第23話 仲間達との誓い……そして自分へのけじめ act 2
合宿最終日 朝 食堂にて 瑞樹サイド
「ふぃ~! やっと掃除が終わった……お腹減ったぁ。誰だよぉ、あんなに散らかしたのは」
ようやく掃除を終えた瑞樹達は、遅れ気味に食堂へ入ってきた。
「殆どカトちゃんじゃん!」
ボヤく加藤に、すかさず神山がツッコミをいれる。
この数日でこの一連の流れが、瑞樹達の部屋の名物になっていた。
「いただきます!」
朝食を受け取り席に着き、皆で合掌して食べ始めると、瑞樹は周りに悟られない様に視線だけで間宮を探した。
どうやら今朝は講師達全員で食事をしながら、講義についての討論をしているようだ。
その討論会の中心に間宮がいて、何時になく凛々しい表情で意見を交わしている。
それだけの事なのだが、瑞樹は思わず目を逸らして頬を赤らめる。そんな瑞樹の反応に、隣から瑞樹の様子を窺っていた加藤が急に吹き出した。
「なに? 人の顔見て吹き出したりして」
「ご、ごめん! だってさ、志乃から聞いた今朝の話を思い出しちゃって!」
「ん? なになに? 今朝何かあったの?」
2人の会話に南が喰いついてきた。
「それがさぁ、私が寝惚けて志乃のパジャマ捲り上げて、おっぱいに顔を埋めて揉んでたらしいんだ!」
加藤が南の耳元で今朝の事を小声で話すと、南の顔がドンドン赤く染まっていく。
「えーーっ!? カトちゃんがみっちゃんのおっぱい揉ん……ふごふが!」
「ばっか! 声が大きいよ。南!」
驚いて思わず大声で叫びだした南の口を、瑞樹が慌てて塞いで加藤が南を叱った。
「南……ホント勘弁してよ」
瑞樹が溜息交じりにそう呟くと、南は手を合わせて必死に謝った。
そんな刺激的な会話を聞きつけた男子達が、実行犯の加藤を取り囲んだ。
「加藤さん! その話もっと詳しく聞かせてくれない!?」
「顔埋めたってマジ!?」
「揉んだって、どんな感じに揉んだんだ!?」
顔面の筋肉が緩みまくった男子達に、事故の詳細を激しく求められた。
「え? いや! 寝惚けてたから覚えてないって!」
怒涛の取り調べにタジタジになった加藤は、視線で瑞樹に助けを求めると、男子達の矛先が変わった。
「み、瑞樹さん! やっぱり揉まれて感……」
「はいはい! もうこの話をおしまい! 質問は一切受け付けません!」
男子達に有無を言わさず、瑞樹は強引にこの場を締めにかかった。
これ以上騒ぐと、本気で怒らせそうな空気を読んだ男子達は、渋々自分の席に撤収していく。
溜息をつく瑞樹を眺めていた加藤は、何だか嬉しそうにクスクスと笑みを零していた。
「なによ!」
そんな加藤が気にくわなかったのか、瑞樹は訴えるような眼差しを向けた。
「べっつに~!」
「……やな感じ!」
「み、瑞樹さん、ごめん! ちょっといい?」
ふくれっ面で朝食を食べ終えた瑞樹は、まだ食べ終えていない加藤を残してコテージへ戻ろうと食堂を出た時、後ろから声をかけられた。
「なに?」
瑞樹はいつものように素っ気ない態度で用件を聞くと、声をかけてきた男子は、アルファベットと数字を組み合わせた文字が書かれているメモを差し出した。
「なに? これ」
「これ俺のIDなんだけど、よかったら瑞樹さんのIDを教えて欲しいんだ」
手渡されたメモの中を見ずに、瑞樹はすぐにメモを男子に返した。
「ごめん! 初対面とか面識があまりない人とかと、連絡先とかの交換はするつもりないから、このメモは受け取れないよ」
「そ、そっか……そうだよな。俺の方こそ、いきなりこんな事頼んでごめんな」
「ううん、大丈夫。それじゃ」
それだけ言い残して、メモを返されて立ち尽くしている男子を残して、瑞樹は足早に立ち去った。
中庭側とコテージへ向かう分かれ道に差し掛かった時、パタパタと小走りで加藤が駆け寄ってくる。
「志乃~! 待ってよ! 部屋に戻る前に自販機付き合ってよ!」
「……別にいいけど」
瑞樹は不機嫌顔のまま、加藤の後をついて行く事にした。
自販機前に着いた加藤は財布から小銭を出そうとしていると、瑞樹は気になっていた事を我慢出来ずに口を開く。
「ねぇ、愛菜……さっき何で私の顔を見て笑ってたの?」
「ん~? 昨日の花火大会から感じてたんだけどさ。間宮先生は特別として、他の男子達への対応が少し柔らかくなったなって思ってさ! あ、ミルクティーでよかった?」
「あ、うん。う~ん……そうかなぁ。私は特に意識しないで、いつも通りにしてるつもりだけど」
瑞樹は加藤の感じた変化を否定しながら、財布を取りだした。
「あぁ、いいよ! これは私の奢りだから」
そう言った加藤は、自販機から取り出したミルクティーの缶で瑞樹の財布を押し戻すように手渡して、ニッと白い歯を見せて話を戻す。
「そう? だって志乃って近寄ってきた男子には、今まで全部怒らせるような事してきたんでしょ? でもここに来てから誰も怒らせてなくない?」
加藤は得意気に、人差し指を立ててズバッと切り込んだ。
「そう言われてみれば、お祭りでナンパしてきた奴ら以外、怒らせてないかも……」
指を顎先に当てて、ここに来てからの事を辿ってみたが、確かに近寄ってきた男子はいたが、誰も怒らせていない事に気付く。
「でしょ?」
「うん……これじゃ駄目だね。気が緩んでたのかなぁ、気を引き締め直さないと!」
グッと拳を握って、険しい表情で妙な決意を固めた瑞樹に、加藤は呆れて手に持っていた缶をフロアの落としてしまった。
「いやいや、全然違くてさ! いい傾向だって言ってるんだよ。いつもトゲトゲした壁を作っている理由は知ってるけど、でもやっぱりこのままじゃ駄目だと思うんだ」
瑞樹の的外れな決意を、加藤は落とした缶を拾いながら慌てて否定した。
「それはそうかもだけど……でも私は……」
加藤から視線を外して眉間に皺を作って俯いた瑞樹に、加藤は間宮をきっかけに少しづつ変わってきてると言い切った。
「だから食堂での志乃を見て、嬉しくなったんだよね」
「……そっか、それで私を見て笑ってたんだね」
「そ! 親友の本当の姿を見れるのを、楽しみにしてるんだからね!」
瑞樹の肩をポンポンと叩いて、加藤は屈託のない笑顔を見せた。
「ありがと……愛菜って本当に優しいね。こんな私なんかの事……」
「はいっ、ストップ!」
言葉を遮られて目を見開いた瑞樹に、加藤は続けて口を開く。
「それ! 前から言おうと思ってたんだけど、志乃は何で事あるごとに、私〝なんか〟って言うの?」
「え? だって……私なんか……」
「ほら、また言った! いい? これからは『なんか』とか『なんて』って言わないって私に約束して」
いきなり約束しろと言われた瑞樹は、加藤の真剣な眼差しから目を逸らす事が出来なかった。
それは一種の脅迫で、一種の優しさで、一種の強さだと感じた。
「そんな事、急に言われても……」
「急にじゃないよ? ずっと気になってたんだ。志乃はもっと自信を持っていいんだよ? 昔の事があってから壁を作るようになったのだって、原因は志乃じゃないじゃん! 男達を怒らせて傷つける度に志乃も傷を負ってるのも知ってる! 本当は昔の自分を取り戻そうと、少しずつ勇気をだして努力しているのも私は知ってる! そんな頑張ってる自分の事をなんかって言わないでよ」
加藤が真剣にそう訴えかける。
その言葉が、瑞樹の心に響く。
本当の自分を知ってくれている。
感情を表に出さずに、ずっと我慢していた事を知ってくれている。
誰も気付きそうにない、小さな努力を知ってくれている。
瑞樹の心が、加藤が言ってくれた言葉に喜んでいる。
瞳を閉じて、加藤の言葉を心の中で繰り返す。
感謝しかない。
加藤に出会えてよかった。
親友でいてくれて、本当によかった。
こんな自分を見てくれている、加藤の気持ちに応えたいと、気持ちを改にした瑞樹は、まっすぐに加藤を見つめ返す。
「うん! 約束する! もう私なんかって言わないし、これからは自信をもてるように頑張るよ!」
加藤は本気なのだ。
本気で瑞樹を変えようとしている。
以前の、平田に侵された状況になる前の瑞樹ではなく、これからの新しい瑞樹にだ。
加藤ともっと早く出会えていれば、瑞樹のこれまでの人生は全然違う物になっていたのかもしれない。
いや、そうではない。
合宿に入るまでの瑞樹だからこそ、加藤と出会えたのだろう。
今の瑞樹だからこそ、加藤は瑞樹を受け入れたのだ。
「うん! 志乃なら絶対大丈夫。頑張れ!」
加藤は嬉しそうに、顔をクシャクシャにした笑顔が照れ臭くて、瑞樹は手に持っていたミルクティーの缶に口をつけた。
「これ飲んだら、最後の講義の準備しないとだね!」
「だね! あ、そうだ! 親友に言っておかないといけない事が」
「え? え? な、なに? 改めて言われるとビビるんですけど……」
「私はどちらかと言うと、紅茶より珈琲派なのだよ。愛菜さん」
「……ぷっ、あははは! そっかそっか。了解! 志乃の事また1つ知る事が出来たよ」
瑞樹はこの合宿で、沢山のものを得た。
自身の受験生としてのレベルアップは勿論だが、楽しい同室の仲間達に、頼りになる講師達、その中でも藤崎から受けた影響は大きいものだった。
――そして、間宮良介の存在。
自ら作った壁の中に身を潜めていた瑞樹が、初めて壁の向こう側を気にした存在。
そんな間宮以上に、加藤愛菜という心から信じる事が出来る親友との出会いが、この合宿で得た最高の宝物だったかもしれない。
◇◆
藤崎サイド
合宿最後の講義が始まった。
英語担当の間宮と藤崎は、スケジュール通り1~2年生の講義を行い、2人を希望した生徒達の期待に見事に応える講義を展開させて、受験生の3年生を残すのみとなった。
藤崎の講義を希望した32人の3年生達は、開始5分前から準備を終えて席に着いていた。
「おはようございます!」
会議室へ入った藤崎は、自分の講義を希望した32人の顔を見渡しながら、元気に挨拶をした。
「おはようございます! 宜しくお願いします!」
生徒達も藤崎に呼応するように、元気に挨拶を返した。
「うん! 皆いい目をしてるね! 合宿が始まった頃と比べたら、別人のようだよ」
藤崎は生徒達の充実した表情を見て、嬉しそうに微笑む。
「最後の講義に私を希望してくれた皆は、最後まで貪欲に上を目指そうとしている生徒だと確信しています! 希望した人数を間宮先生に報告したらね、それだけ英語を好きになってくれたんだと喜んでました」
藤崎がそう報告すると、生徒達はお互いの顔を見合って誇らしげに微笑んだ。
「最後の講義を、私に託してくれた事を絶対に後悔させません! だから今日も私について来い! いい!?」
「はい!!」
生徒達は藤崎のアツい気持ちに応えるように、気合いの入った返事を返した。
「それでは、最後の講義を始めます!」
藤崎は宣言通り、今までで一番熱のはいった講義を展開した。
ホワイトボードを隙間なく書き込み、それを消してまた書き込む。
それが、藤崎の鋭い声と共に何度も繰り返された内容の濃い講義となった。
生徒達も藤崎に負けない熱気で、講義を真剣に受講している。
参加した全員から質問が飛び交い、その質問を1つ残さず藤崎が答える。
そんなやり取りが、時間いっぱいまで繰り広げられ、終了のアラームが鳴った時、さっきまでの真剣勝負のような講義が嘘だったかのように、静寂が会議室を支配した。
その静寂を楽しむかのように、目を閉じていた藤崎が口を開く。
「この合宿で、私に出来る事は全てやり終えました。合宿で得た事は、これからの受験に向けて、凄い武器を手に入れたんだと自覚して下さい」
藤崎はやり切った表情で、生徒達を見渡した。
「ただ! どんな凄い武器でも使い方を間違えれば、忽ちゴミになってしまいます!」
藤崎の言葉に熱がこもっていく。
合宿初日、壇上で挨拶をした藤崎がこんな変貌を遂げるなど、誰も予測していなかっただろう……覚醒する原因となった間宮以外は……。
「一番の間違いは油断です! 油断せずにこの武器を受験当日まで磨き上げて下さい! そうすれば必ず貴方達の大きな武器になってくれます!」
そこまで話した藤崎の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「短い期間だったけど、皆と頑張った8日間……絶対に忘れません!ありがとうございました」
藤崎は最後に感謝の言葉を添えて、生徒達に深くお辞儀した。
藤崎の想いを聞いた生徒達が全員立ち上がり、大きな拍手を藤崎に送り、大きな拍手を受けた藤崎は、目を赤く腫らして満面の笑顔で応えた。
藤崎に拍手を送った瑞樹は、この講義を選択したのは間違いじゃなかったと確信する。必ず最高の結果を藤崎と間宮に報告するんだと、心に固く誓った最後の講義だった。
◇◆
間宮サイド
いつもの会議室の5倍はある、中央ホールの教壇に間宮は立っていた。
朝食時に、スタッフから間宮を希望する生徒が集中した為、初日に全員を収容した中央ホールで講義を行うと、伝えられていたからだ。
参加している生徒全員が聞き取れるように、ヘッドホンマイクを装着した間宮は、自分の声を設置されているスピーカーを通して届ける準備をして、改めて教壇に立った。
「3年生の皆さん、おはようございます」
間宮はいつもの柔らかい笑顔で、大勢の生徒達の視線を気にする事なく挨拶した。
「おはようございます!」
間宮の講義を希望した、大勢の生徒達の元気な挨拶が返ってきた事を確認した間宮は、柔らかな笑顔を消して、真剣な表情で参加した生徒達を見渡して口を開いた。
「さて! これから最後の講義を行うわけですが、その前に皆さんに質問があります」
思わぬ間宮の言動に、すぐにすっかりこの合宿の名物となったstory magicが始まると思い込んでいた生徒達は騒めく。
「この受験戦争を勝ち抜き志望大学へ入学して、やがて卒業して社会に出て行く事になると思いますが、この一連の流れを自分の中にある、未来を夢として持っている方は挙手して頂けますか?」
間宮は自分の右手を上げて挙手を募ったところ、約8割の生徒達が手を挙げた。
その結果を確認した間宮は、続けて口を開く。
「ありがとうございます。では挙手してくれた皆さんにお願いがあります」
そう言った間宮は、両手をギュッと握り少し強い口調で話し出した。
「これから始める講義中に夢を目標に持ち替えて欲しいのです! これは私の持論なのですが、夢を夢として持ち続けている間は叶わないと思っています! 何故かというと、夢と言う漠然としたものでは、それを叶える為にどうすればいいのか、ハッキリとしたビジョンが持てないと思うからです!」
間宮は生徒達にそう持論と説くと、中央ホールの照明が薄暗く落とされた。
「ですが夢を目標に置き換える事が出来れば、どう努力すればいいのかが見えてきます! 夢とは違い目標というのは、努力すれば必ず叶うように出来ていると私は思います。少しの捉え方の違いで、この先に続いている道は大きく異なります!」
困惑していた生徒達は、いつの間には間宮の持論を聞きいっていた。
「その違いを含ませた物語を、これからお話させて頂きます」
こうして、間宮の最後のstory magicが始まった。
今回の物語は幻想物語ではなく、この合宿を題材にした話で、合宿に参加した複数の生徒達からの感想を元に構成されたものだった。
スタート地点はそれぞれ違うが、最後には皆同じ方向を見て進んで行くという内容のもので、その物語の随所に夢と目標の違いを盛り込んだ話だった。
幻想物語の時よりも、身近な題材を元に作った物語だったからか、生徒達はいつもよりも間宮が話す物語に入り込んでいく。
間宮の物語の語り方にも、変化があった。
以前は淡々と優しく話して聞かせていたのだが、今回は物語の要所要所で語尾を荒げたり、逆に冷めたような話し方や、様々な変化に富んだ言い聞かせ方を織り交ぜる。
そんな間宮の変化に生徒達の積極性が増して、異様な盛り上がりを見せて物語は最高の盛り上がりの中で完結した。
間宮が物語の終わりを告げると、大歓声がホール全体を包み込んだ。
やはり絶対的エースは間宮だった。
物語に今後の人生を盛り込み、生徒達に真剣に考える時間を与えたうえで、しっかり新しい物語を完結に導いて、参加した生徒達の英語力アップにも繋げてみせたのだから。
大歓声が起こる中、いつもは大声で大歓声の波に乗る加藤だったが、拍手を送るだけで、強い決意を滲ませていた。
「夢を目標に……か!」
加藤は思いを込めて、握り拳をギュッと握りしめた。
歓声が落ち着いた所で、間宮が最後の挨拶を始めた。
「皆さんお疲れ様でした。これで私の講義は全て終了しました。夢を目標に置き換えれましたか? まだの人は慌てなくてもいいので、じっくり取り組んでみて下さい」
間宮がそう告げると、落とされていた照明が灯されていく。
「夏休みが終われば、一気に入試まで進む感覚があると思いますが、どうか焦らないで下さい!」
真剣な表情で講義をしていた間宮の表情が、いつの間にか柔らかないつもの間宮に戻っていた。
「僕の事と、この物語の事は忘れても構いませんが、物語で感じた英語に対する探究心と得た事は忘れずに受験勉強に打ち込めば、必ず結果はついてきます。入試結果を我々に最高の笑顔で報告に来てくれる事を、楽しみにしています!」
間宮らしい笑顔を見た生徒達は、全員席から立ち上がり真っ直ぐに教壇に立っている間宮の目を見つめた。
「ありがとうございました!!」
誰が音頭を取ったのか、この人数では確認出来なかったが、生徒の1人の声に合わせて、全員が一斉にお辞儀してシンプルに感謝の気持ちを言葉にした。
誰1人として疲れた顔をしている者はなく、皆自信に満ちた表情で恩師の1人である間宮に笑顔を見せる。
そんな最高の盛り上がりの中、間宮は軽く会釈して中央ホールから退室を始めると、再びどこからともなく拍手が起こった。
間宮は照れ臭そうに頭を掻きながら中央ホールを出て行った後も、暫く拍手が鳴り止まなかった。
「間宮先生、お疲れ様でした」
通路に出た間宮は、締めていたネクタイを緩めて一息ついていると、生徒達が使う出入口から声をかけられた。
声の主は、メモ帳とタブレットを抱えていた村田だった。
村田は今朝、討論会を行っていた朝食の席で、間宮に最後の講義である事を頭を下げて頼んでいたのだ。
それは受講希望者が1人もいなかった村田は、今後の参考にしたいと嘆願して中央ホールの最後部席で、間宮の最後の講義を見学する事だった。
「村田先生、お疲れ様でした。何か役に立ちましたか?」
「ええ、それはもう! やっぱりモニター越しで見るより、間宮イズムを肌で感じる事が出来ましたよ!」
「え? ま、間宮……イズム?」
「そうです。講師達の間でそういう名称が出来てるんですよ」
「また大袈裟な事を……」
困った表情で後頭部を掻く間宮に、村田はシャツでゴシゴシと拭いた右手を差し出した。
「そんな事はありませんよ。少なくとも僕の目を覚ましてくれたのは、その間宮イズムなんですから!」
出会った頃から比べれば、村田の目はまるで別人のように澄んでいた。
その目を見た間宮は、本当に嬉しそうに村田に微笑みかけた。
「僕の不採用は決定しているでしょうが、来年必ずここへ戻ってきて、次こそは必ず正規の講師として、間宮先生と一緒に仕事が出来るようになってみせます!」
村田の宣言を聞いて、間宮は本当の事を打ち明けそうになったのを、グッと堪えて差し出された手を力強く握った。
「えぇ、今の村田先生なら大丈夫です! 僕が保証します!」
「ありがとうございます!」
力強い目をした村田から、講師としての熱い情熱のようなものが、握った村田の手から伝わってくる。
改めて考えてみると、他の科目の講師達も皆向上心を常に持っている、良い講師ばかりだった。
それだけ天谷の人を見る目が、確かだったのだろう。
このゼミは何の心配もいらない。
そう確信した時、初めて天谷に恩返しが出来たと、間宮は満足そうに笑みを零した。
「こちらこそありがとうございました! お疲れ様でした!」
こうして村田と固い握手を交わして、間宮の全講義が終了した。
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