雨のせいで廊下は湿気ており、上履きで歩くたびに滑りそうになりかける。


「この校舎、築、何年だっけ?」


 希は、階段の壁を触り、手についた冷たい感触を感じながら、夏菜に訊く。


「えーと、確か……八……いや、九十年くらいだったような……。たぶん、それくらい……」


 夏菜は、苦笑いをしながら希に答える。


「え……そんなに立っているのに中の方の改修工事はしないって、この学校どうなっているの? 地震対策は分かるとしても……ついでに中の方も変える事ってできないの?」


 階段を降り、一階の渡り廊下にある靴箱から自分の靴と上履きを履き替える。


「いやー、そうなるお金が相当かかるような……」


 夏菜は、希の金の事も考えない市の予算並みの発言に、返す言葉もなかった。


 雨は止まず、降り続ける。


 開いた折り畳み傘に隙を与えない雨は、傘を辿って、カバンや制服を少しずつ濡らしていく。


 学校のグラウンドから直接つながっている堤防の階段を上り、水溜まりを避けながら二人は歩く。


「ねぇ、希」


「何?」


「今日のあんた、なんかおかしいよ。何かあった?」


「え? 何が?」


 希は唐突に言われて、びっくりする。


「朝、話していた時に変な事言っていたでしょ? その時、私、近くで聞いていたんだよ」


「え、ああ……。うん……。ちょっとね……」


 希は、愛想笑いを見せる。


 だが、夏菜は、その一瞬の行動を見逃さなかった。


「あんた、昔から悩み事とか隠し事をする時って、愛想笑いか、その他の癖が出るよね」


 夏菜は、希に指摘する。


「うっ……」


 希は、『しまった!』と、言葉に漏らしてしまう。


「で、結局、何だったの? ほら、言ってみ?」


 夏菜は、意地悪そうな笑顔で、希に対して、少し脅しをかける。


 希は歩きながら色々と悩まされて、その上で考えたあげく、しぶしぶと口を開いた。


「なんて言えばいいかな? 例えば、目の前にいきなり怪獣が現れたとするでしょ」


「おお、なんと壮大なスケール……」


 夏菜は、希の例え話について行けそうにないと感じる。


「あ、続けて、続けて……」


「その怪獣が、この街を今にも破壊しそうな感じがするんだけど……。私にとっては、それは非日常じゃなくて、日常。そう、普通の日常に感じるわけ……」


「はぁ……」


 夏菜は、何を言えばいいのか。さっぱり分からない。


「私の言っている事、分かる?」


「いやー、半分はなんとか……」


「私の話、ちょっと難しかった?」


 希は、自分の説明に不安があったのか。夏菜に質問をする。


「えーと、非日常が日常……みたいな。あ、あれだ……SFみたいな感じの……」


 夏菜は、戸惑いながらも自分なりに考えた言葉を並べて言う。


「そんな感じ。今朝、感じたのは、私達の知らないところでそんな事が起きている……みたいな……」


「だから、今朝から今まで変だったってわけね」


 夏菜は、しばらく頭の中で今までの話をゆっくりと一つずつ整理していく。


「つまりは、今日のあんたは何かしらの影響を受けていた……。昨日、怪獣が出てくるテレビとか見た?」


「見てないよ」


「そう。だったら夢は?」


「うーん。昨日は、普通に寝たし、特には……」


「夢もなしとなると……」


 夏菜は、希の顔を覗き込む。


「病院でも行く?」


 と、言ったのだ。


 普通だったら、病院に行く事は正しい事なのだが、相手は希だ。今まで、こんな馬鹿げた事を話したことはない。だからこそ、ちょっとおかしいのだ。


 小学校から一緒にいる中で、友人であり、親友でもある彼女を不思議な少女と初めて思った。


「病院だなんて、いやだなー、もう……」


 夏菜の肩を軽く叩きながら、笑う希。


「でも、ありがとう。たぶん、こんな事、もう二度とないと思うから……」


 そう言うと、その話はスパッと遮られた。


 雨の中、二人は交差点でそれぞれの道に別れ、夏菜の方は向こう側の方へと、横断歩道を渡る。希は、そのまま青になるのを待ってから、横断歩道を渡り、そして、住宅街へと入っていった。


 誰も会わない住宅街は静まり返り、雨の音だけしか聞こえてこない。


 住宅街の間にある公園には、日頃、遊んでいる小学生たちはおらず。雨の中カッパをかぶりながら、トレーニングしている人がいるだけだ。


 希は、夏菜と別れてから、小走りで雨の中を走っていく。地面に飛び跳ねる雨水が、靴の中に入り、靴下と靴が生暖かく濡れていく。


(うわぁ、これ、明日までに乾くかな?)


 希は、最後の曲がり角を曲がり、自宅へと入っていく。


「あーあ、制服びちょびちょ。早く乾燥機に掛けないと……」


 希は、玄関で濡れた制服や靴下を脱いで、リビングの方へと走っていく。ドアを開けると、リビングには、洗濯し終えた服が乾燥機に掛けられて、物干しに干されていた。


「あれ? 誰か帰って来てたのかな?」


 希はぐるっと、部屋の当たりを見渡す。


 すると、テーブルの上に一枚の置き紙が残されていた。


「あ、お母さん……」


 その紙を手にすると、そのきれいな字だけで、誰が書いたのか、すぐに分かった。


 いつ帰ってきたのかは知らないが、既に外に出かけて行った後だ。


 紙に書いてある文字を読み上げる。


「え~と、これからまた出かけます。買い物に行ってくれると助かりますぅぅう! ええ、せっかく帰ってきたのに今日に限って、娘をこの雨の中、買い物って……。近いからいいけど……。帰ってくる時に買ってきてくれてもいいんじゃ……」


 希は、紙をテーブルに置いて、濡れた制服をハンガーに干すと、靴下は洗濯かごに入れ、すぐに二階へと駆け上がった。


 部屋に戻り、服を取り換え、ショルダーバックの中に財布を入れると、それを背負って、再び、玄関の方へと向かった。お気に入りの傘を手に取り、雨の中、近くのスーパーへと向かった。




     ×     ×     ×




 午後四時五十分過ぎ————


 天海西条高校、南校舎四階、とある一室————


「さて、帰るとしましょうか? もうすぐ五時になりますしね」


 聖羅が、由乃の入れたお茶を最後の一滴まで飲み干してそう言った。


「そうだな。俺も早く帰らないと、家でうるさいのが待っていることだし……」


「それって希ちゃんの事?」


「ああ……。母さんからあいつに買い物行かせているってメールが来たからな……」

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