第10話 藤崎の未来 act 1

 夏休みが終わり、制服を着た学生達が街に溢れ始めた9月上旬。

 受験生である瑞樹達は、9月に入ってから本格的にセンター対策に取り組む中、文化祭の準備に追われているようで、O駅で少し会った日から、瑞樹はマメにメッセージを送ってくるようになった。


 今日はこんな事があって大変だったとか、数学の公式が頭から抜け落ちていくだとか日頃の愚痴が多かったが、瑞樹からのメッセージを読んでいると、何だか高校生の頃を思い出してしまい、思わず笑ってしまう。


 多忙を極める瑞樹とは対照的に、間宮は仕事が落ち着いていて比較的に穏やかな生活を送っていた。

 今日も定時で退社してO駅に向かいながら瑞樹のメッセージの返信を書いていると、着信がありスマホの画面が切り替わる。

 着信者の名前を見た時、間宮の足が止まった。


 (――ヤバい……忘れてた)


 間宮の足を止めた原因――それは画面に表示された藤崎先生と登録された登録名だった。


 夏祭りをドタキャンした時、藤崎が訴えるような表情でだされた条件。


『この合宿が終わったら、近いうちに食事に付き合ってもらえませんか? これが私からの条件です!』


 あの時の藤崎の台詞が鮮明に蘇るのと同時に、ゴクリと喉を鳴らす間宮の顔色が悪くなっていく。


「も、もしもし。間宮です」


 間宮は覚悟を決めて、藤崎の電話に出た。


「……藤崎です」


 声のトーンが低い。もう聞いた事がない程に低い。


「こ、こんばんは」

「……はい。こんばんは」

「あ、あの――」

「間宮さん」

「は、はい!」

「私の要件は解って……ますよね?」

「え、えぇ……すみません。中々時間が取れなくて……今月に入ってからは落ち着いてきたので、近いウチに連絡しようと思ってたんです」

「本当に? ただ忘れてただけじゃなくて?」

「そ、そんなはずあるわけないじゃないですか……はは」


 白々しい事は重々承知しているが、忘れてたとは、どうしても言えない間宮だった。


「はぁ、もういいいですよ……それで? 食事いつにしますか?」

「えっと……急で申し訳ないのですが、今晩って空いていますか?」

「え? 今晩ですか? え、えぇ……今日はお休みだったんですけど、特に予定もなかったから、1日部屋の掃除をしていただけなので」

「ははっ! それなら食事の約束、これからどうですか?」

「これからですか? 私は構いませんが、間宮さんがお休みの週末になると思ってました」

「それだと、藤崎先生が仕事で大変じゃないですか。僕も今仕事終わった所なんですよ」


 突然の誘いだったが、藤崎は快諾してくれて19時にO駅前で待ち合わせる事になった。

 待ち合わせ時間まで時間を潰す為に駅前のカフェに入り、鞄に忍ばせていた文庫小説を取り出したが、内容が頭に入ってこない。


 藤崎との約束を忘れてしまっていたのは、加藤達から頼まれた事が原因だ。

 瑞樹を平田って奴らから守る。

 大袈裟な話だとは思うが、瑞樹の妹の希って子の話を訊いていると、強ち眉唾とも思えない自分もいたのだ。

 それは合宿中に見せた瑞樹の行動を見ていれば、何となくだか分かる事でもあったからだ。


 瑞樹の過去に何があったのかは知らされていない。

 だが、その過去の傷に触れそうな事があると、瑞樹は過剰な反応を見せていた。

 夏祭りでチンピラに絡まれた時、それを助けた後の行動を見てもそれは明らかだ。


 過去から救うなんて大層な事が出来るなんて、間宮は思ってない。

 だが、何かきっかけを作る事は出来るのではないかと、最近の間宮はその事で頭がいっぱいだったのだ。

 

 だから平田って奴が接触してきたとすれば、間宮はこう思ってしまう。


 ――――好機なんじゃないかと。


 カフェの店内から駅前を眺めながらそんな事を考えていると、駅から乗客達が出てくる中に、藤崎の姿を見付けた。

 間宮は手早く会計を済ませて、店を出て藤崎の元へ向かった。


「こんばんは、藤崎先生」

「こんばんは。見当たらないから、またドタキャンされたのかと思いました」

「はは……もうキャンセルはしないって言ったじゃないですか」

「そう約束しましたけど、私との食事の約束を忘れてた人ですからねぇ」


 ある程度は覚悟していたが、会うなり早速の棘しかない言葉に、間宮は苦笑いを浮かべるしかなかった。


「えっと……店なんですけど、藤崎先生は希望とかありますか?」

「いえ、なので間宮さんにお任せします」

「そうですか。ならこの前ランチしたsceneはどうですか? もうバータイムになっているので、合宿の時みたくゆっくりと飲めますよ」

「sceneですか! いいですね」


 エスコート先がお気に召したのか、藤崎の声が少し上向いたように聞こえた間宮は、ホッと胸を撫で下ろした。


 ◇◆


 突然のお誘い。

 まぁ、私が催促したからなんだけど……。


 もしかしてとは思ってたけど……ホントに忘れていたなんて……。

 何だか眼中にないって言われてるみたいで……正直ショックだったかな。

 合宿最終日なんて、私なりにアピールしたんだけどなぁ。


 今までは恋愛に悩む事なんてなかったし、男に困る事もなかった。

 放っておいても、次々に寄ってくる男達の中から、選ぶ立場だったから。

 そんな私が必死に1人の男を追いかけてるなんて……ね。


 辛い事や苦しい事が多くて、疲れる事ばっかりなのに、間宮さんの声が聞けただけで、直ぐに復活するんだもん……単純だよね。

 今の私を昔の友達が見たらどう思うんだろ。やっぱりイメージと違うって笑われるだろうか……。

 でも、もし笑われても気にならないかな。だって、今の私が結構好きだったりするから。


 多分だけど……初めて男の人を好きになったんだと思う。

 今まで付き合ってきた人が好きじゃなかったわけじゃないんだけど、心のどこかでスペックを気にしてて、その人の上っ面が好きだったんだって思うんだ。


 でも、間宮さんは違う。

 勿論、素敵な男性だとは思うけど、決して外見や肩書を見ているわけじゃなくて……あの人の奥から滲み出てくる温もりが欲しいんだ。


 それはそうと、今日はどこへ連れて行ってくれるんだろ。O駅前ならレストランより、居酒屋が多いはず。


 そこで私はある仮説を立てる事にした。


 もし間宮さんが私との食事にsceneを提案したら、ワンチャンあると思っていいはずだ。何故なら、あそこはバータイムも1度行った事があるけど、かなりムードの良いバーだったからだ。

 そんな店に誘うとしたら、少なくとも女として意識していると判断しても、大きく外れているって事はない……と思いたい。


「いけない! 早く支度しなくちゃ!」


 何となく間宮さんは清楚系が好きなイメージがあるから、これとこれの組み合わせでいいか。

 派手な印象を与えずに、かと言って地味にならない程度には主張したい。


 ――という事は……こんな感じかな!


 全身鏡で髪型やメイクに服装をチェック!


「うん! いい感じ!」


 全くこの年になって、恋する乙女みたいな顔をした私を見る事になるなんて……思いもしなかったな。


 支度は完璧だ。

 後はと、自分の部屋を見渡してみる。

 偶然だったけど、今日部屋の掃除しておいてよかった。

 2人共いい大人なんだし、盛り上がってそのまま……って事が起きたって不思議じゃない。うん! ぜんっぜん不思議じゃない!


 いや!もしかして、彼の部屋にって事も……?

 確か1人暮らしだって言ってたはず。


 間宮さんの部屋で、間宮さんがいつも入っているシャワーを浴びて、間宮さんがいつも寝ているベッドで……。


 ハッ!! もうこんな時間! 妄想してる場合じゃなかった!


 私は慌てて玄関に向かい、お気に入りのヒールを履く。

 いつも見慣れている部屋を再度見渡して、グッと気合いを入れて家を出てW駅に向かい始める。


 アスファルトにヒールが乗る度に、コツコツと軽い音が周囲に響く。

 帰りはこの音と、男物の靴音が混じる事を願いつつ、想い人の間宮を想像した。


 ――もし、どこにでもあるファミレスやガヤガヤと喧しい居酒屋に誘われたら……帰ろうかな……。


 ◇◆


「おや? いらっしゃい。間宮

「お、お久しぶりです。関さん」

「そんな硬い挨拶なんてよして下さいよ。間宮先生」

「……杏さんから聞いたんですね」

「まぁね。でも間宮君って実際先生とか向いてると思うよ」

「揶揄わないで下さいよ」

「ん? 何で疑われてるのかな?」


 悪戯っぽく間宮を揶揄っていた関が、間宮の隣にいる藤崎に目を向けた。


「こ、こんばんは」

「藤崎先生……ですよね?」

「え? 私の事覚えてくれていたんですか?」

「勿論ですよ。先生の歓迎会をウチでやってくれたんですから。席はここでいいですか?」


 関は自分が立っている正面のカウンター席に、手を添えた。

 間宮も小さく頷き、藤崎を自分の隣の席を勧める。


「間宮先生はビールからかな?」

「だから先生は止めて下さいよ」


 先生呼びを拒否した間宮は、ビールを注文しながら苦笑いを浮かべた。


「藤崎先生は何作りましょう?」

「あ、えっと……じゃあ私もビールお願いします」

「かしこまりました」


 店内は平日という事もあり、仕事帰りのサラリーマン風の客が数人グラスを傾けているだけで、比較的落ち着いた雰囲気の中で、ジャズが心地よく耳に響いていた。


「それにしても、間宮君と藤崎先生が知り合いだったとはねぇ。間宮君も隅に置けないな――こんな綺麗な女性と一緒で驚いたよ」


 関はフワフワのきめの細かい泡が、黄金対比の割合でグラスに注がれたビールを2人の前に差し出して、しみじみとそう話す。


「関さんが考えてる関係じゃないですからね!」

「とか言ってぇ?」

「違いますから! あといい年なんですから、無理して若者の話し方なんてしなくていいですから」

「失礼な事言うねぇ。気持ち的には間宮君より若いつもりだよ?」

「あのねぇ……」


 間宮と関のやり取りに、藤崎は笑いを堪える事が出来ずに吹き出した。


「藤崎先生も笑ってないで、否定して下さいよ」

「ふふっ、ごめんなさい。でも、そう思ってくれるのは、私的には光栄ですけど」

「……藤崎先生まで」


 藤崎と関が笑い合っているのを見て、間宮は藤崎と関が馴染んだ事に安堵した。

 話題を変える目的で、間宮は藤崎にこの店のお薦めメニューの紹介話を持ち掛けた後、一通りオーダーを通した2人は、まずは大好きなビールで乾杯した。


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