第4話 意気地なしの葛藤
6月下旬の水曜日。
あの日から約一か月が経過していた。
季節は梅雨真っ最中で、今もシトシトと雨が降っている。
通っているゼミの期末テスト対策を受講した私は、人通りが疎らになったオフィス街を抜けてO駅へ向かっている。
受験だからと思われがちだが、私は高校に入学して夏休みの前からこのゼミに通っている。
中学3年生当時の私の偏差値だと、大体進学する流れが出来ていた『上野高校』という学校があるんだけど、諸事情により、私は上野高校を受験せずに、偏差値的に少し無理があった『英城学園』を受験した。
勿論、担任の先生や、進路指導の先生達に反対された。
両親も遠回しに進路を考え直すように、何度も促されてきた。
でも、私は周囲の反対を押し切ってでも英城を受験すると決めていた。
当時通っていた塾の講義や、学校の授業を必死にこなして、周りを説得出来る成績を収めた。
それらを武器に何度も話し合い、ついに英城を受験する許可が下りたんだ。
それからは目の色を変えての猛勉強の末、見事に合格を果たして晴れて英城学園の生徒になれた。
だけど、合格が決まってからある程度は覚悟していた事なんだけど、実際に授業を受けてると、想像以上に授業のレベルが高く無理をして入学した私には死活問題レベルの内容だった。
入学して早々に危機感を覚えた私は、両親に無理を言ってこのゼミに通わせて貰っている。
周りの反対を押し切って入った学校なのに、結局授業についていけない上に、ゼミにまで通わせて貰っているんだ……何て親不孝な娘なんだと自覚はしてる。
でも、そのおかげで2年に進級する頃には少し余裕をもって授業についていけるようになった。
3年になった今では、しっかりと受験を見据えて勉強出来ている。
人間必死になれば、大抵の事は何とかなるもんだと実感した。
そんな通い慣れた駅までの帰り道、傘をさして歩いていると、後方から私の名前を呼ぶ声がした。
「瑞樹さん!」
私は足を止めて振り返ると、そこには学生服を着た男が小走りでこちらに近づいてきていた。
「何ですか?」とだけ応えて、相手の反応を待つ。
「僕ゼミで同じクラスの佐竹って言うんだけど、知ってるかな? って知らないよね」
私はいつのもように睨みを利かせて、声をかけてきたこの男を突き放したかった。
でも、親に無理を言って通わせて貰っているゼミ関係で、余計なトラブルなんて起こしてしまったら、両親に申し訳が立たたない。
「ごめんなさい。知りません」
我慢しながら、表情は一切変えることなく、冷たい口調で答えるに止める事にした。
そんな返答を聞かされても、彼は苦笑いを浮かべていたものの、怯む事なく話を続けてくる。
「だ、だよね! 話した事とかないもんね」
「……」
「ぼ、僕さ! 前から君と話してみたいなって思っててさ! 聞きたい事もあったから声かけてみたんだけど……ちょっといいかな?」
正直さっさと解放されたかった私は、この男の頼みを肯定する気も否定する気も起きなかった。
「あの」
「な、なに?」
「いつからあのゼミは出会いの広場になったんですか? 私はそんな所に通っているつもりはないんですけど」
「い、いや! そ、そんなつもりはなかったんだけど……ただ、話がしたかっただけで……」
それを出会いを求めてると言わないのかと思ったのだが、面倒臭くて口にはしなかった。
その後は私が駅へ向かい出すと、岸田って奴も無言でついてくる。
まぁ、電車で通っているのなら、駅に向かうのは当然なんだから、ついてくるなとは言えなかった。駅へ着いて改札を潜り、ホームへ向かう。
少し後ろを歩いている彼の様子をチラッと見ると、俯きながらトボトボとついてきている。
……「はぁ」と私は溜息を吐いてから重い口を開いた。
「あの、佐竹さんでしたっけ?」
「え? う、うん! そう!」
「こっちって下り線ですけど、佐竹さんもこっちなんですか?」
「あぁ、うん。そう! 下り方面だよ」
「……そうですか」
「……うん」
またお互い何も話す事がなくなり、そのままホームへ到着した。
電車が到着するまでまだ数分程あり、足を止めた私は少し離れた場所で立ち止まっている佐竹の方をまたチラッと視線を向けた。
佐竹は相変わらず俯いていて、激しく落ち込んでいるように見える。
別に私が悪いわけではないと思うが、何だか可哀そうに思えて、自分から話しかけてみる事にした。
「ところで、聞きたい事ってなんだったんですか?」
やれやれといった表情でそう問うと、顔を上げた佐竹の顔色が変わった。
「うん! この事を聞きたかったんだよ」
佐竹はそう言いながら、ゼミの鞄を漁り始める。
私は彼の隣に立って、漁っている鞄から取り出そうとしている物を待っていると、彼の姿の先に一瞬で体が固まってしまいそうになる人影が視界に入った。
あっ!あの時の!
その人物の正体に気が付いた瞬間、私は咄嗟に隣に立っていた佐竹の背後に回り込んだ。
そして佐竹が着ている制服の背中と腕の袖をキュッと握りしめながら、体を少しでも小さくするように、背中を丸めて隠れた。
身を隠してすぐに佐竹の肩越しから、その人物を目で追う。
やっぱり間違いない!あの時のキーホルダーを届けてくれた人だ。
そう確信した時、あの駐輪所で目を真っ赤に充血させた表情が、私の頭の中を支配した。
勿論、今はそんな表情ではなかったが、何だか困っているように見える。
……どうしたんだろ。何だか困っているような……何かあったのかな。
何故か彼の事が気になって、引き続き隠れながら監視を行っていると、意識を向けている逆の方向から声をかけられる。
「あ、あの……瑞樹さん、どうしたの?」
「えっ?」
自分の頭の付近から聞こえた声を追って、視線を反対側へ向けると……そこには真っ赤に染めた佐竹の顔があった。
「うわっ!! ご、ごめんなさい!」
顔を真っ赤にした私は、両手をブンブンと振りながら、戸惑っている佐竹から離れて、アタフタしながら謝った。
「う、ううん! 大丈夫だよ。気にしないで」
「ホントにごめんなさい」
佐竹の顔を見ると嬉しそうな表情で、私を見ている。
……ヤバい、何か変な空気作っちゃったかも。
この場に出来てしまった空気が気にはなったが、それ以上に咄嗟に隠れたおかげで、あの人に気付かれずに済んだ事にホッと安堵した。
それからすぐに電車がホームに滑り込んできて、あの人が隣の車両に乗り込んだ事を確認してから、私も電車に乗り込んだ。
車内はわりと空いていてどこでも座れたのだが、私は車両の端にあるBOX席を陣取った。
隣の車両に乗り込んだあの人を、引き続き監視する為である。
シートに座ってすぐに隣の車両の様子をガラス越しに観察していると、私の目の前に立っていた佐竹が恐る恐る声をかけてくる。
「あの、隣に座っていいかな」
他にも沢山空席があるのだから、わざわざ隣に座る事はないと言いたかったけど、さっきの隠れ蓑にした罪悪感から断りにくくなり、体を少し端に詰めて「どうぞ」とだけ答えて、再び隣の車両に意識を向けた。
ニコニコと嬉しそうに座った佐竹は「さっきの事なんだけど」と鞄から取り出したプリントを私に見せてきた。
そのプリントは私達が通っているゼミで、毎年恒例になっている7泊8日の夏の勉強合宿の案内だった。
その合宿は勿論私も知っていて、参加費用がかなり高額だった為、1~2年生の時は参加しなかったものだ。
だが今年は受験生という事もあり、両親に頼んで参加の許可を貰って先日参加申し込みを終えたばかりだった。
「この合宿って瑞樹さんも参加するの?」
「ええ、この前参加の申し込みをしたところですけど?」
佐竹の表情が一層明るくなり、妙に声に張りが出てきた。
「そうなんだ! 僕も参加するんだけど、知り合いが余りいなくてちょっと寂しかったんだよね」
「へぇ、そうなんですか」
「だから合宿の前に瑞樹さんと話がしたくてさ! 思い切って話しかけて……」
そこまでは何とか話を聞いていたのだが、隣の車両にいるあの人の事が気になり過ぎていて、その後の話は殆ど頭に入ってこなくなっていた。
一応悪いとは思ったのだが、一方的に話ているだけなのだからと、適当に相槌を打ちながら、隣の車両にいる男の監視に集中する事にする。
そんな感じの私達を乗せた電車が、A駅の手前にあるM駅に到着した。
ここで隣に座っていた佐竹が立ち上がり、そっぽを向いている私に声をかけてきた。
「あ、僕この駅だから降りるね」
「はい、お疲れ様でした」
「うん! お疲れ様! またゼミでね! 合宿楽しみにしてるよ!」
佐竹はそう言い残して、小さく手を振りながら電車を降りて行った。
電車が再び走り始めたところで、上の空だった私は佐竹が残した言葉が変に気になった。
……ん? 何が楽しみなんだろう……勉強が楽しみなのか?まさか変な約束とかしてないよね……私。
そう考えるとドンドン心配になってきたが、今はそんな事よりもあの人に見つからずに帰宅する事の方が先決だと、すぐに佐竹の事は後回しにして引き続きずっと続けている監視を再開する事にした。
あの人はまだ困った顔をしている。
そういえば駐輪所で初めて顔を見た時も、あんな顔をしてたな。
物思いに耽っていると、すぐにA駅へ到着して、あの人の動きを観察しながら、私も慎重に電車から降りる。
その後も適度に距離をとりながら、改札を抜けて駐輪所へ向かう。
今日は雨が降っていて助かった。
傘を差していれば顔が見えにくくなり、バレる心配が少ないからだ。
傘の間からあの人の後ろ姿を眺めていた。
この前はイライラしていて気が動転していたのか、しっかり相手の背格好なんて見ていなかった。
だがこうして改めて見てみると、肩幅があり背中から腰へかけて綺麗なラインを描いている。
スーツの上からそれが想像出来るのだから、かなり鍛えてある細マッチョ体型なのだろう。
それに脚もスラっとしていて、わりと長い脚だと思う。
……なによ、スーツが似合うスタイルの良いお兄さんじゃない。
それを私はオッサンと罵倒したのか……「はぁ」と自分に溜息をつき俯いた。
ブツブツと呟きながら、いつの間にか駐輪所まで到着した私は、慌てて出入口が見える物陰に隠れて、あの人が出てくるのを息を殺して待つ。
いつまでも本当に逃げ隠れしていくつもりなの?
(だって怖いんだもん)
ちゃんと謝ればいいじゃない!
(出来るのなら、とっくに謝ってるよ!)
自分が悪いのだから謝るのは当然なのに、隠れて自分に言い訳して逃げるんだ!
(そんな事分かってる! でも、今更……)
待っている間、そんな自問自答を繰り返しているうちに、あの人が自転車を押して駐輪所から出てきた。
その姿を見た時、あの人の方へ2歩、3歩と歩き出したが、そこで足が再び止まる。
そんな事が起こっている事を知らないあの人は、自転車に跨って小雨の降る中、町の中へ姿を消していった。
……私の意気地なし! 私は私が大嫌いだ。
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