第108話 十戸武恵VS土折伊織(1)お嬢様と上級国民

 私、十戸武恵の相手は土折伊織つちおりいおり

 近隣最大の暴走族・飛詫露斗アスタロトの親衛隊長補佐で日本拳法を使うらしい。


 私は大東塾の中学生の部ではトップ選手だった長野賢二さんに格闘技を教わっていた。


 私自身は大東塾で習った訳ではないのだが、疑似的な大東塾VS日本拳法と言って差支えが無い。


 大東塾も日本拳法も空手と柔道、後はボクシングを組み合わせた総合格闘技であり、防具使用のフルコンタクトルールと共通点が多い為、ライバル関係にあると言っていい。


 大東塾と日本拳法出身者がボクシング等他競技に転向後、対戦する事になると格闘技関連のマスコミは煽ったりする事も多い。


 もっとも、今の私は麗衣さんと同じジムでMMAと柔術を習い始めたので、大東塾とは関係ないんだけどね。


 土折さんは左手と左足を前にして半身に構え、左足先はやや内側に向け、後ろ足は右斜めに開き、右手を水月(鳩尾)部に構え、左手と右手を同一線上の高さで両手指先を伸ばして構えている。


 私は足を肩幅に開くと、彼らの流派の試合で使われている拳サポーターを嵌めた左手を前に、右手を奥に手の位置は目線の少し下に構えると、大きく左足を一歩踏み出した、タックルされた時に両足を掴まれづらいMMAの基本通りに構えた。


 私の構えを見て、土折さんは和やかに微笑みながら言った。


「君の戦い見ていたけど、強いねぇ。特に投げ技が凄いよ。ボクシングやキックより遥かに体力を使う総合格闘技を使うんだ。大したものだよ」


 戦いの前に何を言っているのかしら?

 でも、褒められたのだから率直にお礼を言うべきかな?


「ありがとうございます」


 私が頭を下げて礼を言うと土折さんはにこやかに笑い出した。


「はははっ。礼儀正しいし、素直で良い子だね。……ねぇ、君さぁ。こんな喧嘩は止めない?」


 え? 何を言い出してるのかしら? この人。


 日本拳法を使うなら、私の力を見たところで臆したって訳はないと思うけれど……。


「4対4の対決を申し出たのはそちらの隊長補佐さんからです。今更何のご冗談でしょうか?」


「うーん。ハッキリ言って君達この喧嘩に負けるよ。仮に4対4で君達が全勝したとしても、その後に無傷の男10人と、やられた半数の7、8人は息を吹き返すだろうから。彼らが黙って君達を返すと思うかい?」


 土折さんの言う事はもっともだ。

 格闘技の使い手を相手にし、私も麗衣さん達も勝てたとしても無傷では済まないだろう。

 そこへ、まだ元気な10人と、土折さんの言う通り、7、8人は失神から目を覚まして来るだろう。


 疲労しきった私達4人で男子17人を相手にする。


 いや、織戸橘環さんが居るから5人だけれど、それでも確かに勝ち目は無さそうだ。


「俺はねぇ……。初めから、この喧嘩に乗り気じゃなかったんだ。幾ら有名な麗を倒して名を上げる為と言っても、女の子を殴るなんて気が進まないんだ」


 暴走族の中にも、まともな人も居たって事かな?

 あるいは演技という可能性も捨てきれないよね。

 いずれにせよ、すぐに土折さんの話に乗らず、弱みは見せないようにしないと。


「そうは申しましても……こうして、戦いになってしまったのですから、お互い引くわけには行かないでしょう?」


「そうなんだよね。だけど、この喧嘩を止める、良い方法があるよ。聞いてくれないかい?」


 土折さんは構えを解いて私に近づいてきた。


 今攻撃すれば確実に打撃を与える事が出来る。

 でも、そんな卑怯な事はやりたくない。

 天網は解散したとはいえ、かつて正義を標榜した私が卑怯な真似をしてはそれこそ只の道化師になってしまう。


 だが、これは彼の作戦で私が警戒心を解いたところに接近し、投げ技や関節技に持って行かれる可能性もある。


 土折さんの演技か?


 それとも心から喧嘩を止めたいのか?


 まだ本音は分からず、私は警戒して下がりながら土折さんに尋ねた。


「何でしょうか?」


「君。わざと負けてくれないか?」


 ふざけているのかしら?

 私は瞬きをする間も待たずに返事をした。


「お断りします」


「いや。演技で良いんだよ。決して痛めつけたりしないし、やましい事も一切しない」


「どうして、私がわざと負けたら喧嘩を止められるんですか? 私一人は助かるかも知れませんが、麗衣さん達の喧嘩を止められませんし、貴方一人は紳士的なのかも知れませんが、隊長補佐さんは私達をレイプする気じゃないですか?」


 すると、土折さんは何の脈絡もなく、自慢を始めた。


「えっとね。俺、こう見えて良い家の出なんだ」


「はぁ? こんな時に何を言っているんですか?」


「変な事言っていると思うかも知れないけど、所謂『上級国民』ってヤツ」


「暴走族の癖に私達庶民を見下したいんですか?」


「ゴメン。不快な言い方だったかも知れないけど、我慢して聞いて欲しい」


 この会話に意味があるのか分からないけれど、取り合えず話を聞く事にした。


「その……、俺の親父は元警察庁の次長で、ちょっとした犯罪なら無かった事に出来るんだ」


「それで貴方も警察から見逃されているという事ですか?」


「まぁ、恥ずかしい話だけれど、そう言う面も否定できないね」


 天網の十戸武恵ならば即座に天誅を加える話だが、麗の十戸武恵として、そんな事は出来ない。


 もう少し詳しく話を聞く事にする。


「家の自慢が目的じゃなくて、俺が言いたいのは飛詫露斗アスタロトのメンバーは多かれ少なかれ、俺に借りを作っているって事だよ。幹部メンバーは特にね」


 そう言う事か。

 少しは話が見えてきたよね。


「つまり、借りがある土折さんの意見ならばメンバーの皆さんも聞いてくれるんじゃないかと?」


「その通りだよ。それには俺が君に勝ったというフリをしなきゃならないんだ。どうだろう? 君だって仲間を救いたいだろ?」


 どうすれば良いのかな?


 麗衣さんならば断わるだろうな。


 それにこの人の言う事が真実だという保証は無いし、そもそも、お父様が元警察庁の次長という話も信じがたい。


 でも、この人が真実を言っているとすれば。


 好意を踏みにじる様な事は出来ない。


 断るにしても、もう少し話を聞くべきだろう。


「私が負けたフリをしてから、どう喧嘩を収めるんですか?」


「そうだね。先ずは君を人質にして麗のメンバーを降伏させる」


「私は麗の新顔ですよ? 切り捨てる可能性もありますよ?」


 麗衣さんの為ならば蜥蜴の尻尾切りをされても構わないけれど、そんな事はしないだろうけどね。


「いや、君達は先に来ていた助っ人の子の為に三十人に囲まれていても割って入って来た訳じゃないか。そんな優しい子が君を見捨てるとは思えないよ」


「そうですよね! 麗衣さんは優しいんです!」


 麗衣さんが褒められて、つい私は喜びの声を上げてしまった。


「君達の強い絆は羨ましいよ。実利で人を動かしている俺とは正反対だ」


 私は土折さんに対する猜疑心が吹っ飛んでしまった。


「皆麗衣さんの事が大好きなんです」


「そうだろうね。彼女は仲間想いの凄く良いリーダーだと思うよ。で、君を人質にして喧嘩を終わらせたら、メンバーの俺への借りを返させるって事で君達を帰すっていう算段だ。どうだろう? 俺の提案に乗ってくれないだろうか?」


「それでそちらの総長さんは納得してくれますでしょうか?」


「勿論完全に納得はしないだろうけど、総長が一番俺に借りがあるし、ノーとは言わせないよ。それに飛詫露斗アスタロトとしては勝利を収めたという最低限の矜持は保たれるだろ?」


 麗衣さんをよく言ってくれる人が悪い人とは思えない。

 きっと本当に心配してくれているのだろう。


「分かりました。私はどうすれば良いですか?」


「メンバーの手前、流石に何も戦わないという訳には行かないからね。そうだね……君は牽制でジャブでも打った後、本気の前蹴りを打ってくれないかい? それを掬い受けしたら、俺が後ろから締まらない程度に軽く裸締めするから。それで人質にとって先ずは麗のメンバーを降伏させる」


 裸締めとはバックチョークの事で、リアネイキッド・チョークとも言う。


「分かりました。お願いします」


「ああ。じゃあ、打ちあわせ通りにかかって来てくれ来てくれ」


 言われた通り、私は軽くジャブを突きながら前進し、前足にやや体重を乗せ前蹴りを強く放った。


 結構本気の前蹴りなので、当たればダメージを与える事になるが、ディフェンスの上手さで定評がある日本拳法の使い手であれば、事前に何で攻撃をしてくるか分かれば受けるのは容易い。


 思った通り、私の蹴りをあっさりと巴受した。


 この姿勢から、どうやって背後に廻るのだろうか?


 掬い受けした蹴りを前に流しながら、背後に廻るという手もありそうだけど、完全にキャッチしたこの状態からどうやって?


 まさか一回倒すのかな?


 土折さんはどうするのかな?


 考えを探ろうとして顔を見た時、私はざわっとおぞ気が走り、本能的に危機を伝え、全身に冷汗が流れた。


「君って本当にいい子だね♪ 破瓜の時にどんな風に泣き叫ぶか? どんな苦痛の表情をしてくれるのか? 見て見たくなったよ♪」


 今までの紳士的な態度は別人のように、暴力を生業とする男独特の弑逆的な雰囲気に豹変していた。


 私は掴まれた足から逃れようとするが時すでに遅し。


 土折さんの左軸足のひざ内側を通過して右の揚げ蹴りが、一切の躊躇なく私の股間部に打ち込まれた。


「うわああああああっ!」


 体の中心から左右に引き裂かれる様な激痛が私の頭部まで駆け巡り、激しく貫いた。

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