第15話 お祭り!浴衣デート! act 1
迂闊だった。
まだ18歳になろうとしている女の子に一瞬だが、完全に見惚れてしまっていた。
女性に見惚れるなんて恋愛小説じゃあるまいし、現実でそんな事あるわけがない。
本気でそう思って生きてきたんだ。
そんな俺が29歳にもなって、女子高生に見惚れるなんて……。
面倒だなと仕方なく浴衣に着替えて更衣室を出た時、視界に飛び込んできた女性は、俺の固定観念や社会的立場、それに年齢差による壁を一気に突き抜けてきた。
あの一瞬は、それほどの衝撃だったんだ。
……俺は。
◆◇
い?
せい?
んせい?
先生?
「間宮先生!?」
(……えっ!?)
ファッションショーを終えた間宮と瑞樹は、ど真ん中で陣取っていた加藤達の元で談笑していた。
加藤達に絶賛されて照れている瑞樹を眺めて、初見で浴衣姿の瑞樹を見た時の事を思い出していた。
そんな時、声をかけられた間宮は意識を現実に戻し、呼ばれた方に顔を向けると、そこには首を傾げて、困ったような表情を見せている瑞樹がいた。
「どうしたんですか? ボーっとして」
いつの間にか隣に並んで立っていた瑞樹が、間宮を見上げながらそう問いかける。
そんな瑞樹と目が合うと、心臓が何かに鷲掴みされた様な痛みを感じた。
「え? あぁ、すみません……何でもないですよ」
間宮はそう言いながらも、思わず瑞樹から目を逸らしてしまった。
「あ! 分かった! お祭りで何を食べようか考えてたんでしょ!」
得意気に人差し指を立たせて、そう話す瑞樹は満面の笑みを見せた。
今の心理状況でその笑顔は反則だと思わず訴えたくなる程、綺麗な笑顔に心が揺れた間宮だったが、何とか表情には出ないように必死に堪える。
「はは! バレちゃいましたか」
間宮が内と外のバランスを必死に保っていると、加藤達が瑞樹を手招きして呼びに来た。
「は~い! 今行くね!」
それじゃと、加藤達の元へ下駄の音を響かせようとした瑞樹は、再び間宮に振り向き笑顔で口を開く。
「メロンパンはないかもですけど、美味しい物沢山あるといいですね! でもでも! お腹壊さないように気を付けて下さいよ!」
「はい。瑞樹さんも気を付けて楽しんできて下さい」
両手を後ろで組み、少し前屈みの姿勢でそう話す瑞樹は、本当に楽しそうだった。
間宮はまだ夢見心地な感覚を拭えず、在り来たりな返答を返すと「はい! 失礼します!」と瑞樹は元気な下駄の音を響かせながら加藤の元へ向かって行った。
それから少しして、バスの手配が完了したから順に乗り込めと、スタッフから案内を言い渡され、その際、浴衣組は車内で動き辛いだろうから、最後に乗り込んで前の席に座る様にと付け加えられた。
3年生と引率役の講師達は、指示に従いバスが止まっている施設の正面口に向かい、案内通り私服組が先に乗り込み始めて、浴衣組の間宮達は順番をバスの周辺で談笑しながら待っていた。
やがて私服組の乗り込みが終わり、浴衣組が慣れない足取りでバスへ乗り込み始める。
その時、加藤と神山が目線で合図して頷き合っているのを、側にいた間宮と瑞樹は気付かずにバスに乗り込んだ。
加藤と神山はすぐに行動を起こして、神山は瑞樹の隣になる順番を確保して、加藤は最後尾で並んでいる間宮の前で順番を待つ位置で待機する。
一番最後に間宮がバスに乗り込むと、加藤が隣の席をポンポンと叩いていて「間宮先生は、私の隣ですよ!」と間宮を隣に誘った。
大きなバスで、わざわざ窮屈に隣り合わせて座らなくても、席は空いていたのだが、加藤が大きな声で呼ぶので仕方なく間宮は隣の席に座る事にした。
これで瑞樹達が浴衣組の一番奥の席、加藤は瑞樹達の席から一番遠い席に座る事に成功した。
ここまでは加藤の作戦通りに事が進んでいるようで、加藤と神山は満足そうに笑ほくそ笑んだ。
3年生と講師達を乗せたバスが、祭り会場を目指して走り始め、車内では向かっている祭りの事で盛り上がっていた。
この施設に来てから、ずっと勉強尽くめだった生徒達は、久しぶりの解放感を楽しんでいるようだ。
飴と鞭という言葉があるが、恐らく天谷にとっての飴はこのイベントの事なのだろう。
システマチックなイメージがある天谷だが、実は相当な遊び好きだと言うのは、近しい人間は周知している事で、間宮も天谷らしいなとバスのフロントガラスから見える祭りの灯りを見ながら、冷えたビールに思いを寄せた。
そんな中、加藤は後方に座っている瑞樹の様子を伺うと、神山と楽しそうに談笑していて、瑞樹の意識がこちらの向いていない事を確認した加藤は、隣に座っている間宮に正面を向いたまま話しかけた。
「あの、間宮先生」
「はい、何ですか?」
「これからお話する事を、なるべく私の方を見ないで小声で答えて欲しい事があるんですけど」
「え? なんだかスパイごっこみたいですね。まぁ構いませんけど」
相変わらず正面を向きながら、安堵した様子で間宮にしか聞こえない声音で話し始めた。
「ありがとうございます。実はですね……」
◇◆
30分ほど山道を下り、バスは祭り会場前の駐車場に到着した。
生徒達はワクワクした表情で、勢い良くバスから次々と降りてくる。
全員が降りた事を確認したスタッフが、手に持っていた拡声器を使って連絡事項を伝え始める。
「現在18時15分です。20時30分にここを出発して施設へ戻る予定なので、それまでに必ずここへ戻ってきて下さい。もし遅れるような事があれば容赦なくおいていきますからね!」
ニッコリと笑顔を見せてそう忠告したスタッフだったが、目の奥は全く笑っていなかった。
「表情と内容が合ってないって! 徒歩で戻るとか死ねるっての!」
「ほんとそれ! 悪魔の微笑みにしか見えないってば!」
スタッフと一部の生徒達とのやり取りで、その場に笑いが起こったが、すかさずスマホのアラームを設定する生徒達の姿が、あちこちで見られた。
どうやら、冗談ではないと分かっているようだ。
そんな中、間宮は瑞樹達の方に目をやると、元々元気いっぱいのメンバーが更に盛り上がっているようで、元気な笑い声が聞こえてきていた。
ふと、加藤と目が合い、加藤は間宮の視線に気付くとニヤリと笑みを浮かべながら会釈した。
「……まいったな」
加藤の会釈を受けた間宮は、後頭部をガシガシと掻きながら呟いた。
「それでは、これから一旦解散します!」
スタッフの号令と同時に、生徒達は各自賑やかな祭りの中に消えていく。
「さぁ! 間宮先生! 我々も祭りに繰り出しましょう!」
奥寺が張り切った声で、声をかけてくる。
「え、えぇ……そうですね」
元々その予定だったのだが、何故か間宮の返答は歯切れが悪かった。
「まずはビールの調達からですね!」
結局講師達の飲み歩きに加わった藤崎が、得意気に屋台を指さしながら歩き始めた時、後方にいた間宮が申し訳なさそうに講師達に声をかける。
「あの! 皆さん……本当に言い難いのですが……」
◇◆
祭り会場に入った瑞樹達は、想像していた以上の賑わいを見せている規模の大きさに驚いていた。
「うわ~! 人が多いね! こんなに大きな祭りとは思ってなかったよ」
加藤はキラキラと目を輝かせながら、周囲を見渡している。
「ほんとだよね! もっとこじんまりしたお祭りだと思ってたもんね! てか、カトちゃんよだれ!よだれ!」
実際よだれなんて垂らしてしなかったのだが、「おっと! いけねぇ!」とよだれを拭う芝居で笑いを誘い、寺坂からのパスを上手くキャッチした。
皆、2人のプチコントに笑っていると、瑞樹が露店の中に気になる物を見つけて声を上げる。
「あ! メロンパン! じゃなくてメロンパンカステラ? がある! これなら邪道にならないかなぁ! 愛菜はどう思う?」
「何の話かなぁ? メロンパンとか全然話が見えないんですけど?」
加藤の着ている浴衣の袖を軽く摘まみながら目を輝かせてそう問うと、加藤はニヤリと笑みを浮かべながら、すかさず突っ込みを入れた。
「えあぅ!? ご、ごめん! 何でもない! 忘れて!」
薄暗い祭り会場でも、はっきりと分かるほど顔を真っ赤にした瑞樹は、慌てて摘まんでいた袖を離して、ブンブンと両手を交差させて誤魔化そうとした。
「ふ~ん……まぁ、いいけどね!」
加藤は片目を閉じて、何かを察したような口調で返していると、瑞樹達の後方から、複数人の男達が近づいてきた。
「おまたせ! 加藤!」
「よっす! 遅いっつ~の!」
声をかけてきた男達は、当然のように加藤の隣に立った。
「え? 佐竹君? どういう事?」
男達の中に佐竹の姿があり、瑞樹は咄嗟に身構えてしまう。
「大丈夫だよ、志乃! 佐竹達は私達を迎えに来たんだよ」
そう言って加藤は佐竹の肩にポンと手を置いて、ニカっと笑みを瑞樹に向ける。
「な、なんだ! そっか! 愛菜を迎えに来たんだね」
そう言った直後、瑞樹は違和感を感じた。
「ん? 迎えにって?」
首を傾げてそう問おうとすると、加藤だけではなく神山に南、寺坂に田村、後藤と川上の隣に1人ずつ男子の姿があった。
「えっと……あれ?」
瑞樹は事態が飲み込めずに、困惑した表情をして加藤に説明を求めた。
すると、加藤は両手をパンッと音を立てて合わせて「ごめん!」と、瑞樹に頭を下げた。
「え? どういう事?」
「実は、私達全員お祭りの誘いを断り切れなくって、こうなっちゃったんだ!」
「え? え~~!?」
同室メンバーの加藤達とお祭り見学を楽しみにしていた瑞樹は、想像もしていなかった急展開に驚きに声を上げる。
「じゃ、じゃあ……私はどうしたらいいの?」
「う、うん……えっとね! 私と神ちゃんはペアで回る事になってて、南やてっちゃん達は全員グループで回るらしいから、志乃さえよければそのグループと回ってくれないかなって」
「……そ、そう」
瑞樹はショックを上手く隠し切れない。
皆で楽しく祭り見物が出来るものだと思っていたのに、まさかの現地解散になるなんて想像もしていなかった。
そっか……この浴衣はそのお詫びだったのかもしれない……と、瑞樹は着ている浴衣に視線を落として、悲しそうな目で苦笑いを浮かべる。
(ショックはショックだけど、考えたら私が自分の都合で勝手に誘いを片っ端から断っていただけで、だから皆も断って私とお祭りに行くなんて単なる私の我儘だよね)
「ううん! 私は1人でお祭り見物してるから、皆は楽しんできてよ」
瑞樹は努めて笑顔を作り、加藤達に別行動すると言い出した。
「そ、そう? でもやっぱり悪いしさ」
加藤は気まずそうに返すと、グループ組の男子の1人が挙手して口を挟む。
「えぇ!? 何でだよ!? 一緒に行こうぜ! なんなら俺が瑞樹さんと……」
そう言おうとした男子の足元に激しい痛みが走る。
「い!! いってぇ!!!!」
川上が抜け駆けしようとした男子の足を、思い切り踏み抜いた。
「あらら! ごっめ~ん! 足元が暗いから見えなかったよ!」
川上は白々しく平謝りしたが、その目は男子を睨みつけている。
「そ、それじゃ、私はもう行くね……またあとでね」
そう言い残した瑞樹は、加藤達に背を向けた。
「ホントごめんね! 志乃!」
そう言った加藤の言葉は聞こえていたが、もう一度振り返って愛想笑いが出来る自信がなかった瑞樹は、聞こえなかったふりをして人混みの中に姿を消す事を選択した。
トボトボと俯きながら考えた。
(お祭りを1人で回るなんて、多分これが最初で最後かもしれないから、貴重な経験をすると思って楽しんでみよう!そうだ!そうしよう!)
少しでも前向きに捉えようと、多少無理がある言い分だとは分かっているのだが、俯いた顔を上げて下駄の音を大きく鳴るように歩き出した。
改めて周りを見渡すと、皆本当に楽しそうだ。
友達同士や恋人、それに家族連れの見物客が笑顔で瑞樹の横を通り過ぎていく。
(本当なら今頃、私も愛菜達と……)
ハッと瑞樹は意識を現実に引き戻す。
「よ、よし! まずは何か食べよう! お腹が減っているとロクな事考えないって言うもんね」
そう呟いた瑞樹は、目に入ったたこ焼きの屋台の列に並ぶことにした。
繁盛しているようでかなりの列が出来ていた為、きっとこの店は美味しいんだと期待して並んでいると、もう少しで順番が回ってくる所まで進んだ時、後ろからヒソヒソと話す声が聞こえてきた。
「おい! 前の女ってさ、1人なんじゃね?」
「ばっか! それはねぇだろ! あんな超ハイスペックな女がボッチで祭りに来るわけないじゃん!」
「いや、俺もそう思ってたんだけどよ、並びだしてずっと見てたんだけど、連れがいる感じしないんだよ」
(ボッチで祭りに来て悪かったわね!)
後ろの男達にそう言ってやりたい気持ちをグッと堪えると同時に、いつもの習慣になっているナンパの警戒モードをONにした。
「ね、ねぇ! もしかして1人だったりする?」
警戒した通り、男の1人が若干緊張気味に声をかけてきた。
だが瑞樹はいつものように、声をかけてきた男を無視して、浴衣とセットで借りていた鞄からスマホを取り出して、聞こえないふりをしてスマホを弄りだした。
だが、そのアクションが逆に1人なのだと確信させていまい、男達は目線で合図を送って瑞樹を挟むような立ち位置に移動してきた。
「な! どっから来たの? 俺ら地元なんだけどさ! こんな退屈な祭りなんて抜けてさ、俺らとどっか遊びに行こうよ!」
今度は確信を得た男は、自信ありげに瑞樹を誘い始めた。
いよいよ瑞樹も戦闘態勢にスイッチを切り替える。
「は? 退屈なら帰れば? 私はこの祭りを楽しみに来てんの! ここのたこ焼きを食べたくて並んでたんだから、邪魔しないでくれない?」
瑞樹はそう男達の誘いを拒否して、睨みを利かせて男達を鼻で笑いながら、手に持っていた鞄を武器になるように持ち替えた。
男達は瑞樹の態度に腹を立てたのか、目を見開いて声を荒げる。
「んだと! 今なんつった!?」
目つきが変わった男の1人が瑞樹の肩を鷲掴みした時、屋台から少し濁声の声が聞こえてきた。
「ほい! おまちど! ベッピンなお嬢さん! 何にする?」
屋台の店主が順番が回ってきた瑞樹に、そう声をかけてきたのだ。
それから店主は、瑞樹を囲っている男達に口を開く。
「なぁ、兄ちゃん達! ウチのたこ焼き買うのか、不細工なナンパかどっちかにしれくれねぇか? 他のお客さんに迷惑だろがよ!」
「お、おじさん……」
思わぬ援軍に、瑞樹は驚きを隠せず店主を見つめて呟くと、店主は歯が数本ない白い歯を恥ずかしげもなくニカっと笑いかけてくれた。
「あぁ!? おっさんには関係ないだろ! 黙って糞不味いたこ焼き焼いてりゃいいんだよ!」
「糞不味いってどういう事だ!? 糞ガキが! 営業妨害で出るとこ出てやってもいいんだぞ!」
段々とナンパ男と店主の熱が上がり、屋台の周りが騒然として次第に通行人も足を止めて、店主と男達のやり取りに集まりだした。
瑞樹は自分のせいで、屋台の店主や他のお客に迷惑をかけてしまった事が怖くなり、ここは自分がこの男達に大人しくついていけば収まるはずだと決意を固める。
口論になっている間に割って入り、大人しくついていくと男達に伝えようとした時、肩を掴まれていた手が何者かに引き剥がされた。
「あ、大将! たこ焼き6個入りを一船と焼きそば1つ下さい!」
肩を掴まれていた手を引き剥がした人物が、そのまま口論の輪に割って入り、何事もなったように注文を店主に告げた。
聴き慣れた柔らかくて、心地の良い低い声。
フワッと落ち着く匂いが、瑞樹の聴覚と嗅覚を刺激する。
怖くて固まっていた体が、一瞬で解きほぐされていく。
瑞樹はまさかと隣に立っている男を見上げると、男もこちらに視線を落としていた為、お互い目が合った。
「あ、あぁ――」
「悪い! 遅くなった。大丈夫だったか?」
動揺して声が出ない瑞樹の頭を、男は優しく手を乗せた。
「……う、うん」
瑞樹達のやり取りを見ていた店主は、この女の子の連れだと察してナンパ男との口論を打ち切り、完全に瑞樹達に意識を向けた。
「おい! 兄ちゃんよ! こんなベッピンなお嬢ちゃんをこんな所で1人にしちゃ駄目だろうが!」
「えぇ、ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
そう言って店主に頭を下げたのは、少し息を切らした浴衣姿の間宮だった。
完全に蚊帳の外扱いになった男達が、横槍を入れてきた間宮に矛先を向ける。
「おい! なんなんだよ! てめぇ!」
まるで自分達の存在を主張する為かのように、声を荒げて間宮を威嚇した。
優しい表情を瑞樹に見せていた間宮だったが、男達に冷たい視線を向けたかと思うと、引き剥がしたまま握っていた男の手首に力を込める。
「砕かれたくなかったら、失せろ!」
男の手首から、ゴキッ!ゴリゴリと鈍い音が聞こえ始めると、男の顔が酷い歪みを見せた。
「グッ! い、痛てぇ! やめろ! お、折れる! 折れるって!」
男は激痛で顔を歪ませながらも、間宮を睨みつけた。
だが、間宮表情は一切変化がなく、ただゾッとする程冷たい目で殺気立った男の目を射抜いている。
この男は本気だ。
本気で骨を砕こうとしている。
男達はそう確信して、全身の至る所から汗が噴き出してきた。
(なんだろう……不思議な感覚だ)
始めて会った時まで記憶を辿っても、今の間宮は始めて見る。
恐ろしく冷たい目をして、相手の手首の骨を砕こうとしている。
相手の苦しむ様子を見ると、本当に砕ける握力があるのかもしれない。
今の間宮は怖い、本当に怖い……はずなのに。
その間宮の背後に身を隠していると、いつもの柔らかい雰囲気が消えていない。
それどころか、まるで優しく包まれているような安心感さえある。
コインの表と裏。
瑞樹の頭の中に浮かんだのが、そういう表現だった。
今の間宮というコインの表は、敵意をむき出しにした恐ろしい面。
そしてコインの裏は、どんな障害があっても必ず守るという強い意志と優しが滲んでいる。
こんな大変な状況にも関わらず、瑞樹はそんな事を考えていた。
そんなコインの裏に守られながら、瑞樹は思う。
この間宮良介とは、一体どんな男なのだろうと……。
「ギャッ!!」
男のより一層苦しそうな声に、意識を戻されて間宮の背中越しに覗き込むと、とうとう痛みの限界に達したのか、男が跪いてしまっていた。
流石にこれ以上はと、瑞樹は慌てて間宮を止めようとした時、相方の男が間宮に「消えるから勘弁してくれ」と嘆願した。
相方の台詞を聞いて、間宮は握っていた男の手首を開放する。
解放された手首を庇うように、逆の手を添えて痛みに苦悶の表情を見せる男と、恐怖で立ち尽くしている男は、目に涙を溜めながら無言で逃げる様に立ち去った。
一連の出来事を見ていた、他の客から歓声と拍手が起こる。
だが、間宮はそんな周囲の反応に興味を示さずに、後ろにいる瑞樹に振り向いて心配そうな顔を向けた。
「本当に大丈夫か? 怪我とかしてないか?」
「う、うん。屋台のおじさんが助けてくれたから、本当に大丈夫だよ」
「そっか」と安堵した間宮は、屋台の店主に向き直り再び頭を下げた。
「改めて、この子を助けてくれてありがとうございました!」
「あ、ありがとうございました」
感謝の気持ちを述べて、頭を下げる間宮に吊られる様に瑞樹も頭を下げた。
「はは! いいって! いいって! 気にすんな!」
豪快に笑い飛ばす店主は、そんな事よりもと、間宮が注文していたたこ焼きと焼きそばが入ったビニール袋を差し出した。
間宮は店主に重ねて礼を言って、財布を取り出して幾らだと尋ねる。
「金はいいわ! 久しぶりに根性入ったいいもん見せてもらったからよ! その礼って事で俺の奢りだ!」
「いや! そういうわけには……」
間宮は店主の計らいを、気持ちだけでと断わろうとした。
「いいじゃん! 受け取っておけよ!」
「そうそう! 私もスカッとしたわ!」
間宮と瑞樹の周りにいた、他の客達が店主の気持ちを素直に受け取れと、断ろうとしている間宮の後押しを始めた。
「え? えっと……」
周囲の反応に困惑していると、店主がニヤリと笑みを浮かべた。
「皆さんもこう言ってるんだしよ! 俺に恥をかかせないでくれよ! 兄ちゃん! なっ!」
店主はそう言って、改めてビニール袋を間宮に差し出した。
店主にそう言われると、断り辛くなった間宮は後頭部に手を当てて観念した。
「わかりました! それじゃ遠慮なく頂きます! ありがとうございます」
ビニール袋を受け取った間宮は、軽く会釈して礼を言った。
「おぅ! 冷めたら美味くなくなるから、とっとと食ってきな!」
「はい! それじゃ失礼します!」
間宮は店主にそう告げて、瑞樹の背中を優しく触れ「行こうか」と声をかけて、露店から離れだした。
「あ、うん!」
瑞樹はそう返して間宮の後をついていこうとしたのだが、その足を数歩で止めて再び店主の方に振り返った。
「あの、私のせいでご迷惑をおかけして、すみませんでした!」
瑞樹は店主や、露店の周囲にした客達に頭を下げて謝罪した。
「別にお嬢ちゃんが悪いわけじゃねぇよ! 啖呵切ってるお嬢ちゃん格好良かったぜ! でもまぁ、今度からは彼氏がもっと側にいる時にした方がいいとは思うけどな!」
店主はそう言って、サムズアップしてニカっと白い歯を見せた。
店主の言葉に、瑞樹の顔は一瞬で真っ赤に茹で上がる。
「か、かか、かれ、かれ……彼氏じゃ」
大慌てで店主の言葉を否定しようとしたが、頭の中が混乱してしまったからなのか、上手く話せずに慌てふためいていると、店主が両腕を組んで間宮が立ち去った方を眺めた。
「いい奴じゃねぇか! 優しいだけの奴なんて腐る程いるけど、あいつは心が強いよな! あんな奴はそうそういないと思うぜ!」
店主にそう言われて、ついさっきの間宮の姿を思い浮べると益々顔の赤みが増した気がした。
「俺の若い頃にそっくりだぜ! まぁ、あの彼氏にこれからも守ってもらえ! わっはっは!」
「……はい」
豪快に笑い飛ばす店主に、瑞樹はコクンと頷き笑顔で応えた。
(……彼氏なんかじゃないんだけどな)
露店を離れて、慣れない下駄からカランコロンと軽快な音を響かせる。
勘違いされたはずの瑞樹は、妙に嬉しそうに鼻歌を歌いながら、この先で待つ間宮の元へ向かった。
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