第10話 争奪戦
6日目 朝
この日早朝に、スケジュールではイベントとだけ記載されていた時間帯に、何を行うかの詳細が各タブレットに告知された。
やはり佐竹から聞いていた通り、3年生は夏祭り見物と花火、1~2年生は肝試しと花火と告知されていた為、朝から食堂は何時にも増して賑やかだった。
1~2年生は肝試しポイントと花火の量等で盛り上がり、最上級生である3年生は誰と祭りに行くかで盛り上がっている。
特に3年生の男子達は祭りの事で盛り上がりつつ、視線はチラチラと食堂の入口に向かられて、誰かを待っているようだった。
「ふぁ~! 眠たいよ……」
そこへ加藤を先頭に、瑞樹達が食堂へ入ってくる。
「流石にこの眠たさは……ヤバいかも」
食堂に入ってきた加藤と瑞樹は、眠たそうに眼を擦り、足取りも重そうだった。
「結局2人は何時位に寝たの?」
「ん~何時だったかな……3時過ぎ?」
「それくらいかなぁ……帰ってくるまで待つって決めてたから待ってたけど、まさかあんな時間まで帰ってこないなんて思ってなかったからなぁ」
神山達も今朝起きた時に、加藤が佐竹と話をしに出て行った事を聞いてはいたが、2人が寝た時間を聞いて「あんた達ねぇ」と呆れていた。
「一体そんな時間まで、佐竹君と何してたの?」
額に指を当てた神山は溜息交じりに加藤を横目に見てそう訊くと、加藤は顔を引きつらせる。
「え? 何って……べ、別に、ただ喋ってただけだよ?……うん!」
加藤がアタフタしながらも神山の口撃をかわしていると、瑞樹が恨めしそうな声で神山に加勢する。
「5時間も話す事があったんだ……へぇ! どんな話をしてたのかなぁ?」
「いや! だ、だからね! 志乃の事とかね……」
いつも加藤に揶揄われていたお返しとばかりに、瑞樹はニヤニヤと笑みを浮かべて加藤の反応を楽しんでいると、トレイを持って並んでいた瑞樹達の周りを数人の男子達に囲まれた。
「加藤さん!」
「は、はい!」
瑞樹達に必死で言い訳をしていて、男子達に囲まれていた事に気付いていなかった加藤は、不意に声をかけられて慌てながら振り向くと、7人の男子が目の前に立っていた。
「え? な、なに? なに?」
加藤はこの状況が呑み込めずに、目をぱちくりとさせていた。
「ねぇ! 加藤さんは明日の祭りって誰と回るか決まってる? まだなら俺と一緒にいかね?」
「は!? バッカ! 俺と行くんだよね?」
「おいおい! 笑わせんなよ! 加藤さんは俺と行く事に決まってんだよ! ねっ! 加藤さん!」
あちらこちらから、明日の祭りのお誘いが加藤にかかる。
そんな事に耐性がない加藤は、耐性の塊である瑞樹に助けを求めようと男子達から視線を外した。
「だから、愛菜は人気者なんだって言ったじゃん!」
助けを求める視線を、ニヤニヤと笑みを浮かべた瑞樹はキッパリと拒否した。
「もう! 志乃ってそんな意地悪だったっけ!?」
「愛菜先生を見習いましたぁ!」
「そんなとこ見習わなくてもいいってばぁ!」
困り果てる加藤を楽しそうに眺めながら、瑞樹は「お先に!」と告げて朝食を受け取り、加藤を残して空いている席に向かった。
そこで自分の後ろにいたはずだった、神山達の姿がない事に気付く。
再び受け取りカウンターの方に振り返ると、神山達も複数の男子達に猛プッシュを受けていた。
後で知った事なのだが、瑞樹達が宿泊していたコテージは別名『美人部屋』と、男子達の間でそう呼ばれていたらしい。
確かに偶然なのか必然なのかは不明だが、個性豊かな美人揃いのメンバーだったかもしれない。
そんな祭りのパートナー争奪戦が繰り広げられている中、珍しく自分に声がかからなかった事にご機嫌な瑞樹は鼻歌交じりに席に着き、手を合わせて合掌しようとしたのだが……。
「いただき……」
「瑞樹さん!」
「……ます?」
合掌を途中で遮られた瑞樹は、残りの台詞を言いながら『ギギギ』と擬音が聞こえてきそうな動きで恐る恐る振り返ると、そこには加藤達とは比べようがない人数の男子達が待ち構えていた。
「……」
待ち構えていた男子達に、男に声をかけられ慣れているはずの瑞樹でさえ、思わず思考が追い付かず固まってしまった。
瑞樹を誘おうと集まった男共の人数は、なんと26人もいたのだ。
「瑞樹さん! 明日の祭りんなんだけどさ!」「一緒にどうかなって!」「屋台がさ!」「勿論ゴチるよ!」「何だよ! 狭いんだからどっかいけよ!」「おい! 順番まだか!?」「――」「……」
「え、えっと……その」
流石の瑞樹も、この状況には目を点にして対応に困っていた時、食堂の入口付近からパン!パン!パン!と手を大きく叩く音が聞こえた。
「はい! 全員聞いて下さい! 特に男子達!」
食堂に現れた間宮が、声を張って争奪戦を繰り広げている男子達に呼びかける。
「明日の祭りに女子を誘いたい気持ちは、同じ男として理解出来ます!」
間宮が話し出すと、騒ぎになっていた男子達の動きが止まり、一斉に間宮の方に顔を向ける。
「ですが今は朝食中で、ここは食堂です! 施設の方々のご迷惑をかけるわけにはいきません!」
間宮と一緒に食堂に入ってきた藤崎も、腕を組んでうんうん!と頷いている。
「それに今日もこれから講義があります! 食事の時間がなくなって朝食を食べ損なわせて、一緒にいたい女子達にお腹の音を気にさせながら講義を受けさせるつもりですか?」
間宮の訴えを聞いた男子達が、「アッ」と声を漏らして誘っていた女子達から距離を取り始めた。
(た、助かった!ありがとう!間宮先生!)
瑞樹は感謝の眼差しを間宮に向けて、この騒動を収めてくれた事に感謝した。
「なので!」
(……ん?)
「お誘いは講義が終わった後の、自由時間で思う存分アタックして下さい!」
(…………はぁ!?)
食堂に笑いが起こったが、瑞樹はムスッとした顔で間宮を睨む。
こうして、怒涛の争奪戦は夜に持ち越される事になった。
◇◆
同日 22時前
そろそろ自主学室が閉まる時間だ。
周りを見渡すと、殆ど人気がなくなっていた。
というより、今晩は自主学室に訪れる生徒達が少なかった。
恐らく、明日の祭りの事で騒いでいるのだろう。
出口へ向かい講師の待機室を見ても、順番待ちをしている生徒の姿はなかった。
今日は何とか逃げられそうだと安堵していると、スマホが震えて何かを受信した事を知らせる。
スマホを立ち上げると、用があるからと少し早めに部屋へ戻った加藤から、メッセージが届いていた。
『おつか~! さっき戻る時に、中庭の通路辺りで今朝の男子達が志乃の事待ち伏せてたよ! 無事の帰還を願うww』
メッセージの内容を確認すると、瑞樹の顔色がみるみる悪くなっていく。
「……はぁ」
思わず溜め息が漏れる。
祭りの誘いをどうかわすか思案しながら、自主学室から出ようと歩き出した時、今朝の食堂での間宮の顔が鮮明に思い出されて、何だか無性にムカついてきた。
(……そういえば、今日は当番だったはずだ)
自主学室を出て、コテージに向かう方向とは逆方向に少し移動すると、当番の間宮がいる待機室の前で足が止まる。
中の様子を伺ってみたが、どうやら他の生徒がいる気配はしなかった。
瑞樹は躊躇せずドアをノックすると、中からどうぞ!と返事が返ってくるのと同時に、勢いよくドアを開けて中へ入った。
「……」
「あ、瑞樹さん。こんばんわ」
「……どうも」
いつもと変わらない柔らかい笑顔で迎えられた事が、逆に瑞樹の神経を逆なでする。
「それでは質問を受け付けますね。どこですか?」
「……ありません」
「え?」
「だから、藤崎先生の講義が凄く良くて、解らない箇所はないと言ったんです!」
間宮は首を傾げて、言っている意味が分からないと困った表情になる。
「では、ここに何しに来たのですか?」
瑞樹は怒りが吹き出しそうになるのを堪えるように、長めに息を吐いて気持ちを落ち着けてから、努めて冷静な口調で話す。
「先生のせいで、部屋に戻れないんですけど」
「……どういう事ですか?」
瑞樹は間宮が今朝焚きつけた男子達が、部屋までの通路で待ち伏せしているから帰れないのだと説明すると、間宮はようやく理解出来た顔つきになった。
「あぁ! ……えっと、あれ? もしかして苦情ですか?」
「もしかしなくても、苦情ですよ!」
パイプ椅子に腰を落として、強気に足を組んで恨めしそうに訴える。
流石の鈍い間宮も、瑞樹の様子を見て思う所があったようで、今度は間宮が慌てた。
「あ、あはは! 皆さんに良かれと思って提案したのですが、瑞樹さんには迷惑でしたか」
「えぇ! 本当に迷惑です!」
間宮は手を顎に当てて、開いていたノートPCのキーを何回か叩いて、少しの間考え込むと「分かりました!」とPCに落としていた視線を再び瑞樹に向けた。
「では後15分程、ここで待ってもらっても構いませんか?」
「……別にいいですけど……どうするんですか?」
「僕が責任を持って、瑞樹さんを部屋までボディガードとして送っていきます。ただ、今取り掛かっている仕事があって、それが終わってからでお願いしたいのですが……」
間宮先生が私のボディーガード!?
予想していなかった展開に、瑞樹の思考が一時停止しかけたのを、何とか踏みとどまり黙って頷いた。
間宮は瑞樹の返事にホッと安堵した表情を見せて、再びPCに視線を落として作業に取り掛かる。
部屋の中は勿論、部屋の周辺も静かになり、間宮のノートPCのキーを軽快に叩く音だけが響く。
その軽快な音に瑞樹の心が躍りだした時、ようやく冷静になれた事を自覚した。
勉強の事でいるわけではないのに、こんな狭い空間に2人きり……。
といっても、普通の女の子なら気にしないのかもしれない。
だが特別免疫がない瑞樹にとっては、体が硬直するほど緊張してしまうのは仕方がない事だった。
意識すればする程、自分の顔が赤くなっていくのが分かる。
そんな自分を、仕事に集中している間宮にバレないように、視線を自分の膝に向けて俯いた。
俯きながらも、時折チラチラと間宮を見ると、相変わらず真剣な表情でモニターを見つめてキーボードを叩いている。
そんな間宮を見て、ふと瑞樹は考える。
大人が真剣に仕事に打ち込む姿って、どうして格好良く見えるのだろう。
正直言って、あの姿に憧れを感じた。
例えば、今目の前にいる間宮先生はどういう経緯で、この仕事を選んだのだろうか。
今回、合宿に参加したのは社長に頼まれたかららしいけど、普段は違う塾で講義をしているのだろうか。
塾の講師は、昔からやりたい仕事だったのだろうか。
というよりも、やりたい仕事だから真剣に打ち込めているのだろうか。
もしそうなら、今の自分には無理な事だ。
だって、やりたい事や夢なんて全く持ち合わせていないからだ。
高校生はそんな感じでいいのだろうか。
少なくとも、自分の周りには夢を持って生きている人はいない。
間宮も高校生の時は、同じような感じだったのだろうか。
自分は今の現状を維持して、自分を守るだけに精一杯で毎日が必死だった。
保身の事しか考えていない自分でも、夢なんてもっていいものだろうか。
「僕の顔に、何かついていますか?」
バレないようにチラチラと見ていたつもりだったが、考え事をしていていつの間にか、堂々と間宮の顔をガン見していたらしい。
まぁバレたのならバレたで、都合が良いかもしれないと、瑞樹は小さくコクリと喉を鳴らして、訊きたい事を話す事にした。
「あの! 勉強の事ではないんですけど、質問していいですか?」
「えぇ、僕が答えられる範囲でいいのなら、別に構いませんけど?」
(よし! 言質とれた!)
瑞樹は講師という仕事は、間宮がしたい仕事だったのかと質問するつもりだった……のだが、瑞樹の口から出た質問は全く違う内容だった。
「女子高生ってどう思いますか?」
(あれ? 私何言って……)
「えっと、何故そんな事を訊くんですか?」
「え……えっと……そ、そう! 間宮先生の世代から見て、今の女子高生ってどう見てるのかなぁって思って! ほ、ほら! 今のガキは社会をナメてるとかよく耳にしますから!」
(く、苦しいか……苦しいよねぇ)
「今の若い人達って解釈でいいんですよね?」
「は、はい!」
(間宮先生が鈍い人で、ホントに助かった……)
「う~ん……今も昔も変わらないと思いますよ?」
「というと?」
「そのままの意味ですよ。昔も今も努力している人もいるし、早々に投げ出している人だっていたわけですからね。あっ! そうだ!」
間宮は瑞樹の質問に答えてから何かを思い出したのか、さっきまで弄っていたノートPCのモニターを瑞樹にも見えるように、クルリと回して書きかけていた文字を指さした。
「Study training camp 2020ですか?」
「えぇ、訳してください」
「えっと……勉強合宿2020……え? これって」
瑞樹はタイトルを見て、間宮が何をしようとしていたのか察した。
今までの間宮が作ったstory magicの話はファンタジー色の強い幻想的な話だった。
クラスが再編成されてからは間宮の講義を受けていないが、恐らく変わっていないだろう。
「つまりこのお話だけファンタジーではなくて、リアル系、それもこの合宿にちなんだ物語を作ろうとしているんですか?」
「えぇ! その通りです!」
間宮は今回の合宿分の物語は作ってきたのだが、最終日の物語だけこの合宿の事を物語にしようと新たに書き始めたらしい。
合宿の話をstory magic化……。
(え? なにそれ! 超面白そうなんだけど!)
「そこで、瑞樹さんにお願いしたい事があるのですが」
「なんですか?」
「合宿が始まってまだ6日目ですが、瑞樹さんにとってこの合宿はどうでしたか?」
「え? この合宿についてですか?」
質問の内容には少し驚いたが、さっきの変な質問の流れを誤魔化せて安堵している瑞樹に、間宮はニッコリと微笑み、この質問をした経緯の説明を始める。
瑞樹は今年が合宿初参加で、初日から思う所があったのではないと問う。
だが、仲間を得て受験勉強に真摯に取り組んできて、今ではトップクラスの伸びを見せている瑞樹の今の気持ちを知りたいと、間宮は少し遠い目をしながら話して聞かせた。
間宮の話を聞いて、正直嬉しい気持ちはあった。
それは成績を褒められた事ではなく、合宿初日から自分の事を見ていてくれた事を知ったからだ。
だがここで舞い上がってしまっては、また可笑しな事を言ってしまいそうで怖かった為、瑞樹は質問に答える前に同じ質問を間宮に問う。
「間宮先生はどうでしたか? 年の離れた生徒達とずっと同じ場所で講義するのって……」
「僕ですか? そうですね……」
そこまで話すと、間宮は少し考えて困った顔を向けた。
「実はこの合宿に参加する事は、僕にとって憂鬱だったんです。でも昔凄くお世話になった天谷社長に是非にと頼まれたので、引き受けたんですけどね」
「どうして、憂鬱だったのか聞いていいですか?」
何故だか、その理由を私は知らないといけない気がした。
間宮は少し迷った様子だったが、かけていた眼鏡を外して口を開く。
「その理由は、さっき瑞樹さんがした質問の答えに含まれるかもしれませんが、社長から今回の依頼があった少し前に……」
話し出す間宮の表情が徐々に曇っていく事に気が付いた瑞樹は、何だか無性に胸騒ぎがした。
「駅のホームで落とし物を拾ったんですが、色々あってそれを駅員に届けそびれてしまったんです」
(あれ?)
「でも、偶然にも降りた駅の駐輪所で、落とし主に会えたんです」
(それって)
「落とし主は女子高生だったのですが、落とし物を渡そうとしたら」
(そっか……だから)
「謂れのない酷い罵倒を浴びせられて、その子の態度が頭にきて」
(憂鬱だった原因は)
「それ以来、かなり今の高校生を見る目が変わってしまって」
(私だったのか)
「そんな高校生相手の合宿に参加しろって言われたものだから、やっぱり構えてしまってたんですよ」
「……」
「でも、先ほども話しましたが、天谷社長にはお世話になったので、恩返しが出来る時が来たのだからと自分に言い聞かせて、依頼を引き受けたんです」
始めて出会った時の話を聞かされて、顔を上げて間宮の顔が見れなかった。
両膝の上に置いている握りこぶしを作っていた両手が、プルプルと震えている。
間宮はそんな瑞樹の変化に気付かず「でもね!」と続けた。
「初日の初講義の場で出席をとっている時に、返事だけでいいと言ったのに、わざわざ席から立ち上がってしっかりと顔を見せてくれて、丁寧な返事を返してくれた」
(……それは違う)
「その事が嬉しくて、燻っていた憂鬱な気分が晴れた気がしたんです」
(先生を喜ばせる為に、やったわけじゃない)
「だから、こうして楽しく講師をやらせてもらっているのは……瑞樹さん、貴方のおかげなんです! 本当に感謝しています」
涙が零れるのを堪える事しか出来ない。
何か一言でも口を開けば、堪えていた涙が一気に流れ落ちてしまう。
その涙は嬉し涙ではなく、悔し涙で、後悔の涙で、自分自身への怒り涙だった。
「それに参加している皆さんが、本当に一生懸命に僕の講義に耳を傾けてくれて、素晴らしい合宿だと感じました」
間宮は瑞樹に向けたノートPCを、指でポンポンと優しく触れてニッコリと笑顔を向けた。
「だから、今回の合宿の事を物語にして、最後の講義を行いたいと思ったんですよ」
「……」
もう黙る事しか出来ない。
どんな顔をして合宿の事を語ればいいのか、いや!語る資格なんて始めから自分にはない……あるわけがないんだ!
「瑞樹さん? どうかしましたか?」
間宮の声色が変わって、自分を心配してくれているのが分かる。
「……いえ」
「なので瑞樹さんのお話を、是非聞かせて欲しいと思ったんですよ」
そう言ってくれる間宮を少しだけ目線を上げて見てみると、いつもの柔らかくて、優しい表情で微笑んでくれていた。
(やめて……そんな顔で私を見ないで。そんな笑顔を向けてもらえる資格なんて、私にはないんだから……)
瑞樹は俯いたまま静かに立ち上がって、後ろに振り返り出口に向かってドアノブを握りしめた。
「瑞樹さん?」
そんな瑞樹を困惑した表情で呼び止める間宮に、背を向けたまま必死に涙声にならないように、声を絞って小さく呟くように話す。
「すみません……私はそんな偉そうに語れる立場ではないと思うので、他の人に聞いた方がいいと思います」
もう絶対に振り向く事は出来ない。
何故なら、もう限界を超えてしまった瑞樹の頬には一筋の光の道が出来ていたからだ。
「……失礼します」
瑞樹がそう言って部屋を出ようとするのを見て、間宮は慌てて片付けを始めながら呼び止める。
「ちょっと待って下さい! 部屋まで送るって言ったじゃないですか!」
間宮の声色を聞いて、表情を見なくても困惑しているのが分かる。
「……いえ、やっぱり大丈夫です。1人で戻れますから、先生は仕事を続けて下さい」
「いや、でも!」
引き下がろうとしない間宮の声に、何も反応せずにもう一度「失礼します」とだけ告げて、瑞樹は部屋のドアを閉めて間宮の元から立ち去った。
部屋を出て足早に通路を歩く。
会議施設と宿泊施設の境にあるロビーに辿り着いた時、後ろから間宮が追ってくる様子がない事を確認した瑞樹は、我慢していた涙が一気に流れ出した。
静まり返ったロビーに、瑞樹の嗚咽だけが響いている。
止めどなく流れる後悔の涙を、瑞樹は拭う事を一切せずに再びコテージを目指して歩き出す。
宿泊施設へ入り、中庭がある通路に差し掛かった時、待ち伏せていた男達が瑞樹の姿に気が付いて、一斉に駆け寄っていく。
だが男達は駆け寄った足を止めて、瑞樹に何も話しかける事はなかった。
男達がそうした原因は、辛そうな表情で大粒の涙を隠す事もせずに歩いていたからだ。
そんな瑞樹を見た男達は、無言で塞いでいた道を開け始める。
目の前に男達の間に出来た道を確認すると、瑞樹は再び足を動かして歩き出して、すれ違い様に「ごめんなさい」とだけ告げて立ち去った。
こうして、一番人気の瑞樹を巡って勃発した争奪戦は、誰も勝者を生む事なく静かに終戦を迎えたのだった。
あとがき
ゴールデンウイークなのに、外出自粛で皆さん退屈されているかと思い、少しでも暇潰しになればと、この後も22時にもう一話連投させて頂きます。
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