ヨルの食事は、絶品だった。二割は猫であるのに人の味覚を完璧に把握していた。

クロカにとっては平安時代とは違う食事であり、ある種エンターテイメントである。

食べては名前を聞き、食べては聞きを繰り返した。



「じゃあ、つまり。中身を探して、クロカちゃんはここに来ちゃったのかな。」

「そういうこと。あ、この黄色いのなに?」

「じゃあ、頑張ってみつけないとね。ダシマキ。」


少しの説明で理解を示してくれたヨルは、大変だったねぇ、と感心している。

ふと椿のほうを見ると、静かに食事をするタイプのようで、こちらを見ることはほとんどない。

しかしその所作はとても優雅で、クロカは羨ましく感じた。

クロカ自身はまだ皿やカップの使い方がぎこちない。早く慣れなければならない。



「…クロカ。今日はもう、休んだほうがいいだろう。とくに焦ることでもないしな。」

「え。」



ヨルは珍しいもの見るようにきょとんとした顔になった。


これ以上の探索はクロカの身体に関わるだろう。そうなると、この屋敷の内装もまた影響を受けてしまうかもしれないことを、椿は懸念していた。


クロカは先ほどの椿を思い出す。あの時、椿はとても取り乱していた。まるで、クロカがこのまま死んでしまうのではというほどで、申し訳ない気持ちになる。


「うん。なるべく早く寝るよ。」


私の体調を気遣ってくれているのだろうから、最大限それはもらっておくべきだろう。そう言うと、椿はわずかに口角をあげてほっとしたようだった。


「そういえばあんまり、焦ってない気がするね。クロカちゃん。」



そうかもしれない。中身が見つかればいいな、と感じるものの早く見つけなきゃ落ち着かない、とか離れられないなんていう心情は無い。

それは自分でも気づいていた。

クロカはちょうど食べ終わったようで、箸を置いて苦笑する。


「うーん。そうだなぁ。自分でも少し不思議なんだ。すごく悠長な気分なのが自分でわかるの。どれだけ探しても、他人事に感じられてしまう自分がいる。ちょっとどうでもいいって思っている節があるのかも、自分の中身のこと。変だよね、中身を探して、私の中身がなければいけないから、ここに来たのに。」


私、自分のことないがしろにしてたのかな。クロカは目をふせた。


自分がどういう人間かわからない。それはまるで、宙ぶらりんにされているようなもので、不安が常にまとわりつく。


先ほどの気持ち悪さは、成りを潜めただけで身体の奥底からずっと、また這い出てくる機会をうかがっている。


どれだけ暖かい食事をとっても、どれだけ懐かしさを感じても、まるで空腹時のようなぽっかり穴があいた感覚がずっと身体の中にくすぶり続けている。

多分それは中身へと繋がる感覚なのだろう。でもクロカはそれに気づかない振りをしている。


蓋をして、鈍感に首をかしげることが出来る。この嫌な感覚を無視できてしまう。

ちょっと、恐ろしい。



ヨルは食事の手をとめるとクロカの方を見て優しく笑って、クロカの手を取って握る。



「何があったのかわからないけど、それでも君は『サイハテ』に来たんだ。ここは誰かがおいそれと来れるようなとこじゃない。大丈夫。人間の感情はクロカちゃんが思うよりもずっと複雑なんだ。ちゃんと、紐解いていけばきっといい方向に向かうよ。中身がどうでもいいなんて、悲しいこと言わないで。それはクロカちゃんの積み重ねたものが詰まっている大事なものなんだよ。」




自分の中身がどんなものであれ、ここまできた以上クロカは中身を失いたくはなかったのだろう。

どんなに今にも切れてしまいそうな細い糸だったとしても、それがクロカの足をここへ向かわせた。


ならば、自分が大事に手繰り寄せてきた中身を、私は大事にしなければならない。それができるのは、私自身しかいないのだ。


「ありがとう、ヨル。」

心の隅にあったしこりが消えていくのがわかる。大丈夫、ちゃんと大切に思える。クロカはそう繰り返した。


「うんうん!さ、あとでお風呂の使い方教えてあげるから、先に自室にもどってな。」

クロカは安心したようにうなずいた。




クロカがいなくなると、ダイニングはしんと静まり返る。ヨルはちらりと、椿を見た。


椿の頭の中では紅の君という名前がぐるぐると飛び交う。共に行動してみてよくわかった。


手紙では賞賛の嵐だったものの、こうして接してみると頭の良く回る平凡な女の子にすぎない。


中身を追いかけている最中とはいえ、あまりにも性格が離れていることは考えにくい。

ならば出てくる情報はどうしてこうも、クロカが他人事に感じてしまうほどにかけ離れているのか。いまいち掴むことができない。椿は、うなった。


ヨルは大げさにため息をつくと、まるで椿を見下すような視線を向ける。

「君、今回過保護じゃない?椿らしくもない。」

「なに?」


ヨルは薄く笑う。その笑みはクロカに向けた優しさは影を潜め、金の瞳が光る怪しい笑みだ。

椿だけが知る。冷たく、ずる賢い。

まさに夜を貼り付けたような猫の姿が透けて見えた。


「わかっているでしょう?君の自慰に彼女を使わない方がいい。ああ、エゴって言った方がいいかな。」

「…何様だ。人間ですらないお前に言われたくないな。」


ヨルの言葉の意味がわかったのか、椿はお前も同類だというようにヨルを、眼光鋭く睨みつけていた。

二人の間には、冷たい風が吹き夜空は段々と更けていく。


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最果てのアリア 葉月菜の花 @HadukiNanoka

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