季節外れのラムネ

「あれ、一緒に住んでるって言ってた人はどしたの?」

 私の一人暮らしのアパートに遊びに来た佳代ちゃんは出したばっかりのお茶を飲みながら尋ねる。


「あれ、その話してたっけ。色々あって一人暮らしするんだって」

 お茶のペットボトルを冷蔵庫に戻してから佳代ちゃんの前に座る。佳代ちゃんは落ち着きがないように私の部屋を見渡して「広くていいなー」とか「でもちょっと山奥過ぎるかも」などと好き勝手に評論していく。佳代ちゃんは専門学校に進学してから更に元気が増したようだ。


「まさかマッチが誰かと一緒に暮らすなんて思いもしなかったけどね」

 マッチというのは佳代ちゃんが高校の時に付けてきた愛称。本当はそのまま、真知と読んで欲しいのだけど人の話を聞かない佳代ちゃんには言っても無駄だと思っている。


 私だって誰かを自分の家に住まわせるなんてするはずないと思っていた。



 ・ ・ ・



 私の進学した大学は有名な私立大学で都内に大きなキャンパスがあるのが特徴だった。私は消去方法で行けるレベルの大学で一番偏差値が高い大学を選んだだけだった。思い返してみると高校も同じような選び方をした気がする。


 大学のパンフレットの表紙にも採用されている新しい建物の都内のキャンパスは私の選んだ学部の校舎では無かった。引っ越してきたのは東京から電車で数時間は必要な田舎のキャンパス。


 文系でも地味な学部だからキャンパスまで山の中じゃなくても良いのにとは思ったのだが本などの荷物が多い私にとっては四万円という安い家賃で借りれるアパートが大きくなるのでむしろ好都合だった。


 先輩に会ったのは同じ学部の生徒と行った飲み会だった。

 オリエンテーションで隣の席に座っていた面識などない女の子から誘われて行った飲み会。本当はその日も書店にでも寄って読書に没頭したかったけど付き合いが大事なことはこれまでの人生で学んでいるので参加したのだった。


 タバコの煙とカラフルな色の液体の入ったグラス。付き合いで飲んだ最初のビールは酷く苦くて不味かったことを覚えている。でも、それより覚えているのは先輩のこと。


「みんな、グラスはもった?」

 大きな女性の声が聞こえる。声の主は明るそうな肩までのショートカットの先輩だった。乾杯の挨拶を済ませるとその先輩は全員に均等に接していく。


 苦手だな……こういうタイプ。ひどい第一印象だった。


 エネルギーが体の中心から溢れ出てるような強引さがありそうで、軽い感じ。でも先輩だしあんまりそっけない態度も取れない。


 ついに例の先輩は私の元までたどり着く。

「お名前は?」

 明るい、酔っているのか頬が赤くなっている。顔が近い。


「新居真智です、よろしくお願いします」

 ぎこちなかったかも……。


 わざとらしく考えるような動作をしてから先輩は手を前に開いた。

「あーいかにもこの学部っぽい女の子だね、私は堀口だよ。ホリちゃんって呼んでね」

 先輩と呼ぶことに決めて追加で頼んだウーロン茶を飲んで口をふさぐ。


 時間が来て、参加者が二次会に行く者と帰る者に別れ始める。

 幹事の先輩は私に尋ねる。

「新居さんって一人暮らしだよね、家はこの近く?」

 ここで家が近いと答えてしまったのが運の尽き。つまり先輩が酔いつぶれてしまってどうしようもないから誰かの家で寝かせて欲しいということなのだ。


 ネットカフェやビジネスホテルに放り込んで置けば良いとも思ったがここには居酒屋はあってもそれ以外は無いのだ。


 結局、先輩の手を引いて家に戻ってきてしまった。家の鍵を先輩の手を握りながら開ける。


 どうしよう。


 先輩を玄関の床に寝かせておくわけにもいかず場所を探す。結局、トイレに近い廊下に毛布をしいて先輩を寝かせることにした。寝返りをするとスカートが捲れてはしたないので上から私物のカーディガンで隠しておく。冷蔵庫から買っておいたミネラルウォーターをお供えする。


 他人が部屋にいるという事実に落ち着かず、そわそわする気持ちが抑えられない。

 気持ちを落ち着かせるために読もうと計画していた本を重ねられた本のビルからひとる取る。しかし数行読んだだけで戻してしまう。その日は毛布を被って無理やり寝た。


 日差しが窓から差し込んで体が熱い。ボンヤリと目覚まし時計を見ると昼前。休日だとして寝すぎてしまった。


 そういえば、先輩はどうしたんだろう。


 ベットの上から先輩を寝かした廊下を覗き込む。乱れた毛布に横に綺麗に折りたたんである私のカーディガン、半分に減っているミネラルウォータ。しかし先輩自体は見当たらない。トイレにも入っていないようで玄関を確認すると靴も無くなっていた。


 帰ったのかな、お礼も無しなのか。まあ、その方が良いかな。


 歯磨きをして、簡単な食事する。

 そしてパジャマから着替えると読書を始める。昨晩と違っていつも通りの速さでページを進めていく。本の文字を目で追っていく感覚から物語に自分自身が入っていく感覚に移行する。

 だから先輩が部屋に戻ってきていたことに気が付かなかった。集中している私の首元に冷たい感触が伝わる。驚いて大きな叫び声を上げてしまう。


「わぁっ!」

 急いで後ろを振り返ると驚いた顔をした先輩が立っていた。なんで先輩が驚いた顔をしているのか。


「あ、驚かせちゃった?これお詫びに買ってきたんだけど」

 先輩の両手には水色のラムネの瓶が握られていた。先輩は呑気にラムネが好きなことを語っている。


 色々と聞きたいことや怒りたいことはあったけど季節外れのラムネの冷たい瓶に色んな感情が静められて、先輩ペースで話は進んで行った。


 先輩の実家は東京にあること、この学部は一番入りやすかったから選んだこと、単位が取れてないこと、お酒は強くないけど好きなこと。

 そして意外だったのが読書が好きなところ。私の部屋に置いてある本も大体は知っていた。


 次に以前まで同居していた同居人に追い出されてしまったので住む場所の相談もされた。先輩は最初からこの部屋に住もうと考えていたのだろう、すぐに家賃の半分を出すことを申し出た。細かい条件や交渉などは忘れたけど、最終的には先輩と共同生活を始めることになっていた。


 先輩から告白されたのは共同生活を始めてから数日経ってからだった。

 最初は冗談だと思った。先輩は明るくて誰にでも近づいていって顔も悪くないのに恋人の匂いがしないとは思っていた。もしかしたら前の同居人ともそういった友達以上の関係だったのかも。


 先輩の真剣な表情と緊張していて少し震えている先輩の告白をテキトーに受け流せるほど子供では無かった。返事はいったん保留して貰った。


 数時間、考える。流石に気まずいのか先輩は出かけてくれた。

 本棚から本を取り出す。数年前に人気になったラブストーリーの小説。今まではラブストーリーはひとつの記号として考えていた。何故、ふたりが恋人になるかなどは考えなかった。


 私が先輩を拒否する理由はあるのか。そもそも女性同士ってどうなんだろう。ドアが開く音がして先輩が帰ってくる。


「どうかな、私のこと好き?」

 この人は私の何十倍も早い時間で生きているのでは無いのだろうか。そんなに早く結論を出せるわけがない。そのはずなんだけど、ゆっくり頷いてしまった。


「いいですよ、先輩のこと好きなのかの結論はまだ出せてませんけど」

 先輩に赤面しかけているであろう顔を見られるのが恥ずかしくて論理的な話し方をする。それが逆に必死に見られているのかと想像できて恥ずかしかった。


「そういう、インテリなところも好きだな」

 先輩は飛びついて、私に抱き着く。恋人という関係だと自然にすることなのだろう。ぎこちない動作で先輩の真似をする。


 それからは先輩のペースに合わせて恋人の関係は続いて行った。

 大学では仲の良い先輩と後輩に見えていただろう。先輩は学食によく行っていたらしいが私がお弁当を作り始めてからは人が来ないベンチで一緒に食べるようになった。冷凍食品が半分で残りは簡単なモノが半分なのに先輩は嬉しそうに食べてくれるのだった。


 先輩は運転免許を持っていたのでレンタカーで出かけたりもした。

 田舎の田んぼ道、自販機しか置かれていない駐車場で人生初めてのキスをした。まさか相手が同性だとは考えてはいなかった。


 講義がある時も活発な先輩。夏休みに入ったらどうなるのだろうと考えていたけど先輩は大人しかった。実家にちょっと帰ると行って何回か留守にしていた。


 夏休みも終わりが近くなってきたときに先輩はあの日と同じラムネを買って戻ってきた。駅から歩いて来たので汗でびっしょりと濡れた肌に服が張り付いていて気持ちが悪そうだ。


 冷たいラムネの瓶を受け取って、先輩の前に何となく座る。

「あのね、実は大学を辞めないと行けなくなって」

 先輩の言葉にはあまり驚かなかった。単位を取れていないことも知っていたし真面目な人では無いことは知っていた。


「そうなんですか……これからどうするんですか?」

 先輩の実家はお金持ちだということは薄々気が付いていた。先輩はバイトもせず普通に暮らしていたし過去の話を聞いてもピアノを中心に色々な習い事をしていたらしい。


 先輩の話を聞くと、自由奔放に大学で遊ぶことを許可されなくなったらしい。もちろん私と恋人の関係を続けることも許して貰えないだろう。親の会社で働いてそこで良い結婚相手を探すのだ。


 恋人なら引き止めるべきなのだろうか。


 しかし、私は先輩を好きって宣言したわけでもない。もし先輩をここで引き止めたら先輩の人生を狂わせることは間違いない。先輩はこのままでは大学は卒業できないだろうし結婚も親との縁を切ってしまえば出来ない可能性が高い。つまり破滅が待っている。


 私は季節に合っているはずなのに美味しくないラムネを飲み干す。炭酸の刺激だけが口の中に残って苦しい。


 ・ ・ ・



 先輩がいつも座っていた位置に座っている佳代ちゃんを見て重ねてしまっていた。佳代ちゃんの就活の苦労話をボンヤリと聞く。


「ちょっと聞いてる?また本でも夜遅くまで読んでたんでしょ」

 叱られてしまった。なんで先輩のことを思い出していたんだろう。


「うん、ごめんごめん。そうだお腹空いてない?」

 大きく縦に振る動作を確認してキッチンに移動する。料理といってもレンジで温めるだけ。冷凍パスタを温めてお皿に盛り付けて机にうなだれている佳代ちゃんに出す。


 小さく頂きます言うと食べ始める。

「マッチこれぬるくない?」

「そうかな」

 いつも通りなのだけど。少しの間考えてとあることに気が付く。先輩が猫舌だったのからだ。一緒に生活をする関係で自然とレンジを使うときは温め過ぎないようにしていたのだ。


 先輩と過ごした日々は私の習慣にしっかりと入り込んでいた。


 遅くなるからと佳代ちゃんはパスタを食べると帰ってしまう。駅まで見送ると帰りにラムネを買って帰る。


 部屋の本棚から先輩が部屋に残した本を読む。

 本の内容は頭に入ってこない、代わりに先輩の何気ない仕草やキスする時の揺れる瞳を思い出してしまう。涙で湿った本を閉じて冷たくなくなったラムネを飲み切る。

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