第12話 告白    

 瑞樹は握りしめていたキーホルダーを、加藤の目の前に差し出した。



「これをO駅のホームで落としちゃって、落とした事に気が付いたのがA駅の駐輪所だったんだ」

「え? でも今持ってるじゃん? そんな所で落としたキーホルダーなんて取りに戻ったって、ほぼ無くなってるんじゃないの?」


 いきなりキーホルダーの話をされて戸惑った加藤だったが、落とし物の話を聞いて更に首を捻る。


「そうだね。大切な物だから落とした事を信じたくなくて、鞄の中身を全部ひっくり返して探したんだけど、やっぱり見つからなくて呆然としてたんだ」

「うん」


 このキーホルダーが瑞樹にとってどれだけ大切な物なのかは、昔の話を聞いた加藤には十分に理解できた。


「でもそんな私に探しているのはこれですか?って声をかけてきた人がいて、落としたキーホルダーを差し出されたの」

「ん? ちょっと待って! 落としたのってO駅のホームで、落とした事に気が付いたのはA駅の駐輪所で……いいんだよね?」


 加藤がキーホルダーを落とした経緯の確認をしたのは、当然といえば当然の事だった。

 O駅で落とした小さなキーホルダーが、A駅で届けられたのだと聞かされたのだから、加藤が首を捻るのも無理もなかった。


「驚いたけど、本当に嬉しかったし、凄く感謝もしたの……でも」

「でも?」

「私は届けてくれた人にお礼を言うどころか、凄く酷い事言ったんだ」

「酷い事って?」

「手渡してくれたキーホルダーをひったくる様に奪って、最低だとか頼んでないとか……おっさんだとか……そんな最低な事ばかり言ったんだ」


 話している途中から、瑞樹の目から再び涙が零れ始める。

 さっきの嬉し涙と違い、今度は後悔の涙が止まらない。


「どうしてその人に、そんな事言ったの?」


 加藤は暴言を吐いたと話す瑞樹を、少しキツイ眼差しを向けて詳細を求めると、瑞樹は辛そうに、O駅で電車を待っている時に強引なナンパにあった時の事を、簡潔に加藤に話して聞かせた。


「……そんな後の事だったし、時間も深夜で薄暗い駐輪所だったから、過剰に警戒してしまっていて……」


 瑞樹の過去を聞く前なら、加藤はそれでもやり過ぎだと瑞樹に怒ったかもしれない。

 だが過去を知ってしまった後では、やり過ぎだったと加藤には割り切れなかったようだった。


「……そっか。拾ってくれた人には悪い事したと思うけど、仕方がなかったかもしれないね」


 加藤は瑞樹がとった行動を仕方がないと肯定したが、瑞樹は首を強く横に振る。


「ううん! 仕方がないわけない! どんな理由があろうと、その人には全く関係ない事なんだから! 本当に申し訳ないって思ってるし……凄く後悔してる」


 瑞樹の肩が小さく震えている。


 そんな瑞樹を見ていると、下手な慰めは逆効果だと何も言わずにいた加藤だったが、その話がコテージに戻ってきた時の涙との関連性を感じなかった。


「そうだよね……でもさ、今の話とさっき志乃が泣いていた事と、どう関係があるの?」


 加藤がそう問うと、瑞樹の表情が一層曇っていく。


「落とし物をわざわざ届けてくれた、親切な人というのが……」


 瑞樹はギュッと瞳を閉じて、その者の名を告げる。



「……間宮先生だったの」

「……え?」


 全く状況が理解出来ない加藤の思考が、一瞬止まる。


「……え? ちょっと待って」


 加藤はたまらず瑞樹の話を中断させて、ここまでの話を纏める事にした。



 瑞樹の心の支えになっていた大切なキーホルダーを落として、それを届けてくれたのが間宮だった。

 でもここに来てからの2人を見てて、面識があるようには見えなかった。

 少なくとも、駐輪所で暴言を吐いて怒らせた相手とは、加藤には思えなかったのだ。


「志乃と間宮先生って、合宿が初見じゃなかったの?」

「……うん。だから初日に挨拶をしている先生を見た時は、頭が真っ白になって体の力が抜けて崩れそうになった」


 (なるほど、あの時様子がおかしかったのは、それが原因だったのか)


「でも間宮先生は、愛菜達と同じように私も合宿が初対面だと思ってるんだよ」


 (そう!そこが分からなかった)


「それってどういう事?」

「間宮先生ってずっと眼鏡かけてるでしょ?」

「え? 眼鏡? あぁ、うん」


 合宿の間宮だけ知っている人は眼鏡をずっとかけているイメージだが、実は普段はあまり眼鏡をかけていない事、そして駐輪所での時も眼鏡をかけていなかった事を話して、続けて加藤が知りたがっている事の説明を始めた。


「つまり間宮先生は普段から眼鏡を使わないといけない程、視力が悪いわけじゃないんだよ。でも、薄暗い場所だと少し凝視しないとボヤけてしまうらしいんだ」


 瑞樹の説明を聞いた加藤の疑問が解けていく。


「てことは、駐輪所では志乃の顔をハッキリと認識出来ていなかったって事?」

「ん……多分ね」


 瑞樹はその事を知った時、このまま正体を隠してやり過ごすか、これ以上後悔しない為にも正直に明かして謝るか悩んでいたと話す。


「なるほど、そうだよね……じゃあ、さっき泣いていたのは正体を明かして謝ったけど、許して貰えなかったって事?」

「あっ! 違くて! 泣いてたのは先生が合宿の講師として同行する事になった時の本音と、そうなってしまった原因を知ってしまったからなの……」

「間宮先生の本音と原因?」


 また首を傾げてしまう単語が出てきた。

 間宮の本音と原因で、瑞樹が泣いてしまう事に繋がりが見えない。


 瑞樹は頷いて、間宮がいる待機室で起こった事を話し出した。


「間宮先生は今の高校生に幻滅してたから、そんな高校生相手に講義を行う事が憂鬱だったんだって……」

「え? それって……」


 加藤はすぐに間宮が幻滅している原因に気が付いたが、言葉を途中で切った。


「……うん……そうだよ……私のせいなんだ。私があの時、間宮先生を傷つけてしまったから……」



 暫く2人に沈黙が訪れる。


 時計は午前2時をさしている。


 この時間になると、まるでこの世界に2人だけしか存在しないような錯覚を覚える程に、本当に静けさだけが支配していた。

 だが、その静寂を「でもさ!」と加藤が壊しにかかる。


「先生の本音は分からないけど、見た感じは楽しそうにやってると思うんだけど?」

「うん、今は楽しいって言ってたけど、楽しくなったのも私がきっかけだったんだって」

「志乃、何かしたの?」


 明後日の方を眺めて、これまでの事を思い出そうと腕を組んで考え込む加藤に、初日の講義で出席をとった時、立ち上がって返事を返した事が間宮には嬉しくて、憂鬱な気分が晴れたと礼まで言われたと瑞樹は話す。


「本当はそんな事が目的で、立ち上がったわけじゃないのにね……」


 そう話す瑞樹は眉間に皺を作りながら、作り笑いを浮かべる。


「あれが原因だったのか。でもさ! 勘違いだったかもだけど、それならそれで憂鬱にしてしまった相手と、憂鬱を晴らした相手が同一人物だって告白して、誠意を込めて謝れば上手くいくんじゃない?」

「そんな嘘ついて誠意って、どんな誠意なのよ!」


 ソファーから立ち上がり声を荒げる瑞樹に、加藤は少し驚いた顔を見せたが、すぐに表情を戻して冷静な口調で瑞樹に問う。


「じゃあ、志乃はどうしたいの?」

「それが分からなくなったから悔しくて、怖くて、自分に腹が立って涙が止まらなくなったんじゃない!」


 小さな肩を震わして、瑞樹は加藤に思いの丈を吐き出した。


「志乃……」


 再び沈黙が流れる。


 加藤は出窓から真っ暗な外を見つめながら、何かを決心したように立ち上がり、必死に涙を堪えている瑞樹の目を見つめる。


「分かった! この件は私に預けてもらうよ」


 加藤は一方的にそう告げて、そのまま寝室がある2階へ向かいだした。


「え? ど、どういう事!? 何をするつもりなの!?」


 瑞樹は不安を隠せない表情で、立ち去ろうとする加藤に訴えかける。


「ん? 大丈夫! 勝手に先生に余計な事を話すとかじゃないから! ただ志乃に本当の気持ちを気付かせてあげる為に、状況と時間を用意するだけだよ」

「……状況と時間?」


 言っている意味が全く理解出来ない瑞樹は、困惑した目を加藤に向ける。


「そ! だから最後は志乃の思うように行動すればいいよ」

「……」

「その時、どういう結論をだしても、私は志乃が出した答えを支持するからね」


 加藤はそう告げて、立ち尽くす瑞樹にウインクして寝室へ歩を進める。


「明日も講義があるんだから、志乃も寝ないとだよ! おやすみ!」

「お、おやすみ……」


 加藤の考えが全く読めない瑞樹の目は、益々冴えてしまった。



 ……でも、初めて昔の事を誰かに話せた事で、心が少し軽くなった瑞樹は、寝室に向かった加藤に「ありがとう」と感謝した。




 だが、明日からの事を考えると、眠れる気がしない瑞樹であった。



 ◇◆


 7日目 夏祭り当日




 朝、目覚ましのアラームが鳴り響いたが、中々止める事が出来なかった。

 連日寝不足な上に、ワンワンと泣き疲れたのが原因だろう。


 ホント子供っぽくて嫌になると、瑞樹は独り言ちる。


 何とか布団から這い出てアラームを止めて、まだ寝ているであろう皆を起こそうと、声をかけようとした時、瑞樹の視界に珍しい光景が広がっていた。


 瑞樹以外の布団は空になっていて、加藤達の姿がなかったのだ。

 昨日までなら、誰も起きる気配すらない時間のはずなのだが……。


 瑞樹は慌てて寝室を飛び出してリビングに降りたのだが、そこにも誰の姿もなく、このコテージには自分以外誰もいない事に気付く。


「あ、あれ? 皆どこ?」


 一応シャワー室やトイレもチェックしてみたが、やはり同様の結果だった。


 誰もいないと分かると無性に寂しくなった瑞樹は、パジャマ姿のままコテージを飛び出して外の様子を見渡すと、隣のコテージで宿泊している女子が体操をして体をほぐしていた。


 体操をしていた女子は、パジャマ姿の瑞樹に近寄る。


「あれ? 瑞樹さん、おはよう!」

「あっ! おはよう、片山さん」

「パジャマのままでどうしたの?」

「うん、愛菜達見かけなかった?」


 片山は自分が外に出てきた時に、ゾロゾロと本棟に向かっていったのを見かけたと教えてくれた。


「まだ食堂も開いてないのに、どこ行くのかなって気になってたんだけどね」


 瑞樹は片山に礼を述べて、とりあえずウロウロ出来る恰好ではなかった為、一旦コテージに戻る事にした。


 「あれ? 私だけ置いて行かれた?」


 ……何か疎外感が半端ではなく、泣きそうな顔で瑞樹はトテトテとリビングのソファーに腰を下ろした。




 この部屋に1人でいるのは初めてで、元々広い間取りで全員いても狭さを感じない部屋だった為、1人だと余計に部屋の広さを感じてしまう。

 ソファーの隅っこで、両足を抱きかかえて座り込んだ瑞樹は、「皆……まだかな」と誰に話すわけでもなく、1人玄関を見つめながら寂しそうに呟いた。


 それから15分程経過した頃、コテージのドアがゆっくりと開く音が瑞樹の耳に飛び込んできた。

 加藤達のひそひそ声も聞こえる。


「神ちゃん、もっと静かにドア閉めてよ」

「え~? これ以上無理だってば」


 加藤達は忍び足で寝室へ戻ろうとリビングを横切ろうとしたのだが、その時「どこ行ってたの?」と地の底から聞こえてきそうな声が加藤達を呼び止める。


 加藤達はビクッと体を跳ねさせて、恐る恐るリビングのソファーに目を向けると、そこには両足を抱きかかえたまま、恨めしそうな眼差しを向ける瑞樹がいた。


「し、志乃起きてたんだ……お、おはよう」


 加藤はあからさまに動揺した様子で、白々しく挨拶をする。


「君達! 質問に答えよ!」


 瑞樹は挨拶に応じずに、口を尖らせている。


「ウッ! い、いや、今晩のお祭りの事でちょっとね……ねぇ!」


 加藤はシドロモドロになりながら、隣にいた神山に助け舟を求める。


「え? そ、そう! カトちゃんがさ、今のうちに準備しようって言いだしてさ!」


 神山も加藤と同様に、焦り口調で人差し指を立たせて説明になっていない説明をした。


「お祭りの準備? こんな早朝に? 準備って何してたの? その準備に私は必要なかったの?」


 瑞樹はもっともらしい質問を続けて、加藤達をジト~っとした目で目に見えない圧力をかける。


「いや! 志乃も起こそうと思ったんだけどさ、連日寝不足だったでしょ? 特に昨日は疲れただろうなって思って……ね」


 昨日の瑞樹が話した告白には触れない様に、加藤は遠回しに瑞樹にウインクしながら神山の説明の補足をした。


「……そう……それならいいんだけどさ……ごめんね、気を遣わせて準備手伝えなくて」


 瑞樹は嘘臭い言い訳を信じて、素直に加藤達に謝った。


 そんな瑞樹を見た全員が胸を打ち抜かれ良心が痛んだが、瑞樹のチョロさに安堵の声を漏らす。


 妙な緊張感が支配していた室内にいつもの空気が戻り、まだパジャマ姿だった瑞樹は慌てて着替えを済ませて、皆で朝食を食べる為に食堂へ向かった。



 こうして、それぞれの想いを胸に7日目が始まった。

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