第10話 一日目の夜

沈んでいく夕日が空に本日最後の光を届け終わる頃、レンドンの町は喧噪に包まれていた。その様子を興味深そうに窺いながら歩く黒髪の少年が居る。

 名前は土来定樹どらいさだき。五時間前に異世界からこの世界へ放り込まれた、元は何処にでも居るような高校生だ。この世界ではソロモン・サダキという名を使う。

 その後ろを無言でついてくるのは、大きなフード付きのローブで全身を覆っているヴィクトル。その正体は、悪魔集団ゴエティアを名乗る七十二体の悪魔達によって創られた、スケルトンといわれる動くガイコツである。


 大通りの中央は馬車が通り、その両端が歩行者の歩く部分。それは遠い故郷の車道と歩道と同じ。アスファルトでは無いものの、それなりに整地されている。

 大都会の東京で生まれ育ったソロモンは、通行人でごった返す大通りを慣れた足取りで歩いていく。

 明かりが灯る石造りの町並みは東京とは違った趣がある。道行く人々の服は、主にローブかシンプルな上着とズボンの組み合わせ。現代の日本とは雰囲気が全く違っている。


「なんかファンタジー風のロールプレイングゲームの世界に入った気分」

 歩いているだけでも、異世界に来たと感じさせる。

「あとはなーんか物騒な気がするな」

 無意識の内に元の世界と比べてしまう。服装以外で決定的に違うところに目がいってしまうのだ。

「アレ、武器だろ? 持ち歩いている人多くないか」

 剣や槍、斧に弓と一目で武器と分かる物を身に付けている人が多い。ナイフもよく見られる。

 鎧を着込んだ男とかならわかる。時々見かける。でも夕食の材料買いに来ました的なおばちゃんが、腰からぶら下げているとな。


 この町は武器持って歩き回っても良いらしいが、治安が悪そうには見えないな。日本だと一発でしょっ引かれるぞ。完全に銃刀法違反だ。

 そんなことを考えながら目当ての店を探す。この大通り、店は並んでいるがその多くが雑貨屋や本屋、服屋、武具店、貴金属店等だ。通りの反対側も見ながら歩いているが、飲食店が見当たらない。


 野菜や果物を売っている店は何軒か見かけたけどな。何処かで休みながらゆっくり食事をしたい。金はあるんだ。

 上着のポケットには金貨六枚が入った小袋がある。


 空腹感と戦いながらレンドンの町を彷徨うこと四十分。美味しそうな匂いに釣られて曲がってみた所、待望の飲食店を発見した。どうやら飲食店が集まっている一角のようだ。

 この町は同じ業種毎に店が固まっているのかな。まあいい。そんなことより夕食だ!

 適当に選び入店。店内は明るく家族連れやお一人様で賑わっていた。食欲をそそる匂いが漂う中、ウェイトレスに案内され奥の空き席へ。水が入ったコップが二つテーブルに置かれた。


「二名の客と思われたか。ヴィクトルが飲食を必要としないってこと知らないもんな。お前の分貰うぜ?」

 ヴィクトルは頷いた。ソロモンはヴィクトルの前に置かれたコップを掴んで口元へ運ぶ。

 氷が入っていなくても冷たい水を一気に流し込む。

 丁度書き入れ時か。座れて良かったよ。さぁて何を食べようかなっと。

 テーブルの端に置かれたメニュー表を開けて目を通す。そこで一言。


「どんな料理か分からないんだが……」


 料理名は読める。しかしこの世界の知識が皆無なソロモンは、それがご飯物なのかスープ類なのかが全く分からない。使ってる材料自体も、肉なのか野菜なのか魚なのかが分からない。

 盲点だった。異世界の落とし穴か、それとも洗礼か。


 隣の客のテーブルをさり気なく覗いてみた。パンと平皿に盛られた肉らしきものが見えた。美味そうに頬張っている。

 飲食店だし変な物は出てこないだろう。アレルギーがあるわけでもないし、嫌いな物とかないし。適当に決めちまうか。

 ウェイトレスを呼び注文をする。値段は一人前で『銀貨一枚銅貨二十枚』だ。

 いかにも異世界らしい価格設定だ。高いのか安いのかはわからん。ざっと見た感じだと、この店で出す料理の値段は平均銀貨一枚くらいだろう。


 愛想の良いウェイトレスは黙って座っているヴィクトルにも注文を聞いたが、ヴィクトルは手を振る。

「あ、コイツの分は要らないです。一人分でいいです。すいません」

 ウェイトレスは不思議そうな顔で注文票に書き込んだ後、席を離れた。

 売り上げにならない客だもんな。何か悪いことしちゃったかな。

 賑やかな店内。評判は分からないが、少なくとも繁盛しているのは間違いない。


 料理が来るまでの間、今後のことを考える。

 食事を済ませたら、次はホテルを探して今日はゆっくり休もう。異世界送りに、盗賊戦だ。これが半日の間の出来事だろ。どうなっているんだ俺の運命は。

 運命の神様が俺の前に立ったらグーパンしてやる。

 不毛な考えをしながら、テーブルにあらかじめ置かれていた水差しに手を伸ばす。ガラスのコップに水を注ぎ、口へ運ぶ。


 明日はどうしようか。取り敢えず武器の調達はするべきだろうな。

 俺には顔も名前も分からない敵が居る。異世界サバイバルゲームの他の参加者達。すぐには会わないだろうが、今の内に何らかの対策はしないと不味い。自分の命が掛かっているからな。


考えを纏めていると注文した料理が届いた。ソロモンの目の前に置かれたのは蓋で閉じられた鍋だ。

 蓋を開ければ白い湯気が飛び出し、熱気に混じる濃厚なチーズの匂いが遅れて鼻に届く。

 元の世界でいうとグラタンかチーズ煮込みといったところか。食べなくても分かる。これは絶対に美味い。間違いなく美味い。

 スプーンを手に取り先端を鍋に沈める。持ち上げれば溶けたチーズが糸を引く。

 一口食べただけで頬がこれ以上ないほど緩んだ。

 中身はチーズだけではない。中までほくほくな芋。ほうれん草に似た色と形の野菜と、豚肉らしき食感の肉。どれも食べやすい大きさで結構な量だ。


 最早鍋が空になるまでソロモンの手は止まらない。時々水を飲んで冷やしつつ、口の中に放り込んでいく。平らげるのに掛かった時間は七分程。

 文句無し。大満足だ。この世界で初めての食事は大当たりだぜ。

 満腹感と溢れる幸福感に浸りながら目を細めるソロモン。

「それじゃ、出るか」

 コップを空にして席を立ち、ウェイトレスに会計を申し出る。奥の会計台と書かれた一角に案内された。


「金貨一枚で釣りが来るよね?」

 黄金色に輝く金貨を取り出しウェイトレスに見せる。

「き……きき……金貨払いで御座いますかぁ!?」

 愛想が良かったウェイトレス一瞬で凍り付いた。素っ頓狂な声に、騒がしかった店内が一瞬で静かになる。客達の視線がソロモンに集中した。

「えっ? 金貨で払うのって珍しいことですか?」

「い……いえ……。大変失礼致しましたぁ! すぐにご用意させて頂きます! 少々お待ち下さいませ!!」

 慌てて動き回るウェイトレス。目を丸くするソロモン。ざわつき始める客達。よく考えれば不審者スタイル――誰も突っ込まない――のヴィクトルはノーリアクション。


 俺、何かやらかしたか?


 別室に通され、そこでお釣りを受け取り店を出た。オーナーのオジサンがやたらと下手したてに出てきた所をみると、どこぞの御曹司に間違えられたようだ。店を出る時ご丁寧に店の外まで出て深々と頭を下げた。

 十円の駄菓子一つ買うのに一万円札出した様なものか。逆に申し訳なかったかな。

 そんな気持ちが残りながら、ソロモンは町の喧噪へ戻っていく。

 あの店で釣り銭を受け取った時に一つ、分かったことがある。それはこの世界のお金は大きく分けて四種類あるということだ。


 まずは『銅貨』。この世界のお金の最小単位。色は茶色。大きさは金貨と同じ。


 次は『銀貨』。一枚で銅貨百枚と同じ価値を持つ。色はイメージ通りの銀色で大きさは金貨と同じ。


そして『金貨』。一枚で銀貨一千枚と同じ価値を持つ。価値がかなり高く、一枚出しただけで店側が大騒ぎする代物だ。


 最後は『硬貨券こうかけん』と呼ばれる物。長方形の紙で、これ一枚で幾らかが書かれている。例えば銅貨五十枚とか銀貨三十枚とかだ。

 店員に聞いてみたところ、政府機関が発行しているという。嵩張る硬貨を運ぶ手間を軽くする為に作られたもので、政府機関に行けば額面通りの硬貨と相互に交換ができるとのことだ。

 要は紙幣と同じように、店での支払い等に広く使われているみたいだ。硬貨券は持ち運びに便利で、銅貨は十枚単位、銀貨は五枚単位で自由に設定出来るらしい。


 まあ金貨一枚の重さよりも、お釣りで貰った硬貨券の束の方が重いし嵩張ってるんだけども。

 ポケットには、紐で纏められた札束が窮屈そうに押し込まれている。

 紙自体は良い紙を使っていると思うが、偉い人の肖像が書かれている訳でもない。裏は白紙だし、透かしも無い。発行元の印鑑は押されているみたいだが、偽造対策は不十分だと思う。

 そんな異世界のお金事情を考えながら、ソロモンは今夜の寝床を探して歩みを早めた。

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