第104話 織戸橘環VS大羽狩夢(2)お前は格闘技を舐め過ぎだ
俺が思わず「きたねぇ」と呟いたぐらいだ。
当然の事ながら
「きたねーぞコラあっ!」
「卑怯モンがあっ!」
「タックルじゃねーぞおっ!」
「犯して土手焼きにすんぞ!」
「テメーラの仲間ごと
これはヤバイ。
タイマンだったのが今にも俺等をリンチしそうな険悪な雰囲気に変わった。
「五月蝿いぞお前等! タイマンに選ばれないような雑魚は黙っていろ!」
環先輩は麗衣みたいなことを言い出した。
「お前等、まさか格闘技見た事無いのか? フェイントも知らないのか? 馬鹿正直に攻撃する方法を教えるか? ラグビーのタックルだってフェイント位あるだろ?」
確かに相手がタックルする事を分かっていれば、タックルをしたって余程の力の差が無ければ簡単に倒れはしないだろう。
だから打撃や目線、手足のフェイントで相手の隙を突くのだ。
よくよく考えてみれば、大羽が相手にワザとタックルをさせるのはハンデの様に見えて、実は自分にとって有利な形に持って行こうという下心があるようにも思える。
タックルをさせておけば、打撃を喰らうのは避けられるからだ。
恐らく大羽が相手にしたという総合の使い手たちは自分のタックルが馬鹿にされたと感じて、あるいはチャンスだと思い罠に嵌ったのだろう。
その事を見抜いていた環先輩はタックルに見せかけ、打撃による勝負に持ち込んだのだろう。
まぁ、どう見ても女子のタックルが効くような相手ではないと考えて当たり前なのだから、打撃で来ることぐらい警戒すべきだが、警戒したところでラガーマンとはいえ格闘技的なディフェンス技術は無いから、どの道防げはしないだろうが。
「テメーラ引っ込めよ。このおねーちゃんの言う通りだぜ?」
大羽はムックリと立ち上がると、今にもリンチを始めそうな雰囲気だった
「中々やるじゃねーか? だがよぉ。おねーちゃんのパンチ位の衝撃、ラグビーの試合で幾らでも受けた事があるぜ」
「そうね。タフさだけは認めてあげるわ。でも、アンタの最大の武器はもう潰してあるから、アンタは私の敵じゃないわ」
「ほう……じゃあ、試して見るか!」
大羽は間合いを詰めると、ラグビーでは危険な為反則とされている肩より上へのタックルであるハイタックルで環先輩に襲い掛かった。
身長差がある為、腰にタックルするより上体の方が捕まえやすいと思ったのかも知れない。
巨体に似ずスピードが速いと思われたが―
「何だとおっ!」
大羽の仲間である遠津は目の前で繰り広げられた光景が信じられないと言わんばかりに叫び声を上げた。
環先輩を薙ぎ倒さんばかりの勢いで突っ込んで行った大羽が再び転倒していたのだ。
環先輩は大羽がハイタックルで突っ込んできた際に、右足を大羽の左足近くまで踏み込み、左のローキックで両足の脛の部分を上から下に刈る様に蹴り、同時に両手で相手の左肩から背中を引っ張り込み、大羽を左後ろに倒していたのだ。
イメージするならば、棒に蹴つまづかせるようにして、大羽を転ばせたのだ。
「これって多分ムエタイのテクニックだよね? さっきの右ストレートの縦拳は日本拳法だったけれど?」
「ああ。環のベースは姫野と同じ日本拳法だけど総合始めてから、ムエタイも練習してな、ウチの団体のアマチュアキックの試合にも出場して、普段はライト級(-62キロ級)なのにわざわざ一番重いウェルター級(+62以上)の試合に出場して、アメリカの元全米フルコン王者の女子を1ラウンド秒殺KOした事があるんだぜ」
「マジかよ!」
「主催者の方はキックボクサーじゃない環を咬ませ犬扱いにしたつもりだろうけど、蓋を開けてみればジャイアントキリングだって、格闘技界じゃちょっとした騒ぎになったんだぜ」
元全米フルコン王者だったら大抵のプロ選手よりも強そうだが、その選手を倒したって言うのか。
それって勝子以上かも知れない。
「これは……どういう事だ? ちょっと位痛いからって踏ん張りが効かねぇ……」
倒された大羽は衝撃を受けたような表情を浮かべていた。
「どうせ内股にローキックなんて受けた事無いんでしょ? 最初のコンビネーションで貴方の足は壊されているのよ」
「くそっ!」
今度は大羽は相撲の突っ張りの様に勢いよく左手を前に出しながら突っ込んできた。
ハンドオフ
ボールを持っている選手がタックルに来た選手を躱す為に片手で相手を突き放すラグビーのテクニックである。
相手選手の顔や肩や腕を狙うのが有効だが、カウンター風に相撲の喉輪のように顎を弾き飛ばしてしまう事もある。
重量級のラガーマンのタックルを片手で突き放すなんて真似は大抵の格闘家には不可能だろうし、出来るとすれば力士位のものであろう。
体重100キロ前後のラガーマンが自分に向かって全速力で張り手をしてくる事を想像してみると良い。
単車に衝突するようなものだ。人など軽く吹き飛ばされてしまうだろう。
女性としては長身の環先輩とはいえ、身長で15センチ、体重は1.5倍は優に上回るであろうラガーマンのハンドオフを喰らえばひとたまりも無いはずだ。
「危ない! 逃げて!」
俺は思わず叫んだが、環先輩は逃げずに迎え撃った。
環先輩はパリングで大羽の左手首を外側から巻き込む様にして下に払い、パリングした右手を戻さず、そのままこめかみに右の肘打ちを打ち抜いた。
「ぐうっ!」
これを肘ではなくパンチで打てば体重差と相手の勢いで拳を痛めたかもしれないが、強固な肘で打てば骨折の可能性は低いしダメージも大きい。
単車の様な勢いがカウンターとなり大ダメージを受けたであろう、大羽はグラつくが尚も右のハンドオフで環先輩に襲い掛かる。
優れたラガーマンは左右のハンドオフを使いこなすらしいが、大羽は両手使いこなせるという事だろう。
「馬鹿だな。あれは環の距離だぜ」
麗衣が言い終わらぬうちに環先輩は右のハンドオフを外側から左手で払うと同時に後ろ足を左後方から前方に素早く廻しながら左足を回転させ、上腕部側の右肘裏を大羽の後頭部に叩きつけると、大羽はグラグラと前のめりによろめいた。
「あれって回転裏肘打ち?」
俺は技の呼び方に迷った。
日本のキックボクシングの肘ありルールでもあまり見かけない技だからだ。
「ソーク・クラブだ。ムエタイの試合じゃあ相手をKOした時に賞金が出るらしい難易度が高い技だぜ」
ムエタイ選手でも難しい技を環先輩は使いこなしているって事か?
「それにしても環はムエタイだけでもあたしよりつえーかもな。あたしじゃあのデカブツには勝てねーと思うけど、そんな化物を完全に手玉に取ってやがる。やっぱりアイツは勝子と同じであたしとは次元が違う」
麗衣と環先輩の仲は見た限り険悪だが、少なくても麗衣の方は環先輩の実力を率直に評価しているようだ。
「この前の長野よりもデカいでしょ? 私だって、流石にあのサイズとは喧嘩した事無いよ。まぁあのデカブツは殺しても良い前提なら私でも倒せなくは無いと思うけど、それでも私が環先輩には通用するか分からないよ」
それって、もし勝子と環先輩で戦ったら殺し合い見たいな喧嘩になるって事か?
余り想像したくないが、仲が良くないっぽいから戦う事もありうるのか?
そんな俺の不安が表情に出ていたのか、勝子は溜息を吐きながら言った。
「はぁ……あんたは心配しなくていいわよ。麗衣ちゃんが姫野先輩の友達でいる限り、どんなに気が合わなくても、あの人と喧嘩になる事は無いから」
「どうしてそんな事言いきれるの?」
「あの人は姫野先輩命だからね。シスコンってヤツ。だから麗衣ちゃんを敵に廻して、姫野先輩に嫌われたくないの」
「ああ。そうなんだ。あんなに強い人が意外だな……」
「そもそも、あの人は階級が下でアマチュアの麗衣ちゃんや競技を辞めた私に興味ないの。そんな事気にするより、まだ決着がついてないわよ。それに何時連中が襲って来るか分かんないんだから変な動きをしていないか、雑魚連中の動きも悟られない様に見張っておくのね」
「わっ……分かった」
連中を刺激しない様に秘かに周りの様子を伺ってから、環先輩の戦いに視線を戻す。
環先輩はストレートの様に強く放たれた左ジャブで大羽の顔を跳ね上げ、大羽の左前脚太ももの付け根にめがけ、木を叩き切る斧の如き右のローキックを叩き込んだ。
「ぐっ!」
大羽は蹴られた左足を後ろ足に引いた。
明らかにローキックを嫌がっている。
「そろそろ自慢の脚力を活かすのが難しくなってきたんじゃないの?」
「舐めんなよ!」
尚も環先輩を押し潰さんとハイタックルを行うが、明らかに先程までのスピードが無い。
前半40分、後半40分の計80分間グランドを駆け回るラガーマンがたかが数分でスタミナ不足により動きが鈍る訳がない。
慣れぬローキックの衝撃に痛めつけられ、動きが鈍っているのは明らかだ。
環先輩はスピード感に欠けるタックルをいなし、先程蹴った左太腿を更にローキックで攻撃する。
「くそおっ!」
動きを止めた、というより棒立ち状態の大羽は苦し紛れに揚げ蹴りの様な右のキックを放ってきた。
2015年ワールドカップで決まった最長ペナルティゴールは53mらしい。
ポジションによるのだろうが、日々ラグビーボールを遠距離に飛ばす練習を行っているラガーマンの丸太の様な足から放たれるキック力を人間に向けられたら殺人級の凶器となりうるだろう。
だが、織戸橘環という総合のアマチュア選手としては最強クラスの打撃のスペシャリストだ。
自分のグランドで負ける事などあり得ない。
環先輩は半歩後退しながら掌拳前腕部手首で下からキックを掬い上げる様に受け、一方の手は巴形に上から重ねる所謂巴受をすると、一切の躊躇も容赦もなく、表足で大羽の股間を蹴り上げた。
「ぐわああああっ!」
大羽は巨体を縮み上がらせ、青ざめた表情で悲鳴を上げた。
「出た、日本拳法の鬼も泣かせる必殺、『返し蹴り』だ。中坊の頃、喧嘩を売った姫野にアレを喰らってロストバージンしたみたいに出血して悶絶した事があったなぁ」
日本拳法は競技において寸止めとは言え、金的への攻撃も許されている数少ない格闘技である。
その為、他の総合格闘技よりも実戦的、つまり喧嘩向きであるというプロ格闘家の意見も存在する。
「さっきは何だって? 格闘技が弱い? こっちは毎日人壊す練習しているのにお前は格闘技を舐め過ぎだ。お前が馬鹿にした総合格闘技を嫌って程味合わせてやるよ」
環先輩は大羽の片足立ち状態の軸足を払い転倒させると、仰向けになった大羽に素早く跨り、マウントポジションを取り、大羽の両腕を握った。
姫野先輩であれば、四股立ちの姿勢から押さえ突きを加えた後、降参を促すだろうが、環先輩は容赦がない。
「さぁ……制裁の時間だ。意識があるうちに降参しないと死ぬかもよ? でも降参しても止めるつもり無いけどね♪」
環先輩は右腕を離し、あたかもコンクリの地面を破壊し陥没させ、大羽の頭を埋め込まんばかりの勢いで鉄槌を振り下ろした。
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