たとえ終わりが見えていても
廊下の隅まで敷き詰められた絨毯。華美な額縁に入れられた絵画には説明書きが記されているが遠くからでは読むことは出来ない。もう何度目かの場所であるから緊張はしない。
高校生である私の正装は本来ならば高校の制服なのが、今はベージュ色のワンピースにカーディガンを羽織っている。季節は秋に差し掛かっている。ホテルに入ってくる前はコートも使っていたのだがロビーのホテルマンに預かって貰った。
廊下の突き当りにある会食ルーム。アザレアと彫りこまれた木のプレートが壁に埋め込まれている。
「お待ちしておりました、九文 郁乃様ですね」
スーツとオールバックをばっちりと決めた男性に確認を取られる。
「はい」
返事を聞くと中に通される。中央に贅沢に場所をとって机が置かれている。私の父親と母親。そして相手方の両親と研吾さん。
入り口で会釈をして机に向かう。途中、白と黒の制服に身を包んだ給仕にエプロンの有無を聞かれるが要らないことを告げて席に着く。
「お待たせしました、表彰式に参加していて遅れてしまいました」
遅れたことを軽く謝罪する。相手方の両親は全く気にしていないようで笑顔のままだ。
「いやいや全然構わないよ、ごめんね急に会食の予定を入れてしまって」
恰幅の良いお義父さんになる人は手を前に出している。それに合わせるように気品のあるお義母さんになる人は手で口を抑えて笑っている。
今日は何度目かの相手方との会食。時代錯誤かも知れないけど目の前に座っている年上の好青年とは許嫁の関係。
私の父親は日本でも有数の時計メーカーを経営している。相手の男性の父親も私の父親と切磋琢磨して時計を作ってきた。
お互いにライバルとして信頼のある関係だったのだろう。息子と娘、結婚させたいと思うのは当然だろう。
机の上に置かれたローストビーフを食べながらボンヤリと周りの会話を聞いている。何となく内容は理解できる。今度、開かれる大きなスポーツの大会でのスポンサーの件や新製品の話。
「そういえば研吾さんは、大学の方はどうですか?」
私のお母さんが研吾さんに話題を振る。
「先日、卒業論文は提出して今はマーケティングの勉強を独学でしているところです」
お母さんの表情がパッと明るくなる。娘の相手となる人が優秀なのは嬉しいのだろう。
「まあ、やっぱり優秀なんですね。時計技師としてだけじゃなくてマーケティングまで勉強するなんて」
研吾さんは会社を継ぐための勉強以外に、時計が好きなようでそのために本場のスイスまで留学して学んでいる。
「研吾君の考えた腕時計のデザイン案を見たけど驚いたよ。この年であれだけ出来れば大したものだ」
私のお父さんも研吾さんを褒めちぎる。
「いえいえ、まだまだ勉強が必要なことばかりです。前回に郁乃さんに渡した時計が初めて作った時計でもあります」
不意に私の名前が呼ばれて驚く。テーブルの下に隠していた自分の腕をテーブルに出す。レディース用の腕時計。小型のムーブメントが搭載されていて製品化前の腕時計。
「研吾さんって意外にロマンチストねー、最初に作った腕時計を郁乃にあげるなんて」
お母さんの言葉に研吾さんの顔が真っ赤に染まる。
「は、はい……」
会食は滞りなく進む。本当は私と研吾さんの仲を深めるために設けられているはずなのに私はずっとじっとしてしまっている。
・ ・ ・
化粧室で手を洗っていると鏡が目に入る。
少し着なれて来た制服以外のフォーマルな格好。お母さんに仕込まれた化粧の出来を再度確認すると仏頂面をしていることに気が付く。
会食室に戻り部屋の時計を確認する。
「あ、ごめんなさい。これから部活の活動がありまして……」
高校では”演劇鑑賞部”に所属している。表彰も演劇に関する感想文の表彰だった。
「ああ、ごめんね。ここは大丈夫だから行ってきなさい」
快く送り出してくれる。
「でも、もう暗くなり始めてるから車を出した方がいいかしら」
ホテルマンを呼び出そうとする。
「いえ、電車を利用しますので大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
相手にとっては大事な息子の嫁になるから心配なのだろう。
「あ、そうだ研吾。お前がしっかり駅までついて行ってあげなさい」
研吾さんはすぐに立ち上がって扉を開けてくる。
私と研吾さんは無言でエレベーターを使い、ロビーに降りる。ロビーではコートを受け取り羽織る。
「今日は楽しめたかな? ……楽しめなかったよね」
研吾さんはかばう様に先を歩いてくれる。
「そんなこと無いですよ、私おしゃべりが下手なんです」
研吾さんに嘘はつきたくない。初めて会ったときは意外と年上だと思った。お父さんからスイスに留学経験もある誠実で優秀な男なのだと嫌という程聞かされていた。
お父さんの言うことに間違いはなかった。高い志を持っていて私のことを大切に考えてもくれているだろう。初めて作った腕時計を私にプレゼントしてくれる可愛らしいところもある。容姿はどうなのだろう。許嫁の話をついつい友達に漏らしてしまい研吾さんの写真を見せた時は羨ましがられた。
私は特にやりたいことも無く、何となく家庭に入るんだろうなと思って生きてきた。だけど研吾さんにぐっと近づけないのは誰にも知られては行けない秘密があるからだ。
「研吾さん、ありがとうございました。もうここまでで」
帰宅に急ぐ人で混んでいる改札前。ここまで見送ってくれた研吾さんにお礼をする。
「じゃあ、気を付けて」
研吾さんに背を向けて改札を通って、ちょうど到着していた電車に乗る。車内は混んでいて窓際に押しやられてしまう。外は日が落ちていて真っ暗。必然的に窓ガラスに表情が映りこむ。仏頂面が今では自然にニヤついているのだ。
スマホのメッセージを確認して、もうすぐ着くと送る。
演劇鑑賞部の活動というのは半分本当で半分は嘘。
大型ショッピングモールの劇場のチケット売場でそわそわしながら待つ。
「先輩!ここですよ」
後ろから抱き着かれる。コート越しに細い腕の感触が伝わる。同じ演劇鑑賞部の後輩であり、私の恋人の流里ちゃん。
「わ、びっくりした」
流里ちゃんは私の服装をじろじろと見ている。コートは入り口で脱いで腕にかけている。
「先輩、大人っぽいですね……」
恥ずかしい。流里ちゃんはいつも通りの可愛らしい服を着ている。可愛らしい服とはギャップのある野暮ったい印象も与えかねない太い縁の眼鏡が特徴的。
流里ちゃんとの出会ったときはただの後輩だった。
しかし猛烈にアタックされて恋人という実感も無いまま付き合い始めた。その時には既に許嫁の話はあったのだけど、説明した後に流里ちゃんはそれでも良いと言ってくれた。終わりが見えているのに何故私を好きになってくれたのか。仮に流里ちゃんが研吾さんの所に行かないでくれと訴えてきても私は流里ちゃんの元から離れなければ行けないのに。
流里ちゃんと隠れて恋人の関係。これは研吾さんに対する浮気ということになるのだろうか。でも相手は女の子、お父さんも私たちを見て仲の良い友達だと思うだろう。
カバンからチケットを取り出す。ふたりの席は並びでとってある。
映画は流里ちゃんが見たがっていたアニメーション映画。私はそんなに興味はないのだけど流里ちゃんが見たいなら見る価値はある。映画も演劇の親戚みたいなもの、つまり半分は部活の活動と言えるだろう。
劇場の後ろの席に座る。遅い回なので空いていた。
映画を見たいと言ってくれたのは流里ちゃんだった。私の特別な事情を考えてくれているのか、あまり人目につかない場所を選んでくれている。後輩なのに色々なことを考えていてくれる。
「郁乃ちゃん……」
呼び方が変わる。外では私と流里ちゃんの関係を悟られないように意識して先輩と呼んでくれているのだ。胸の奥にある流里ちゃんに対する気持ちが増幅する。ゆっくりと手を絡めてくる。
アニメーション映画の割にはハラハラする展開で見入ってしまう。流里ちゃんも同じようで握っている手に汗がにじんでいる。
クライマックスの感動シーン。
「先輩……あの……」
呼び方が戻っている。流里ちゃんの方を見るとスクリーンの方じゃなく私の顔、唇に視線が移動している。
呼び方が戻ったのも緊張しているからだろう。流里ちゃんは私にキスを求める時にテンパるのだ。落ち着きのない表情、暗闇でも分かる赤らんだ頬。
周りを見るとスクリーンに集中していて私たちの近さなど気づく訳もない。
腕についていた腕時計を外して流里ちゃんの頬に添える。顔を近づける。視界に流里ちゃんの顔しか入らなくなった時に反対の手で流里ちゃんの眼鏡を奪う。少し驚いた表情をするが毎回キスをする時は眼鏡を奪っている。
流里ちゃんには眼鏡があると邪魔だからといつも伝えているが実際は私の先輩として、みっともない表情を見られたくないからだ。
ふたりの唇が接地する。幸せという波が胸、頭からあふれ出す。吐息を何度も感じた後にゆっくり離す。キスをした後のこの微妙な時間は何回キスをしても落ち着かない。エンドロールが始まった映画を眺めることしか出来ない。
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