第6話 僕は魔女

 カウンターの中で、注文したアイスコーヒーをメジロさんが淹れてくれている。その間、僕は片肘をついてその後ろ、壁一面にずらりと並べられた色も形も異なるカップに埋もれ、ひっそりと飾られているくすんだ写真を眺めている。

「文化祭とやらの準備はどうなんだ」

「無事終わりましたよ。文化祭」

「は?」

「当日です、今日が」

 げえ、とメジロさんが露骨に顔をしかめた。

「あいつめちゃくちゃ楽しみにしてたぞ」

「そもそも部外者は立ち入り禁止ですよ」

「まじかよ」

「あの、」

 僕は写真を指さす。

「あれ、ナノさんですか」

「ああ? ああ、そうだよ。ナノ以外に見えるのかよ」

「ナノさんに見えても、ナノさんじゃないこともあります」

 なんだそりゃ、とメジロさんは手を動かしながら鼻で笑った。

「真ん中が前のオーナー。その左に映ってるのが俺」

「え、メジロさんいます?」

 へいお待ち、と喫茶店らしからぬ掛け声を上げて、メジロさんが出来上がったアイスコーヒーを差し出した。

「百年くらい前のやつだからな、ナノは変わんなくても俺は老けるのよ」

「八十年ですよ」

 メジロさんは怪訝な顔をしつつ、そうだっけ? と云って首を捻った。

「マキちゃんが撮ったんだよ、それ」

「マキちゃん」

「そ。お前の前世。本人は頑なに嫌がって映らなかったんだけどな。確かに似てるよ」

 あんま覚えてないけど、とメジロさんはいい加減なことを云った。

 前オーナーであるという人物の隣で、ナノさんは今とまったく変わらない姿でピースサインをして映っていた。片や左手、目線を逸らした人見知りそうな少年は、まるで今のメジロさんと繋がらない。

「あれほんとにメジロさんですか?」

「薄まる前に飲めよ」

 僕は無意識にかき混ぜていた手を止めて、忠告に従ってストローを吸った。


「あ、マキちゃんだ」

 僕が伝票を持って立ち上がったとき、ちょうどナノさんが帰ってきた。

「ナノ、文化祭今日だったんだってよ」

「えっうそでしょ」

 ナノさんが買ってきた荷物をぼとりと床に落とす。おいナノ! と怒鳴りながらカウンターから出てきたメジロさんを完全に無視し、ナノさんが大げさに嘆く。

「なんで誘ってくれないのマキちゃん!」

「いや、だから部外者は学校に入れないんですよ」

「わたしは部外者じゃないじゃん!」

「部外者ですよ」

 ちょっと待って、と片手を上げたナノさんが急に声のトーンを落とす。

「じゃあ……マキちゃんのセーラー姿も、これで見納めってこと?」

「そうですね」

 聞いてないよとさらに喚きだしたナノさんにはい、と伝票を渡した。

「お勘定お願いします」

 会計ちょうどのコインを渡して、ナノさんをレジに押し込む。

 項垂れるナノさんを見つめながら、僕はふと閃いて、会えたついでにと、

「僕は魔女になります」

「え?」

 そう宣言した。

 ごちそうさまでしたと卵の全滅を確認していたメジロさんに頭を下げて扉に手をかける。その手首を素早い動きでナノさんが掴んだ。

「マ、マキちゃん!」

 いつになく慌てた様子のナノさんに、さっさとこの場を去りたかった僕も仕方なく立ち止まって振り返る。

「何ですか」

「まだ会えるよね?」

「……どうして今の話でそういうことになるんですか」

「あのね、」

「そのために、僕は魔女になるんですよ」

 掴まれていない方の手でナノさんの手をどかす。

 ぽかんとして次の言葉が浮かんでいないナノさんを後目に、いたたまれなさが頂点に達した僕は今度こそ扉を引いた。

「やっぱりマキちゃんは、マキちゃんの生まれ変わりなんじゃないかな……」

 背中にナノさんの呟きが届く。

「生まれ変わるんですよ」

 呟きに独り言で返して、僕は勢いよく階段を駆け上がった。

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