第96話 総合対決? 小碓武VS吾妻香月(2)超高速ワンツーVS蛙飛びワンツー
何故ボクシングと柔道を使う吾妻さんが蹴りを使うのか?
理由は分からないけれど、これでは吾妻さんが蹴りが使えないからという理由で折衷的に総合ルールにしたのに俺が一方的に不利になるじゃないか?
その事を疑問に思ったのは俺だけじゃない様だ。
「姫野先輩! ちょっと中断して貰って良いですか?」
勝子が姫野先輩に言った。
「ああ。悪いが君達。一寸止めて貰って良いかい?」
姫野先輩も同じ疑問を抱いていたのか、スパーリングを中断させた。
「何が言いたいか大体分かるけど……ルールの事だね」
姫野の台詞に勝子は軽く頷くと吾妻さんに尋ねた。
「最初のルールの打ち合わせで香月が蹴りを使えないという前提で総合ルールに近いルールを採用した訳だけど、本当は香月も蹴りを使えた。しかも見る限り空手経験者のような蹴りで素人の蹴りじゃなかったよね?」
「何が言いたいんですか?」
吾妻さんは惚けたように言った。
「決まっているでしょ? このルールは武にとって不利なルールだって事」
「うーん……。ボクシングはとにかく、柔道が蹴りを使えないというのは思い込みなんですよね。昇段審査では型に蹴りが含まれるので有段者なら誰でも知っているんですよ」
吾妻さんの話を聞き、納得したのか? 姫野先輩は頷いた。
「成程、そう言えば道場で柔道経験者の館長と副館長から『講道館護身術』という型を見させて貰った事があるけど、その中には当身技もあって蹴り技も含まれていたね。対徒手の他、短刀や杖、拳銃相手を想定にした型だったね」
「拳銃もですか?」
俺は驚いて姫野先輩に聞いた。
そんな型は他の格闘技ではあるのだろうか?
軍隊格闘技ならばありそうだが、俺の知る限り武道では聞いた事が無い。
「ああ。拳銃を体の近くに突きつけられた場合を想定してだけれどね。まぁ、それはとにかく、柔道だからって当身技が無い訳じゃないんだよ」
「ええ。試合じゃ禁止されていますし、殆どの道場じゃ昇段審査の為に練習するぐらいみたいですが、ボクが通っている道場はちょっと変わっていましてね。当身技も結構練習しているんですよ」
可愛い顔をして俺を騙していたという事か?
「うーん……。どうするんだ武? こうなるとお前断然不利だけど。ルール変更するか?」
麗衣に言われ俺は首を振った。
「いや、このルールで良い。このまま続けよう」
不利な事が分かったからって今更ルール変更何て情けないし、騙されて一寸イラっとしたのも事実だ。
恐らく初めから総合ルールを提案した場合、拒否される事を想定し、敢えて蹴り技を使える事を隠し総合ルールを承諾させ、事実を知った後からではルール変更しづらい雰囲気にしたという事だろう。
良いだろう。
そちらの思惑に乗ってやろうじゃないか。
「分かった。でも中断が長くなっちゃったから、最初からやり直そうか?」
「ええ。それは構いません」
確かに2分しかないのにお喋りとか余計な事に時間を掛け過ぎたからな。
「じゃあやり直すよ。恵君。頼むよ」
恵は渡されているストップウォッチを設定しなおした。
「OKです。姫野先輩」
「じゃあ二人とも中央に戻って互いに礼!」
俺達が礼をすると、互いに構えを取った。
「始め!」
ダン!
俺は合図とともに飛び出し、右手を前手である左手とほぼ並べる位置に構え、重心が低い、クラウチングスタイルで吾妻さんとの間合いを詰めた。
そして、軽く吾妻さんの右手を払うようにジャブを突くと、ジャブを打ち終わる前に右足を前に出しながら右ストレートを放った。
岡本忠男に食らわせた魔娑斗のワンツー。
今の俺が使える最強のパンチをいきなり見舞った。
俺の喧嘩をしている動画を観ていた吾妻さんも読んでいたのか?
左のクロスで俺のパンチに合わせようとパンチが交錯した。
お互いのパンチが面に命中しスーパーセーフが凹む重い音が鳴り響く。
「「カズ君!」」
香織と静江が同時に悲鳴を上げた。
傍から見れば相打ちに見えるだろう。
だが、マットレスに尻もちを着いたのは吾妻さんの方だった。
俺にも吾妻さんのパンチが命中したが、ジャブを打ち終わる前のタイミングでツーの右ストレートを打った俺の方が僅かに早くパンチが当たったのだ。
勝子はさっき香織との組手で1・1.5のタイミングでワンツーを放っていたが、俺も岡本忠男と喧嘩した時から進歩してあの時よりも更に速いワンツー、勝子と同じく1・1.5パンチとでも言うべき技術を取得していたのだ。
しかも吾妻さんは右利きのサウスポーなので、右ジャブの威力は強くても左ストレートの威力は普通のボクサーに劣る。
例え完全な相打ちだったとしても利き腕でパンチを放った俺の方が分が良いのだ。
「すげぇ……。あれが岡本を倒したって言うワンツーかよ?」
麗衣が息を呑んでいた。
あの時は恵とタイマンを張っていて、麗衣は俺の喧嘩をみていなかっただろうから、このワンツーを見たのは初見だろう。
だが、今のワンツーはあの時のワンツー以上だ。
「あれって動画で観た武先輩のワンツーだよね……動画で観た時より速くなってない?」
香織も驚きの表情を浮かべている。
「まっ……まるで勝子先輩がさっき打ったワンツーみたい」
静江の言うの通りで、勝子が使っていた荒賀龍太郎氏のワンツーとは足の寄せ方が違うぐらいで、ほぼ同種のワンツーと言っていい。
「姫野先輩……審判! カウント!」
誰もが呆気にとられる中、姫野先輩は勝子の指摘で我に返り、カウントを始めた。
「ワン! ……ツー! ……ス」
「よっと!」
スリーと言い終わる前に、吾妻さんは立ち上がった。
「いやぁ~一寸悪ふざけが過ぎて怒らせちゃいましたかね? 今のはスーパーセーフじゃなかったら確実にKOでしたね」
「そんな事より。大丈夫かね? 怪我はしてないか?」
姫野先輩は心配そうに吾妻さんに聞いた。
「大丈夫ですよ。当たる直前にスリッピングアウェーで威力殺しましたので。まぁスーパーセーフの部分が引っかかって余計な衝撃で吹っ飛ばされましたが大丈夫ですよ」
スーパーセーフじゃなかったらKOされていたと言いつつ、スーパーセーフのせいでダウンしたともいう。
何とも人を食った言い分だ。
姫野先輩はまじまじとスーパーセーフの奥の吾妻さんの顔を覗き込み、安堵したように言った。
「香織君と勝子君の組手の時と違って鼻血が出たりしていないようだね……じゃあ続けられるって事で良いんだね?」
「ハイ! 元気いっぱいです! お願いします!」
声には倒された悲壮感も無く、本当に元気そうだった。
「じゃあ、お互い中央に戻って」
俺達が中央に戻ると姫野先輩は俺に言った。
「僕がカウントするのが遅れてしまったので本来ならばカウント3超えていたと思うが、技ありでも構わないかね?」
これが試合ならば抗議すべきかもしれないし、そもそも選手に聞いたりしないだろうが、今回のテストの目的は俺達先輩組が勝つことではなく、彼女らの力を測る事にあるし、麗衣も勝子も相手の力を最大限引き出させたうえで勝利を収めていた。
俺も同じ様にすべきだろう。
「構いません。続けて下さい」
「分かった。武君の技あり! ……では、始め!」
試合が再開される。
吾妻さんは再びアップライトスタイルに構えた。
さっきはパンチの距離は幻惑させられたが、ならばパンチに付き合わなければ良い。
俺はアップライトスタイルの構えから軸足を横に向け腰を廻しながら吾妻さんの左足を打ち抜くぐらいの勢いでローキックを放った。
「つうっ!」
吾妻さんの口から低い苦痛の声が漏れる。
やはりそうか。
蹴りを打てるからと言って蹴りを防げるとは限らない。
しかも柔道の型が出来た頃にローキックなんて技術は無かったはずだ。
思った通り、吾妻さんは恐らく初めての衝撃でバランスを崩しかけた。
同じサウスポーのボクサーである岡本忠男と戦った頃はまだ技術的な不安があった為、実戦でのキックは勝子に禁じられていたので足払いを使ったが、柔道を使う吾妻さんには通用しない可能性が高い。
だから今回は足払いの代わりにローキックを使った。
昇級審査を合格した俺のキックのスキルは大分向上しているはずだ。
まだまだ自信がないし武器とするには心もとないが、入門クラス、初級クラスで週6日練習を続けていた積み重ねがある。
練習は嘘を付かないのだ。
俺はバランスを崩して前進を止めた吾妻さんから外を取った瞬間、前足を外に踏み込みながら左ジャブで突くと咄嗟に吾妻さんはグローブの左手の甲辺りでジャブを払うが構わず俺は顎にめがけて右ストレートを放つ。
吾妻さんは右手のストッピングで俺の右ストレートを止めるが、これはスピード重視で打ったフェイントだ。
俺は足を素早くスイッチさせると左手を顔の前に持って行き、その手を振りながら軸足をグッと返して、力を横に伝えるようにして左のミドルキックを吾妻さんのお腹に放った。
「うっ!」
ワンツーから左ミドルキック。
素人はコンビネーション全てに力を入れて打つと勘違いしがちだが、ワンツーはあくまでも意識を反らす為のフェイントでミドルキックが本命だ。
入門・初級クラスで習うようなパンチからキックへの最も基本的な上下のコンビネーションだが、ボクサーである吾妻さんには無い距離感とリズム、慣れない痛みに恐怖を感じただろう。
そして、俺は彼女が立て直す前に再び外を取り、左ジャブを突き吾妻さんの上体を上げると、俺はスピードだけ重視して急に打たない様に意識しながら足を引いて体勢を整え、しっかりと踏み込んで右のミドルキックを放った。
「いつうっ!」
左ジャブから右ミドルキック。
これもさっきと似たコンビネーションだが、ワンツーのツーが無く、リズムが違うので恐怖でよりダメージを受けたように感じるだろう。
まぁこの二つのコンビネーションと、ミドルをローキックに変えるぐらいしか、今の俺にはキックを含めたコンビネーションのパターンが無いんだけれどね。
でも、これで大分キックに対する警戒心や恐怖は植え付けたはずだ。
このままキックで攻め続ければ時間が来て俺の勝ちだろう。
だが、勝つのが目的じゃない。
俺はボクサーである吾妻さんの実力を引き出させる為に、パンチだけで勝負しようと思い、再びクラウチングスタイルに構えた。
すると吾妻さんはクラウチングスタイルよりも更に低い姿勢で、軸足を地面スレスレにまで落としながらこちらに構えた。
―何か来る!―
警戒した瞬間、吾妻さんは右拳を突き出したままこちらに向けて跳躍してきた。
蛙飛びか?
元WBA・WBC世界スーパーウェルター級王者、輪島功一氏が使っていたことで知られる相手の前でしゃがみ、伸びあがるパンチとして知られているが、顔面ではなく、ボディへ向けて右ストレートを放ってきたので恐らく別のパンチだ。
俺は幸いボクシングで勝負する為にクラウチングスタイルに変えていたのでボディストレートをパリングで防いだが―
次の瞬間、スーパーセーフが大きく凹み、首にかかる大きな衝撃と共に俺は尻もちを着いた。
やられた!
右のボディストレートで俺のガードを下げさせて、跳躍で伸びあがる勢いのまま左ストレートを顔面に放ってきたのだ。
いわば蛙飛びワンツーとでも呼ぶべきだろうか?
ベルトラインより屈んではいけないアマチュアボクシングの試合では反則を取られそうなコンビネーションだが、柔道の蹴り技と言い、この子は人がやらない様な攻撃で虚を突くのが得意なのだろうか?
成程、香織や静江が自分よりも強いと言った理由が分かった気がする。
この子のスタイルは俺に見せている限りでは競技向けでは無いが、二人よりも実戦的、つまり喧嘩向きだ。
「ワン……、ツー……」
そんな事に考えを巡らしながらも俺はカウントツーで立ち上がった。
「大丈夫かね武君?」
「ハイ。吾妻さんのパンチがどんなものか味わってみたかったので」
「……成程。分かっているみたいだね。吾妻さんの技あり!」
試合を再開する前に2分の時間終了を告げるアラームが鳴った。
「お互い技ありだから延長戦1分行います」
姫野先輩は延長戦を行おうとするがその前にどうしても確認したい事があった。
「あっ、その前に吾妻さん。一つ聞きたい事があるんだけれど?」
「えっ? 何ですか?」
「『狼香月』の意味考えたんだけれど、『狼少年』と同じ意味でしょ? つまり嘘つきって意味かな?」
「どうしてそうだと思いますか?」
「だって、蹴りを打てるのに打てないとか言う嘘もそうだけれど、それ以上に距離感を誤魔化したり、さっきの蛙飛びワンツー? みたいなパンチとか対戦相手を幻惑するのが上手いからじゃない?」
「正解です! 流石小碓先輩!」
俺の回答を聞き、嘘つき呼ばわりされたのにも等しいに限らず吾妻さんは喜んでいた。
「はははっ。やっぱりそうだったか!」
「でも先輩。それじゃあ出会った時からボクがある事で先輩を騙しているのに気付いていますか?」
え? 俺何か騙されているの?
「うーん……分からないなぁ」
「そうですか、あははっ! 何で騙されているか分からない限り先輩はボクに勝てないんじゃないですかね?」
吾妻さんは挑発する様に言った。
「そう言って俺を混乱させるつもりか?」
「さぁ、そうかも知れないし、そうじゃないかも知れませんよ?」
益々混乱させるような事を言い出した。
本当に騙されているのか?
「オッホン!」
姫野先輩は俺達が私語を続けている事に対して注意する様にわざとらしく咳ばらいをした。
まぁ、気になる事は気になるが、何を騙されていようがいまいが、俺の出し切れる実力で何とかするしかないな。
◇
武君ここにきてようやくキックを実戦で使えるようになりました。長かった(笑)
蛙飛びワンツーの命名は当方が考えたオリジナルですが、伝統派空手で似たようなテクニックはあるみたいです。
それにしても総合らしい戦いは2話続けて出てこないサブタイトル詐欺になりましたね。(滝)
次回は総合らしいかもしれないし、総合らしくないかも知れません。
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