第2話

A君から勧誘を受けたとき、私は大学の試験勉強の真っ最中だったため、とりあえず来週、と会うまでの期間を引き延ばしていました。


そして、A君の勧誘を一番先に受けたのは甲さんでした。怖いもの知らずの甲さんもさすがに緊張していたらしかったのですが、なんとこの日勧誘してきたのはA君だけではありませんでした。


A君はただの付き添いで、メインで勧誘を行ったのはA君のお兄さんだったのです。(便宜上B兄さんと呼びます)


さらに、私たちの予想とは裏腹に、この日A君とB兄さんが甲さんに対して行ったのは宗教の勧誘ではなかったのです。


「マルチ?っていうのかな、友達を誘ってグループに入ってもらうと私もお金がもらえるの」


甲さんから聞いた話はこうです。A君とB兄さんは福利厚生サービスを老若男女に提供することを目的とした団体に属しており、その案内及び新たな勧誘を行ってくれる人を募集しているとのこと。


そして、新たに知り合いをこの団体に入れた場合、甲さんにも何割かの取り分が支払われ、さらにその知り合いが違う知り合いを団体に入れた場合にも、また何割かが甲さんに支払われるというものでした。つまり、


「ネズミ講だね」私が率直な感想を送ると、甲さんも、「やっぱりそうだよね」と呆れた様子で答えました。


甲さんは団体のURLを送ってくれました。そこには「一般財団法人全国福利厚生共済会」といういかにも公的な団体のような名前が書かれていました。


団体の概要はこうです。


まず、毎月4000円を団体へ納めます。すると団体が提供する様々な福利厚生を受けることができるようになります。


団体の提供する福利厚生とは、ホームページを見る限り、例えば


結婚式の割引、医療お悩み相談、健康チェック、車いすレンタル補助金、個賠保険、レジャー施設割引、旅行割引、家電割引、電気料金割引、引っ越し割引などがありました。


うまいな、単純にそう思いました。


電気料割引以外は毎日のように使えるものが無いのです。結婚式場の割引など(多くの場合)一生に一度しか使えません。レジャー施設割引というのは結構ありがたい気もしますが、実際旅行など行きたくても年に数回しか行けません。また提携している旅行会社を通すので選択肢が狭まってしまいます。


*****


二人のマルチ勧誘業者と会う日が来ました。


甲さんの話を聞く限り、少なくともA君は私たちを騙しているという気はなさそうだということでした。そうなるとBお兄さんに騙されているということでしょうか。私はどういったスタンスで二人に対面すべきか直前までわかりませんでした。


しかし、とにかくA君が騙されているということなら、A君だけでも助けなければならない。私は本気でそう思っていました。というのも予め、


「A君、韓国の大学を退学したんだって。Bお兄さんからこのビジネスに誘われて、これ一本で食っていくつもりって言っていたわ」


甲さんからこのように聞いていたからです。もしマルチで大金持ちになれるとしても、会員に大学を中退させるような団体に正義はあるのか、私にはとても疑問でした。


勧誘は池袋の地下街、ペリカンという喫茶店で行われました。向かいにはBお兄さん、A君は私の隣に座っていました。Bお兄さんは高そうな紺色のスーツを身にまとい、(私は詳しくありませんが恐らく)ブランド物と思われる高級時計を付けていました。私の存在に気が付くと、いかにもセールスマンのような歯をみせた笑顔を作り、名刺を渡してきました。


一般財団法人 全国福利厚生共済会

アシスタントディレクター B兄


ADと言えば私はテレビのサブディレクターを真っ先に想像してしまうのですが、アシスタントということはBお兄さんの上にもまだ人がいるということでしょうか。


「どうもこんにちは、わたくし全国福利池袋支部のB兄と申します。高校時代は弟がお世話になったようで」


聞いていた話が本当だとすれば、お兄さんは26,7歳のはずでした。実際言われなくても兄弟だと分かるほどA君とBお兄さんの顔つきは非常によく似ており、A君もあと何年かすればこんな顔立ちになるのだろうなと思いました。


勧誘が始まりました。


始めはくだらない世間話のような感じでしたが、こちらは100%マルチの勧誘を受けていると理解して臨んでいます。お金や将来の不安に話の展開を持っていこうとしているのが見え透いてしまい、申し訳ないほどに相手の思想が分かってしまいます。


「ああ、では尾口さんは、その会社で一生働いていくつもりなんですね」


私は先月まで就職活動をしていましたが、このときはすでに内定を頂いていました。


「そうですね、しかしこんな世の中ですから。大企業とはいえ先行きが不安です。いつでも転職なり独立なりできるように準備だけはしておこうかなと考えています」


私の言葉を聞き、Bお兄さんの眉がピクッと動くのが分かりました。ここら辺が付け入る隙だと感じたようでした。


「おっしゃる通りですけどね、でもAIの発展は日進月歩ですから、いくら準備するとはいえこれからは労働報酬だけには頼っていられないでしょう」


「はぁ」


「これからは日本人も資産を守るだけではいけない、今ある資産を運用して生かしていこうという意識が必要だと思うんですよ。労働がいけないという意味ではありませんが、どんな仕事もいずれ機械に置き換わる日が来てしまいます。」


「はあ」


マルチの勧誘というのはこんなにも耐え難いものなのでしょうか。ワイドショーで聞いた薄っぺらいセリフのオンパレードです。


「私たちのビジネスに参加すれば、孫の代まで引き継げるような『権利収入』を得ることができるんです!グループの中にはすでに毎月500万円以上の大金を得ている人もいるのですよ!」


「尾口君、こんなチャンス二度と来ないよ!乗るしかない!このビッグウェーブに!一緒に成功しようよ!」


その後約2時間半にわたりBお兄さんから勧誘を受け、複雑なマルチの仕組みを教えて頂きました。(ここで説明すると長くなってしまうので、この団体のビジネスモデルについてはまた別の機会に詳しく説明したいと思います)


要は、4000円/月 支払うと、そのうち400円は誘った人間に支払われ、2600円はさらに上の人に支払われる、残りの1000円が福利厚生サービスを提供するために利用される、ということだそうです。


「つまり、友達を10人誘うだけで、それだけで毎月の参加料がペイできるんです!さ・ら・に、お友達がまた違うお友達を誘って入会してくれたら、今度は尾口さんに1000円支払われる仕組みです!誘った友達が1人ずつ勧誘するだけで、毎月1万円尾口さんに入るようになるんですよ!それも一生!」


私は悲しくなりました。自分が。こんなくだらない話を聞くことに2時間も自分の人生を費やしています。自分はなんて頭の悪い人間なんだと、心底ウンザリしました。


「4000円のうち3000円が上の人のために支払われるってことですよね」


「ええ、まあ、でも、尾口さんが友達に誘えばいいじゃないですか」


「つまり私が受けられる福利厚生サービスは月1000円分のものってことですよね」


「尾口さん、ですからね、人数が増えれば増えるほどスケールメリットを生かせるから、例え支払額が1000円だとしても実際支払額よりずっとお得にサービスが受けられるんですよ。さらにそのお金も友達を誘えば支払わなくてよくなるって、私が何回も説明しているでしょ」


「スケールメリットスケールメリットって、5000円の価値の物が1000円にでもなるっていうんですか?1本100円のバナナを10本まとめて買うと1本20円になるとでも?」


「はは、そうですよ、なるんです。問屋を挟まなければね。実際私たちが買うものは中間搾取によってそれくらいしょっぴかれているんですよ」


B兄さんはフィリピン人と直接値段交渉でもしているんでしょうか。だとしたらこんな怪しいビジネスは今からやめて総合商社にでも入るべきです。実際、毎日使うようなサービスを行っているわけでもないので毎月の支払が1000円でもペイできているというのが実情のようです。つまり私が毎月4000円支払って毎月得られる福利厚生サービスは良くて1000円前後、旅行などでフルに活用したとしても数千円程度ということになると思われます。


(とはいえ旅費が数千円で賄えるというのも無理があるのでは?と思う人もいるでしょうから、詳しいカラクリはまた後日)


コーヒーが応えたのか、B兄さんはここで一度席を立ちました。A君はというとヒートアップした私と、笑顔で応戦するB兄さんの様子をとくに何も言わず見ていました。


「尾口君、信用できないの?僕の兄さんは信用できる人だよ、聞いたでしょ、実際このビジネスですでに年間500万円以上儲けているんだよ、ね、尾口君も一緒に成功しようよ」


私は愚かなA君に半ば呆れイライラしていました。「騙されてるよ」


「え?」


「A君、よく考えて、4000円/月 の支払いのうち、3000円は上の人に吸い取られるんだ、つまり受けられる福利厚生サービスは1000円/月 ってことだよ」


「え?え?」


「よく考えて!なんでA君は毎月4000円も支払っているの?月に1000円程度のサービスしか受けられないのに。ていうかこの団体に入ってから、なにか買ったりサービスを受けたりした?車いすのレンタルとか利用した?してないでしょ。熱海に旅行した?行ってないでしょ。結婚式開いて5万円の祝賀貰った?結婚してないでしょ。こんなくだらないサービス、誰も必要としてないんだよ。してても毎月4000円支払う価値なんて一ミリもない。A君はね、僕に要らないサービスを押し付けてるだけなんだよ、そして僕にもまた僕の友達にこの要らないサービスを押し付けるよう強要しているんだよ、僕が毎月支払う4000円のうち400円はA君が、1000円はお兄さんが貰う。そんなことして嬉しい?僕から毎月400円貰って嬉しい?僕に何もくれないし、サービスも提供してないのに、その、『権利収入?』400円貰って嬉しい?僕が別の友達にこのくだらないサービスを押し売りして、そしてA君に毎月1000円入るようになったらA君嬉しい?」


「知らない」


「え?」


「尾口君の言ってること、ひとつも分からない」


それまでアホ丸出しでキョトンとしていたA君はいつのまにか、人殺しのような顔に変わっていました。なぜか私はこのような顔をしたA君を、以前にも見た事がある気がしました。


続く

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る