もう一人には戻れない

 私がヘラでクリームを混ぜようとするとヘラを奪われてしまう。

「大丈夫です、先輩はそこで見ておいてください!」

 自信満々の表情を見ながら一歩引く。真剣な表情に変わった明里ちゃんは素早く丁寧にクリームを混ぜていく。少しでも美味しケーキを作ろうとする姿を本当は喜ぶべきなのだろう。

 だけど私は明里ちゃんが家庭科室に戻ってきてくれない気がして素直に喜べないのだ。

 

 ・ ・ ・

 

 明里ちゃんが料理研究会に来たのは夏休みが終わって初めての活動の日。

 活動と言っても部員は少なく、私以外は参加していない。使い終わった家庭科室の調理台を綺麗に掃除していると顧問の先生に連れられた一年生の女の子がやってきた。

 

 どうやら運動部を辞めて料理研究会に来たみたい。

 この学校は一年生の間は課外活動が強制なのだ。参加してくれないメンバーもそういった何もしたくないけどルールなので籍だけ置いておくという子が多い。

「一年生の小市明里です」

 つまらなそうな態度に少しだけ距離感を感じる。その日は作ったばっかりのクッキーを一緒に食べる事にした。

 何でもないありきたりなクッキー。家が洋菓子店だから基本は分かっている。それなりに自信はあったけどあれ程喜んでくれるとは思っていなかった。

「先輩、今まで食べたクッキーの中でイチバン美味しいです」

 つまらなそうだった態度が一転して笑顔が浮かんでいる。

「え、そうですか良かったです」

 並べられたクッキーを次々と飲み込んでいく。流石、元運動部だと思いながら紅茶を差し出す。この時に笑顔が可愛い女の子だなと私は思った。

 

 もう活動の日には来てくれないかもと思っていた明里ちゃんは毎回しっかりと顔を出してくれた。少ない活動費を賄うために家から持ってきた材料を使ってお菓子を作り、二人で食べる。今まで一人でも楽しいと思っていた活動は二人で行うともう一人には戻れないと強く意識させた。

 

「先輩、今度は私がケーキを作りたいです」

 ついに明里ちゃんが作りたいお菓子を指定してきた。私は嬉しくなってしまい明里ちゃんの頭を撫でて最高の材料を持ってくることを約束した。

 

 ・ ・ ・

 

 クリームを乗せ終わると真っ赤な苺を慎重に載せていく。均一の厚さに整えられたクリーム。ボールに残ったクリームを指ですくって舐めると味も申し分ない。

「どうですか、先輩」

「うん、お店にも出せるくらい完璧」

 嬉しいのか飛び跳ねている。綺麗にラッピングしてあげると大事そうに抱えてこちらを振り向く。

「じゃあ、これ渡してきます」

 誰に渡すのかは聞いていないけど、表情を見ると好きな男の子だろう。

「あ、ちょっと待って。これ持っていくとイイよ」

 使い捨てのプラスチックフォークを渡す。明里ちゃんの大切な人とケーキを食べるときにフォークが無いのは困るだろう。

 

 いつもは勢いよく閉めるスライドドアも今日は慎重に閉めた明里ちゃんを見送る。家庭科室は明里ちゃんが抜けると急に温度が下がったようだ。

 私は不安を忘れたくて明里ちゃんが握っていたヘラをギュッと握りしめる。

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