第15話 夜の訪問

 武器は砂糖をまぶしただけのシンプルなビスケット。援軍はちょっとお高い紅茶の葉を持参したエウリーズだ。この件では確実に戦力外のヴィクトルも一応参戦している。


 本館の七階、姫君の部屋の前に立ったソロモンは深呼吸を一回した後ノックした。この部屋の住むお嬢様のお招きはすぐだった。


「調度品、少なくない? お姫様の部屋にしては殺風景な気がするわぁ」

「元々長いこと放置されてた部屋だったんだ。古くて汚い物を放置しておけねぇ、なんて言っていたらご覧の有様ですよ」

「察したわぁ」


 名前の割に豪華さは全く無い部屋。住人のベルティーナが、外で何かを買ってくる事が無いので、物は増えていない。広さの割に殺風景に見えるのはその為だ。


 テーブルを挟んで座る。ベルティーナの正面にソロモン、両脇にエウリーズとヴィクトルが座る。


「ビスケットを焼いたんだ。食べてみてよ」

「頂きます」


 お高めの紅茶の香りが広がる中、小さく口を開けてビスケットを囓った。


 やっぱり元気が無いように見えるな。さて、どう切り出したものか。


「ベルティーナさん、元気が無いみたいだけど何か悩み事とか困った事とかないかな?」


 ストレートに攻めてみた。気の利いた言い回しは思いつかない。


「いえ……特にはありません」


 ビスケットの残りを口に運んでティーカップを持ち上げた。


 ホントかなぁ。絶対何かあったと思うけど……あっ!


 ある考えが頭に浮かんでしまった。


 ヤバい。女の子には月に一回体調が悪くなる日があるんだった……。それが今日で理由だったらマズい。マズいってレベルじゃない。地雷を踏むようなものだ。


「ベルティーナちゃん、本当に何もないの? ソロモンちゃんはね、自分の城で暮らす人の事はちゃんと見ているのよ。何もないんだったら、彼の前でそんな不安そうな顔をしちゃったらダメよ」


 エウリーズの援護が飛ぶ。しかしソロモンは内心焦っていた。地雷を踏んでしまったのでは無いか、と。

 

 ベルティーナは俯き、黙り込んでしまった。勢いが衰える気配が無い暴風雨が、外から窓を激しく叩く音だけが部屋の中に響く。


「……困ったことはあります。でも……ソロモン様とエウリーズ様には関係が無いことですから……。どうか気にしないで下さいませ」


「困ったことがあるって言われたらなぁ。関係が無いならさ、逆に相談相手には丁度良いと思うよ。ここには俺達しか居ないし、周りを気にしないでいいし」


 地雷覚悟で往く事を選択した。


「ヴィクトルちゃんは絶対に聞いたことを漏らさないしねぇ。建設的な意見は出なくても、誰かに話すだけで気が楽になるものよ」


 頷くヴィクトル。元々喋れないし、紙に書いたりして内容を他人に流すような真似をする奴ではない。それはソロモンもエウリーズも良く解っている。


 ベルティーナはまた黙り込んでしまう。二人は彼女の次の言葉を静かに待った。


「……相談に乗って頂いても宜しいのでしょうか?」


 その言葉が聞きたかった。


「勿論さ。その為にお邪魔したんだから」


 少しだけ笑ったベルティーナは、

「少しお待ち下さい。隣の部屋から取ってくる物があります」

「どうぞ」


 ベルティーナが席を立つ。ソロモンは肺の中を空にするように大きく息を吐いた。

 取り敢えず最悪のケースではなかったらしい。


「いよいよ本題ね。何があったのかしらね」

「一日中部屋に籠もって読書しているからな。何かあったとしても、体調不良か暖房設備の故障くらいなもんだと思うんだけどね。あの様子だと、どうやら違うらしいな」


 ベルティーナはすぐに戻ってきた。その手には箱が一つ。色鮮やかな花の模様が描かれた白い箱だ。テーブルに置かれたところで三人が覗き込む。


「あらぁ、ちょっとお高そうな飾り箱ねぇ」

「その中身が悩みの種なのかな?」

「ええそうです。今日のお昼過ぎに実家から届いた物です」


 箱を開けて中身を取り出した。それをソロモンとエウリーズに手渡す。


 本か。良さげの装丁だな。タイトルは無しか。


 最初のページの右側には若い男性の肖像画が描かれている。


「貴方も見てみますか?」


 ヴィクトルは首を縦に振り、差し出されたそれを受け取って開く。何冊もあるようだ。


「ワタシ、ベルティーナちゃんの悩み事が何か分かっちゃった」

「えっ、ホントに? この本をちょっと読んだだけで?」

「コレは本じゃないわよぉ。お見合いとか、結婚する時なんかに相手方へ渡す経歴書なのよ。この子は嫁ぎ先の件で悩んでいるのよ」

「はい実はそうなのです。この中から選べ、と」


 慌ててページを捲る。左側は日捲りカレンダーのようになっていた。


「成る程ね。良く見たら家柄の紹介とか、趣味や特技なんかも書いてるな」


 要はプロフィール、人柄をアピールする為の物か。俺の世界にもこういう物はあったな尤も絵じゃなくて写真だけどな。


「ちょっと他のも見せてくれるかしら」


 エウリーズはそう言うと、ヴィクトルが持っている経歴書以外に目を通し始めた。パラパラとページを捲ったと思えば、碌に読んでもいないような速さで次々と経歴書を閉じていく。その様子にソロモンとベルティーナは目を丸くした。

 

「ちょっと確認ね。ベルティーナちゃんって確か南東大陸の名家だったと聞いたけど、その中でも結構序列は高い方よね?」

「ええ、まぁ……」


 遠慮がちに答えるベルティーナに、エウリーズはニコリと笑った。


「良く分かりますね」

「まぁね。庶民派城主様の後学の為に解説しましょ」


 適当に経歴書を開いてソロモンに見せた。


「裕福な一族とか、地位や身分の高い家に生まれた人間が必ず突き当たるのが婚姻の問題ね。よくあるのは家同士の繋がりの為に、本人の意志を無視して親が決めた相手と結婚するとかかしらね」

「あー何かその辺は分かる気がする」


「その際に基準になるのは、暗黙の格付けというか明文化されていない上下関係ね。要はどっちの家柄が上かということ。一番分かりやすいのは皇帝一族と帝国貴族かしら。基本的に決定権は上の方にある」

「上下関係か。うん、この辺も分かる」

「そして一族の中での序列。当主が一番上、その子供達は地域にもよるけど生まれた順番が早く、男性が上位。子供が居る当主が最優先で婚姻ということはほぼ無いから、子供の婚姻として考える。とするとどの序列の子供が候補になるかも重要よ」


 ソロモンは黒髪を掻きながら頭の中を整理する。


「一通り目を通したけど、相手は皆長男だったわ。つまり女性側が選ぶ立場で、かつ相手が全員一番序列が上の長男を候補にしてきているということは、ベルティーナちゃんの家柄が他の家柄よりも上というワケよ」

「格上のお嬢様にこぞって求婚ですか。家柄アピールも必死だな」


 上は四十歳越えのおっさん、下は十歳の子供か。こういう年の差が普通の事なのかもしれんが、元の世界だと事案ってヤツだぞ。


「話を戻すけど、ベルティーナちゃんは具体的にどういう点で悩んでいるのかしら?」

「どういう点……ですか」

「例えば二、三人まで絞ったけど決められない。愛する人が居るのにこの中に入っていない。そもそも今結婚しようという気が無い、とか」


「そうですね……特に愛する人は居ません。正直婚姻すること自体に抵抗があります。いつかは嫁入りしなければ、とは思っているのですが……」

「まだ若いんだし、今すぐ結婚しなくても良いんじゃないか。人生を左右する大事だし。ベルティーナさんの方が格上で選べるんでしょ。今は気が乗りません、また今度お願いしますじゃダメなのかな?」


 ベルティーナは暫く黙り込んで、テーブルの上で組まれた指先を見つめている。表情は先程よりも更に暗い。


「両親には何度も話しました。でも早いほうが良い、と。ミレイユ姉様が家督を継いで婿養子を頂いた事もあって、家は安泰だから相手は選んでいいよと言われたのです。でも相手の候補は両親が選んだし、在学中から縁談は多いし、学園では四六時中殿方から声を掛けてくる事が多くて……。淑女としての教養を身に付ける為に、学業に専念したいと言って先延ばしにしようとしたのですけどね……」


 人付き合いに疲れたから、わざわざ遠方のこの城に来たんだよな。これは相当辛そうだぞ。


「ミレイユ姉様が気を利かせてくれて、今はソロモン様の所でお世話になっています。でもが冬を越すまで居ていいと姉様もソロモン様も言って頂いたのに、両親からはすぐに戻ってきなさいと今日届いた手紙に書いてありました」

「結婚は誰しも突き当たる問題よね。庶民派城主様のご意見はどうかしら?」


 振られたソロモンは黒髪を掻きながら、頭の中を片付ける。


「複雑な問題だと思う。一生を左右する重要な話だしな。正直な所俺はベルティーナさんの家とは全く関わりが無い上に、大陸が違う遠い他国の事だからそこの家同士の関係性なんて分からない。だから無責任なことは言えないし、建設的な意見は出ない。でもハッキリと言える事はある


 伏せていたベルティーナの目がソロモンに向いた。


「預かる約束は冬を越すまでだ。それまでに実家に帰ると言い出したら全力で止める。無理矢理連れ戻そうとする輩が来たら追い返す。君はお客様として招いたんだ。約束の期限が来るまでは、そんな悲しくて辛そうな顔をしたまま俺の城から出て行くことは、城主の俺が許さない」


 話を聞きに来たのはこっちだが後味が悪いからな。


「ベルティーナさんに、どういう選択をするのかを一人で考えられる時間を用意してあげること。それだけが今の俺が君にしてあげられることさ。これっぽっちだけど、ね」


 本音だ。そして本当にこの城の一室を用意することしか、してあげられる事が無いのだ。


 悩めるお嬢様は頭を振って、

「これっぽっちだなんてとんでもありません。今の私には本当に勿体無いお言葉で御座います」


 おっ、ちょっとだけ顔色が良くなったかな。


「城主様もこう言っている訳だし、いっそ開き直ってここに居座っちゃいなさいよ」

「そう……ですね。そうすることにします。御相談に乗って頂きありがとう御座いました」


 ビスケットの残りを置いて今日は引き上げた。


 正門館へ続く連絡通路の手前で、エウリーズは笑いながらソロモンの肩を叩いた。


「格好よかったわよ。正直ワタシはご縁が無かったということで突っぱねちゃえば、なんて意見しか言えなくて力になれなかったから」

「そうかな。でも俺も力になれそうにないよ。悲しい顔してこの城から出て行くのは嫌だっていうのは本当の事だけども」

「ソロモンちゃんはそれでいいのよ。それじゃあおやすみ。明日の朝食もお願いねぇ」


 正門館へ帰って行くエウリーズを見送り、今日はここで解散になった。

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