第98話 放っておいてくれ……

「せんぱーい♪機嫌治してくださいよおっ♪」


 吾妻さん……吾妻君は隅っこで真っ白になっていた俺の肩に引っ付いて猫の様に頬ずりを始めた。


「いや。俺そっちの気は無いんであっちに行ってくれないか?」


 俺は吾妻君の顔を押して遠ざけようとすると、瞳をうるうるさせ、泣きそうな顔で言った。


「ええ~っ! ボク達良いカップルになりそうじゃないですかぁ」


 本当に女の子じゃないのか?


 実は股間のブツは偽物で本当は女の子ってオチは無いよな?


 無いよな……。


「悪い。そんなつもりは無いから。それに今は世の中の何もかもが信じられないから放っておいてくれないか?」


 俺がニヒリスト気分に浸っていると、澪はニヤニヤしながら俺に言った。


「あーあ……女の子泣かしちゃいけないんですよぉ~」


「女の子じゃなくて男の娘じゃないか……紛う事の無いブツの生々しい感触は今でも俺の腕に残っているんだぞ?」


「小碓クン、言い方が怖いッスよ……」


「良いから放っておいてくれ」


 それに年下の男の娘に負けたという実感もじわじわと俺を苦しめだした。

 女の子に負けるよりは格好がつくかも知れないけど、これはこれで納得が行かない。

 とにかく説明がつかないが納得が行かない。


 というか心を整理する時間が欲しいから一人にしてくれ。


 何て考えていても人間、誰にもかまって欲しくない時ほど親切ごかして他人が絡みたがるものである。

 香織がやってきて、俺の前に座りこみ、悪戯っぽく俺の顔を覗き込みながら言った。


「その……黙っていてゴメンナサイ。お詫びにアタシを好きにしてくれていいんですよ?」


 この子、その姿勢でその台詞。その歳でエロゲでもやっているのか?

 体育座りで股間部が丸わかりで一見例のブツがあるように見えないが……。

 何故だろう? 今はスケベ心がそそられない。


「……実は君も男の娘なんてオチじゃないの?」


「やだなぁ~。アタシが男の娘だったらカズ君ぐらい可愛いくなっていますよぉ~」


 今時は女子よりも男の娘の方が可愛いものなのか?

 最早俺の理解の範疇を超えていた。


「オラあっ武! 何時までもそんな事でフテっているんじゃねーよ! お前とやらせる予定だった恵の相手を姫野が代わってくれたんだ。ちゃんと二人のスパーリングを観てろ!」


 まぁ麗衣は同性OKっぽいもんな……俺の心に深く刻み込まれた傷など分かるまい。



 🥊



 姫野先輩と恵のスパーリングが始まった。


 ルールは日本拳法を基本とし、ざっくりと説明すると強い打撃、あるいは投げ技などで倒れた相手への寸止めの打撃、関節技で一本。時間は2分間。二本先取した方が勝ちというものだ。

 日本拳法の防具は持ち合わせていない為、スーパーセーフ、軽量プロテクター、レッグガードで代用し、グローブはボクシング練習用のパンチグローブを使う事にした。


 当初、恵が長野から習ったという大東塾のルールで良いと姫野先輩は言ったのだが、恵が日本拳法に興味がありルールもそうして欲しいとの事で、日本拳法のルールを採用することになった。


 恵は後ろ足を引き付け、スタンスを縮めると飛び込む様にして左ジャブで姫野先輩に攻撃を仕掛けた。

 姫野先輩は顎を絞めて顔を後ろに引くと共に後ろ足に上体を移動する反身そりみで恵の突きを躱した。

 恵が拳を引く寸前、姫野先輩は側拳、つまり縦拳の逆突きで強く恵の面を打った。


「一本!」


 勝子の声で、あっさりと姫野先輩が先取する。


 二人が中央に戻り、スパーリングが再開される。


 あっさりと先取された恵は慎重に姫野先輩の様子を見るが、姫野先輩からは仕掛けてこない。


 一本先取されている為に焦れたのか?


 恵は牽制で軽くジャブを打ちながら距離を詰めると、身体を斜めに傾けながらオープン気味に右のロングフックを放った。


 正面から真っすぐ突っ込むとカウンターを喰らう為に身体を斜めに傾けた様だが、姫野先輩は半歩後退しながら左の前構えの刀拳で恵の手首付近を内側から外側に向かい打ち払うように左外受けで払うと、恵の後頭部に左手を回し引き付け、前傾姿勢になったところ右の膝蹴りを胴に打ち込んだ。


 勝子は膝蹴りが軽いと判断したのか? 一本には至らない。


 ならばと姫野先輩は恵の右腕を掴み、右足を後ろに引きながら捩じり倒した。


 日本拳法の「捻り倒し」という技らしいが、恵はマットレスを叩いてギブアップの意志を示した。


「一本!」


 二本先取で姫野先輩があっさりと勝利した。



 🥊



「いやぁ~姫野先輩強いですね。あっさり負けちゃいましたよ♪」


 恵はサバサバと負けを認めていた。


「恵君……君、以前よりも弱くなっているんじゃないのか? 身毛津守と戦っていた時の君が相手ならば僕も苦戦していたと思うが? 察するに練習不足なんじゃないのか?」


 姫野先輩の指摘に恵は頭を掻いた。


「実は……稽古が出来ていないんですよ」


「天網を解散したからかい?」


「……ハイ。そうですね」


 恵の話によると、麗衣との約束で天網を解散して以来、長野等メンバーと会っていないらしい。

 恵の空手は大東塾に通っていたのではなく、長野から個人レッスンを受けていたものであり、スパーリングは岡本ツインズを相手にやっていたらしい。


「成程……それが君の強さと、急に弱くなってしまった原因か」


「いや……解散したからって何も長野と会わない程徹底しなくても良かったんだぜ?」


 麗衣はある意味自分が原因で恵が弱くなってしまった事を知り困惑していた。


「ううん。これは長野さん達の意志でもあったから仕方が無いよ。考えてみれば色々無茶に突き合わせちゃったし、愛想付かれても仕方ないしね」


 恵は少し寂しそうに言った。

 二回会っただけだが、お嬢様お嬢様と言って恵を慕っていたアイツ等がそんな事を思ったりする物だろうか?


「大東塾の道場に通う事は出来ないのかい?」


「この近くに大東塾の道場は無いみたいです」


「うーん……うちのジムでもMMAクラスあるけどメインはキックだから確か週に二日程度だし入門者向けのクラスしか無かったような……それでも何もしないよりはマシだろうからジムに入るか?」


「入ります」


「え? 即決? 無料体験ぐらいしないのか?」


「麗衣さんと同じジムなら興味があります! 入ります!」


「でもよぉ……恵からすれば多分レベルが低いぜ?」


「MMA希望でもキックボクシングのクラスにも参加出来るんですよね?」


「そりゃあ、まぁ。最初は入門クラスと初級クラスだけだけど。あと入門者向けのボクシングクラスが出来る予定だっけ?」


「うん。来月から級が無くても参加できるボクシング入門クラスが出来るよ」


 勝子が答えた内容は初耳だった。


「ボクシングも習いたいです! 入ります! 麗衣さんと一緒に練習したいです!」


「ああ。お前ならキックに専念したらすぐアマチュアの試合に出れるレベルにはなるだろうけど……」


「分かってますよ。メインはあくまでもMMAですし、うるはにおいて期待されている役割は総合スキルでしょうから」


「それなら、MMAクラスが無い日に柔術クラスで練習するのも良いんじゃない? あと、MMAも上級者向けのクラスを週一日か二日ぐらい出来るみたいで、キックか柔術の級持ちなら参加出来るらしいしね。まぁ十戸武なら一、二ヶ月で級持ちになれるだろうし、すぐにMMAの上級クラスを受講できるかと思うよ?」


 ボクシングクラスのサブトレーナーの為、色々と妃美さんあたりから俺達よりも予定を聞いていそうな勝子が教えてくれた。


「それは丁度良いタイミングだね! 決めた! 私、麗衣さんと同じジムに入ります! 宜しくね!」


 そのジムには俺と勝子も居るのだが忘れ去られたかのように空気扱いだ。


 しかし、恵がジムで練習すれば今までの空手と柔道の他、MMA、柔術、ボクシング、キックボクシングと何でもありになるな。


「勝子、俺もMMAを習うべきだろうか?」


 俺は勝子に聞くと即座に首を振った。


「器用貧乏になる可能性もあるから何でもやれば良いと言うものでは無いからね。アンタはまずキックボクシングとボクシングを磨くべきね。MMAに興味あるなら、最低限キックの試合に出場出来るレベルになってから考えれば良いんじゃない?」


「ああ、そうか……級持ちになったから中級クラスにも参加できるし、ボクシングクラスにも参加出来るね」


 俺は級持ちになり参加出来るクラスの選択肢が一気に広がっていた。

 入門・初級クラスより上位でアマチュアの試合への出場や、将来的にはプロを目指すなど次のステップへの足掛かりとなる中級クラスやパンチに特化した指導を行うボクシングクラスに参加出来るのだ。


「ついでにさっき言った新しく出来るボクシング入門クラスにも参加しなさい。アンタは麗衣ちゃんみたいなムエタイスタイルよりもK-1選手みたいなパンチを主体にしたキックボクシングのスタイルの方が合っているよ」


 まぁムエタイスタイルの麗衣に憧れもあるが、人間得手不手があるし、チームとしてはスタイルが被るより異なったスタイルの人間が多い方が良いだろう。


「まぁ、ボクシングクラスがある時はジムで練習に付き合いなさい。ついでにみっちり扱いてあげるから」


「ハイハイ。お手柔らかにお願いしますよ」


 そんなこんな内容の会話をしていると、澪が麗衣に質問してきた。


「麗衣サン! 俺の組手はどなたが相手してくれるんですか!」


「お前は抜きな」


 にべもなく麗衣に言われ、澪は不満の声を上げた。


「えええっ! 何でですか!」


「人数が増えて思った以上に時間が掛かっちまったからな。この後、ジムで練習があるんで今日は解散な」


「そんなぁ~折角強さをアピるチャンスだったのに」


「心配すんな。お前の強さはあたしが一番良く知っているから。頼りにしているぜ!」


「麗衣サン……」


 澪が感激していたのも束の間、麗衣が言った次の台詞は澪を含め中学生チームが落胆させた。


「でも、お前等、暫く参加は禁止な」


「「「「えええっ! どうしてですか!」」」」


「だってお前等受験控えているだろ? 受験終わるまで待っていてやるから勉強しやがれ」


 もっともな意見だった。

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