スニーカー失恋予想
「店長、絶対に失恋しましたね~」
朝のミーティング中に真っ赤な眼鏡が目立つ後輩が私に向かって呟く。何を言っているのか。後輩は顎に手を置いて頷いている。仕事は覚えないのに色恋沙汰にはうるさいのだ。
「何を根拠に言ってるのよ」
「店長の足を見てください、昨日と同じスニーカーを履いてます」
それが何だと言うのだろうか。私だって昨日と同じ汚れた白スニーカーを履いているけど失恋はしていない。
「なんで、それが失恋になるの?」
「知らないんですか、店長すっごいスニーカー好きなんですよ。毎日違うスニーカーに変えてるんです」
そうなのか。後輩はよく店長と飲みに行っている。理由は簡単で奢ってもらえるから。
そうこうしているうちにミーティングは終わって各々が仕事に取り掛かる。後輩は仕事に取り掛からず真っ赤な眼鏡のレンズを拭いている。
「こら、仕事」
「はーい」
店長は高卒でこの書店に入社してから店長まで昇りつめた女だ。アルバイトの子からは尊敬と畏怖を込めてアイアンマンと呼ばれている。マンではないと思うけど野暮なので指摘はしない。
後輩の戯言が気になったわけではないけどチラリと店長を見る。真っ赤な店長と副店長専用エプロンは今日も輝いている。
・ ・ ・
ロッカーにエプロンを放り込んで閉める。さっさと家に帰ってしまおうとカバンを掴んで急いで更衣室を出ようとすると後ろから店長に声を掛けられる。
「今日はあがり時間一緒だな」
「ひっあ、はいそうですね」
「なんだよ、私だって定時にあがることだってあるよ」
アイアンマンはいつも残業をしているので油断していた。逃げるように更衣室を出るのも悪くて待ってみる。
丁寧にエプロンを折りたたみながら店長がこちらを向く。
「この後、空いてる?」
「え、まあ空いてますけど」
「飲み行こう、私のおごりで」
入社して初めて店長に飲みに誘われた。断る理由も特にないから素直に頷くことにする。
いつも行かない駅の裏を進んでいく。
飲み屋がひしめき合うなかを店長はずんずんと進んでいく。入ったのはよくあるチェーン店だった。
「ごめんね、おごるって言っても安いトコで」
「いえいえ、十分嬉しいです」
いつも家でしか飲まない私にとってはどこでも嬉しい。
店長が口を開いたのは二杯目のハイボールに口をつけたタイミングだった。今は注文もタブレットだから大声で店員さんを呼ばなくて済む。
「私ね、この年で失恋したんだ」
「え、当たってたんだ」
自分の手元のレモンサワーを眺めていた私は驚いて顔を上げる。そこには店長ではなくて女性が座っていた。赤くなった頬が薄暗い店内で浮かんでいる。
「え、ナニが当たってたの?」
「あ、いやスニーカーが同じだと失恋がってはなしで」
詳しく聞かれてしまった。幸い笑ってくれたのでまあよし。
「なるほどねー、あいつにスニーカーのはなしたくさんしてたから。まあ確かに失恋のせいも少しはあるけどね」
後輩の目は節穴ではなかったようだ。今度から少しは信用しよう。
「今日は私しか誘わないんですね」
「あいつはちょっと若すぎるからね、失恋の話をするのは恥ずかしい。私はアイアンマンだし」
知ってるのかいっ。
山盛りの枝豆がなくなるまでに大体のコトは聞いた。店長の想い人は本部のダメ営業と名高いハヤシさん。店長より年上でうちの担当営業だけど微妙な人なのだ。
でも、あの店長が好きになったというだけで私にとっては凄い人という扱いに変わった。
「好きになったのは、ハヤシさんが私の好きな作家の来店イベントを取ってきてくれた時から」
だいぶ酔いが回っているらしくスラスラと暴露をしている。
「私が本部の店長研修で話した好きな作家を覚えててくれたんだ」
……。
ハヤシさんは恐らく他の人気作家を呼ぶコネがないから呼びやすい作家を呼んだだけだろう。店長が好きな作家だったのはたまたま覚えていて連絡したのだろう。
「意外とそういう優しいところあるなって思ったんだ、そしたら近いうちに結婚するんだって知らせが来たんだ」
気の利かないことで有名なハヤシさんが店長にたまたまで媚を売れた理由は結婚相手にあったのだ。総務の根回し上手と噂のサトウさんが相手なのだ。
つまり恋敵のアドバイスで動いていたハヤシさん。
「それは、完全にムリですね」
「そうなの、総務のサトウさんに負けたの」
しっかりしている人ってダメな人が好きなのかもしれないな。
初めて店長と飲みに来たけど知らない一面を知ってしまった。
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