第2話 下校と冷水シャワーと舞ノ原 真衣

時に下校とは学校生活において最もかったるい時間に思える、なんなら登校に10-0で勝てるレベルだ。

登校はまだよい、やる事が旅路の先に待っている分まだ「よし、かったるい事この上ないが留年は嫌だし何とか学校に行ってやろう」となる。

だが下校は違う別に帰っても其処には待機時間が待っている。

学校行くまでの待機時間、つまり家に帰ったところで待っているのは飯を食べて風呂に入って寝ると言う生まれてこの方16年やっているやり尽くされたルーティンなのだ。

家に何か楽しみがあればまた違うのだろうが残念なことに私は学校以外で読書はしないし運動はやった事ないしオマケに流行りの音楽やSNSとかも嗜まない。

驚くほど無趣味、家族に引かれるレベルで何にも無いのだ。

そんなこの上なく非生産的な事を考えつつ1.5キロの道のりを進むと見えてきたのは我が家だ。

引き戸の玄関を勢いよく開けて、靴を脱ぎ散らかす。

「ただいまー、帰ってきたぞー」

そう、言って扉を開くとゴミを見る目で待っていたのは我が妹の十島 結だ。

「希姉ぇ…その帰宅後開口一番は髪型がこの上なく特異で五十代にして三世帯家族の大黒柱で三児の父の国民的お父さんが使うテンプレだよ、どう頑張っても華の女子高生が使う台詞としては間違ってる」

「そんな細けぇこたぁいいんだよ、さ風呂だ風呂」

帰って早々2つ上の姉に対して説教垂れる生意気な妹を置き去りに風呂へと歩みを進める

「もー!また超早風呂!?まだ17時半!昭和の半ドンで上がってきたサラリーマンじゃないんだからさぁ…時は平成JUMPして令和ですよーだ!」

「なんだよ、そんなに姉がダラしないのが嫌か?そんなにむくれて…可愛い顔が台無しだぞ?」

そう言うと結の頬はさらに膨らみ真っ赤に染まった、そんなに紅くなってお前の頬はX JAPANの紅か?もう誰もお前を慰める奴は此処には居らんぞ?

「希姉ぇのハガ!もうしらねぇからな!」

あらあら、本当に可愛い。

そうこうして脱衣所のドアを開いた。

風呂特有の塩素消毒の匂いが鼻に付く。  

初夏の陽気に当てられたブレザーを雑に洗濯カゴに放り込むと浴室の横開きのドアを自分の身体が通れる最小限だけ開けて浴室へと入った。

タイル張りの床は先程まで誰かが冷水でシャワーを浴びていたのか水気が残っており冷えていた。心なしか浴室全体の温度も低いように感じられる。

「この時期から冷水は早すぎるでしょ、さてはまた結ちゃんは走って帰って来たな。」

先程の愚妹、元へ。麗しき最愛の妹は登山部というイタズラに徒労を重ねる変態集団に属しており、基礎体力をつけるという名目同級生の自転車に荷物を乗せて家から学校までの約2.5キロをキロペース4分30秒という女子中学生としては中々の好ペースで走って帰ってくる。因みに本気を出せばキロ3分25秒で走れるというから驚きだ。

「アイツはちゃんと荷物を運んでくれてるハルちゃんに御礼してるのか…?」

してないとすれば姉として最低限の教育的指導をしなければならない。だが我が家系で唯一の常識人であり正義感の強い唯ちゃんの事だ、そんな心配は杞憂のように思えた。

そう無意識のうちに蛇口を捻った時だった。

突然、叫びたくなる程の冷感が襲って来た、いやしかし、蛇口を捻る前温度は40度付近に設定している。間違いなくだ。

温水の出てくる筈のシャワーヘッドからキンキンに冷えたファッキンコールドウォーターが勢いよく放出された。

導き出せる解は2つ。ボイラーの不調か結が浴びていたであろう冷水が配管内に残っていたかだ。

おそらく後者である、ちくしょう。こんな初歩中の初歩の罠に掛かるとは…私も歳をとった。

少し待つと温水が出てきた。

先程の解が後者であることの証明だった。

結め、上がったらそのやたら形のいい乳…の近くの脇をこれでもかと言うほど擽ってやる、そう思いながらシャンプーのボトルをプッシュした。

温かいシャワーが心地よい、シャンプーを手の平に取ると手の平を頭へ、髪を解きほぐす様に洗っていく。

ラベンダーの良い香りが浴室全体に充満する、そんな事を感じながら思考はふと原始的な所へと回帰していた。

(友達…か…)

友人、親友、生まれてこの方そんな人間に出会っただろうか。

思い返せば思い返すほど何もなかった、唯々そこには物心着いてからの十数年間のルーティンが鎮座している。

(趣味ナシ、友ナシ、思い出ナシ…まるで空っぽ人間じゃん。)

孤独に恐怖はない。

ただ虚無に退屈が無いわけではない。

(何か始めてみるか…?)

いやしかし面倒だ。面倒に違いなかった。

放課後にギター掻き鳴らしてティータイムするのにも人付き合いが付きまとい、手にマメをこさえながら練習しなければならないし、ライブともなれば人前で歌って弾かなければならない。

そもそも性に合ってない。

だからといって結の様に運動する事にも楽しさは見出せそうにない。

そうこう考えてシャワーの工程は足先の洗浄まで来ていた。

(そう言えばあの委員長にも友達はいるのか…?趣味とか………嫌々、日々お勉強とママからの習い事がお友達兼趣味に違いない。)

そう、出鱈目な打算を頭で組み棄てると蛇口を逆に捻り水路を閉じた。

(そういや、アイツ名前は…?なんだっけ…?)

ふと、彼女の基本事項に疑問を持つ。

こんな私だが話しかけられたら名前くらい言えるように入学式の後の自己紹介にはキチンと耳を立てていた。

雑に衣類の放り込まれた衣装ケースから所望の下着を探す様に記憶を漁って行く。

目鼻立ちの良いセミロングの少女。

ブレザーが軍服の様に端正に着こなされていて、通りの良すぎる声が聞こえて来る。

目を閉じると何処となく漂うポンコツ臭が服を着て喋る様子が目蓋の裏に浮かんだ。

「一年間クラス委員長を務めさせていただく事になりました。私立板付中学校から来ました。舞ノ原…」

(舞ノ原…?下の名前が出てこんな…?)

そんな時だった。ドタドタとリビングから足音がして来る。足音の主は足音のペースからして結に違いなかった。

「のぞねぇ、お隣さんきてるよ?今出れる?」

「お、篠崎さんとこのババアか、またお野菜とお節介のお裾分けか。後者はいらんと伝えておけ」

「無理だよ、あと36の今をときめく農業女子をババアと言うのはやめとこうよお姉ちゃん」

「いいか結ちゃん、人間は20歳を境に大人一年生になる、25を超えたあたりからバイト先や職場では歳喰いと言われて30手前でお姉さんと言うか言わないか非常に微妙なラインとなり35はもうベテランだ、お風呂屋さんで出てきたら人によってはチェンジコールされてしまう。そんな中で36という年齢に対して

ババアという呼称をやめろと言われてもそれは無理な話だ。ましてや農業女子は世の中の女子に失礼極まりない。だから私は今までの勤労に敬意を表し年功序列を重じて35以降の男性にはジジイとそして女性に対してはババアと呼ぶ様に決めている。」

「バァバァアで悪うござんしたなぁ…?十島希未殿…?」

「ああ、いらしておりましたか篠崎真白大尉。私が今日の十島家当直、十島希未伍長です。本日もわざわざ前職の型落ち作業服を着ての耕作業務ご苦労様です。ささ、お野菜の方は確かに受領しますのでお帰りください。忙しい中ありがとうございました。」

「このクソアマがぁ…根性叩き直してやろうか…と言いたいところだが今日は勘弁してやろう。」

「あら、珍しい」

「今日はこの街の新兵…ではなかった新しい御近所さんを連れてきたわ」

そう言って狭い脱衣所から身を退けるとその後ろから女子が現れる。

「初めまして…じゃ無いみたいですね」

初めましてでは無い声が聞こえる。

艶やかなセミロングの黒髪、目鼻立ちがくっきりとした綺麗すぎる顔。

私服姿は制服とは違いヒラヒラの付いたピンクを基調とした女の子らしいコーディネートで相変わらず気持ち悪い程通りのいい声だ。

「昨日こちらに引っ越してきました。舞ノ原ー」

(舞ノ原ー)

その名前には聴き覚えがあり、その声とともに下の名前を思い出す。

そう、こいつの名前は


「舞ノ原 真衣!」

「舞ノ原 真衣です」

そういうと彼女はまるで他所の人の電話をとる母親の作り声のような笑顔をこちらに差し向けこう言った。

「よろしくお願いします」

そう、言った彼女に呆気にとられる私はやっとタンスから見つけ出した下着を着たままの姿であった。

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