第11話 親友    

 待ち伏せしていた男子達を、無言の圧力と悲壮感に満ちた涙で振り切った瑞樹はコテージに到着して、そのままバスルームに向かう。

 だが、瑞樹がバスルームのドアを開ける前に、中からバスタオルで頭を拭きながら加藤がバスルームから出てきた。


「おか……え……」


 ドアの前に立っている瑞樹に気付いて声をかけようとした加藤だったが、涙を流しながら険しい表情をしていた瑞樹を見て、言葉を途中で失った。

 驚く加藤をまともに見る事なく、瑞樹は消えてしまいそうな声で「ただ……いま」とだけ言い残してバスルームへ消えて行った。



 バスルームへ入った瑞樹は、シャワーを全開にして頭から熱いお湯を浴びて、声を殺して泣いた。

 立っていられなくて、崩れる様にしゃがみ込んで泣き続けた。

 30分……いや、もしかしたらもっと長い時間だったかもしれない。


 ようやく涙が枯れた瑞樹は、目の周りを真っ赤に腫らしてバスルームから出てきた。

 もう皆寝たようで、リビングの照明は出窓に設置してあったスタンドだけが灯り、その他の全ての照明は落とされていて真っ暗だった。

 寝室がある2階から、微かに寝息が聞こえる。


 出窓から漏れる灯りを頼りにリビングを横切り、冷蔵庫へ向かおうするとリビングにあるソファーの奥の方から「おかえり、志乃」と声がかかる。

 冷蔵庫へ向かう足を止めて振り向くと、加藤が瑞樹の分のスポーツドリンクを手渡す恰好で見つめていた。

 スタンドの薄暗い照明のせいか、気分が落ち込んでいて視界が狭かったのかは不明だが、リビングにいた加藤に全く気が付かなかった。


「……ただいま、ありがとう」


 加藤へ歩み寄りドリンクを受け取りながら、呟く様に返事を返しながら加藤の向かい側に座る。


「遅くなってごめんね……」

「別にいいよ。そんなのお互い様だしね」

「……そっか……そういえばそうだね」


 渡されたドリンクのキャップを外して、熱を持った体を冷やす為に冷たいドリンクを喉に流し込んだ。


 それから無言の時間が流れる。


 出窓の方から夏の虫の鳴き声と、時折2階から寝返りを打って床が微かに軋む音だけが、瑞樹と加藤の空間を支配していた。


 暫く続いた無言の時間を壊したのは、加藤のほうからだった。


「ねぇ、志乃」

「ん?」


 当然泣いていた事を聞かれると思っていた瑞樹だったが、加藤が話してきたのは意外な事だった。


「私ってさ、こんな性格だから割と友達って多い方なんだよね」


 言われなくても、それは容易に想像出来る事だ。

 知り合ってから、いつも加藤の性格が羨ましいと思っていたのだから。


「でも心を完全に許せる……親友っていうの? そんな友達は今までもてた事ってないんだ」

「……うん?」


 瑞樹は加藤が言わんとしている事が見えなくて、首を傾げて疑問符を打つ。


「でも! でもね! 私にとって志乃はそうじゃないかって思ってる。たった数日間寝食を共にしただけなのに、こんな事言いだすのって変だとは自分でも分かってる」

「……」

「私って実はこう見えて結構身構えるタイプなんだけど、志乃の前だと構える事なくて、自然な自分でいられるんだよね!」


 自分の気持ちを打ち明ける度に、加藤の表情にいつもの明るさが失せていき、その代わり実直さが瞳から溢れ出している。


「だから……だからね! 今、志乃に親友申請させて欲しいの!」


 瑞樹が知る限り、知り合ってから初めて真剣な眼差しを向ける加藤を見た。

 親友に申請がいるなんて、ハッキリ言って聞いた事がない。

 だから、加藤の思いの丈を聞いた瑞樹は驚きの色を隠せない。


「……私なんかのどこがそんなに気に入ったの? こんな意地っ張りで可愛げのない奴なんだよ?」


 瑞樹は座っていたソファーに完全に体を預け両膝を抱いて俯きながら、加藤の自分への評価を否定した。


「そだね……本当に素直じゃなくて、男子達を一切近づけさせない様に意地を張り続けてるよね! 時々本当に何を考えているのか、分らなくなる時があるもん」


 加藤の話を聞いて、膝を抱きかかえていた腕に力を込める。


「……そうだよ。愛菜の気持ちは嬉しいけど、こんな面倒臭い奴を親友なんかにしたらきっと苦労するだけだよ」


 自分の事を否定する瑞樹を見て、加藤は痺れを切らしたのかソファーから勢いよく立ち上がった。


「苦労しないのが親友なの!? 色んな事を素直な気持ちでぶつかり合って、乗り越え合えるのが親友って言うんじゃない!? 少なくとも私は志乃の悩みを共有して、一緒に悩みたいって本気で思ってるよ!」


 そう言い切る加藤の姿が薄暗い場所にも関わらず、瑞樹の目には凄く眩しく映った。


「あ、ありがとう愛菜。嬉しい……本当に嬉しい……でもね……」

「でもねは聞きたくない! 私の事を考えるんじゃなくて、志乃が私を親友にしたいのか、親友にしたくないのかだけ答えて!」


 強い口調でそう言い切られてしまって、二の句が継げない瑞樹は照れ臭そうに、真っ直ぐに見つめてくる加藤から目線を切る。


「わ、私だって今まで親友って呼べる友達がいてくれた事なんてないよ」

「うん! それで?」

「愛菜は私が持っていないものを沢山持っていて、いつも羨ましいって思ってたし、そんな愛菜に憧れてた」

「それは光栄だね! それで?」

「だから……その、そんな愛菜に私なんかと親友になりたいって言ってくれて、嬉しくないわけないし……」

「それは良かった! それで?」

「わ、私も愛菜に親友になって欲しいって……思って……ます」


「志乃!!」


 瑞樹の気持ちを最後まで聞こえた加藤は、正面に座っている瑞樹に飛び込む様に抱き着いた。


「うわっ! ちょ、愛菜!?」

「ありがとう! ありがとう! 志乃! 私すっごく嬉しいよ!」

「愛菜……ううん……私の方こそありがとう。こんな私だけど宜しくね」


 今の瑞樹は満面の笑みを向けられない心境だったが、精一杯の笑顔を作って加藤の気持ちに応えた。

 すると、加藤の満面の笑顔が一瞬で影を潜めて、再び真剣な眼差しを瑞樹に向けて訴えかける。


「それじゃ早速だけど! 志乃の笑顔を取り戻す為に、親友がお節介やかせてもらうよ!」

「え? なに?」


 加藤はより一層表情を引き締める。

 それはまるで、今から壊れ物に触れる様に見えた。


「志乃が男を寄せ付けなくなった、本当の理由を訊かせてくれないかな」

「……え?」


 瑞樹は無意識に加藤から距離をとって、まるで怯える子供の様に構えた。


 やはり絶対に軽い気持ちで触れてはいけない事なのだと、瑞樹の変化を見て確信した加藤は、離れてしまった瑞樹との距離を詰めて優しく手を握る。


「志乃の事だから、今まで一度も誰かに話した事ないんでしょ? でも私には話して欲しい。一緒に悩ませて欲しい」


 加藤の目は本当に真剣なもので、瑞樹はこれ以上距離をとる事が出来なかった。


「……愛菜の気持ちは嬉しいけど……ごめん」

「うん! 簡単に話せない事があったのは予想してた。でもね! 志乃はこのままでいいの? 本当に今のまま生きていくつもり?」

「……それは……でも」


 瑞樹の中で迷いが存在している事を知る事が出来て、加藤はホッと胸を撫で下ろす。


「今ここで、親友と認めてくれた私に話せなかったら、この先誰にも話せなくなるかもしれないよ? 志乃はそれでいいの?」

「……」


 もう一押しだと、加藤は最後にとっておきの言葉を瑞樹に伝える。


「間宮先生に、本当の自分を見て欲しいんじゃないの?」


 加藤がそう告げると、ずっと怯えた目をしていた瑞樹の目が大きく見開かれ、勢いよくソファーから立ち上がり「な、なんで」と零す。


 いつもの加藤なら、ここからは瑞樹を揶揄って笑うところだったかもしれない。

 だが、この時はまるで間宮のような、柔らかい表情で瑞樹を見つめていた。


「な、なんでそこで間宮先生が出てくるの!?」

「え~? 違うの~?」


 加藤はここでいつもの不敵な笑みを浮かべる。

 知り合ってまだ数日の関係なのに、もう何年もの付き合いを重ねてきた様に感じた。


 (本当に愛菜には敵わないな……でも)


「でもね、愛菜も受験で一番大事な時期でしょ? そんな時に、私の事なんかで愛菜の邪魔なんてしたくないの……分かって……」

「邪魔なわけない! 私にとっても大事な事だよ! だって私達親友なんだよね!? 親友が邪魔になんてなるわけない!」


 あれだけ泣いて、もう枯れたと思っていた涙がまた溢れてくる。

 でも、この涙はさっきとは違う。

 これは紛れもなく嬉し涙だ。


 (はは……私って嬉し涙なんて流せたんだ)


「愛菜……ありがとう」


 掠れるような声で、でもしっかりと気持ちが伝わる様に、涙で歪んだ加藤の顔を見つめて感謝した。


「お礼なんかいらないよ」


 笑顔でそう言う加藤を見て、瑞樹は涙を拭って深呼吸をする。

 そして涙が収まったところで、瑞樹は決心してゆっくりと話し出した。


「……あのね、中学3年の頃に……」



 ◇◆



 間宮は瑞樹が突然出て行った部屋のドアを見つめて、呆然と立ち尽くしていた。


 ドアの前で立っていた瑞樹の後ろ姿が、今にも消えてしまいそうな程小さくて弱々しく見えた。


 でも、そんな背中を間宮は追えなかったのだ。


 追えば、何かが壊れてしまいそうな気がしたから……。


 そんな時、部屋のドアをノックする音がした。

 待機時間はとうに過ぎている。

 もう誰も来ないはずなのだ。


 (……もしかして)


「瑞樹さん!?」


 ドアの向こうにいるであろう人物に、間宮はそう呼びかけると静かにドアが開いた。


「残念! ハズレです! 瑞樹さんじゃなくてごめんなさい」


 クスクスと揶揄うように、笑って部屋に入って来たのは藤崎だった。


「藤崎先生でしたか……あ! 失礼しました!」

「いえ、気にしないで下さい。それよりも、やっぱり瑞樹さんはここにいたんですね?」

「え? えぇ、さっきまでいましたけど?」


 瑞樹が零れる涙を拭う事なく男達の中を突っ切った時、中庭で風にアタリながらビールを楽しんでいた藤崎がその現場を目撃していた。


 瑞樹の表情と歩いてきた方を見た藤崎は、今晩の当番が間宮だった事を思い出したと話す。


「だから、きっと間宮先生と何かあったんじゃないかと思いまして」

「何かって言われても……僕はただこの合宿に参加するまでの経緯を話しただけなんですが」

「経緯……ですか」

「えぇ、話し終えたら瑞樹さんの様子が変わってしまって、突然ここを出て行ってしまったんですよ……」

「そうですか」


 以前瑞樹が話していた、謝らないといけない事を間宮に打ち明けたのだと思っていた藤崎だったが、どうやらそれは見当違いだったようだ。


 だが全く関係ないとは思えなかった藤崎は、少し考え込む仕草を見せた。


「藤崎先生?」

「1つだけ質問させて下さい。合宿に参加するまでの経緯に、女子高生が絡んでたりしないですか?」

「え? えぇ、関わっていますけど?」


 なるほど!これで繋がったと、藤崎は納得した様子で頷く。

 詳細は分からないが、間宮がいう経緯に瑞樹が謝りたい事案が存在しているのだろう。


「あの……藤崎先生、何かご存知なのですか?」


 珍しく不安気で弱々しい表情をしている間宮に、藤崎は寂し気な笑みを浮かべる。


「瑞樹さんが相手だと、そんな表情もされるんですね」

「え?」


 自覚がなかった間宮は、慌てて自分の顔を両手で覆う。


「少し……妬けちゃいます」


 藤崎はそう言い残して間宮の反応を待たずに、待機室を後にした。


「流石にこれは私の口から話す事じゃないし、ライバルの援護射撃なんてする余裕ないしね……しょうがない! 今晩は1人で飲むかなっと!」


 藤崎は出てきた待機室のドアにそっと触れて、再び中庭に向かい歩き出した。



 1人取り残された間宮は、モニターに映っている新たに制作していた文章を暫く見つめて、Deleteのキーを叩き文章を全て消去した。


 瑞樹の気持ちが理解出来ないのであれば、この物語は作るべきではないと制作を諦めてノートPCを閉じた。


 ◇◆


 あれ以来、ずっと1人で抱え込んできた事を始めて人に話す。


 それも自分の事を親友と言ってくれる女の子に……だ。


「……という事があったんだ」


 加藤に視線を外したまま、昔あった事を全て話し終えてから、暫く沈黙が流れている。

 この沈黙が、加藤の自分を見る目が変わってしまうのではないかと、瑞樹は不安で仕方がなかった。

 そんな時間が数分経った時、沈黙の空気を加藤が壊す。


「……なんで?」


 そう呟く加藤の目から、大粒の涙が零れ落ちている。


「なんで!? なんでよ! なんで志乃がそんな目に合わなといけないの!?」


 加藤は少し癇癪を起して、ギリっと音が聞こえてきそうな程、歯を食いしばっている。


「愛菜……」


 本気で怒っている加藤に、瑞樹は俯きながら話を続ける。


「今でも時々考えるんだ。何がいけなかったんだろう、どうすれば良かったんだろうって……でもやっぱり何度考えても分からなくて」

「当たり前じゃん! だって志乃は全く悪くないんだから!」


 加藤は涙でグチャグチャになった顔を隠そうともせずに、瑞樹の瞳を真っ直ぐに見つめて強く言い切った。


「私、悔しい! その時に志乃の傍にいられなかった事が、凄く悔しいよ!」

「……愛菜……その気持ちだけで凄く救われてるよ……ありがとう」


〝チリン〟


 昔の事を話し出す前に、勉強道具が入ったトートバックから、気持ちを落ち着かせる為に取り出して、話している最中ずっと握りしめていたキーホルダーの鈴の音が鳴る。


 その鈴の音が、加藤の荒ぶる感情を少し落ち着かせた。


「そのキーホルダーがあの? 確か岸田君だっけ」

「……うん。このキーホルダーの思い出があったから、逃げて腐らずに済んだんだ」

「そっか、でもこれをくれた岸田君って」

「うん、家の都合で2学期に入って暫くして転校しちゃったんだ。でも岸田君がいなくなっても、これがあったから頑張れたと思ってる」


 手に持っている小さなキーホルダーを、愛おしそうに見つめている瑞樹に、加藤は少し考えて気になった事を訊いてみる事にした。


「ねぇ、1つ聞いていい?」

「ん?」

「岸田君の事……好きなの?」

「……どうかな、唯一私を助けてくれた人だったから、心の拠り所になっていたのは事実だけど、それが異性として好きなのかは、今でもよく分からないんだ」

「そっか、それは確かに難しいところだよね」

「うん、でも私にとって恩人で大切な人って事には変わりないよ」


 瑞樹の儚げな笑顔を見た加藤は、流しっぱなしだった涙を拭い深呼吸をして呼吸を整える。

 そして、瑞樹の両肩に両手を優しく乗せて、力強い口調で瑞樹に口を開いた。


「私は志乃の味方だから! 絶対何があっても傍を離れたりしない! だから、これから一緒に少しずつでいいから、本当の自分を取り戻す為にがんばろ!」


 加藤の瞳が強く自分を見つめている。


 その瞳が安心感を与えてくれている。


 涙が溢れる。


 嬉し涙が止まらない。


「うん……ありがと」


 加藤は、俯いた瑞樹を抱き寄せた。


 強く抱きしめた加藤は、瑞樹の耳元で志乃は私が守るからと、優しく自分の気持ちを伝えると、瑞樹の肩に入っていた力が抜けていく。


「あはっ、合宿に来てから泣いてばかりだ私……こんな泣き虫じゃなかったハズなんだけどなぁ」


 自分の腕の中でそう呟く瑞樹を見て思い出す。

 瑞樹が部屋に戻ってきた時、もう既に泣いていた事を。


 瑞樹の抱擁を解いた加藤は、何も言わずに瑞樹を見つめる。

 そんな加藤の目を見て何かを察したのか、瑞樹はコクリと頷いた。


「うん……昔の話をした愛菜に隠す必要ないね……さっき泣いていた理由……だよね?」


 加藤は静かに頷き、瑞樹が聞いた事を肯定する。


「うん、話してくれる?」

「……わかった」


 瑞樹は持っていたキーホルダーを再びギュッと握りしめて、話を始めだした。



 あとがき


 コロナで外出自粛されている多くの方々お疲れ様です。

 少しでも、そんな皆さんのお役に立てればと、今後も執筆活動を頑張っていきますので、皆さんもこの危機を頑張って乗り越えましょう!


 ゴールデンウイーク期間は、出来る限り更新を増やしていこうと思っていますので、応援宜しくお願いします。

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