第2話 さりげない優しさ
朝から食堂で落ち込んでいる男がいる。
瑞樹と何とか仲良くなろうと張り切り過ぎて、合宿初日にバッサリと一刀両断された佐竹だ。
元々周りに溶け込むのが苦手で、瑞樹にお近づきになるどころか、合宿に参加している男子達とも、すでに若干浮き出している状態だった。
「あった! 食堂はっけ~ん!」
食堂の出入口から元気な声が聞こえてきた。
「愛菜がまかせて! なんて言うからついていったら、迷うんだもんなぁ」
「まぁ! お約束って大事じゃん? 探検って感じで楽しかったっしょ!」
呆れる瑞樹と、呑気な加藤のやり取りで、神山の笑い声が響いてくる。
加藤達の賑やかな声に反応した男子達が、ザワザワと騒ぎ出す。
「おい! 瑞樹が来たぞ!」
「ヤッベ!! やっぱ超可愛いんだけど!」
「何とか合宿中に、お近づきになれねぇかなぁ」
「あ! 俺は加藤派だから!」
「誰もそんな事聞いてねぇよ!」
(ふ、ふん!さっきから瑞樹、瑞樹って馴れ馴れしい!全くここに何しに来たんだか!)
勿論そんな事を面と向かって言える佐竹ではなく、座ったテーブルに向かってブツブツと呟いていていると、瑞樹達の声が近づいてきている事に気付く。
顔を上げて周辺を見渡してみると、佐竹のすぐ近くにトレイを持って席を探している瑞樹の姿が見えた。
「瑞樹さん! よかったら僕の向かいが空いてるよ!」
「志乃! ここ丁度8席空いてるよ!」
佐竹と加藤がほぼ同時に、瑞樹に声をかけた。
「あ、うん! ありがと!」
加藤達の方へ視線を送った後、瑞樹は立ち上がって席を勧めた佐竹に冷静なトーンで応える。
「佐竹さんもありがとうございます。でも、皆と一緒に食べたいのでごめんなさい」
「そ、そう……わかった」
瑞樹は佐竹の反応を見ずに、すぐさま加藤達の元へ向かって行く。
相変わらずクールを通り越して冷たい瑞樹の対応に、佐竹は深い溜息をついた。
すると、周りの席からコソコソと話す声が聞こえてきた。
話している内容までは聞き取れなかったのだが、何を話しているのか想像が付く。
恐らく、瑞樹に声をかけてフラれた自分を笑っているのだろう。
また溜息をつきながら、自分の元を立ち去った瑞樹の姿を追うと、佐竹が座っている隣の列のテーブルに座った。
佐竹からは丁度瑞樹の背中が見える位置だった。
(……こんなはずじゃなかった)
佐竹は更に落ち込み、完全に下を向いて恥ずかしさで顔を赤くさせた。
そんな時、また入口の方が騒がしくなった。
「あ! 間宮先生! ここ空いてますよ! 私達と一緒しませんか?」
「いやいや! こっちで食べるんですよね? 間宮センセ!」
どうやら間宮が食堂に入ってきたようだ。
あちらこちらの女子達から声をかけられている。
(あぁ……僕もあの人みたいだったら、もっと自信をもって瑞樹さんを誘えたのに……)
佐竹は間宮をチラっと見て、また深い溜息をつく。
今朝から何度溜息をついたら気が済むのだろうと、自分で自分に問いたい気分だった。
「ここ、よろしいですか?」
突然、頭の上から声をかけられた佐竹は慌てて顔を上げると、佐竹の正面の席にトレイを持った間宮が立っていた。
「え? あ、どうぞ!」
佐竹はアタフタしながらも、間宮に自分の正面の席に手を添えた。
「ありがとうございます。それではお邪魔します」
間宮はニッコリを微笑みながら、向かいの席に座った。
女子達にあんなに誘われていた人が、わざわざ浮いている自分の正面に座る意味が分からず、佐竹は内心首を傾げる。
間宮の後方で、同じような事を考えている人物がもう1人いる。
間宮と背中合わせの席に座っている瑞樹だ。
瑞樹は体中の神経が、全て背中に集まってしまっているのではないかと思える程、背中越しの間宮に意識を集中させて、要警戒モードに入った。
佐竹と瑞樹は同じことを思う。
((……何でここに?))
佐竹は少し冷めたカレー皿の隣に置いている、水が入っているグラスに視線を落とした。
そこには情けない顔をした自分が写り込んでいる。
目の前に座る間宮と今の自分と何が違うのだろうと、佐竹は思考を巡らせる。
だが壇上で他の講師達と同じように挨拶をしただけで、取り分け何か気を引くような行動をとったわけではないはずなのにと、佐竹は唸るしかなかった。
(……僕とこの人と、何がそんなに違うっていうんだよ)
「……カレーですか」
佐竹が少なからず間宮に嫉妬心を抱いて心の中でブツブツと呟いていると、目の前にいる間宮がジッと自分のカレー皿を見つめながら呟いた。
「カレー嫌いなんですか?」
「あぁ、すみません。いえ、そんな事はないんですが」
間宮が何を言いたいのか分からず、佐竹は首を傾げる。
「あの、こういう団体客が食事をする時って、カレーライスが定番みたいになっていますが、何故なんでしょうね」
「えっと、個人個人でメニューを注文していたら、手間がかかるからじゃないですか? カレーなら大きな鍋にまとめて作っておけばスタッフも少人数で済みますし」
「なるほど! コスパがいいというわけですね」
間宮は佐竹の意見に納得する仕草を見せた後、何かを考え込むように指を顎先に当てた。
「でも敢えてセオリーを無視して、インパクトの強いメニューを提供すれば、お客さんの印象に強く残ると思うんですよね」
「……インパクトですか。因みに間宮先生なら何を提供しますか?」
佐竹の質問に、間宮の表情が更に真剣なものに変わっていく。
「そうですね、僕なら……ぬた定食でしょうか」
「へ? え? ぬ、ぬた定食……ですか?」
真剣そのものといった表情で、予想を遥かに超えた返答が返ってきて、佐竹の胸の内にあった間宮への嫉妬心が笑い声と共に外に吐き出されていく。
「な、何でぬた和えなんですか!? そんなの誰も喜ばないし、逆にクレームがきちゃいますよ!」
「ぬた和えは喜ばれませんか? 栄養価も高いし美味しいと思うんですけどね」
間宮は納得がいかないと、腕を組みながら不満気にぬたを語るものだから、佐竹の笑いが止まらない。
間宮と佐竹の会話を盗み聞きしていた瑞樹も、佐竹と同様に笑いが込み上がってくるのを、慌てて手で口を塞ぎ声を殺して肩を震わせ堪えていた。
「ん? 志乃? どうした?」
瑞樹の向かいに座っていた加藤が、様子がおかしい瑞樹を覗き込んでくる。
「んふふふ……ん! なんでもないよ……ホントにダイジョブ……んふふふ」
佐竹は大笑いしながら、そのまま間宮のぬたの豆知識を聞いていると、佐竹の周囲で食事をしていた生徒達が何事かと集まってきた。
「なに? なに? 何がそんなに面白いんだよ」
生徒の1人が話しかけてきたので、佐竹は笑いを堪えながら間宮の提案したメニューの事を話して聞かせた。
「ぬた和え? ぬたってあのぬた……だよな?」
その話を聞いた生徒達も思わず吹き出して、気が付けば笑い声が佐竹の周囲から溢れ出していた。
いつの間にか集まってきた集団の中心に佐竹がいて、ついさっきまでの状況が嘘のように、皆と本当に楽しそうに会話している。
笑い声の中心にいる佐竹の横顔を眺めていた間宮はクスっと笑みを零した。
そんな小さな声を聞き逃さなかった瑞樹は、何故ここに間宮が座ったのか理解した。
(そっか!だからこの席に座ったのか)
「志乃? 嬉しそうな顔してるけど、何かあった?」
「ん? 愛菜達と知り合えて、楽しいなって思ってただけだよ!」
にこやかにそう話した瑞樹は、加藤にキラキラとした笑顔を見せた。
「それでは講義の準備があるので、僕は先に失礼しますね」
盛り上がっている雰囲気の中、間宮は佐竹にそう告げてトレイを持って席から立ち上がった。
「あ、はい!」
「楽しく食事をするのは構いませんが、講義には遅れないようにして下さいね」
「はい!」
間宮に元気に返事したのは佐竹だけではなく、集まってきていた生徒達全員が返事を返して、間宮を見送っていた。
そんな生徒達に柔らかい笑顔で軽く会釈した間宮が、そのまま返却口にトレイを返却して食堂を後にする背中を目で追っていた瑞樹は思う。
塾の講師が、生徒達の友好関係に関わるような事をするのだろうかと。
それは教師の仕事であって、講師の仕事ではないのではないかと。
(……あの間宮って、なんなの?)
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