第3話 戦友

 最悪な誕生日から4日が過ぎた。


 あの時の事がまだ忘れられずに引きずっている。

 だが昨日までは幸いにと言うのも変かもしれないが、仕事が忙しく時間に追われていた為、その事をあまり考えずに済んでいた。

 しかし今日は極端に仕事が落ち着いてしまった為、余計な雑念が頭の中を過り調子が出ない。


 同僚達に気付かれない様に注意していたつもりだったのだが、集中出来ていなかったせいで細かい凡ミスを連発してしまい、周りに散々迷惑をかけてしまった。

 こんな日は無理に仕事をしても、ろくな結果にはならない事は経験上よく知っている。


 ……今日はもう帰るか。


 今日の調子を冷静に分析した俺は、ミスを取り戻す事を諦めて早い店終いをする事にして、帰り支度を済ませて帰宅する事にした。

 そういえば、私情が仕事に影響してしまったのはいつ以来だろう。


 そんな事を考えながら、一階のロビーを抜けようとしたところで、降りてきたエレベータ付近で俺を呼ぶ声がした。


「間宮! 今帰りか?」


 振り返ると、同期入社の松崎がこちらに向かって歩いてくる。


「あぁ、偶には定時で終わっても罰はあたんないだろ?」

「はは! まぁな!」

「松崎も帰りなのか?」

「まぁ、俺もそんな感じだ」


 そんな事を話しながら2人で駅へ向かって歩いていると、松崎が思いついたように切り出す。


「そうだ! 珍しく2人揃って、こんなに早く仕事を終えたんだ! これから久しぶりに飲みに行かないか?」


 松崎はおちょこを口元に当てる仕草をしながら、飲みに誘ってきた。

 どうでもいいのだが、その仕草がまだ20代だというのに妙に似合っていて、思わず吹き出しそうになるのを我慢したのは内緒だ。

 正直このまま帰宅しても、悶々とあの夜の事を考えてしまうだけだと思う。

 それなら気心が知れた松崎と飲むのは、いい気晴らしになるだろう。

 なにより、単純に俺もこいつと飲みたい気分だった。


「それいいな! いこうぜ! どこの店で飲む?」

「そうだな……あっ! この前、駅前にオープンした店はどうだ?

「新しい店? そんなのあったか?」

「あぁ! 隠れ家的な店で落ち着いて飲める店だったって、ウチの部署の若い連中が言ってたんだよ」

「へぇ! そんな店が出来てたのか。しばらく家と会社の往復しかしてなかったから、気が付かなかったな」

「はは! この仕事人間が! よし! その店で決定だな!」


 突入する店が決まり、2人は久しぶりの居酒屋に心を躍らせて歩く足を速めた。

 店に到着して店内に入ると、スタッフが通した席に2人で腰を下ろす。

 2人だったからなのか、スタッフは俺達をカウンター席に案内した。

 カウンター席とはいっても、左右は壁で区切られていて、個室風になっていた。

 照明も薄暗く落とされていた為、確かに落ち着ける空間になっている。


「へぇ! 確かに落ち着いて飲めそうだな」

「だろ? 俺のお薦めに間違いはないんだよ」


 松崎はドヤ顔を見せつけたが、「お前も初めて来た店なんだろ」と突っ込むと、白々しい笑いで誤魔化していた。

 スタッフが早速ドリンクの注文をとりに来ると、松崎は自然に「とりあえずビール2つ」とスタッフに告げる様子を見ていたら、何だか可笑しくなって今度は我慢出来ずに吹き出してしまった。


「んだよ!」


 吹き出したのが気に入らなかったのか、松崎が手渡されたおしぼりを投げてきた。


「いや! なんだかさ、とりあえずビールって台詞って、昔は親父臭いとか思ってたんだけど、いつの間にか似合うようになってたんだなって思ってさ」


 吹き出した理由を話すと、松崎はハンッ!と鼻で笑い反論を始める。


「何言ってんだよ! 俺達まだ20代なんだぜ? こんな台詞が似合うようになるのは、まだまだ先の話だっての!」

「そうか? シックリきてんだけどな」

「るっせーよ!」


 親父予備軍トークに花を咲かせていると、注文していたビールがテーブルに運ばれてきた。

 俺達は「お疲れ!」の号令を合図に、ジョッキをガツンと突き合わせて豪快にビールを喉に流し込んだ


「やっぱ仕事終わりの一口目のビールは最高だよな」

「やっぱ親父じゃん! 似合い過ぎだって」

「うっせ! 美味いものは美味いんだから、そこに年齢の壁はないんだよ!」


 一気に流し込んだビールで、ジワリとアルコールが体に浸透していくのが分かる。


 確かに一口目のビールは最高だと思うが、俺はその後にくる何とも言えない感覚が好きだ。

 周囲を見渡してみると、いつの間にか席が殆ど埋まっている。

 オフィス街の駅前に構えている店だけに、仕事帰りの客達が至福の表情を浮かべて酒を飲み交わしている。



「んで? 何があったんだ?」

「え?」

「気付いてないと思ってたのか? 何年の付き合いだと思ってんだよ」



 松崎とは同期入社で、研修中も同じグループで正式な辞令が出るまで、いつも一緒に行動していた。


 俺達はわりとタイプが違っていたのだが、妙に気が合ってそれ以来こうした付き合いが続いていて、今ではお互い切磋琢磨しているライバルでもあり、信頼している仲間でもあった。


「……そんなにバレバレだったか? 気付かれないように気を付けていたつもりだったんだけどな」

 そう話す俺に、松崎は溜息をついた。


「あのなぁ……俺様をナメんじゃねえよ。お互い競い合ってきた仲なんだぞ? お前があんなくだらないミスを連発するなんて、普段からじゃ考えられねーよ!」


 確かに松崎と俺は同じ営業職ではあるが、違う課に所属していて同じフロアで仕事をしてはいるのだが、違う島にデスクを構えている。


 そんな距離の松崎に気が付かれていたのは、素直に驚かされた。


「視野が広いっていうかなんというか……心配かけて悪かったな」

「謝る必要なんてないだろ。俺はただ誰かに話したら、少しは楽になるんじゃないかって思っただけだ」

 松崎は照れ臭そうに、頭をガシガシと掻いて飲みかけのビールを飲み干した。


「そっか……じゃあ、ちょっと聞いて貰えるか? つっても大した事じゃないと思うんだけど……実はさ」


 俺はあの駐輪所で出会った女子高生の事を、出来るだけ詳細に話した。


 最後まで黙って聞き終えた松崎は、何かを我慢しているようだったが、すぐに限界を迎えたようで、腹を抱えて笑い出した。



「じゃあ、あれか! 落とし物を親切に届けただけなのに、泥棒呼ばわりされるは、ウザがられるは、とどめにオッサン呼ばわりされたってわけか!」


 ウケまくる松崎に悪気がない事は分かっている。

 ただ笑いを狙ったわけではないから、複雑な気分なんだよな。


「わりぃ! で? どうなったんだよ」

「別にどうもなってない。罵倒するだけして、逃げる様に駐輪所から出て行ったからな」


 あの女子高生の事を思い出すと、以前から気になっていた事を話題にしてみた。


「なぁ、最近のガキはどうしてあんなのばかりなんだろうな。何であんな事を悪びれもなく言えたりするんだよ……理解出来ないんだよな」


 俺がそう言うと、松崎も思う所があるようでビールを飲み干してから、溜息交じりに口を開く。


「まぁな……皆が皆がそうだとは言わないけど、そんなガキがよく目につくよな。俺達だって真面目に生きてきたわけではないけど……」

「あぁ、やっていい事と駄目な事、言っていい事と駄目な事の線引きはしてきたつもりだったよな」

「最近のガキはその線が薄くなってるんじゃねえか」


 俺は松崎と最近の若者に対して論議してみて、なるほどと一旦は納得したのだが……。


 あの子の場合はちょっと違う気がするんだよな……。



「で? その子ってどうだったんだよ」

「どうって?」

「決まってんじゃん! 外見だよ! 外見! 可愛かったのか?」

「何だよ! 最近の若い奴はって批判していたくせに、興味あるんじゃねぇか」



 俺は腕を組んで天井を見上げ、あの子の見た目だけをよく思い出してみた。



 駐輪所の照明のせいか、真っ黒な髪ではなくて、濃い茶色の髪が背中辺りまであり、艶やかな髪がサラサラと揺れ動いているのが印象に残る。

 背丈は160センチをちょっと超えていたようだった。

 スタイルはブレザーを着ていたから、よくわからなったけど……足はスラっと長くて細い綺麗な足だった。

 顔は小顔で全体のバランスが整っていたように思う。


「まぁ、可愛かったんじゃねぇかな……多分だけど」

「何だよ、随分と曖昧な言い方だな」

「その日、仕事中ずっとコンタクトに違和感があってさ、仕事が終わって会社でコンタクト外して裸眼で帰ったんだ」


 俺は基本的にコンタクトか眼鏡をかけて生活をしているが、それらに頼らないと見えない程、視力が弱いわけではない。

 ただ、本を読む時などで少し見づらくなってきた為、予防を兼ねて使っているだけで、裸眼でも私生活にさほど影響があるわけではない。



「駐輪所が薄暗くて、あの子の事を少しジッと見つめないと駄目だったからさ」

「じゃあ、その子の顔が見えてなかったって事か?」

「ハッキリとはな。制服着てたから高校生ってのはすぐ分かったんだけどな」

「なるほどなぁ……そんな睨みつけるような子をガン見なんてしたら、何を言われるか分かったもんじゃないもんな」


 松崎は焼き鳥をかじりながら、クックックと笑う。


 でも可愛いと思えたのは何となくではなくて、一応理由はあった。

 確かに正面から見つめる事は出来なかったのだが、自転車を押しながら横切った時、横顔だけはしっかりと見れたからだ。

 スッと通った鼻先に、まつ毛が長くて目も大きかったと思う。

 サラサラのストレートの髪が耳元を隠してしまっていて、その部分しか見えなかったのだが、総評して恐らくかなりの美人だったはずだ。




 そんな事をぼんやりと考えていると、腕時計で時間を確認した松崎が少し驚いた声をあげる。


「おっ? もうこんな時間か! まだまだ話し足りないけど、今日はこの辺りで帰るか」

「あぁ、明日も仕事だしな」



 帰る事にした松崎は、通りかかった店員に会計を告げた。

 どうやらこの店は、レジで精算するのではなくて、席で会計をする流れになっているらしい。


「いつもありがとうございます! 税込みで6230円になります」


 料金を聞いた俺は財布を広げたのだが、松崎が俺の財布を制止する動きを見せて「じゃあ、これで」と1万円札を手渡していた。

「ここは俺が払うから、その財布は仕舞っておけ」

「え? 何でだよ! 半分払うって!」

「いいから! いいから! 誘ったのは俺なんだしな。ちょっと臨時収入があったから、最初からゴチるつもりだったんだ」

「いや、でもさ!」

「俺の顔を立てると思ってさ!」


 松崎の性格を考えると、いくら払うと言っても受け取って貰えそうにないと観念する事にした。


「……分かった。じゃあ、次に飲む時は必ず俺に払わせろよ!」

「おぅ! 楽しみにしてる!」


 会計を済ませた俺達は店を出て、駅まで歩き出した。

 その間、不思議と会話がなかったのだが、この無言が心地よく感じる。

 少し前をあるく松崎の背中を見て、何となく飲みに誘ってきた理由に気が付いた。



 駅に到着して改札を抜けた後、松崎は上り線で俺は下り線だった為、そこで足を止めた。


「今日は誘ってくれてありがとな! 久しぶりに楽しかった!」

「あぁ、俺も久しぶりに間宮と飲めて楽しかったわ! 今度は週末にガッツリ飲もうぜ!」

「そうだな! その時の会計は俺に任せてもらうからな!」

「ははは! 期待してる! じゃ! また明日な!」

「おぅ! お疲れ!」


 挨拶を済ませた松崎は上り線のホームへ歩き出した。

 松崎の背中を少し眺めてから、俺も下り線のホームへ向きを変える。

 だが、2、3歩進んだところで「松崎!」と振り返りながらあいつを呼び止めていた。


 松崎は不思議そうな顔をしながら、こちらに顔を向けて立ち止まった。


「本当は仕事片付いてなかったんだろ? 俺の事を心配して暇なフリまでして誘ってくれたんだよな?」

「はは! バレてたか! 確かにそうだけど、俺様を誰だと思ってんだ? あの程度の遅れなんて余裕で追いつけるっての!」

「……お前のおかげで楽になったよ! サンキュ!」

「気にすんな! じゃな!」


 松崎はまた背を向けて、手を上げながらエスカレーターへ姿を消した。

 松崎の姿が完全に見えなくなってから、俺も下り線のホームへ向かって電車が到着するまで、近くにあったベンチに座る事にした。



 もう6月で梅雨入り間近だというのに、今夜は湿った感じが少ない気持ちの良い風がホームに吹き抜けていき、酔った体を冷ましてくれる。

 きっと昔の事で、松崎にまだ過剰に心配させてしまっているのだろう。

 昔の事を知っている数少ない友人の1人に、目を閉じて心の中で感謝の気持ちを呟いた。


 ……ありがとうな……戦友。

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