を繰り返す。


「ははっ。耳が痛い話だね。僕も高校生の娘をもつ父親として、間宮君の言う父親心理が間違っているとは言えないね。娘にしてみれば迷惑な考えに聞こえてしまうかもしれないけど、父親ってのはそういう生き物なのかもしれないね」

「……関さん」


 関さんが独身であるはずの間宮さんの言う事に賛同したのか、私達の会話に割り込んで苦笑いを浮かべている。

 きっと女には分からない感情なのだろうと、私は関さんを見上げた。


「間宮君も、偶にはいい事言うようになったもんだね」

「偶にはって……僕だって色々と思うところがある年頃なんですよ」


 間宮さんはいかにも不満気な顔つきで、関さんに空いたグラスを渡しながら、同じカクテルを注文して、関さんがニヤリと笑みを浮かべながら差し出されたグラスを受け取っている。

 本来のバーというものは、客が空いたグラスをバーテンに渡したりしないものなんだけど、それをするのは余程2人は気心が知れているのだと思うと、私は何だか可笑しくなって思わず笑みを零して、飲みかけのカクテルを一気に飲み干した。


 ――今夜のお酒は本当に美味しいな。


「そうですね……そうかもしれませんね。分かりました! 近い内に時間を作って実家に戻ってみます!」

「えぇ。ご両親にこれまでの事を報告すべきですよ。腹を割って話し合えば、きっと応援して下さるはずですから」

「はい!」


 本当はずっと気になっていた事だった。

 喧嘩別れのように飛び出したっきり連絡を取っていなかったのだから、当然だとは思うけど、近しい人がその事を気にしてくれるというのは、こんなに嬉しいものなんだと初めて知った。


 まるで憑き物が取れたような気分になった時、頼んだ覚えのないカクテルが空いたグラスの代わりにそっと運ばれてきた。

 

「え? こんなカクテルなんて頼んでないですよ?」


 頼んだ覚えもないし、こんな色をしたカクテルも見覚えがなかった。


「うん。それは僕のオリジナルカクテルでね、エールって名前のカクテルなんだ」

「エール?」

「そう! 僕が応援したいって思ったお客にだけ作るカクテルね。藤崎先生のこれからの未来を応援したくなったから、作ってみたんだ。勿論これは僕からのサービスだから」

「……関さん。ありがとうございます」



 関さんの気持ちが嬉しくて、不覚にも鼻先がツンとしてしまった。

 私はその感覚を誤魔化す様に、差し出されたカクテルを口に運んだ。

 

「とても美味しいです……凄く優しい味ですね」

「ありがとう。これを飲んで頑張って! 仕事の事も御両親の事も――それから彼の事もね」


 うえっ!? そりゃバレてるよねぇ……。


「ん? 彼の事って誰の事ですか?」


 この流れでも気が付かない鈍感系主人公の彼を好きになってしまって、この先も苦労するんだろうなと溜息をついた。

 

「まったく……もう三十路を迎えようとしている男が、そんな事も気付かないなんて……まだまだ子供だね、君は」


 関さんは私の気持ちを代弁するかのように、溜息交じりに注文されていたテキーラ系のカクテルを間宮さんの前に置くと、私にそっと同情の目を送ってきた。

 

「この歳で子供扱いされるとは……」


 関さんに子ども扱いされた間宮さんはショックを受けていたようだったけど、これに関しては私も関さんと同意見だったから、何もフォローなんていれずにしょげている間宮さんをクスクスと笑ってやってから、エールが入ったグラスを手に持って、間宮さんのグラスにチンッと微かに音がする程度に当ててから、話題を変えてあげる事にした。

 その後も楽しい時間が続き、気が付けば結構な量のお酒を呑んでしまっていた。

 本来なら付き合ってもいない男性と二人で飲んでいる場合、お酒の量を抑えるのが鉄則なんだけど、もしこのまま口説かれても全く問題ないというか、寧ろウエルカムな私は全く気にする事がなかった。


「あ、もうこんな時間か。そろそろ帰りましょうか」


 間宮さんにもう22時だと言われて、私もいつの間にといった感じで驚いた。


「え? もうそんな時間ですか!? 何だかあっという間でした」

「そうですね。楽しい時間はいつもあっという間に終わっちゃいます」


 間宮さんは関さんにチェックを告げて、何も言わずに財布を取り出す。

 関さんも当然のように、私には聞こえない声量で間宮さんにだけ金額を伝えているようだった。

 流れ的にも、紳士的にも間違っていない対応なんだろうけど、私は見せかけではなく割り勘にしようと財布を取り出したんだけど、間宮さんが素早く全額を関さんに支払い、私の財布をさり気なく押し戻してきた。

 

「今日は僕がドタキャンしたお詫びなんですから、ここは僕に払わせて下さい」

「いえ! ドタキャンのお詫びは食事に付き合って貰うって事であって、御馳走してもらう事ではありません。なので、今日は絶対に受け取って貰いますから」


 この前のランチも御馳走になったんだし、今日は私が強引に誘ったんだから、絶対に今日の支払いは引くつもりはなかいと告げると、私の気持ちを察してくれたのか、間宮さんは苦笑いを浮かべて観念してくれたようだ。

 

「わかりました。それじゃ今日は割り勘という事で、受け取ります」


 間宮さんは半額だけ受け取ると言ったけど、私は全額支払いたかった。

 でも、これ以上は譲れないという空気を読んで、私は渋々だったけど、半額分のお金をい間宮さんの手渡した。

 

「ははっ! 間宮君も藤崎先生の前だと形無しだねぇ」

「そうなんですよ……。知り合った時から、藤崎先生には勝てる気がしないんですよ」


 そう話す間宮さんは、私に向かって降参のポーズを見せたけど、ハッキリいって私は間宮さんに勝った事なんて1度もありませんけど!?


「え? 知り合った初日にお説教くらったのは、私の方なんですけど!?」


 合宿の時に話を引き合いに出すと、その時の状況を思い出したのか間宮さんが吹き出したから、私も思わず笑ってしまった。

 笑いが収まったところで、関さんに挨拶を済ませて店を出た。

 通りはもう殆ど人影がなくなっていて、時間の遅さを時間しながら、私達はO駅に向かって歩き出す。

 

「……そういえば、藤崎先生はどこにお住まいなんですか?」


 ついにキタ!

 心待ちにしていた台詞が間宮さんの口から出た時、私は思わず彼に見えない方の手をグッと握るのを合図に、作戦実行モードにスイッチを切り替えるのであった。

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