第19話 想い act 1
賑やかなバスが施設内に入ってきた。
終始、間宮の武勇伝で盛り上がった3年生の生徒、講師、スタッフ達がバスから降りてくる。
質問攻めからようやく解放された間宮は、両手を頭上で組みグッと体を伸ばして大きく息を吐いた。
その隣で、祭りの参加者全員をまとめるのに気苦労が絶えなかったのか、スタッフが同じように体を伸ばしていた。
バスを降りた参加者の点呼をとったスタッフは、このまま1.2年生が待つ中庭へ向かうように指示を出して、生徒達は指示に従い各々に中庭へ移動を始めた。
後方で歩いていた間宮は、その前を歩く一緒に体を伸ばしていた女性スタッフに声をかけた。
「祭りの引率お疲れ様でした。我々も一緒に遊んでしまってすみませんでした」
バスに乗り込む前から施設へ戻ってくるまで、至る所に目を光らせていたスタッフに労いの言葉をかけると、女性スタッフは顔の前で手を左右に振ってニッコリと微笑んだ。
「あ、間宮先生お疲れ様です! いえ! これが我々の仕事で、間宮先生は講義をするのがお仕事なんですから、気にしないで下さい」
「僕も従業員側の人間なのに遊んでいただけで申し訳ないので、何かお手伝い出来る事があれば言ってください」
女性スタッフに柔らかい笑顔を向けて、間宮はそう申し出た。
「ふふ! お優しいんですね。女生徒たちが騒ぐのも分かる気がします」
「え? いえいえ! そんな……」
スタッフは手を口元に当てて女性らしい仕草で微笑みを返すと、間宮は照れ臭そうに後頭部をガシガシと掻いた。
「でたな……塊!」
「へ? 塊? なんの塊が出たん?」
間宮達の更に後方から中庭に向かって歩いていた瑞樹は、間宮とスタッフのやり取りを面白くなさそうにボソッと呟くと、一緒に歩いていた加藤が首を傾げて尋ねた。
無意識に口に出てしまった事に、加藤に問われて初めて気付いた瑞樹は「なんでもないよ」とだけ返して、恥ずかしそうに俯いた。
(ふん!また違う女の人と仲良くしちゃってさ!
いいもん!私には先生がプレゼントしてくれた『ぴよ助』がいるもん!
我儘言って、無理矢理取ってもらったぬいぐるみだけどさ……)
前を歩く会話を耳をダンボ状態にして盗み聞きしていた瑞樹は、抱きかかえていたぬいぐるみにブツブツと呟いた。
「あ! そうだ! では1つお願い出来ますか?」
スタッフは思い出したように、手をパンッと合わせた。
「はい、何でしょうか?」
「花火を始める前に、一応皆さんに注意事項を話す事になってまして、もしよかったらそれを先生にお願い出来ませんか?」
祭りで有名になった間宮が注意事項を呼びかけたら、きっと生徒達も素直に聞いてくれるはずだからと、スタッフが説明した。
「分かりました! 僕でよければやりますよ」
「ありがとうございます! では後で注意事項の内容をメモしてお渡ししますね!」
スタッフはそう告げると、次の仕事があるからと駆け足で中庭に向かった。
本当に大変な仕事だなと、間宮は立ち去る女性スタッフの背中を見送りながら、ご苦労様ですと呟いた。
3年生達が中庭に到着すると、出迎えに来た1.2年生の視線は、自然と浴衣組に向けられていく。
「わぁ! 浴衣だ! いいですね!」
「藤崎先生、綺麗! 大人っぽくて素敵です!」
可愛い後輩達が、各々浴衣を着ている参加者達に感想を述べ始めた。
その中で一番反響を呼んだのは、やはり瑞樹の浴衣姿だった。
瑞樹は咄嗟に特大ぴよ助で体を隠そうと、両手でぬいぐるみを抱きしめようとしたのだが、更衣室で南と寺坂と約束した事を思い出しおずおずとぬいぐるみを下げて、加藤達が用意してくれた浴衣を披露した。
後輩の男子達からは絶賛の声を、後輩の女子達からは羨望の眼差しを向けられて居たたまれなくなった瑞樹だったが、何とか最後まで逃げずに約束を守り通す事が出来た。
瑞樹達が後輩達の相手をしている間に、水を張ったバケツをあちこちに置いて、花火の準備を整え終えたスタッフが参加者達が集まっている中央に間宮を呼び出して、メモを手渡した。
「えっと、皆さんお疲れ様です。1.2年生の肝試しはいかがでしたか? 3年生の皆さんはお祭り楽しんで頂けましたか?」
メモとマイクを受け取った間宮は、集まった生徒達を見渡しながらそう切り出した。
「これから皆さんと花火を行うわけですが、ここにある大量の花火は天谷社長が頑張った皆さんにと、ポケットマネーで用意してくれた物です」
間宮が大量の花火の出所を明かすと、生徒達から大きな歓声が上がった。
「マジか!? 全部でいくらするんだよ!」
「10万じゃ足りないでしょ!」
中央にいる間宮の足元に集められた大量の花火に、生徒達の視線を集めた間宮は、引き続き案内を続ける。
「本当に凄い量ですよね! 僕の給料ではとても無理な量ですよ」
間宮が自虐的な事を言うと、周りの生徒達から笑いが起きた。
「笑いました? 失礼な生徒達ですね!」
間宮がそう言うと、更に明るい笑い声が中庭に響き渡った。
「それでは簡単な注意事項を連絡させて頂きます。終わった花火は必ずバケツの水でしっかり鎮火させて下さい。絶対に地面に捨てないように! いいですね!」
大事な事なのでしっかりと伝わるように話すと、生徒達から元気な返事が返ってきて、間宮は頷いて注意事項を続けた。
「それから打ち上げ花火は、芝生が生えていない所定のスペースで上げて下さい! その場所以外では上げないように!」
間宮の説明にふざける事もなく、真面目に話を聞きいっている生徒達を見て、スタッフは満足そうに頷いた。
「それと花火が無くなり次第終了なのですが、残っていても明日も午後まで講義があるので、22時には終了しますので宜しくお願いします」
一通り注意事項の説明を終えた間宮は、最後にメモにはない事を生徒達に話し始めた。
「最後になりますが、22時に終わると言っても最後の夜だからと遅くまで起きている人もいるのでしょうね」
間宮が生徒達を見渡してそう言うと、大半の生徒達は苦笑いを浮かべている。
「ここは学校ではありませんので、その事を止める気はありませんが、明日の講義に寝坊だけはしないで下さいね! わかりましたか?」
「はい!!」
間宮の問いかけに元気な返事が返ってくると、間宮は柔らかい笑顔を向けた。
「僕からの注意事項は以上です。解らない事があればスタッフの方々までお願いします。それでは皆さん! 合宿最後の夜を楽しんで下さい!」
間宮がそう話して拡声器を降ろすと、生徒達が待ってましたと一斉に花火を手に取り、早速火をつけ始めた。
色取り取りの花火が、中庭の芝生と生徒達の顔を彩り始める。
間宮はそんな風景を目を細めて見渡した後、スタッフに拡声器を手渡した。
「それでは、後はお願いします」
そう言った間宮は、施設の方へ足を向けた。
「え? 間宮先生は花火されていかないんですか?」
「今日中に終わらせないといけない仕事がありまして、お先に戻らせてもらいます」
「ふふ! 先生の方が忙しいじゃないですか! お疲れ様です」
小さく手を振って見送ってくれたスタッフに、笑顔を返して間宮は一足先に施設へ向かった。
花火大会が始まって暫くして、後輩達に誘われるまま芝生に座った瑞樹は、後輩達に囲まれて談笑していると、そこに加藤がひょっこりと現れた。
「志乃~! 間宮先生見なかった?」
「ううん、そういえば花火が始まってから見てないかな」
「そっか、間宮先生にも祭りの事で迷惑かけちゃったから、謝りたかったんだけどなぁ……」
ポリポリと頬を掻いて苦笑いを浮かべる加藤に、瑞樹は呆れ顔で口を開く。
「ホントだよ! 愛菜が無茶なお願いするから、先生達の予定をドタキャンして抜け出すのに、凄く苦労したって言ってたよ! それに、私だって寂しかったんだからね!」
「あぁ……それに関しては本当にごめんね……まだ怒ってる?」
加藤は不安げにそう訊くと、瑞樹は静かに首を左右に振る。
「ううん! 初めはショックだったけど、愛菜のおかげで楽しかったし、嬉しかった! 愛菜の言ってた通り、本当に私が望んでいる事に気付けたしね! ありがとう」
瑞樹が笑顔でそう返すと、加藤の不安が吹き飛び力強く瑞樹の目を見つめた。
「よかった! 私がしてあげられる事はここまで! 後は志乃次第だからね!」
加藤は両手を腰に当てて、得意気にそう忠告した。
「うん! 分かってる! 頑張るね!」
そう宣言した瑞樹の目に、迷いの色がなくなっている事に気が付いた加藤は、嬉しそうに微笑む。
思えばこの合宿が始まった頃は、加藤とこんな話をする事になるなんて想像もしてなかった。
でも、この合宿で出会った仲間達のおかげで、ずっと背負ってきた物を下せそうな気がする。
勿論、それはこれからの自分次第なのは、加藤に言われるまでもなく、自覚している事だ。
「今の志乃、凄くいい顔してるよ!」
「ん! ありがとう! 愛菜」
ふふふと笑い合う瑞樹と加藤を見ていた後輩達は、目をキラキラさせながら2人に詰め寄ってきた。
「瑞樹先輩! お祭りで何かあったんですか?」
興味津々という顔が、瑞樹の前に並んだ。
「え? あ、あぁ! 私が親友の掌で踊らされたって話をね!」
瑞樹はクスクスと笑みを浮かべながら、加藤を指さした。
「えぇ!? 加藤先輩酷いです!」
「ちょ! ちが! 言い方! 志乃! 言い方!」
心外だと言わんばかりに、慌てる加藤を皆で笑った。
「もう! 間宮先生見かけたら教えてよね!」
「うん! りょ~かい!」
可愛く敬礼のポーズをとる瑞樹を見た加藤は少し頬を赤らめて、照れ臭そうに再び間宮を探しに立ち去って行った。
(……何あれ!? 可愛すぎでしょ! 私が男だったら秒で惚れてるっての!)
◇◆
「あ、そうだ! このメロンパンを奥寺先生達に渡すの忘れてた」
施設の手前まで来た間宮は、他の講師達に渡す土産の事を思い出して立ち止まった。
また戻らないとと溜息交じりに呟いていると、施設の物陰に人影を見つけた間宮は目を凝らすと、人影の正体は奥寺と藤崎だと確認できた。
これは好都合と2人の後を追うと、奥寺達は施設の外周にある遊歩道へ向かって行った。
遊歩道に入り暫く進んだ所で、奥寺が立ち止まり藤崎に何か話し始めたようで、もうすぐ2人に追い付く所まで来た間宮の耳に、奥寺の話声が入ってきた。
奥寺が藤崎に話しかける内容が耳に届いた時、間宮は咄嗟に物陰に隠れてしまう。
「藤崎先生! 俺は今こんな状態で偉そうな事は言えないんですが、恐らくこのまま順調に合宿を終える事が出来たら、正規の講師としてこのゼミで働けると思うんです!」
「……えぇ、奥寺先生なら採用は確実だと私も思っていますよ。でも、それが何か?」
「はい! 本当は採用が確定してからタイミングを計ってと思っていたのですが、祭りでの間宮先生の行動力を見て、チマチマと計算なんてしている自分が恥ずかしくなって……もう! 今夜言ってしまおうと決心したんです!」
奥寺は極度に緊張しているせいか、この涼しい高原の気候に似合わない汗を、額に浮かべていた。
そんな奥寺を藤崎は何も言わずに、黙って見つめている。
「この合宿で初めて会った時から、藤崎先生の事が気になってました! 皆でここで生活するようになってから、色々な貴方を知る度に気持ちが大きくなっていったんです!」
ここまで一気に言葉を綴った奥寺は、大きく深呼吸をして再び口を開く。
「俺は! 藤崎先生! 貴方の事が好きです! 絶対に後悔させません! だから俺と付き合って下さい!」
奥寺の藤崎への告白を聞いてしまった間宮は、返事まで聞いてしまっては失礼だと、すぐに2人に見つからないようにこの場を離れ、花火会場へ小走りで戻っていった。
奥寺の告白に対して、困った顔をした藤崎は暫く何も話さずにいると、奥寺が手持ち無沙汰になったのか、ソワソワと落ち着きがなくなった。
そんな奥寺を見て、藤崎はふぅっと短く息を吐き、真っ直ぐ奥寺を見つめて口を開く。
「ありがとうございます……お気持ちは凄く嬉しいです」
奥寺は期待した目を藤崎に向ける。
「そ、それじゃあ!」
「でも……ごめんなさい。奥寺先生とはお付き合い出来ません」
奥寺の期待に満ちた目が曇り、勢いが失せ始める。
「初日に彼氏はいないって仰っていましたが、やっぱり付き合っている方がいたんですか?」
「え? あ、いえ! 本当に付き合っている人はいないんですが……気になってる人がいるんです……だから、こんな気持ちで奥寺先生とお付き合いするのは……失礼だと思うので」
「その気になる人って……」
奥寺は誰の事なのか分かったのか途中で言葉を切ったが、藤崎は奥寺が言いかけた人物を肯定するかのように、頬を赤らめ黙って頷いた。
「も、もし! 俺が気にしないって言ったら、もう一度考えてくれますか!? 付き合っていたら、気持ちが変わるかもしれませんし!」
奥寺はプライドを捨てて必死に粘ったが、藤崎は首を小さく左右に振った。
「そんな卑怯な事は出来ません……奥寺先生が気にしなくても、私が凄く気にします……本当にごめんなさい」
藤崎は両手を前で組み、静かに頭を下げた。
その姿が月光に照らされて、綺麗な絵画を見せられたような気分になった奥寺は、肩に入っていた力が抜けるのを感じた。
「そう……ですか……分かりました!」
奥寺はふっ!と勢いよく息を吐き、申し訳なさそうは表情をしている藤崎に、ニカっと笑みを作ってみせた。
「でも、本当にお気持ちは嬉しかったです。ありがとうございました」
藤崎も意識して笑顔を作ってみせる。
「いえ! でもね、藤崎先生! もうこれ以上この件で付きまとう事は絶対にしませんが、諦めたわけではありませんよ!」
「え?」
「もし藤崎先生が気になっている方と、望まぬ結果になってしまう可能性もあるわけですからね! 俺ってガキの頃から諦めだけは人一倍悪いんですよ!」
奥寺はそう言って、豪快に笑い飛ばした。
「ふふっ! 縁起の悪い事言わないで下さいよ! でも残念ながらこの件に関しては、私も相当諦めが悪そうですけどね」
手を口元に当てて、悪戯っぽく笑う藤崎の顔は恋をする女の顔をしていた。
「それは困ったなぁ! わっはっは!」
遠くから花火の音と、生徒達の笑い声が聞こえてくる。
そんな中、奥寺の恋心も花火の様に咲いて、そして2人の笑う声と共に、静かに散っていった。
◇◆
花火会場へ戻り村田の姿を見つけた間宮は、ドタキャンしたお詫びだと露店で買い込んだメロンパンカステラが入った袋を手渡していると、他の講師達が集まってきた為、この場を借りて改めて予定を放棄してしまった事を謝罪して、足早に施設へ戻った。
施設に戻り浴衣から私服に着替えた間宮は、自室からノートPCと祭りの時は飲めなかった缶ビールを用意して、花火大会を行っている中庭とは違う、いつもの中庭のお気に入りのデッキチェアに寛げる体制で座った。
テーブルに置いていた缶ビールを手に取り、プルタブを開けて豪快にビールを喉に流し込んだ。
「うっし! やるか!」
美味い空気を吸い込み、勢いよく吐き出して気合いをいれたところで、ノートPCを太ももの上で立ち上げた。
以前、消去した書きかけていた物語を、もう1度書く事にしたのだ。
書く気になったのは、待機室で合宿の感想を話してくれずに立ち去った瑞樹が、祭りの帰りに駐車場へ向かっている時に、突然感想を話してくれたからだ。
しかも、感想の内容が想像していた在り来たりな話ではなく、凄く興味深い感想だった為、間宮は物語を再び書く気になりノートPCを立ち上げる気になったのだ。
少し離れた場所から花火を楽しむ賑やかな声を、高原を吹き抜ける優しい風が届けてくれる。
その声を聞いただけで、この合宿が参加した生徒達にとって充実したものになったのか、容易に想像できた。
その声々に交じっているであろう、感想を話してくれた時の瑞樹を思い出しながら、間宮はゆっくりをキーボードを叩きだした。
◇◆
「前に聞かれた、合宿の感想なんだけどさ……」
突然瑞樹が、あの時の話を蒸し返しだして、心臓がキュッと締め付けれた気がした。
バスの中で、加藤が話した事を鮮明に思い出す。
結局のところ、あの時加藤が何を言いたかったのか分からないままではあったのだが、瑞樹本人に無理に聞き出すのは違うという事だけは分かっていた。
「あ、いや! その話はしたくないのなら、無理する必要はないぞ」
間宮はそう言ってこの件を終わらせようとしたのだが、瑞樹は首を横に振った。
「ううん! 話したくなかった訳じゃないんだよ」
そう話す瑞樹の顔は、申し訳なさそうな顔はしていたが、あの時のような辛そうは雰囲気は感じなかった。
「待機室で逃げちゃってごめんね。あの時はちょっとショックな事があって、その事であれから悩んでて……まぁ原因は私なんだけどさ……」
やはり無理をしている。
そう感じた間宮は、話そうとする瑞樹を止めようとした時「でもね!」と、真っ直ぐな瞳で見つめられてタイミングを逃してしまった。
「私の中で決着をつけないといけない事があって、その事から逃げている私に偉そうに話す事なんてないって思ってたんだ」
決着をつける。
その言葉に、間宮の胸がドキッと跳ねた。
「私にとってこの合宿は、凄く大切な時間でずっと忘れない事になると思うから、今更だけど先生に聞いて貰いたくなったの」
この物語は明日の最終日に使う事は、瑞樹も承知の上のはずで、だから今話したりしたら、数時間で書き直しを迫られる事だって分からないはずはない。
それでも話そうとするのは、それだけ瑞樹にとって大切な事なのだろう。
それなら、間宮の返す言葉は決まっている。
「是非聞かせて下さい。時間は気にする必要なありません。もしバスに間に合わなくても、タクシーでもなんでも捕まえれば済む話なので」
この時、間宮良介ではなく、間宮先生として聞かせて欲しいという意味を込めて、話し方を敬語に戻した。
2人は本通りの脇に寄り、瑞樹が口を開くのを待った。
「私にとってこの合宿は単に偏差値を上げる為に、参加しただけでした。勿論、参加している人は皆そうだと思うんですけど……。先生も知っている通り、英語の成績が悪くて志望大学を諦めようと考えていました。でも結果がでなかった英語が先生のstory magicのおかげで飛躍的に伸ばす事が出来た合宿で、あの講義と間宮先生には、感謝してもしきれない思いです」
間宮は謙遜する言葉をかける事なく、黙って瑞樹の話を聞きいっている。
「そんな割り切った気持ちで参加した合宿でしたけど、受験勉強の他に大切な事も沢山ありました。その中で特に大きな出来事が2つあります」
そう話す瑞樹は、人差し指を立てた。
「1つは、こんな生意気で可愛げがなくて、自分に嘘ばかりついている私なんかを、親友と呼んでくれる友達が出来た事です。その子は本当の私と本気で向き合ってくれたんです」
瑞樹は本当に嬉しそうに、そして愛おしそうにその友達の事を話す。
その親友というのは、間違いなく加藤の事だろう。
だが、正直ここまでは予想の範囲内で、特に話したがらなかった原因が見つからない。
「2つ目は、この合宿でショックな再会があった事です。初日にその人がこの場にいる事を知った時、体の力が抜け落ちてしまう程ショックでした。本音を言うと、この場から逃げ出したい気持ちで一杯だったんです」
この事かと、間宮はこの事を瑞樹は話したくなかった事なのだろうと察した。
「でも、その人は私の事に気が付いていません。だから、このまま隠し通そうとも考えたりしました。でも日にちが経つにつれ、その人がどんな人なのか知る度に正体を隠している罪悪感と、その人に犯してしまった過ちの後悔が大きくなって、泣いてしまう事もありました」
加藤の事を話している瑞樹と同一人物だとは思えない程、瑞樹の顔がどんどんと曇っていく。
「だから、もうこれ以上後悔を重ねたくないから、その人に全てを打ち明けて謝ろうと決めました。許してくれるか分かりませんが、もし許して貰えなかったとしても、これ以上逃げてしまったら本当に私は私の事を嫌いになってしまうから!」
曇っていた表情が一転して、力強く間宮の目を見つめてきた。
まるで、間宮が瑞樹の言うその人かのように……。
「この数日間で、どんな罵倒を浴びる事になっても、全て受け止める覚悟をもつ事が出来ました」
そう話した後、瑞樹は一気に話して呼吸を乱したのか、1度ゆっくりと息を吐いて最後の言葉綴る。
「私にとって、私を変えてくれた仲間と、大切な時間をくれた素敵な合宿だったと思います」
瑞樹はニッコリと笑顔を見せて、感想の最後をそう飾った。
瑞樹の話を最後まで口を挟まずに、最後まで聞き終えた間宮は柔らかい笑顔で口を開く。
「ありがとうございます。合宿で起こった事から逃げ出さずに、立ち向かった経験は今後社会に出た時、必ず大きな武器になります。でも、そんな時はもっと周りを頼る事も大切だと思いますよ。勿論僕も役に立てるのなら、協力を惜しむつもりはありませんので、合宿も明日で最後ですがそれまではいつでも相談に来て下さいね」
瑞樹が話してくれた事を噛み締める様に、目の前にいる合宿が始まった頃より強くなった瑞樹を見た間宮は、明日の物語を書き直す事を決心した。
「とても参考になりました。ありがとうございました」
◇◆
PCのキーボードを叩く音が、心地よく聞こえる。
間宮はこの合宿での出来事を振り返りながら、物語を紡いでいく。
時折、クスクスと思い出し笑いを交えながら、物語は急激な早さで形作られる。
この制作するスピードが間宮にとって、この合宿が如何に充実したものだったのかを証明していた。
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