第20話 想い act 2    

 集中……いや、これは夢中と言って差し支えないだろう。


 最終日に使用する、この合宿を題材にした物語の創作に取り掛かった間宮の、キーボードを叩く音が殆ど途切れない。


 風が届けてくれる賑やかな声が、合宿での出来事を鮮明に思い出させてくれている。

 そんな間宮しかいない中庭に、下駄の音を響かせて施設の建物から出てくる女性がいた。

 その女性は、夢中で創作に打ち込んでいる間宮に何も話しかけずに、間宮が座っている隣のデッキチェアに腰を下ろして、黙って間宮を見つめていた。



 それから暫く時間が経過した時、優しく吹き抜けていく風の匂いが変わった事に気付き、キーボードを叩く手を止めて風が吹いてる方へ顔を上げると、そこには足を組んで少し拗ねた顔をした浴衣姿の藤崎がいた。


「うわっ! ふ、藤崎先生!? いつからそこに!?」

「そうですねぇ……15分位前からでしょか」


 驚いた間宮は顔を引きつらせて聞くと、藤崎は呆れた顔でそう答えた。


「そ、そんなに前からいらしたんですか!? 声をかけてくれれば良かったのに……」


 焦る間宮に「はぁ」と溜息をついた藤崎は、組んでいる足から下駄を芝生に落とした。


「そうしようと思ったのですが、凄く楽しそうにキーボードを打ち込んでいたのでやめたんですよ。今まで生きてきて、こんな風に見事にスルーされた事なんてなかったんですけど……私ってそんなに存在感ありませんか?」


 ガシガシと後頭部を掻いて目線を落としている間宮を、ムスッとした顔をした藤崎が覗き込む様に聞いた。


「い、いや! そんなわけないじゃないですか! 藤崎先生のような綺麗な女性に存在感がないわけないでしょう」


 間宮の口から、不意打ちに綺麗だと言われた藤崎は、頬を赤らめて俯いた。


「そ、そうですか……それならいいんですけどね!」


 そう言った藤崎は、機嫌が良くなったのか腰を下ろしたデッキチェアから、足を浮かせて左右交互にパタパタと上下に動かし始めた。

 嬉しそうに間宮の周辺を見た藤崎は、テーブルにすでにプルタブが空いている飲みかけの缶ビールが目に入った。


「あ、もう飲んでたんですね。付き合ってもらうと思って、先生の分も買って来ちゃいました」


 そう言って舌をペロっと出した藤崎の両手に、缶ビールが握られていた。


「いつもすみません。いただきます」


 藤崎から缶ビールを受け取った間宮は、藤崎に乾杯しようと促した。


「それでは、お祭りと花火に……乾杯です!」


 音頭を任された藤崎は、今夜の花火のような満開の笑顔で、間宮を缶を突き合わせた。

 ゴクゴクとホップの香りを楽しみながら、ビールを一気に喉に流し込む。


「そういえば、ここに来てから藤崎先生にビールを御馳走になってばかりですね」


 いつも自然にビールを手渡されてきた為、ずっとお返しが出来ていない事を後になって気付くパターンになってしまっていた。


「気にしないで下さい。私が間宮先生に付き合ってもらおうとして、買ってきた物なんですから!」


 間宮が申し訳なさそうにしていると、サバサバと笑い飛ばした藤崎は、鞄からスマホを取り出した。


「そんな事より先生! 今スマホお持ちですか?」

「スマホですか? いえ、部屋に置きっぱなしですが」

「そうですか、番号とアドレスを交換してもらおうと思ったんですが」


 藤崎の申し出に、間宮はキョトンと首を傾げる。


「それは構いませんけど、どうしてですか?」

「……どうして?」


 藤崎はそう言って、ペコッと音をたて手に持っていた缶をへこませた。


「しょ・く・じ! 付き合って頂けるんですよね!?」


 立ち上がった藤崎は間宮に詰め寄り、人差し指を胸元に当てて膨れた顔を見せた。


 どうやら今夜の藤崎は、祭りから結構な量の酒を飲んだようで、すっかり出来上がってるようだった。


「あ、あぁ! 食事ですよね。勿論お付き合いしますよ」


 少し目が座っている藤崎に、気圧された間宮は苦笑いを浮かべるしかなかった。


「嘘ですね! 絶対に忘れてました!」


 藤崎の追及に、誤魔化すのを諦めた間宮は小さく溜息をついた。


「嘘じゃないですよ……ただ置いてきただけなんです」

「置いてきた……ですか?」


 間宮が返してくるであろうと、予想していた中になかった単語が出てきて、藤崎は胸元に指していた指を引っ込めて説明を求めた。


「はい。昔からなんですが、物語を作っている時は、他の事を一旦置いて作らないと色々とブレてしまって、方向性が定まっていない幼稚な話になってしまうんですよ」


 story magicに一番大切な物、それは聞いている人間をすぐに物語の中に引き込ませる事だと、間宮は藤崎に説いた。


「勿論、書き終えたら全部戻すので、食事の件も忘れたりしませんから、安心して下さい」


 そう説明した間宮は、最後にニッコリと微笑んだ。


「そうだったんですか……そんなに集中力が必要だったんですね。それなのに拗ねたりしてしまって……ごめんなさい」


 藤崎は自分がした事を恥じて、どうやら酔いが冷めたようだった。


「いえ! 僕がもっと器用なら、こうして藤崎先生と話しながらでも書けたんでしょうけど、僕はあまり器用な方ではなくて」


 指で頬を掻きながら、苦笑いを浮かべる間宮から距離をとった藤崎は、再び隣のデッキチェアに腰をかけた。


「あんな特殊な講義をされる方に、自分は不器用とか言われても……嫌味にしか聞こえませんよ」


 そう言ってジト目を向ける今夜の藤崎が何だか子供っぽく見えて、可笑しくなった間宮はクスっと笑みを零した。


「いえ、嫌味なんかじゃないですよ」

「あぁ! 今笑いましたよね!?」


 ブスっと膨れる藤崎を見て、間宮は楽しそうに笑った。


 今の彼女が、本当の藤崎なのだろう。


 きっと彼女も色々と悩んで、自分を追い込んだ状態でここへ来たのだと間宮は思った。

 誰だって、悩みや苦しみを抱えて生きている。

 でも、偶にこういう時間が疲れた心を癒してくれるから、また明日から頑張れるのだと思う。


 俺も、この数日間は本当に楽しい時間を過ごせた。

 東京に戻れば、またいつもの日常が待っている。

 別にそれが嫌だとは思わないが、やはり少し寂しく感じてしまう。



「……楽しいですね! 藤崎先生!」


 これが今の心からの本音だ。


 この楽しい時間が明日で終わるのなら、ゴチャゴチャと考えるのは明後日からでいい。

 今は何も考えずに、この時間を楽しみたいと思えた。


「え?……はい! 楽しいです!」


 そう答えてくれた藤崎の笑顔が、間宮の心の中に焼き付けられた。


「話を戻しますが、食事の日時を決めたりするのに、連絡がとれないと困るので、連絡先交換してくれませんか?」

「では明日朝食の時にでも……」


 間宮がそう提案しようとしたが、言い切る前に藤崎が再び近づいてきて膝の上にあるノートPCを指さした。


「このPCを使わせてもらって構いませんか?」

「え? えぇ……構いませんが」


 そう返した間宮は、書きかけの物語を一旦保存して、PCを手渡そうとすると「そのままで大丈夫です」と太ももに乗せたままのPCを、藤崎は膝をついて新しいWordのページを開いて、何やら書き込みを始めた。


「あ、あの……」


 間宮は、今の状況に体を硬直させながら、声を絞りだす。


「はい?」

「近くないですか?」

「そうですか? 私は間宮先生だから気になりませんけど?」

「そ、そうですか……」


 近くで見る浴衣姿の藤崎は、瑞樹とはまた違う美しさがあった。


 男なら、このままガバッと抱きしめたくなる色気があり、藤崎の甘い香りと綺麗なうなじに、惹きつけられそうになる。


「よし! 出来た!」


 そんな煩悩と格闘していると、藤崎が威勢よく声をあげた。

 その声に驚いて正気を取り戻した間宮は、書き込みを終えたPCのモニターを覗き込んだ。

 モニターには藤崎の名前と携帯番号にアドレス等が書き込まれていたのだが、その他の内容に疑問を感じた間宮は、恐る恐る藤崎に確認する事にした。


「あの、藤崎先生……名前がフルネームで書いてあるのはいいとして、名前の横にある24という数字は?」

「え? 私の年齢ですけど?」

「……その情報……いります?」

「シークレット情報なので、漏洩には気を付けて下さいね!」


 それなら、わざわざ書き込む必要ないだろと思ったが、あえて言わない事にした。


「あ、そうだ! 今後の為にスリーサイズも必要ですよね! これは間宮先生だけのサービスですからね!」

「いやいや! 今後の為って、そんなサービスいりませんから!」

「なぁんだ! 結構自慢出来る数字だと思うんですけど……残念です」


「……プッ! あははは!」


 藤崎は冗談だと言って、吹き出して笑いだした。


「すみません! フザけ過ぎましたね!」


 そう一応謝罪をしてきたが、変わらず間宮の太ももをパンパンと叩きながら笑い飛ばす藤崎を見た間宮は、今夜の彼女には勝てる気がしないなと心の中で白旗を振った。



 そんな2人を、瞳を大きく見開いて見つめる少女がいた。


 その少女はスマホを片手に逆の左手には、大きなひよこのぬいぐるみを抱いている瑞樹だった。


 瑞樹は親への定時連絡の為に、花火の音や周囲の声が賑やか過ぎだからと、一旦後輩達から離れて施設の中で電話をしようと戻ってきていた。

 その時、加藤が間宮を探していた事を思い出して、もしかしたらと中庭に来てみると、予想は半分当たって、半分間違っていた。


 半分正解なのは、中庭に間宮がいた事。


 もう半分は、藤崎と隠れるように会っている現場を目撃してしまった事。


 間違いというのは、中庭にいる2人を見てしまった事そのものを指していた。



 しかも目撃した光景が、瑞樹からの視点からだと、藤崎が間宮の太ももに寝そべっているように見えてしまっていた。

 言葉を失い立ち尽くす瑞樹の前にあるガラス製の壁が、まるで瑞樹と藤崎の現在の立ち位置を示しているように思えた。


 心の壁。


 間宮には、誰でも受け入れてくれそうな雰囲気があるのに、最後の最後で目に見えない壁を感じていた。

 そして、自分にも心を凍らせる冷たい壁が存在する。

 お互いが己の壁の正体を明かさない限り、きっとこれ以上近づく事が出来ないと思っていた。


 でも、元々壁を持たない藤崎なら、こうもあっさりと壁の向こう側にいけるものなのかと、瑞樹はショックを通り越して、愕然としていた。


 それは2人が仲良くしている事だけではなく、もしかしたら藤崎には間宮の壁を感じないのではないかと疑惑が生まれたからだ。

 心に壁を持つ者同士でないと、相手の壁を感じないのだとしたら、藤崎は自分にとってとんでもない脅威になる。


 目の前の光景が辛くて、間宮達から背を向けて通ってきた通路を戻りだした。


 唇が僅かに震える。


 抱いていたぬいぐるみを力いっぱい体に押し当てた。


 ぬいぐるみは変形して、凄く苦しそうだ。




 はじめて男性を想った瑞樹は、今まで知らなかった自分を知った。




 (私ってこんなに嫉妬深い女だったんだ……)




 心の中が黒くドロッとした感情に支配されていく。

 軽い吐き気まで覚える程、瑞樹は自分自身にショックを受けていた。


 重い足取りで、施設のロビーまで戻ってきた所で、手に持っていたスマホが震えた。

 画面を確認すると、母親からの電話だった。

 約束の時間を過ぎてしまった為、母親からかけてきたようだ。

 最悪な気分で、正直鬱陶しさを感じていたが、電話に出ないわけにもいかず深く深呼吸をして、無理矢理に気持ちを静めてからスマホを耳に当てた。


「もしもし、お母さん? 今電話しようとしていたとこだったんだ。遅くなってごめんね」

「うん、うん! 大丈夫だよ! 今日は最後の夜だから、夏祭りに連れて行ってくれたりしてたんだ。それでね! ここで友達になった子達がね、私の為に浴衣をレンタルしてくれたんだよ! 凄く可愛い浴衣だったから後で画像送るね」

「あはは! そんな事ないもん! でね! 今は広場で凄い量の花火を用意されてて、皆で花火大会しているとこなの!」


 瑞樹はいつの間にか得意になってしまった、疑似瑞樹を作り上げて母親からの電話に対応した。

 今までは何とも思わずにやってきた行為だったが、今は親を騙している罪悪感に苛まれて、明るく話す口調とは裏腹に瑞樹の表情は辛そうだった。


「……ねぇ、お母さん。この合宿に参加させてくれて、本当に感謝してます……ありがとう」

「えへへ! そんな事ないよ! 講師の藤崎先生って人がいてね、こんないい環境で受験勉強に打ち込める事を、両親に感謝しなさいって言われたんだ」

「うん! そうだね! 明日帰る途中で大きなお土産屋さんに寄るらしいから、お土産沢山買って帰るからね! うん! じゃあ明日ね! おやすみなさい」


 電話を切った途端、スマホを持っていた手が力なく垂れさがる。


 ……少しだけ期待していた。


 この合宿の参加者の中では、唯一自分しか知らない間宮を見せてくれた事、身を挺して守ってくれた事、そして怖がっている自分を優しく抱きしめてくれた事……。


 間宮先生も、同じ気持ちになってくれたんじゃないかと。

 だが、それは勘違いだったのかもと、目の前に見せつけられた現実は、期待していた事を否定するには、十分だったのだ。

 間宮にとって、自分は妹のような感覚だったのかもしれない。

 というか、そう考えた方が自然と納得出来てしまう。


 こんな自分は最初から恋愛対象外だったんだと、瑞樹は乾いた笑みを浮かべて、外の綺麗な夜空に目を向けて、独り言ちる。


 

 「先生の事を好きになってごめんね……。諦めないといけないかもしれないけど、まだ無理そうなんだ。あの現実を見せられても、まだ先生を諦められそうにないんだよ……体全部が先生を求めるのを、やめてくれないの」


 「ごめんね――諦めの悪い女で……」


 涙が零れない。


 それだけが、今の瑞樹にとって最後の力の源になっている。

 もし涙を流していたら、きっと負けを認めてしまう気がするから。


 瑞樹は、「ふぅ!」と色々な物を吐き出すように、息を吐きだして花火大会の会場へ戻って行った。


 ◇◆


 瑞樹がすぐ近くで、自分達のせいで苦しんでいる事など知る由もない2人の会話は続いていた。


「そういえば、明日の投票講義の結果見ましたか?」


 書き込みを終えた藤崎は、間宮の元から立ち上がってそう言った。


「いや、まだ見てませんよ。もう結果出てたんですね」

「はい! 先ほど配信されたそうで、奥寺先生のタブレットで見せてもらったんですよ」

「そうなんですか」


 間宮は藤崎の口から出た奥寺の名前を聞いて、奥寺からの告白はどうなったんだろうと頭を過ったが、立ち聞きしてしまった事を知られたら、奥寺の告白に水を差す気がして、飲みかけのビールを飲み干して考えないように努めた。


「私も3年生の結果しかまだ見てないんですが、私を希望したのが32名で気の毒ですが村田先生の講義を希望した生徒はいなくて、残りの生徒全てが間宮先生を希望していました」

「そうなんですね。まぁ何人希望されても、僕の講義法は変わらないので、いつもと同じようにやるだけですけどね」


 間宮は物語の最終調整を進めながら、あまり興味なさそうに結果に対して素っ気ない返答を返した。


「間宮先生ならそう言うと思ってました。ただ私の講義を希望している生徒の中で意外な名前があったんですよ」

「意外な生徒? 誰だったんですか?」


 間宮は社交辞令的にその生徒の名を、作業の手を止めずに藤崎に聞いた。


「瑞樹 志乃さんです」


 その名前を聞いて、一瞬キーボードを叩く間宮の指が止まった。

 だが、直ぐに止めた指を動かした間宮は嬉しそうに微笑んだ。


「驚きました。てっきりショックを受けたり、寂しそうな顔が見れると思ってたんですが……」


 間宮は藤崎を横目にクスッと笑みを零した。


「何を言ってるんですか? そこは喜ぶとこだと思いますけどね」

「どういう事ですか?」

「もう瑞樹さんのレベルでは、僕の講義方法では役不足だと感じたって事でしょ! それって更に上を目指すという意思表示だと思いませんか?」

「それはそうかもしれませんが……」


 キーボードを叩く手を止めた間宮は、拍子抜けした顔をした藤崎と向き合う。


「本音を言うと、藤崎先生の仰る通り確かに寂しい気持ちはありますが、これは雛鳥が巣立つ心境みたいなものなんですよ。でも英語担当の僕としては、講師冥利に尽きる思いです」


 そう話す間宮は、誇らしく笑った。


「瑞樹さん、この合宿の短い期間で随分変わりましたよね。始まった頃は嘘臭く見えた笑顔が、今では心から笑えてるように見えます」


 藤崎は知り合ってからの瑞樹を思い出しながら、缶ビールを楽しそうにクルクルと回す。


「ええ! 何か1つでも自信が持てれば人間って単純な生き物ですから、そこからガラッと変わる事は決して珍しい事ではありません」

「そうですね……私もそう思います」


 間宮の考えに触れて満足したのか「さてと!」と藤崎は出入口に体を向けた。


「それじゃ、あまり長居するとお仕事の邪魔になってしまいますし、そろそろこれを返さないと怒られちゃいますからね」


 藤崎はそう言って、浴衣の袖を翻して見せた。


「いえ! 僕の方こそお時間とらせてしまってすみません」

「私が勝手に来ただけなんですから、そんな事で謝らないで下さいよ! そんな事より……どうですか?」

「何がですか?」

「この浴衣の事ですよ!」


 そう言って間宮によく見えるように、くるりと回って見せた藤崎の浴衣姿を、ランタンと月光にが照らし、儚く美しく浮かび上がらせていた。


「え、えぇ! とても綺麗ですよ」


 ニッコリと微笑んでそう答えると、藤崎は何故か不満げな表情を浮かべていた。


「……なんというか……あまり嬉しくありません」

「えぇ!? どうしてですか?」

「だって……他の子にも同じ事言ってそうだなって思って……」

「いえいえ! そんな事ないですよ?」

「ホントですか? じゃあ、瑞樹さんにも言ってないんですね?」


 ジト目でそう問いただされた間宮は思わず「あっ!」と声を上がてしまった。


「すみません……瑞樹さんにも言いましたね」


 確かに瑞樹にも綺麗だと言った。


 しかも藤崎の様に感想を聞かれたわけではなく、自分の気持ちが自然と口から零れた事を思い出した。


「ほらね!」と鬼の首を取ったかのように、藤崎は間宮を指さしてそう言った。


「浴衣デートを許したのは、失敗だったかな……」


 腕を組んだ藤崎は、ボソッとそう呟いた。


「え? なんですか?」

「い~え! なんでもありませんよ!」


 藤崎は飲み干した缶を手に持ち、間宮に背を向けた。


「それじゃ、おやすみなさい。間宮先生」

「あ、はい! おやすみなさい」


 藤崎は間宮を見ずにガラス製のドアに手を伸ばした時、ドアノブを握る手にギュッと力を込める。


「あの! 間宮先生!」

「はい?」


 既にPCに画面に視線を落としていた間宮は、少し驚いた顔で藤崎を見た。


「私……負けませんから!!」


 藤崎は一方的に謎の宣戦布告を間宮に言い残して、中庭を小走りで立ち去った。

 藤崎の突然の言葉に、ガシガシと後頭部を掻く間宮は、困惑の色を隠せなかった。

 だが、今はこの物語を書き切る事が先決だと、再びノートPCに視線を落とした時、広場の方から大きな歓声が聞こえてきた。


 恐らく、最後の打ち上げ花火の連発ショーが始まったのだろう。

 時間的にもそろそろ花火大会が終わる頃だ。

 もうじき皆施設に戻ってきて、ここを通るだろう。


 それまでに仕上げてしまおうと、間宮のキーボードを叩くスピードが更に上がった。

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