第11話 ソロモン、剣を買う

 ソロモンとヴィクトルが泊まったのは、二人で銀貨三枚の安宿だ。硬いベッドに薄っぺらい掛け布団。寝心地は悪い部類に入るが、それでもソロモンは朝まで熟睡できた。

 ベッドから起き上がり、思いっきり背伸びをする。一晩ぐっすり眠ったソロモンの調子は良い。

 カーテンを開ければ暖かな太陽の光が眩しい。窓の外には町の住人が活動を始めていた。


「全部夢でした。なーんてことはないかぁ」

 黒髪を掻きながら部屋の隅に目をやる。調度品が殆ど無い安宿の一人部屋。その隅の床にソロモンの使い魔ヴィクトルは座っていた。節約の為に一番安い部屋を頼んだ結果だ。

 行政官から貰ったローブを脱ぎ、ボロボロの服と骨だけの体が見えている。


「おはようヴィクトル。何か悪いね」

 ソロモンの挨拶に反応してヴィクトルは立ち上がった。喋れないヴィクトルは親指を立てる仕草で返事をする。


「おはようございます。ソロモン殿」

不意に、しわがれた声が部屋に流れた。その声の元は入り口のドアの前に居た。

 それは皺が目立つ顔。細身の長身。ネクタイ無しの着崩したスーツ姿。

 どこにでも居るような年配のサラリーマン。だがそれは、ここには居る筈のない人間の姿。

「私は悪魔ガミジンと申します。ヴィクトルの強化に来ました」

 ガミジンと名乗った男はドアに背中を預け、ズボンのポケットに両手を入れている。垂れた前髪の向こう、黒い瞳がソロモンを映している。


「ああ、バエルの仲間ね。ソロモンって呼ばれてちょっとビックリしたわ」

 いつ入ってきたんだろう? まあいいけど。

「ユーザーネームのノリでさ。ソロモンって名乗らせて貰ってるわ」

「ええ。貴方がソロモンと名乗った時は、我々全員がスタンディングオベーションでしたよ」

「いやなんでだよ」

 突っ込みに小さく笑うガミジン。


「それでヴィクトルの件ですが、今回はベースとなるステータスの強化となります」

「二日目で強化が来るのは予想外。具体的には?」

「腕力と脚力、あと握力もですね」

 ピースサインをするヴィクトルが目に入り、ソロモンは吹き出した。

「ちなみに強化は終わっています。名付けて『スケルトン改・ヴィクトル』です」

「見た目は変わってないみたいだな。名前を変えただけじゃないの?」

「いえいえそんなことはありませんよソロモン殿。おっと、そろそろ時間ですね。こちらに居られる時間が限られているもので、失礼しますよ」

「そうなのか。じゃあな、ありがとよ」

 まるで初めから存在していなかったかのように、ガミジンは音も無く消えた。


「スケルトン改ね。よし行くぞヴィクトル。これからが本番だぞ」

 身支度をして二人は部屋を出た。一階のレストランで朝食を摂りチェックアウト。この世界にも、具材をパンで挟む発想があった。


 時刻は午前七時過ぎ。宿屋の時計と腕時計は同じ時間を示していて、調整は必要無かった。

 天気は晴れ。絶好のお出かけ日和の中、ソロモンとヴィクトルは歩き出す。行き交う馬車も住人達もまだ少ない。

 今日やるべき事は決まっている。武器の調達と住む場所の確保だ。仕事先を探すのはまた後日でいい。

 まずは武器だな。武具店に行けばヴィクトルの分も含めて買える筈だ。場所は昨日の内に把握している。


「流石に早すぎたな」

 武具店はまだ開店前だった。店が開くのは九時からのようだ。

 散歩しながら時間を潰すことにして、再び歩き出す。途中の案内板を見つつ、一時間程歩いていれば、この町の構造が概ね分かってきた。

 中心には所謂市役所がある。その周りに様々な店が並ぶ大通りが放射状に伸びる。町の入り口は東西南北に一ヶ所ずつ。入り口付近は元の世界でいうところの『ビジネス街』だ。


 北西と北東がお金持ちが住んでいるお屋敷が並ぶ高級住宅街。南東と南西は石造りの集合住宅が並ぶ区画。

 時間が進むにつれて往来する人と馬車が増えていく。規模からすると人口は少なくとも十五万人は超えている。


 大通りに戻る途中の広場に何やら物品を広げている人達が居る。

「フリーマーケットでもやってるのかな」

 大通りとは違う雰囲気に思わず足が止まる。

「よう。ちょっと見ていってくれよ」

 横から声を掛けたのは大きなリュックを背負った男。ソロモンより頭一つ分背が高く、顔は若い。

「もしかして露天商の人?」

「そうそう。ここは自由に商売できる広場でね。私の今日の目玉は珍しい剣だよ。普通の流通経路を通らない一振りさ」

「剣か。丁度買おうかと思ってたんだよな。見てみようかな」

 ソロモンがそう言うと白髪の露天商は左腰にぶら下がっている剣をベルトから外しソロモンに見せる。

「これだ。持ってみなよ」

 差し出された剣をソロモンは両手で受け取った。


「剣のことは詳しくないけど、これ本当に珍しい剣なのかな?」

「特に凝った意匠が有る訳でも無いし、見た目は普通の片手剣だろ? 抜いてみな」

 露天商に促されて、ソロモンは鞘から剣を抜く。鞘に隠された剣身が姿を現す。その姿にソロモンは息を呑んだ。

「黒い剣……」

 一切の光沢が無い漆黒の剣身は、見た者の意識を吸い込むような妖しい気配を放つ。朝日に照らされても輝くことの無いその姿を、ソロモンは石になったかのように見つめている。

「金貨二百枚はする代物だ。正規の流通ルートを通って店頭に並ぶ物じゃないのは間違いない。でも銀貨五十枚で売ってあげよう。どうだい?」

 ソロモンは首だけ動かして露天商を見た。

「いやおかしいだろ。どう考えても最高に胡散臭いぞ。騙してんじゃないのか」

「騙すつもりはないさ。私は金貨二百枚の価値が有ると思っているんだが、鑑定に出したら銀貨四十枚と言われてね。悔しいから銀貨五十枚で売ってるんだ」

「ホントかよ」

 悪いが信頼性ゼロだぞこの露天商。見た目も何だか怪しく見えてきたぞ。


「そもそもこの剣、なんで金貨二百枚の価値があると思ったんだよ。黒いのがそんなに珍しいのか?」

 ソロモンの質問に露天商は大きく頷いた。

「この剣の名は『ブロジヴァイネ』。鍛冶屋の間じゃ『吸血剣』の異名でよく知られてる剣でね。人間と魔物の血をすすってより堅く、より鋭くなる特性を持ち、真っ二つに折れても再生するという伝説がある」

「まさか……。これ魔剣か」

 ソロモン目を丸くした。

「君の故郷では魔剣と呼ぶのかい? いいね。格好いいね。これは買うしかないね」

 露天商の営業トークにソロモンは黒髪を掻きながら、

「その伝説が本当だとしたらやばいヤツだろ。でも本物か? 偽物じゃないの?」

「鑑定士は偽物って判断したが私は本物だと思っているんだよねぇ。持ち主に悪影響が有る訳じゃないし。これは本当に良い剣なんだ。銀貨五十枚で売るよ。今だけだよ~掘り出し物だよ~」

「やっぱ胡散臭せぇ。そもそも入手先どこだよ」

「信頼できる筋から手に入れた。それ以上のことは内緒」

 自信満々で露天商は答える。その堂々とした態度にソロモンは押され気味で、

「まぁ剣が欲しかったトコだし……そうだな……」

 悩んだ末に、結局この黒い剣を買ってしまった。露天商はご機嫌で代金を受け取り懐へしまう。

 

 その後、鍛冶屋と武具店で話を聞いてみたところ、『ブロジヴァイネ』などという剣は聞いたことがないという。吸血剣という異名も知らないようだ。

 結論、剣の事を良く知らない素人が騙されたって話だった。まあいいけどね。気にすることじゃない。


 魔剣かどうかは別としても、だ。なーんか剣を持ってるとテンションが上がるっていうか、安心感がハンパじゃないんだよな~。

 そんなことを思いつつ左腰の剣を揺らしながら、ソロモンは大通りを歩く。すぐ後ろには、細身の槍と鉄製で円形の盾のラウンドシールドで武装したヴィクトルが続く。どちらも安い量産品だ。


 そろそろお腹の虫が鳴りだしそうなお昼時。大都会らしい賑やかな声があちこちから聞こえてくる。

「ソロモン・サダキ殿。少々よろしいですか?」

 混み始めた大通りを歩くソロモンに話しかけてきたのは、昨日の行政官だった。汚れ一つ見当たらない綺麗な礼服を着こなす彼は、一般市民とは一線を画す存在感がある。

「えっと確か……行政官のエルドルトさんでしたよね?」

「左様でございます」

 軽く一礼するエルドルト行政官。その立ち振る舞いは与えられた地位に見合う。

「ちょっとご相談がありまして。お時間は如何ですか?」


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