1章 最低な出会い

第1話 最悪な誕生日

 あれは丁度29歳になる誕生日の5月27日の出来事だった。




 その日は本来なら休日だったのだが、取引先とのトラブルの対応に一日を費やして、クタクタになる程疲れ切っていた。

 取引先から一旦帰社した俺は、重い体を引きずるように帰宅する為に最寄りのO駅へ向かい、ホームで電車の到着を待っていた。



 ベンチで休んでいると足に何かが当たったようで、小さな鈴の音がチリンと鳴った気がした。

 足元を覗いてみると、小さなガラス細工が施されていた薄い青色をした小さな玉が転がっている。

 その玉に寄り添うように並んでいる、更に小さな鈴が付いたキーホルダーのようで、そのキーホルダーには鍵が取り付けられていた。


 さっき聞こえた鈴の音はこのキーホルダーで間違いないようだ。

 取り付けられていた鍵の形状からすると、自転車の鍵だとすぐに分かる形をしていた。



 落とし物かと辺りを見渡してみたが、探し物をしている人は周囲には見当たらず、駅員に届けようとした時に着信を知らせる振動が、スーツの胸ポケットに入れてあったスマホから伝わってきた。


 駅員に声をかける前に、電話に出ると相手は会社での俺の上司からだった。

 始めは労をねぎらう言葉だったのだが、どうやらトラブルの対応結果が気になっていただけのようで、俺の疲労感は更に増す。


 結果を簡略的に報告をしていると、待っていた電車がホームに滑り込んでくる。

 いち早く帰宅したかった俺は、報告をそこそこに切り上げて少し強引に電話を切り、到着した電車に飛び乗った。



 乗り込んだ車両の空いていたロングシートの端に座り、ふぅと一息ついて手に持っていたスマホに視線を落とすと、日にちと時刻が表示されていたのを見て、今日が自分の誕生日だった事に気が付いた。


 確かに25歳を超えた辺りから、あまり自分の年齢に興味が薄れてはいたのだが、まさか自分の誕生日を忘れるなんて思いもしなかった。


 毎日仕事に追われていると、そんなことまで忘れてしまうものなのかと、疲れ切った溜息が漏れる。






 やがて自宅がある最寄り駅のA駅へ到着して、疲れた体を奮い起こし電車を降りて、そのまま改札を抜けて駅を出た。


 自転車を取りに行く為に、契約している駐輪所へ向かう途中でコンビニが目に入る。

 忘れていたとはいえ誕生日なのだからと、ケーキを購入しようと店内へ足を向けた。

 時間が遅かったからなのか、スイーツコーナーの棚はガラガラの状態で、まるで今の自分のようだなと苦笑いを浮かべる。


 スイーツは選べる選択枠が殆どなく、売れ残っているイチゴのショートケーキをカゴに入れて、ついでにブラックの缶コーヒーを手に取ってレジへ向かう。


 レジに立っていたなんとも無気力な店員が、ダルそうにカゴから商品を取り出してレジを通している。


 折角の休日に一日中トラブル対応に追われて、その上売れ残りのコンビニケーキの代金を無気力な店員に支払う事になるとは、何て侘しい誕生日なんだと溜息をついてコンビニを出た。



 また重い体を引きずって、駐輪所へ足を向ける。


 契約している駐輪所は立体の建物になっており、二階のスペースに自転車を預けている。

 建物に入った俺は、側面から出入りする為の緩い傾斜のスロープを上がっていく。

 腕時計を見ると23時を針が指していて、また疲れた溜息をついた。

 流石にこの時間だと駐輪スペースは殆どガラガラになっていて、全く人がいる気配を感じる事なくスロープを登っていく。


 だが二階へ差し掛かった時、奥の方からガサガサと物音が聞こえてきて、誰かがいる気配がした。




 静かな空間に聞き慣れない物音がすると、妙に気になるものだ。


 俺は音のする方へ向かい、その人物の死角になっている柱の影からこっそりと様子を伺ってみる事にした。

 そこにいた人物は泣きそうな顔をして、必死に何かを探している制服姿の女子高生がいた。

 探し物の探し方が凄まじく、学生鞄をひっくり返すように探している。


 駐輪所で焦る様に探す物といえば、やはり自転車の鍵がポピュラーだと考えていると、駅で拾った鍵の事を思い出した。

 そういえば電話に出てそのまま慌てて電車に乗り込んで、駅員に落とし物を届ける事をすっかり忘れていた。


 ポケットに手を入れると鈴の感触があり、揺さぶられた鈴が小さな音を奏でる。

 やはりあのままキーホルダーを、ここまで持ち帰ってしまったようだ。


 その鈴の音に気が付いた女子高生が、柱の影にいる俺に気が付いた途端、さっきまでの泣きそうな表情を一瞬で消し去り「何?」と一言だけ発して睨みつける。


 俺は「いや、別に」とだけ返すと、女子高生は鼻をフン!と鳴らしながら、再び鞄に視線を落として探し物を再開した。




 その僅かなやり取りで、もしかしたらこの拾った鍵があの子の物ではないかと推測を立てた。

 だが、落ちていたのがこのA駅ならいざ知らず、流石にO駅で拾った物がこの子の探し物というのは、あまりにも現実的ではないと自分の中でその推測を却下した。


 それにこんな時間に人気が全くない場所で、こんな気の強そうな子に声をかけて、質の悪いナンパだと勘違いされて騒ぎ出されたらたまったものではない。


 ここは無用なリスクを避けて、知らぬ顔でこの場を立ち去る事がベストだと判断した俺は、しゃがみ込んで探し物をしている彼女に背を向けて自分の自転車の元へ歩み寄った。


 自転車の鍵を開錠して、再び彼女の横を通り過ぎようとした。


 そんな俺の様子など気にする素振りも見せず、探し物を続けているその子の横顔を見た時、さっきより顔色が悪くなっているように見えた。

 何故自転車の鍵程度で、そこまで必死になって探しているのか理解出来なかったのだが、そんな様子を見てしまうと罪悪感がじわじわと湧いてきてしまう。

 自転車を押しながら、またあの子に背中を向けた時、立ち去ろうとしていた足が止まってしまった。



 絶対に違う鍵だとは思うのだが、そのまま知らぬ顔で立ち去ってしまえば後味が悪くなる。

 それに違ったら違ったで、凄くスッキリするはずだ。

 そもそも別に悪い事をするわけではないのだから、俺があれこれ考える必要なんてない。

 俺は意を決してしゃがみ込んでいる女の子に声をかける事にした。



「あ、あのさ……もしかして探し物って、これだったりするかな?」



 俺は彼女に拾ったキーホルダーを差し出しながら、恐る恐る彼女に話しかけた。


 するとその女子高生は驚いた様子で目を大きく見開き、一瞬本当に安堵したように嬉しそうな顔を見せたのだが、すぐに表情をガラッと変化させた女子高生は、俺の手からキーホルダーをひったくるように奪い、キッと睨みつけてきた。




「何でアンタが持ってるのよ! 大体、自分が持ってるのに必死に探してる私を眺めて内心笑ってたんでしょ! 信じらんない! ホント最低!」



「なっ!?」とだけしか発せられなかった。

 開いた口が塞がらないって事を、本当の意味で初めて知った気がした。

 あまりの予想外の発言に、驚いて体が固まり動けない。


 固まった俺を横目に、女子高生はまき散らしていたに鞄の中身を手早く仕舞い込んで、無言でこの場を離れようとする。



「お、おい! なんだよ! それ! 困っているみたいだったから、もしかしてって声をかけたのに!」


 女子高生がそのまま立ち去ろうとする姿を見て、怒りが込み上げてきたせいか、固まっていた体が動き出し立ち去る背中に文句を言ってやった。

 すると立ち去ろうとしていた女子高生は、再びこちらに振り返りギロッと睨みつけながら声を上げる。



「ハァ!? つか頼みもしない事を勝手にして、感謝しろっての!? ウザいってのオッサン!!」


 そう吐き捨てた女子高生は、自分の自転車の鍵を開錠してそのままスロープを下り、俺の前から姿を消した。



 もう何が何だか分からなくなり、ただ怒りだけが止めどなく込み上げて、気が付くと自転車のカゴに入れてあったコンビニの袋を取り出していた。

 コンビニ袋を手に持って、大きく息を吸い込みそのまま呼吸を止める。

 そして、徐にその袋を力任せに地面へ叩きつけ大声で「ふざけんな!! 糞が!!」と怒鳴り散らした。

 叩きつけた袋からケーキがグシャ!っと潰れる音と、缶コーヒーのガキンッ!!という金属音が誰もいなくなった空間に響き渡る。


 その悔しさと情けなさで肩を震わせながら、叩きつけたビニールの中身を回収して乱暴に自転車のカゴに放り込み、目を真っ赤に充血させていた俺は、全速力で自転車のペダルを漕ぎ一気に自宅のマンションへ帰宅する。




 部屋へ入り手に持っていた荷物を放り投げて、バスルームへ直行し熱いシャワーを暫く微動だにせず頭から浴びる。

 昔から嫌なことがあると、身動きせず何も考えないように頭の中を空にして、熱いシャワーを暫く浴びれば大抵の事は落ち着けた。


 今回もいつもの様にしたのだが、中々気持ちが落ち着いてくれない。

 10分程浴び続けてみても収まってくれそうにない。

 諦めた俺は浴室から出て、バスタオルで乱暴に頭や体を拭いてリビングへ戻った。


 それならばと、冷蔵庫から冷えたビールを取り出して、コンビニ袋に入っているケーキを拾い上げて、ソファーに腰を下ろした。




 プルタブを開けて、いつもより豪快にビールを喉に流し込む。

 今夜の酒は苦みを強く感じる。


 目の前に置いたケーキは、グシャグシャになって原型を留めていなかった。

 だが、奇跡的にケーキが容器から殆ど飛び出しておらず、まだ何とか食べられる状態だったのは幸いだった。

 以前この部屋で同僚の誕生日会という名の飲み会をした時に、余っていたローソクを探し出してグシャグシャになったケーキに刺して火を灯す。

 そのロウソクの淡い火を見つめて、さっきの駐輪所での出来事を思い出す。



 今まで生きてきた中で、一番最悪な誕生日になっちまったな。




 そんな事を考えていると、0時を知らせるアラームが外してテーブルに置いてあった腕時計から鳴り、29歳になる誕生日の終わりを告げられた。


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