第4話 スーパーサプライズ!

 まだ薄暗い時間、瑞樹の自宅にあるキッチンから心地よい音と、良い香りが立ち込める。

 やがて日が昇り、窓から差し込む朝日の光が綺麗なダークブラウンの髪を、鮮やかに照らす。

 お気に入りのエプロンを脱いで、テーブルに並べた朝食を瑞樹は満足そうに眺めた。


「うん! こんな感じかな」


 今朝の朝食は、アジの開きに卵焼き、サラダと豆腐の味噌汁にご飯と和食を準備した。

 リビングを出た瑞樹は、同じ1階にある両親の寝室に向かい、一応ノックはしたが予想通り反応がない為、寝室に入りカーテンを開けながらグッスリと眠っている両親に声をかける。


「お父さん、お母さん。起きて! 朝ごはん冷めないうちに一緒に食べようよ!」


 何時も寝起きがいい両親は、瑞樹の声にすっと目覚めて上体を起こした。


「おはよう、志乃」

「志乃、おはよ。いつもごめんね」

「おはよ! 好きでやってる事だから気にしないで。お茶淹れて待ってるね」


 カーテンをしっかりと結び終えて、瑞樹はパタパタとスリッパを鳴らしてリビングへ戻ると、チョコンと希がテーブルに着いていて目をキラキラと輝かせながら、配膳を終えた朝食を眺めていた。


「あれ? 休みなのにこんな時間に起きてくるなんて、珍しいじゃん」

「おはよ、お姉ちゃん。何か凄くいい匂いがしてたから、起きちゃったよ」

「アンタはまったく……。あ、そうだ。後かたずけ希に頼んでいい?」

「いいけど、どっか行くの?」

「今日登校日なんだよ。まだ支度出来てなくてさ」

「あぁ、なるほどね。りょ~かい」


 全員分のお茶を淹れ終わった頃に、両親もダイニングへ現れ4人揃って手を合わせ声を揃えた。


「今朝は和食か! 美味そうだなぁ!」

「ほんとね。ありがとう。志乃」


 今日1日の予定を話しながら、朝食を終えた瑞樹は片付けを希に頼み、自室へ戻って久しぶりの制服に袖を通すと、何故だか少し緊張した。


 そうじゃない。ホントは緊張しているのは久しぶりに学校に行くからじゃない。

 登校前に期待している事があるからだ。

 だから、いつもより念入りに身だしなみに気を使って、準備万端になったところで玄関へ降りる。

 これも久しぶりになるローファーに足を通しながら、リビングの方に「いってきます!」と声をかけると、リビングのドアが開いて、母が顔だけひょっこりと出してきた。


「いってらっしゃい。気を付けてね」

「は~い!」


 瑞樹は元気に玄関を出た。

 今日は単なる登校日なのに、ペダルを漕ぐ足に力が入る。

 時間的にかなり余裕がある時間に家を出たから、急ぐ必要なんてどこにもない。なのに、何故瑞樹は急いでいるのか……。


 それはA駅に別の目的があったからだ。


 駅前の駐輪所に着いて、急いで契約しているスペースに自転車を停めた瑞樹は、少し呼吸を乱しながら自分の場所から少し離れた場所をチェックする。


 少し期待してた。


 急いでいたのは、ホームでいつもの時間の電車が来るまで待っていれば、あの人に会えるかもしないと……。

 だが、その駐輪スペースには、すでにあの人の物と思われる自転車が停められていた。という事はもうすでに出勤した事になる。


 「え~!? もう会社に行ってるの!? 早過ぎるよ――」


 あの人の自転車のサドルにそっと触れながら、瑞樹は落胆の溜息をつく。

 最寄り駅が同じだから、登校時にバッタリなんて事を期待していたのだが、ドラマや映画のようにいかない現実を突きつけられてしまった。

 このままここにいても仕方がないと、まだ登校するには早い時間だったが、瑞樹はトボトボと学校へ向かう事にした。


 久しぶりに学校の門を潜り、ムッとする暑い廊下を歩いていると、廊下や教室から元気な笑い声や、楽しそうな話声が聞こえてきて、相変わらず皆元気そうだなと、周りにいる同級生達の姿を眺めながら教室へ向かった。


 教室へ入ると、すぐに麻美が駆け寄ってきた。


「おはよ、志乃! 久しぶりじゃん!」

「おはよう。久しぶり……て」

「ん? どしたん?」

「おいおい、麻美さん? 夏を制す者は受験を制すって、受験生の有名なスローガンって知ってる?」

「へ? あぁ、うん! 勿論知ってるけど?」

「じゃあなに? 受験生のはずの麻美が、何で夏を満喫しましたって感じに真っ黒に日焼けしてるのかな?」

「――あ、いや~これは……その~」

「これは? 何かな? ん?」


 麻美は苦笑いを浮かべながら、何やら鞄から取り出した物を瑞樹に差し出す。


「これ! お土産になります! 志乃さん!」

「ちんすこう? 沖縄に行ってたの?」

「わ、私はね! 今年は受験生だからって断ったんだよ? でも親が息抜きも必要だってきかなくてさぁ」

「流石は麻美の親だね……言ってる事麻美と同じじゃん! それで? 沖縄はどうだったの?」

「いやぁもうね! 超楽しかったよ! 時間がゆっくり流れてる感じがして、もう受験生だって事を完全に忘れてたね」

「いやいや! 忘れちゃ駄目でしょ!」


 ニシシ!と笑う麻美に苦笑いを受けべながら、荷物の整理をしていると、麻美が少し不思議そうな顔を向けてきた。


「ねぇ志乃」

「ん~?」

「何かあった?」

「うん? 何かって?」


 麻美の問いに荷物の整理を中断させた瑞樹は、キョトンと首を傾げて麻美を見上げた。


「う~ん……うまく言えないんだけどさ、いつもの志乃と違って遠慮がなくなってるっていうか、前は言葉を選んでるって感じがしてたんだけど、それが無くなってきてる……みたいな?」

「……そ、そっかな」


 ハッとした顔を見せた瑞樹は、言葉を選ばなくなったと言われた原因を思い当たってみると、真っ先にあの人の顔が頭の中に浮かび、頬を染めて俯いた。


「ほ~ん……ナイスなリアクションだねぇ」

「な、何が?」

「――男だな?」


 麻美のその一言に、瑞樹の方がビクッと反応して、更に顔を真っ赤に染め上げた。


「お、おい! マジか!?」


 麻美のリアクションに、鎌をかけられた事に気付いた瑞樹は、しまったと背中に冷たい汗が流れるのを感じた。


「合宿か! 合宿でしょ!? ウチのアイドルを落とせる奴なんて、この学校にはいないからね! で? どこの学校の男なん!? 麻美さんに話してみ?」

「だ、だから生徒じゃないんだって!」


 瑞樹は慌てて両手で口を塞いだが、勿論手遅れだった。


「え? え? 生徒じゃないって……え? なになに!? もしかして講師といい感じになったの!?」


 もう麻美の目が今まで見たことがない程、キラキラと輝いているのを見て、瑞樹は悪寒を感じられずにはいられなかった。


「ち、違うって! ホントに誰とも何もなかったんだってば! ホントだよ?」


 背中に流れる汗の量が増えていき、心臓が捥がれる思いだったが、とにかく最後までシラを切り通そうと、必死に否定し続けた。

 そんな時、担任が教室に入ってきた為、取り調べは一時中断を告げた麻美は、放課後必ずランチに付き合うようにと、すでに決定事項になっているからと言い残して席に戻って行った。


 ホームルームが始まり、簡単な連絡事項を済ませた後、すぐに主題である秋に行われる文化祭の決議に入る事になった。

 ここからは担任は端に寄り、クラス委員長、副委員長、書記が教壇に立ち議題の進行を務めた。


 討議が始まり、クラスの生徒達は熱心に議論を交わしていたが、瑞樹は文化祭に関係ない議題を脳内で会議を始めていた。


 (ヤバい……つい焦って変な事口走っちゃったな。ランチに行ったら、摩耶達にも問い詰められるんだろうなぁ……。逃げたりなんてしたら、後が怖いしなぁ――はぁ……)


 脳内会議が行き詰まり、シャーペンをノックして芯を出したり戻したりしながら、ぼんやりと黒板に書かれている文化祭の決定事項に目をやると、脳内会議が緊急中断され、一気に意識が現実に戻った拍子に出していた芯をポキッとへし折ると隣の席から「イテッ!」と聞こえた。だがそんな事は無視して、黒板に書かれている内容をワナワナと震えながら睨みつける。


 黒板には、クラスの出し物が決定していて、その内容が書かれてあった。


 うちのクラスはカフェをやる事になったようだが、名前が少しおかしい。


 (猫カフェ?違う……猫耳カフェ?

 ……耳?……猫耳?――猫耳ってあの耳?)



 カフェの正体を理解した瑞樹は、机をガタッと揺らした。

 マズいと唸る。あんな物を付けて接客する自分を想像するだけで、死にたくなる気分になった瑞樹は、ようやく会議に意識を集中した。

 

 危機感を覚えた瑞樹は、分担をこれから決めていく段階だった為、率先して調理担当の厨房係を希望しようと慌てて挙手した時、役割分担の項目に信じられない事が書かれている事に気付き、瑞樹は自分の目を疑った。


 役割分担は10種類に分けられていて、どの分担の欄もパッと見は白紙に思えたのだが、よく見てみると、何故かホール担当の欄にポツンと瑞樹 志乃と書き込まれていたのだ。


「ちょ、ちょっと! 何でまだ何も話し合いしていないのに、私だけ担当が決まってるのよ! しかもホールって……私あんな耳付けて接客なんて絶対に嫌だからね!」


 瑞樹は勢いよく席を立ち、進行役の委員長に猛抗議すると、委員長だけでなく副委員長に書記まで首を傾げた。


「何言ってんだ? さっき話しただろ?」

「へ?」


 委員長は胸を張って言う。

 最後の文化祭は皆でいい思い出を作る為に、豪華な打ち上げがしたい。その為には激戦区だが、当たれば一番利益が出るカフェにするしかないと。

 更に委員長は続ける。

 ただ普通のカフェをやっても、事前に入手した情報によると下級生もカフェをやるクラスがあるようで、すでに夏休み前から動いているらしく、受験を控えた3年は出遅れていると首を振り項垂れる。


 だが、そんな激戦区に敢えて参戦しようとするのは、出遅れている我がクラスにも十分な勝算があるからだと力説した。

 その根拠は、ウチのクラスの女子達は他のクラスと比べてレベルが高い事。特に瑞樹をエースとして動かせば、必ず集客が見込めると確信していると教壇で提案すると、瑞樹を除く全員が唸ったらしい。


 だが勝手に決めるわけはなく、本人に打診したけど、当の本人は何度声をかけてもボケっとしていて無反応だった為、他のクラスメイトは満場一致していた事もあって、強制的に瑞樹を配置が決まったと涼しい顔で告げられた。


 決して勝手に決めたわけではない。会議をしているのを承知の上で、ボケっとしているのが悪いと言われたら、流石の志乃も二の句が継げなくなり、渋々抗議の手を下ろすしかなかった。


 その後も会議が続き各自配置が決定した後、次は提供するメニューに移る。とりあえずカフェの定番メニューを一通り準備する事はすぐに決まったのだが、他クラスにはない独自のメニューが欲しいという話になり、ここで会議は行き詰ってしまった。


 奇抜なアイディアは多数出たのだが、どれも高校の文化祭で提供するのは現実的ではない案ばかりで、打開策を見いだせないまま益々難航していく中で、瑞樹がピンッと閃いた。


 瑞樹は挙手して席から立ち上がり、皆にある提案を持ち掛ける。


「パンをメニューにするのはどうかな?」

「パン? それは確かに面白そうだけど、パンを焼く設備を準備するのは無理があるだろ」


 アイディアを評価した委員長だったが、設備問題で瑞樹の提案を却下しようとしたが、瑞樹はすかさず話を続ける。


「手作りは無理だけど、外部から仕入れるのは可能じゃない? 一気に大量に仕入れる事を条件に出せば、仕入れの値段交渉も可能かもしれないし、他のクラスがやっていなければ、ウチのクラスの最大の武器になるはずだよ!」

「なるほど! 確かにその案はイケるかもしれないな。じゃあ定番のサンドイッチ辺りを仕入れて……」


 瑞樹の提案に興味を示した委員長が、具体的なパンの種類の検討を始めたが、瑞樹はサンドイッチの仕入れを却下して、更にプレゼンを続ける。


「サンドイッチみたいな調理パンは日持ちしないから、毎日仕入れる必要があるでしょ? それじゃ価格交渉も難しくなって、コストがかかってしまうんじゃない?」

「――それじゃ、どんなパンが瑞樹はいいと思うんだ?」


 瑞樹のプレゼンを熱心に聞いていたクラスメイトの男子が、腕を組みながら問うと、クラス全員がプレゼンに喰いついてきたのを確認した瑞樹は、ニヤリと笑みを浮かべる。


「菓子パンなんてどうかな? 菓子パンなら文化祭期間中でもラップしておけば最終日まで賞味期限の問題もないじゃない? それに菓子パンならお茶の時はスイーツ扱いになるし、ランチメニューにだって対応出来るんじゃなかなって思うんだけど!」


 瑞樹のプレゼンに、クラス中から唸り声が上がる。


「うん! いいな、それでいこう! 他に何か提案はないか? 瑞樹」

「そうね。仕入れるパンの種類はあまり増やさずに、5種類くらいにした方がいいかもね。あまり多いと売れ方が偏っちゃって、パンによってはかなり売れ残りがでちゃうかもしれないからね。それと店内で食べる用と持ち帰り用なんてあったら、他のクラスから買った食べ物と合わせるお客さんもいるんじゃないかって思う」

「それだな! 瑞樹の提案を採用しようと思うんだけど、皆はどうだ?」


 委員長はノリノリで、瑞樹の提案をクラス全体に賛否を投げかけた。


「それいいじゃん! 絶対武器になるって!」

「だよね! 菓子パンってのが可愛くていいかも」


 そんな意見が飛び交う中、瑞樹のプレゼンは全員一致で採用された。

 次に仕入れる菓子パンの種類を検討に入ったところで、瑞樹はここからが本番だと目を輝かせて、続けて挙手した。


「5種類の1つに、どうしても加えて欲しいパンがあるんだけど」

「パン販売の発案者は瑞樹だからな。優先的に採用するつもりだぞ。それで? どんなパンなんだ?」

「メロンパンを取り扱って欲しい! もし取り扱ってくれたら、さっきのホールスタッフの件。猫耳だろうが、メイド服だろうが、何でも着て接客するから!」

「……な、何でメロンパンなんだ?」

理由そこはスルーでよろしく!」

「うん? まぁいいか。皆はどう思う? 俺は特に問題ないと思うし、瑞樹に気持ちよくホールのエースを引き受けて貰えるのなら、願ったり叶ったりだと思うんだけど」

「いいんじゃね? 俺もメロンパン嫌いじゃないし」

「うんうん! 偶に無性に食べたくなる事あるもんね」


 メロンパンをラインナップに加える事に、異議を申し立てる生徒はいなかった為、瑞樹の案はあっけなく採用された。


 瑞樹は席に座り、周りに見えないように小さくガッツポーズを作る。

 表向きはクラスのカフェが成功する為に、アイディアを出した事になっているが、瑞樹の狙いは全く他のところにある。

 美味しいと評判のメロンパンを仕入れて、それを餌に間宮を文化祭に招待する。正面から一緒に文化祭を周りたいと言えない、小心者の瑞樹らしい姑息な作戦だった。


 (間宮さんと一緒に文化祭回れるのなら、猫耳ウエイトレスなんてお安い御用よ! ついでに猫耳姿の私を見て喜んでくれたら一石二鳥じゃない!私ってもしかして天才なの!?)


 今日の文化祭の会議はここで終了して、次回の登校日である21日の登校日に出店までのスケジュールを詰める事と、目玉である菓子パンの仕入れ先候補から集めた物で試食会を行い、仕入れ先を決定する事になった。


 担任が最後に纏めにかかったところで、チャイムがなるはずのタイミングだったのだが、チャイムは鳴らず、代わりに校内放送がスピーカーから流れ始めた。

 放送の内容は、文化祭の目玉イベントの告知だった。

 通年通りなら各自実行委員が制作したプリントが配られるだけだったのだが、今年は何故か校内放送での告知だった為、学校中がざわざわと騒めく。


 因みに目玉イベントとは、毎年外部からゲストを招いてメインイベントとして行っていた名物企画の事で、今年は物凄いイベントになると以前から噂されていた。


 その噂のベールがついに明かされる瞬間ときがきた。

 全学年の生徒達が、固唾を呑んで告知が行われるスピーカーを凝視する。


『文化祭実行委員会から、今年の目玉イベントの告知をさせて頂きます。今年の目玉イベントはなんと! 本校のOGである、あの神楽優希(かぐらゆうき)さんが、体育館にて単独ライブを行う事が決定して、現在調整にはいりました!!!』


 ――――――――――――――――


 放送に耳を傾けていた生徒達が秒で固まり、賑やかだった学校に一瞬の静寂が生まれる。


「――――え?」


 1人に生徒が小さく呟く声が、やたらと耳に届く。


 次の瞬間、学校中がまるで地響きかと錯覚する程の、大歓声に包まれた。


「うそだろ!? あの神楽優希がウチの学校で単独ライブ!?」

「ありえねえだろ! いくらOGだからって、あのカリスマがウチの体育館なんかでライブなんて!!」

「ギャ――――!! わ、私、超大ファンなんだけど!! 今からもう眠れないって!!」


 生徒達が歓喜に酔っている。蹲って泣き出す生徒までいる。


 生徒達が大騒ぎするのも、無理はなかった。


 神楽優希

 2年前突如メジャーデビューを果たし、独創的な音楽と若い世代を中心に感銘をうけている歌詞。女性も憧れる美貌、何より今までにないロックの切り口が話題になり、破竹の勢いでトップアーティストへ駆けあがった女性ボーカリスト。

 去年超メガヒットした映画の主題歌に抜擢され、爆発的な売り上げを記録した後、出す曲、出す曲ミリオンを連発している超人気ロックシンガー。

 今や武道館だろうがアリーナだろうが、ツアーを組めばチケットが発売前からプラチナ化してしまう程の、まさにロック界の若きカリスマ的存在。


 そんな彼女が文化祭のイベントでライブをやるというのだ。

 耳を疑う生徒がいても、何らおかしくはなかった。


 スーパーサプライズ告知が終わってかなりの時間が経過したが、生徒達の歓喜は治まらない。教師達も落ち着かせる事を諦めたのか、苦笑いを浮かべながら強引にホームルームを打ち切った。


 すぐに学校を出るつもりだった瑞樹達も例外ではなく、神楽のライブの話で盛り上がりながら、ランチの約束をしていた摩耶達と合流して、いつものカフェに向かおうと校舎を出た。


「あの、すみません」

「はい」


 校舎を出た時、来客用の駐車場の方から声をかけられた。

 声をかけられた事に、瑞樹だけが気付き足を止めると、そこにはいかにも仕事が出来そうな雰囲気を醸し出した、スーツ姿の綺麗な女性が立っていた。


「この学校の理事長にお会いしたいのですが、理事長室へはどう行けばいいのか、教えて頂けませんか?」

「理事長室ですか? それなら――」

 瑞樹は校舎の方を指さして、口頭で案内しようとしたのだが、途中で止めて女性の方に向き直る。


「あの、理事長室は入り組んだ所にあるので、よろしければ案内しますよ?」

「それは凄く助かるわ。ありがとう! 是非お願いします」


 ニッコリを笑顔を向ける瑞樹に、その女性も柔らかい笑顔を見せて、瑞樹を申し出に感謝した。


「――こちらです」


 瑞樹は案内する為に、再び校舎の方に歩き出すと、そんな志乃に気付いた麻美達が呼び止める。


「志乃? 何してんの?」

「ごめん。ちょっと理事長室まで案内してくるから、先に行っててくれる?」


 麻美達の呼びかけにそう答えた。


「わかった。それじゃあとでね!」


 3人は手を振りながら、そう言って瑞樹達に背中を向けるのを見て、ホッと安堵した表情になる。


「志乃! 逃げたら――分かってるよねぇ」

「あ、ははっ……そんな事するわけないじゃん」


 (――――チッ、バレたか)


 思惑を読み切られ、心で舌打ちしながら校舎に戻り、女性を連れて理事長室に向かう。


「ごめんなさいね。お友達と約束があったんじゃないの?」

「いえ、お昼ご飯を食べようってだけですから、気にしないで下さい」

「そう、ありがとう。それにしても随分賑やかな学校ね」

「あぁ、さっき校内放送で今年の文化祭で、神楽優希がライブするって発表があって、それで盛り上がっちゃってて賑やかになっちゃってるんですよ」


 女性は手を口元に当て、ふふっと笑った。


「そうですか。そんなに喜んでくれているのね」


 そんな女性を見て、瑞樹はやっぱりと納得するように頷いた。


「あ、やっぱり芸能関係の方でしたか」

「えぇ、私は神楽優希をマネージングしている者です。今回のライブについて打ち合わせがあって、お邪魔したのよ」

「そうなんですね。皆凄く楽しみにしてるので、宜しくお願いします。あ、私達に出来る事があったら言って下さいね」

「ありがとう。頼りにしてるね。生徒さん達に最高の思い出が作れるように、頑張るから期待してて」

「はい!」


 芸能人のマネージングなんてしているからなのか、いつの間にかすっかり打ち解けていた瑞樹は、この女性の話術というか聞き上手さに感心の声を心の中であげていると、いつの間にか目的の理事長室前に到着していた。


「ここが理事長室になります」

「本当に助かったわ。ありがとう」

「いえ、それでは失礼します」


 瑞樹は軽く会釈して、麻美達が待つカフェに急いだ。

 麻美達からの尋問の事を思うと億劫になる瑞樹だったが、さっきの女性の事を思い出すと、自然と足が止まった。


 (――あのマネージャーさん……どこかで会った気がするんだけどなぁ)


 瑞樹は首を傾げて考え込んだのだが、ふと腕時計の時間が目に入り、慌てて意識を現実に戻し、カフェへ急いだ。



 ◇◆


 瑞樹とマネージャーの女性が別れて、約2時間の時間が経過した。

 打ち合わせを終えたマネージャーは、来客用の駐車場に停めてあった黒塗りの高級ミニバンに乗り込んだ。


「おかえり! お疲れ様」


 運転席に乗り込むと、後部座席から声をかけられ、その声の主をルームミラー越しに確認したマネージャーは、ふぅと息をつく。


「ただいま。待たせたわね――優希」


 後部座席にいたのは、今この学校中の話題になっている中心人物、神楽優希本人だった。


「別に大丈夫。それよりどうだった?」

「えぇ、こちらの要望は全て了承してくれたわ。後は、当日まで予定通りに準備するだけよ」

「そっか! 了解!」


 マネージャーは車を発進させて、学校を出たところでルームミラー越しの優希に視線を移し、話しかける。


「ねぇ、優希? 今更こんな事を言うのも変なのだけれど、その……やっぱりどうしてもやるのよね? 文化祭ライブ」


 その問いかけに、ミラー越しに映るマネージャーにキッと鋭い目線を向ける。


「勿論! これだけはいくら苦楽を共にしたマネさんが反対しても、従う気は全くないから」


 マネージャーが言わんとしている事に牽制した優希は、言い切るとニコッと笑みを見せた。


「……そうよね。メジャーデビュー前からマネージメントに文句どころか、嫌な顔すら一切見せないでついてきてくれたんだものね。そんな優希の頼みだったから、社長を説得したのは私なんだし、今更何言おうとしてるのって感じだったわね」

「その事は、本当に感謝してるんだ」


 優希はニッコリを微笑み感謝の気持ちを伝えると、今度はマネージャーがプロの顔を優希に見せた。


「でもね? これだけは覚えておいて欲しいんだけど、今貴方の周りには大勢の人が関わっているの。本来なら番組出演オファーだって厳選して受けている状態で、事務所は優希を安売りしない方向で動いてる。だからこんな高校の文化祭でライブをやるなんて、この意向に従うと問題外だと言うのが本音なの。だからこんな我儘はこれっきりにして欲しい――いい?」

「分かってるよ。でも、あの学校には本当に感謝していて、あの環境がなかったら、今の私は絶対に存在していなかった。だから私があそこで歌う事で、恩返しになるのなら応えたいの」


 優希もまたプロの顔を見せている。


「そうね。水を差すような事言ってごめんなさい。とはいえ、折角の今後行う事はない激レアライブだもの。しっかりと準備を整えるから、思いっきり楽しんできなさい」


 そんなマネージャーの言葉と、柔らかい笑顔を見た優希は、屈託のない笑顔を返す。


「うん! ありがとう! さん」

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