第2話 可愛げのない生意気な女の後悔

 5月27日 22時30分頃 O駅のホームに設置しているベンチにて。


「ふぅ……遅くなっちゃったな」


 予備校帰りで電車待ちの為に、ベンチに座って鞄からスマホを取り出しながら、私はそう呟いた。

 母親に予備校が終わって、駅で電車待ちだという事を無料通話アプリを立ち上げてメッセージを送り、既読が付いたのを確認してから鞄にスマホを仕舞った。

 仕舞ったスマホと引き換える様に、チリンと小さいけれど落ち着く綺麗な音が鳴る鈴と、綺麗なガラス細工が施されている薄い青い球体の飾りが付いている、どこにでもあるキーホルダーを取り出す。



 まったくもう!解らなかった箇所があったから、講義の後に個人的に質問にいったのは私だけどさ……。

 そもそも因数とはって、根本的なところから説明しださなくてもいいじゃん!

 おかげでいつもより、かなり遅くなっちゃった……。


 心の中で愚痴を零しながら、手に取ったキーホルダーに付いている球状の飾りを親指と人差し指で軽く挟んで、コロコロと転がして苛立つ気持ちを落ち着かせようと努めた。

 いつからだったかな。それを転がして遊ぶ事で気分が落ち着く事を知ってから、暇があればよく転がすようになってた。


 キーホルダーの飾りを転がしながら、待っている電車が入ってくる方をぼんやりと眺める。

 高校に入学してから、ずっとこのゼミに通っているんだけど、3年に進級してからは、殆ど毎日通い詰めている。

 受験なのだから当然と言われれば何も言えないし、両親に通わせて貰っている感謝の気持ちはあるけれど、やはり疲れやストレスは溜まってく。


 だけど、今の私にはこれくらいしか本気でやる事がない。


 高校生活を無難に過ごして、志望大学に入学出来ればきっと私にも何か変われる機会があるはずだ。

 そう思い込まなければ、とてもではないがやってらんないんだよね。



 駅のホームが途切れたその先に、電車の運転士に何かを知らせるチカチカと光るライトが見える。

 そのライトの忙しく照らす光に、まるで自分の生活のようだと溜息をついていると、「ねぇ!」と後方から声をかけられた。

 不意を突かれて少し驚きながら、声をかけられた方に顔を向けると、私服だったが同じ高校生と思われる2人組の男達が目の前に立っていた。


 威嚇する為に男達を睨みつけてから、すぐに元の方向に向きを変えて存在そのものを拒否する態度を露骨に見せてみる。


「ねぇってば! メッチャ可愛いじゃん! 何してんの? 結構暇だったりするんじゃね? これから俺らと遊びにいかね? 勿論、全部俺達が奢るからさ! 行こうぜ! な!」


 拒否の姿勢を示したのに、男達はお構いなしに馴れ馴れしく典型的なナンパ台詞を、マシンガンのように浴びせてくる。

 鬱陶しく感じた私は、男達に聞こえるようにチッ!と舌打ちをした。

 だが、舌打ちを聞かせても男達は怯む様子を見せない。


「おいおい! こんな可愛い顔して舌打ちとかなくね? いいじゃん! そんなに睨まないでさ! 遊びに行くだけだって! な!」


 男達の1人がそんな軽口をききながら、私の肩に手を置いて握るように掴んできた時、待っていた電車がホームに入って来る。


 私は咄嗟に「気安く触んないでよ! マジキモイっての!!」と掴まれた手を思いっきり振り払った。

 その行動と言い放った台詞が気に障ったのか、男達の表情が急変する。


「あぁ!? 何調子に乗ってんだよ!」


 男達が怒りの感情を込めてそう捲し立ててくる。

 怖くなった私は、慌ててベンチの足元に置いてあるゼミの鞄を拾い上げて、勢いよく鞄を男の顔めがけて振りまわした。


 鞄の中にあるゼミで使用している精密機械であるタブレットの事が一瞬頭を過ったが、勢いにのった鞄は失速する事なく男の顔に綺麗にヒットした。

 男が怯んだ隙に、私は必死に電車の車両をめがけて逃げ込む様に走った。 

 男達も慌てて後を追ってきたけど、ドアの前で急ブレーキをかける。

 男達が足を止めたのは、私が乗り込んだ車両が女性専用車両だったから。


 今の時間は専用車両の時間帯ではないのだけど、全体的に混んでいなかった為か、偶然だったのかは分からないけど、この車両には女性ばかりが乗っていたのを逃げ出す直前に確認していた。


 流石にこの車両に男達も乗り込んで強引に連れ出そうとしたら、他の乗客達が騒ぎ出す事を恐れたんだと思う。

 バツの悪い顔をしながら、私が乗り込んだ電車が走り出すのを見送るしかなかったようだ。



 完全に振り切った事を確認してから、空いているシートに疲れた体を預けて、ホッと安堵の表情を浮かべた。

 でも、あんな乱暴な事をされたのを思い出していると、段々ムカムカと腹が立ってきて、軽い吐き気まで覚える程気分が悪くなった。



 男なんて……あんなのばっかりだ。



 自宅から最寄り駅であるA駅に到着した私は足早に電車を降りて、慣れた手つきで改札を抜ける。

 こんな気分が悪い日は早く帰って眠りたい一心で、月極で契約している駐輪所へ急いだ。


 駐輪所へ到着して、自分の自転車を停めている2階へ緩やかなスロープを登りながら、自転車の鍵を取り出す為に鞄の中をゴソゴソと漁る。

 だけど、いつも仕舞ってある鞄のポケットへ手を伸ばした時、違和感を感じた。



 無い……自転車の鍵が無い??え?何で?


 あるはずの物がないと気が付いた私は、焦りの色が滲みだす。




 そうだ!あの男達に絡まれた時、手に持ってたんだ!


 その時の事を思い出した私は、逃げる前に服のポケットに入れたのだろうと、制服に付いているポケットを全て探ってみる。


 しかし、探し物の鍵は無かった


 もしかしてあの時、落とした!?


 もう一度O駅に戻る事も考えたけど、あの連中がまだ駅にいる可能性があるから、怖くて戻る事が出来ない。

 とにかく僅かな望みに縋る思いで、鞄を徹底的に調べる事にした。

 教科書や参考書、それにゼミのタブレットや筆記用具、生徒手帳まで引っ張り出して探していると、チリンと音が聞こえた気がした。


 もしかして本当にこの鞄にあるのではと期待して、更に探し込もうとしたんだけど、鈴の音が手に持っている鞄からではないと気が付く。

 広い空間で聞こえてきた音は響いて聞こえたから、ハッキリとした場所は分からなかったけど、一番大きく聞こえた気がする辺りを見渡してみる。


 そこには柱があり、その柱の影に隠れるようにスーツ姿の20代半ば辺りに見える男が気まずそうに立っていた。


 私は「またか」と溜息をついて、まるで何かのスイッチが入ったように、その男を睨みつけて「何?」と威嚇する。


 威嚇の効果があったようで、男は慌てながら「いや、別に」とだけ答えた。


 これで寄ってこないだろうと、視線を鞄に戻して探し物を続けようとした時、帰ろうとしていたスーツ姿の男と押していた自転車が私の横を横切って行った直後に動きを止めた。

 私は止まった事に気が付いてはいたが、気にする事なく探し物をしていると、立ち止まったあの男がまた話しかけてきた。


「あ、あのさ……もしかして探してる物ってこれだったりするかな?」


 男は掌を私の目に前に差し出してきて、持っていた物を見せる。


 男の掌には見慣れたガラス細工が施されている球体の飾りと、小さな鈴が付いたキーホルダーで、先端には自転車の鍵が取り付けられていた。


「あ、あった!!」


 嬉しさと驚き、そしてなにより安堵感が私の体中を駆け巡る。

 自分でもはっきりと分かる程、さっきまで強張っていた顔の筋肉が一瞬緩んだ。

 その事を自覚した私は、慌てて再びスイッチを入れて男を睨みつける顔に戻した時、今度は失くしてしまった喪失感と受験勉強のストレスと、駅でチャラい男達に絡まれた苛立ちが溢れ出してきた。


 睨みつけている目が更に鋭くなっていく。

 自分で自分の制御が効かない。

 すぐにでも口から出そうになっている言葉を、止まれ!止まれ!と自分自身に訴えかけたんだけど……。


「何でアンタが持ってるわけ!? つかそもそも自分が持っているのに、必死で探してる私を眺めて内心笑ってたんでしょ! 信じらんない! マジありえないし!」


 自分の意思を無視したかのように、あれほど止まれと念じた言葉が口をつき、差し出されたキーホルダーを引っ手繰るように奪い取ってしまった。


 男は物凄く驚いている。

 それはそうだろう。


 偶然拾ってくれた自転車の鍵を、探し物をしている私の物かもしれないと、親切に声をかけてくれただけだ。

 しかも目が合っただけで睨みつけてくる相手に。


 きっとこの人は本当に優しい人なのかもしれない。


 こんな場所でこんな女子高生に声なんてかけたら、変質者と間違えられる恐れだってあったのに、それ以上に困っている私の事を考えてくれたんだ。

 でも今の私には、そんな優しさすら信じる事が出来ない。


 疑う事しか出来ない私は、あんな事を平気で言ってしまえる。

 男はそんな私の言葉を聞いて、ショックを受けているようだ。

 当然の反応で、おかしいのは私の方なのは分かっている。



 頭の中ではここまで自分が間違っていると判断出来ているのに、一度動いてしまった口は、簡単に閉じてくれそうにない。

 私はこれ以上この人を傷つけたくない思いで、この場を立ち去ろうと急いで荷物を鞄に詰め込んで、この人が拾ってくれた鍵で停めていた自転車を開錠して、黙ったまま駐輪所を出ようとした。


 その時、一階へ降りるスロープの手前で大きな声が飛んでくる。


「おい! なんだよそれ! 困ってたみたいだったから、親切で声をかけただけだろ!」


 声の持ち主の方を見ると、スーツ姿のあの人が私を睨みつけている。

 物凄く怒っているのが一目で分かる。

 両目が充血して真っ赤になっていて、両肩が微かに震えているのが見えたからだ。


 怒るのは当然だ。


 ただ、この人の気持ちを考えたら当然の事だと思うけど、出来ればこのまま行かせて欲しかった。

 これ以上、傷付けるような酷い事を言いたくなかったから……。


「はぁ!? そんな事頼んでないじゃん! 恩着せがましいっての! おっさん!」


 やっぱり自分の意志で止める事が出来なかった。

 更にあの人に表情が険しくなり、心が酷く痛んだ。



 もうこれ以上は本当に大変な事を言ってしまいそうな自分が怖くなり、男の反応を待つ事なく、逃げる様にスロープを降りた。


 一階へ降り切った直後に「ふざけんな!!!糞が!!!」とあの人の怒鳴り声が聞こえた後に、金属を叩きつけたような音が二階から響いていた。

 思わず体がビクッと飛び跳ねる。

 怖くなり、必死で自転車を漕いで帰宅した。



 玄関を開けて家に入り、リビングで寛ぐ両親と目が合った。


「……ただいま」

「おかえり」


 父がテレビを見ながら、そう応えると母もソファーから立ち上がりながら「おかえり、志乃。ご飯温め直すね」と言ってキッチンへ向かう。


「ごめん、お母さん。今日は食欲なくて晩御飯はいらない」

「あら、そうなの?」

 母は足を止めて、俯いていた私の顔を覗き込んでくる。


「どうしたの? 顔色が悪いわよ?」

 母は心配そうな顔を、私に見せる。

「ん、大丈夫だよ。最近遅くまで勉強してて、寝不足なだけだと思うから……心配かけてごめんね」


 余計な心配をかけたくないから、そのまま足早に自室へ向かった。


 部屋に入ると、鞄を床に落とす様に放り出して、そのままベッドに倒れ込む。



 何であんな酷い事しか言えないんだろう。

 あの人は落とし物を、親切に届けてくれただけなのに。

 何で素直にお礼が言えなかったの?


 馬鹿なの……私。


 あんなのただの八つ当たりじゃない!

 私にどんな事があっても、あの人には関係ない事じゃない!

 違う!O駅での出来事がなかったとしても、きっと素直にお礼を言えたとは思えない。


 ホント……どうしちゃったんだろ私。


 いつからこんな可愛げの欠片もない、女になってしまったんだろ。

 そんなに自分を守る事が大切なの?

 関係ない人まで傷つけてまで、守る必要が本当にあるの?


 私は……どうしたいのよ。


 ……誰か教えてよ。


 ……誰か助けてよ。


 私は溢れてくる涙を流して、そのまま意識を手放した。

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