第6話 Birthday act 2

 ヴェルダンを出て、瑞樹は「そうだ」と大事な用事を思い出して、時計に視線を落とすと、丁度14時を指していた。


「どしたん?」


 加藤がそんな瑞樹を覗き込む様に、訊いてくる。


「うん。ちょっと寄りたい所がこの先にあるんだ」

「寄りたいとこ? どこなん?」

「パン屋さん。ちょっと試食したいパンが焼きあがったはずなんだよね」


 まだ食べるのかと呆れていたが、お腹も心も満たされたけど、このパンだけは逃すわけにはいかないのだ。


「んじゃ、私達もお付き合いしましょうかね」

「え? いいよ。皆今日の為に色々と準備してくれて疲れてるでしょ」

「いいから! いいから!」


 瑞樹はパン屋の同行を遠慮したが、結局加藤達の押しに負けて、お目当てのメロンパンを試食する為に、再び通りを歩き出し店に向かった。


 小さな店だからと、加藤達を店の前で待たせて瑞樹だけ店内に入ると、焼きあがってまだ余り時間は経っていないというのに、お目当てのメロンパンが既に1個だけになっていた。

 瑞樹は慌てて残り1個をトレーに乗せて、ホッと息をつきながらレジで精算を済ませて、店を出た。


 時計を見ると14時30分を指していて、焼き上がり時間が14時だったはずだから、何個焼きあがったのかは不明だが、僅か30分でほぼ完売していたという事になり、瑞樹は期待を膨らませて加藤達の元へ向かう。

 早速、紙袋からギリギリ買えたメロンパンを4等分に千切って、加藤達に手渡した。


「メロンパン?」

「そう! ここのメロンパン凄く人気があるみたいで、店頭に並んでもすぐに完売してしまうらしいんだ。だから、どうしても試食したくてね」


 瑞樹の説明を聞き終えた3人は、ほぼ同時にメロンパンを口に運ぶと、全員の動きが止まる。


「美味しい! え? 何これ! ホントにヤバい!」

「うん! こんなに美味いメロンパンって食べた事ないかも!」


 加藤と神山が絶賛して、佐竹も美味しそうに頷きながら味わっていた。


 (――うん。ホントに美味しい! これは文化祭じゃなくても、間宮さんに教えてあげたくなるよ!)


 瑞樹も一口食べて、このパンに出会えた偶然に感謝した。


「うん! 絶対にこのお店と取引したい!」

「取引って?」


 瑞樹が嬉しそうに店を見上げていると、メロンパンをモグモグと食べながら神山が首を傾げた。


「実は今年の文化祭で、ウチのクラスはカフェをやる事になったんだけど、カフェをやるクラスって多いから他のクラスにはないメニューを探ってて、外部から菓子パンを仕入れる事になってね。それで仕入れるショップを探してたんだ」


 神山が瑞樹の説明に、うんうんと頷いていると、加藤の目がキラッと光る。


「その提案したのって……志乃でしょ?」


 加藤の言葉に、瑞樹の肩がピクっと跳ねる。


「な、なんで?」


 動揺を隠そうとすればするほど、激しく目が泳いでしまっている。


「パンの仕入れをする事になったら、普通はサンドイッチとか調理パンになるでしょ? でも調理パンじゃなく菓子パンに、しかもピンポイントでメロンパンを仕入れるって提案したのは、絶対に志乃しかいないっしょ!」


 加藤の名推理が尽く的を得ていた為、瑞樹は下手に否定する事を諦めて詳細を話し出した。


「……そうだよ? クラスの皆が豪華な打ち上げをする為に、凄くやる気満々だったから、私も協力しようと思って提案したんだ」


 まだ目が泳いでいる瑞樹に、加藤の笑みが深くなる。


「表向きはそうなんだろうけど、志乃の本当の狙いは違うよね?」

「え? そ、そんな狙いなんて……ないって!」


 どうしても泳いでしまう目線を、加藤から豪快に逸らして否定したが、パンを食べ終えて指先をペロっとなめていた神山が「本当の狙いって?」と喰いついてきてしまった。


「ふっふ――志乃の本当の狙いはね……美味しいメロンパンを餌に、間宮先生を文化祭に誘う事なんだと、私は睨んでるんだけど――違う?」

「――ち、違くて」


 否定しようとした瑞樹だったが、加藤の推測を聞いていた神山達から何の反応もない事から、もうとっくに自分の気持ちがバレているのだと気付いた瑞樹は、観念して否定する事を止めた。


「ち、違くはないんだけど……その……わ、私が一方的に憧れているだけっていうか、出来れば最後の文化祭だし……一緒に回ってくれないかなって思って――」


 顔を真っ赤にして両手の人差し指をツンツンと合わせながら、本音を3人にぶっちゃける瑞樹の肩に、ポンと神山が手を添える。


「あははっ、もう可愛すぎでしょ! 瑞樹さんは!」

「そ、そんな事ないから! 18にもなってこんな事でいちいち恥ずかしがってる自分が情けなくて――」


 本心から自分が情けないと項垂れる瑞樹に、加藤は苦笑いを浮かべる。


「瑞樹さんが、どうして自分に自信が持てないのか知らないけどさ。初めて会った時から勿体ないなぁって思ってたんだよ。瑞樹さん程の女の子がそうなってしまったのは、きっと色々あったんだと思うけど、もっと自信を持って回りくどい事しないで、正面からぶつかっていけばいいと思うよ!」

「……でも、間宮さんは――」


 瑞樹が何を言いたいのか察した神山は、瑞樹が最後まで話そうとしている事を途中で遮る。


「年齢差の事だよね? 確かにあれだけの大人の人が高校生の文化祭に来るってのは、想像しにくいとは思うけどね……でも瑞樹さんがちゃんと誘えばきっと来てくれると思うな」


 優しい表情でそう言ってくれる神山に、頬を染めて目を逸らす瑞樹は、まだ半信半疑のようだ。


「大丈夫だよ! 自信もって頑張れ!」


 すると加藤も神山の話を推すように、瑞樹に発破をかける。


「……う、うん。そう……だよね? やってみないと分からない……よね!?」


 瑞樹が確認するようにそう言うと、加藤と神山はうんうんと頷いてくれた。


「愛菜、神山さん、ありがとう! 私頑張ってみるね!」

「うん! 頑張れ!」


 瑞樹の宣言を受けて、加藤と神山はニカっと笑みを見せピースサインで応えた。


 その後も少しだけ探索を続けた後、W駅の前で解散した瑞樹は一旦貰ったプレゼントを自宅に置く為に帰宅すると、希がテレビを見ながら寛いでいた。


「ただいま」

「あ、おかえり」

「今日初めて降りた駅前で、美味しそうなシュークリームが売ってから買ってきたんだけど、食べる?」

「え!? シュークリーム!? 食べる! 食べる!」

「じゃあ、珈琲淹れるね」

「あ、私が淹れるよ!」


 ソファーから飛び出した希は、慣れた手つきで珈琲をドリップし始めた。


 ドリップした珈琲のいい香りが、リビングに広がっていく。

 鼻歌を歌いながら珈琲を淹れている希を見ていると、口止めされているバースデーケーキの事を話しそうになる。


「そういえば、今日って愛菜さん達主催の誕生日会だったんでしょ? どうだったの?」

「え? あぁ、凄く楽しかったよ! 友達のお父さんが経営しているステーキハウスでビーフハンバーグ御馳走になったんだけど、今まで食べた事がない美味しさだったんだ。今度家族で行こうよ!」

「へ~! そんなに美味しかったんだ!」


 希は瑞樹の方を見ずに、珈琲を淹れるのに集中しながら、楽しそうに頷く。

 それから瑞樹は話すのに、少し戸惑いながらも誕生日会の話を続けた。


「最後に店内でバースデーソングが流れだしてね、愛菜達がそれに合わせて歌ってくれて、周りのお客さん達も手拍子してくれてね。スタッフから愛菜達からってバースデーケーキを運んで来てくれて……凄く感動して泣きそうになっちゃった」


 そう話して、希の反応を待つ。


「それ凄いじゃん! 今まで誕生日会ってやって貰えなかった分、纏めてやってきた感じで、よかったじゃん!」

「――うん」


 瑞樹はあの時、あのケーキが希からだと知らされた時の事を思い出し、泣きそうになるのを必死で堪えた。


「よし! 珈琲淹れたから、シュークリーム食べようよ! お姉ちゃん!」


 希は2つのマグカップをリビングのテーブルに運びながら、瑞樹を呼ぶ。


 (――ありがとう、希。本当に嬉しかったよ――)


 リビングのソファーから手招きして、自分を呼ぶ希に心の中で感謝した。


 普段は自分勝手で天真爛漫な希だけど、根は思い遣りがあって、凄く優しい女の子なんだ。ただ、人一倍照れ屋で、意地っ張りなところがあるだけ。


 そんな本当の妹を家族以外が知ってくれている。その事実が何だか瑞樹は嬉しかった。


「お姉ちゃん! 早く食べようよ!」


 希に催促されて我に返った瑞樹は、リビングに向かい希が淹れてくれた珈琲を啜る。


「アチッ!」


 希の事に意識が向かい過ぎて、珈琲を冷まさずに口に運んで舌を少し火傷してしまい、ペロっと出した。


 希は目をキラキラと輝かせて、シュークリーム選びに余念がないようだ。


「そんなに必死に選ばなくても、お姉ちゃんお腹いっぱいだから、私の分も食べていいよ」


 そう言うと、希が物凄い速さでこちらに顔を向けた。


「ホント!? ホントに貰っていいの!? 嬉しい! 今月お小遣いピンチだったんだよね! いっただきまぁす!」


 (――無理してホールケーキなんて、買うからじゃない……ホント馬鹿なんだから)


 心の中でそう呟くと、また涙が滲んでくるのを必死に堪えて、嬉しそうにシュークリームを頬張る希にニッコリと微笑んだ。


「ほらっ! カスタードが口の周りに付いてるでしょ! そんなに慌てなくても誰も取ったりしないから」


 希は拭いてくれと言わんばかりに口を突き出すと、瑞樹は溜息をつき苦笑いを浮かべて、指でカスタードを取り除き、自分の口で舐めとると、さっき火傷した舌が少し染みて顔を歪めた。


 希はそんな瑞樹と、瑞樹は子供の様な希を見て、お互い吹き出して笑い合った。


 ◆◇


 その日の夜、予定通りゼミの講義を終えた瑞樹は、教わりたい箇所があった為、今日講師をしていた藤崎を捕まえて、いくつか質問をしていた。


「――どう? これで理解出来たかな?」

「なるほど。だから訳し方が変わったんですね……ふんふん、解りました。ありがとうございます」

「どういたしまして。相変わらず英語頑張ってるみたいで、嬉しいわ」


 (――やっぱり、あの時と同じ口紅の色だ……)


 不意に藤崎の口元に意識が向き、瑞樹はあの時の疑惑が確信に変わった。


「それじゃね。気を付けて帰りなさいよ」

「ちょ、ちょっと待って下さい」


 手を小さく振り、講義室を出ようとした藤崎を、瑞樹は思わず呼び止めた。


「ん? まだ解らないところがあるの?」


 呼び止められた藤崎は、顔だけ瑞樹に向けてそう尋ねる。


「いえ、あ、あの……いつもその口紅使ってるんですか?」

「口紅? ん~……最近こればっかり使ってるけど……どうして?」


 藤崎は首を傾げて、瑞樹の返答待っている。


「えと……合宿から帰ってきた日にも……その――」

「??」

「い、いえ……やっぱりいいです! すみません。失礼します!」

「え? ちょっと、瑞樹さん!?」


 瑞樹は呼び止められているのを、聞こえないふりをして、慌てて講義室から立ち去った。


 ゼミを出て駅に向かうと、かなり遅い時間でオフィス街のこの通りの人通りは疎らだった。


 トボトボと歩きながら、怖くなってあの時の真相を訊けなかった事を悔やむ。もし自分の想像通りの返答が返ってきた時、自分はどんな顔をしたらいいのか、想像するのが怖かった。


 以前の自分なら、あっさり身を引いていたのかもしれない。

 でも、間宮の事だけは引けない――引きたくない。

 自分にとって間宮という存在が、どれだけ大きな存在になっているのか、知ってしまったから……。

 だから間宮の事だけは、自分から白旗を振って諦める事だけはしたくはない。

 例えどんな結果になったとしても、結果から逃げる事だけはしないと、瑞樹は改めて強い決意を胸にした。


 ◆◇


 O駅に着いた瑞樹は、ホームで電車を待っている間、すっかりルーティンになったいつものキーホルダーを転がし、間宮との出来事を思い出していた。思い出せば思い出す程、どれだけ間宮に心を奪われているのか痛感する。

 でも、少し前なら想像もした事すらない、今のこんな自分が結構気に入っている。


 電車に乗り込み、最寄り駅であるA駅に到着する頃には、今日の誕生日会での出来事はすっかり思い出に変わり、頭の中は間宮一色に染まってしまっていた。


 (――会いたい――一目だけでもいいから……会いたい)


 溜息をつき改札を抜けて、ポツポツといた乗客に交じって駅を出た時、瑞樹は帰宅を急ぐ足をピタリと止める。


「――遅くまでお疲れ」


 目の前に現れた人から、声をかけられた。

 ずっと聞きたかった、低くて耳に馴染む安心させてくれる声。

 止まった足がゆっくりと、声をかけてきた人の元へ歩みを進める。



 「――間宮さん」

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