第118話 静かな怒り

「ったく……手こずらせやがって……」


 環は倒れた武が起き上がってこない事を確認し、救急車を呼んでからこの場を立ち去ろうと電話ボックスに足を運ぼうとした。スマホで連絡すると後々面倒になりそうなので、公衆電話で連絡した方が少しは身元が割れ難いと思ったからだ。


 だが、つかつかとこちらに向かって歩いて来る少女の凍てつくような視線を受け、環は自分がこのまま大人しく帰らせて貰えない事を悟った。


「丁度良いところに来たね。そこにぶっ倒れている雑魚の回収に来たんでしょ? 救急車呼ぶ手間省けたわ」


「その雑魚に随分と良いパンチを貰っていましたね。貴女が馬鹿にした雑魚にクリーンヒット喰らうなんて、貴女も思ったより大した事無いんですね」


「……相変わらず生意気な奴だな。周佐」


「それは申し訳ないですね。これでも昔は礼儀正しいって言われていたんですよ」


 街灯に照らし出され、声の主の姿がハッキリする。

 そこには二つおさげの一見平凡に見える少女、周佐勝子が立っていた。

 だが、この少女が見た目からは考えられない程の強さが秘められている事を環は知っていた。


「随分来るのが速かったね。お前のお姫様は如何したんだ?」


「麗衣ちゃんはこれからCTスキャンを受けるところでしたが、麗衣ちゃんの命で私は武の事を任されました」


「そうだよな。美夜受命のお前がアイツの身よりもコイツを優先する訳無いか……で、何でここに居るって分かったの?」


「簡単ですよ。麗のメンバーはスマホに位置情報確認アプリ入れているんですよ。メンバーが暴走族に襲撃されたり、拉致された時、助けに行けるようにメンバーの位置情報は共有しているんです」


「ハッ! プライベートも何もあったものじゃないね。特にコイツは男だから男しか行かない場所に行きたかったりするだろ?」


「そんな事は知った事では無いです。コイツは私と麗衣ちゃんの共通の下僕ですから」


 環は武を見下ろすと少しだけ同情交じりの声で言った。


「こんな厄介な連中の下僕と来たか……コイツも難儀だねぇ」


「そんな事より、この落とし前を如何付けてくれるんですか?」


 勝子は鋭利なナイフで突き刺す様な視線で強く環を睨みつけた。

 落とし前とは麗のメンバーである武を痛めつけた事に対してである。

 知己の仲であるとは言え、そもそも友好的でない勝子が環の行為を見過ごす訳が無かった。


「えーっと……やっぱり大人しくは帰してくれないって事かな?」


 頬を掻く素振そぶりをしながら、おどけたように言う環に対して、勝子の返事は冷ややかな物だった。


「当然ですよ。ですが、貴女が今日、敵の幹部を倒してくれたのは事実です。だから一発で許してあげます」


 環はゴクリと息を呑んだ。


 この一発が只の一発ではない事を環は知っているからである。


「嫌だと言ったら?」


「説明する必要あります?」


 勝子の視線が更に鋭さを増し、あたかも殺意が込められているかのようだ。

 環はその表情を見て、勝子の本気を悟り、首を振りながら両手を上げた。


「ハイハイ。降参降参。降参しまーす。ダメージ受けた状態でお前とやり合うなんて自殺行為はしないさ」


「そうですか。じゃあ」


 いきます


 という言葉を言い終わる前に左足で鋭く沈み込む様に踏み込み、前足に体重を移しながら股関節に溜めたパワーを股関節の伸展と体軸の回転で解き放ちながら、腹の下から右のボディアッパーを環の水月に突き刺した。


 ズドン!


 砲丸の投擲の如き威力を込めた拳が腹を打つ重い音が公園中に響き渡る。


 防御の為に素早く引く事など一切考慮せず、フォロースルーを効かせたパンチは環の締まった腹部を更に絞らせていた。


 腹から背中を打ち抜くつもりで放たれた勝子のパンチを受けて尚、環は倒れなかった。


 環は半端な鍛え方では悶絶必至なパンチを受けながらも微笑を浮かべると、打たれた拳に手を添えながら勝子に尋ねた。


「……中々やるじゃないか。もう一発いっておく?」


「いいえ。私のパンチは一発で充分なので……。その代わり、気が変わる前に私と武の前から消えて下さい」


 勝子は腹に当てた拳を離した。


「相変わらずおっかない子だね。まぁ良いわ」


 環は勝子に背を向けた。


「周佐。お前もさっさとこっち側に戻って来い。その時はまともに相手にしてやるよ」


「興味がありません。喧嘩でも試合でも私が貴女と相まみえる事は永遠に無いでしょう」


「そいつは残念だ……心からな」


 環はひらひらと手を振りながら、勝子に一瞥もせずに立ち去った。


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