第6話 ユーザーネーム・ソロモン

 まず脇腹から出血している男の方から取り掛かった。励ましの言葉を掛けながら素早く手当を施し、それが終わればもう一人の男の手当に取り掛かった。手に血がべっとりと付いてしまっても気にせずに手当を続けた。


 二人共顔色は最悪だが意識はハッキリしているようで、小さく「すまない」と精一杯のお礼の言葉を溢す。

 手当は二人合わせて二十五分程で終わった。定樹が手当てしている間、青年とヴィクトルは黙って見ていた。


 その後、水筒の水で手を洗い、ついでに水も飲ませて貰う。喉の渇きは治まった。

 借りたタオルで手を拭いてから、腕時計を左手の手首に戻す。


 青年は治療道具が入った木箱を閉じて、改めてお礼を言ってから、

「ものすごく手際が良かったですね。もしかしてお医者様なのでしょうか?」

 青年の表情から悲壮感の影が消え去っていた。今は喜びと尊敬の光が表情に灯っている。

「俺はそんなインテリじゃないですよ。子供の頃野球をやっていた時に怪我の手当を教えて貰っただけです。ここまで酷い傷を手当てしたのは初めてですけどね」

 定樹はかぶりを振った。緩んだ顔を隠すように明後日の方向へ向ける。

 理不尽といっても過言では無い理由で送り込まれた異世界で、何が役に立つか分からないものだ。


「ヤキュウ……とは知りませんが、すごい人だったんですね!」

「あ……いや……。あ、でも早く病院に連れて行った方が良いよ。あくまでも素人の応急手当だから。病院がある町とかは遠いんですかね?」

 自身の人柄以上の尊敬を受けたと感じた定樹は、やや強引に話題を変えた。


「いいえ近いですよ。レンドンなら馬車で三十分と掛からない筈です。僕たちと一緒に来てくれませんか?」

「レンドンって町が近いんですね? 良いですよ。是非お願いします」

 渡りに船だ。情けは人の為ならずって本当だったんだ。

 ヴィクトルに手伝わせて怪我人を荷台に乗せる。青年は御者席に座って手綱を引く係でヴィクトルはその右隣に座った。定樹は荷台へ乗り込む。

 怪我人二人は横になって休ませている。


 二頭の馬に引かれて馬車は動き始めた。舗装がされていない土の道を真っ直ぐに進んで行く。車輪が地面の小さな凹凸を超える度に不快な振動が馬車へと伝わる。

 乗せて貰っている手前口には出せないけど乗り心地はハッキリ言って悪いなぁ。どうもアスファルトで舗装されていない道は人に優しくないらしい。


「そういえば自己紹介していませんでしたね。僕はナルースといいます。お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「はい。俺は……」

 まあ、バエルも言ってたしな。ゲームのユーザーネームって事にしておくか。

「俺はソロモン。こっちはヴィクトル」

 ナルースと名乗った青年に、定樹改めソロモンは自己紹介をする。

「気になったんですけど。どうしてこんな大怪我をしたんですか?」

 怪我人二人の様子を見つつ問いかける。その問いにナルースは顔を曇らせた。

「魔物に襲われたんです。この辺りは滅多に出ないという話だったし、急な仕事でしたので護衛を雇っていなくて……。先輩が武器を使って何とか追い払ったんですが……」

「えっ、魔物が出るの?」

 マジかよ。この世界には魔物が居るのか。つまり俺は人間に危害を加える魔物といつ遭遇してもおかしくない道を歩いていたということか。しかも無防備かつ無警戒で、だ。

 背筋が寒くなる話だ。でもまあ魔物に遭遇する前に聞けて良かったかもしれない。


「レンドンまでいけば兵隊さんが守ってくれるので安心なのですが、次襲われたらもう終わりですよ。武器があっても僕は弱くて戦えないですから」

 マジか。戦力外かよ。急に寒気がしてきたぞ。この世界は割と過酷かもしれない。

 ふと、ソロモンはヴィクトルを見た。ヴィクトルは両手を膝の上に置き、前を向きぴくりとも動かない。

 景色に興味が無いのか、命令が無いから動かないのか。イマイチわからないな。


「ナルースさん。レンドンに着くまででいいので、武器を貸してくれませんか? 腕に自信は無くて気休め程度ですけど」

 襲われなければそれに越した事は無いが、しかし泣きっ面に蜂という言葉もある。出来ることはやっておきたい。

「それならそこの武器を使ってくれ」

 足を怪我した方の男が指を指す。積まれた木箱の横だ。

「お借りします」

 短く返事をし、ゆっくりと移動する。

「剣と槍だ……」

 それぞれ一本ずつ並んで置いてあった。


 知識としては知っているけど実際に見るのは初めてだ。

 木箱を固定している張られたロープを片手で掴んで体を支え、空いた方の手で剣に手を伸ばす。鞘に付いているベルトを掴み引き寄せる。

 積み荷の木箱に背中を預け、鈍い銀色の鞘からゆっくりと剣を引き抜く。

「うわ……酷いな……」

 刃の部分に、ほぼ固まった状態の血が付いている。かなりの量で鍔の部分にも付いている。魔物との戦いに使われた剣だ。

「片手剣ってやつだな。金属バットより少し長いか。重さは……ちょっと重いな」

 右手に持った剣を上下に動かす。鞘と同じ色の刃は三分の二程が赤黒い。

 槍の方も同じだ。特に先端の刃は元の色が分からない状態になっている。

 剣を収め、鞘に付いているベルトで適当に左腰に固定する。


 槍を御者席のヴィクトルに渡す。ヴィクトルは槍を受け取り、槍の感触を確かめるように柄を握ったり離したりしている。槍の長さはヴィクトルの身長と同じくらいだ。

「あれ? そういえばヴィクトルは槍とか扱えるのか?」

 ヴィクトルは数拍おいて頷く。

「そうか。まあなんかあったら頼む」

 ヴィクトルは親指を立てた。

 少なくとも使い方は理解しているらしい。まあ俺が剣を扱えるかといえば「マンガやアニメでこんな感じで振り回していたな」レベルの話。本来なら戦力外の素人の一人だけどな。


 日本の現代社会の一般的な高校生は、竹刀や木刀を振ることはあっても『真剣』は振らないし。俺は野球少年だったからな。剣道かフェンシングとかなら、まだ経験が役に立ったかもしれないが。

 そんな事情を知らないナルースは、武器を持った二人を見て安心したようで笑顔になった。

 魔物に出会わずに町まで辿り着ければいいだけ。気休め気休め。


 爽やかな風が定樹の頬を撫でた。大都会の真ん中とは明らかに違う感触。

 馬車の走行音以外の音は聞こえない。ここにはきっと大都会の騒々しさとは正反対の静かさがあるんだろうな。

 異世界。俺が居た元の世界とは異なる世界。この感じは間違いなく現実だ。夢でも幻でもない。

 この世界で生きていけるのかな。このゲームに勝てるのかな。――これからどうすればいいのかな。

 ソロモンが物思いに耽っていると馬車の目の前に脇から大男が三人、馬車の進路を塞ぐ形で現れた。手綱を取っていたナルースは慌てて馬車を止める。急停車による慣性で前のめりになる定樹達。


「よお兄ちゃん達。金目のモン、全部置いていけよォ」

「えぇ……盗賊かよ」

 テンプレートの台詞を吐いてるし。ある意味魔物よりも厄介な相手じゃないか?

 ナルースの顔からは一瞬で血の気が失せていた。

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