第92話 伝統派空手の組手 周佐勝子VS吉備津香織(2)圧倒的な力の差

 それは文字通り瞬く程の間。僅か、再試合開始1秒の出来事であった。


 勝子の超高速ワンツーでスーパーセーフが凹む凄まじい音と共に、吹き飛ばされた香織が勢いよく尻もちを付き、マットレス上で大の字になった。


「「「だ……大丈夫!」」」


 澪と静江と吾妻さんが慌てて倒れている香織に駆け寄ろうとした。


「平気! 来ないで!」


 香織が三人を制すると、ゆっくりと立ち上がった。


「大丈夫か香織? 止めにするか?」


 麗衣も案じて香織に言った。


「まだやれます! 如何か続けさせて下さい!」


 香織は必死に言った。


 幾らスーパーセーフを着用しているとは言え、あの超高速ワンツーを喰らってよく立ち上がったものだ。


 今のワンツーは只のワンツーではない。


 通常、ワンツーを打つ時、1・2のタイミングでパンチを打つ時に足も1・2と踏み込むのだが、前足と後ろ足をお互いに寄せてから踏み込むと一歩で遠くへ打ち込めるようになる。


 そして前拳をノーモーションで突き相手に当てると、前拳を引く直前には逆突きも打ち始めるのだ。


 こうすることにより、普通のワンツーは1・2のリズムだが、勝子の放ったワンツーは1・1.5のリズムで飛んでくる、勝子最速の拳だ。


 スピードドラゴンの異名を持ち、全日本空手道選手権を5回制覇し、世界選手権でも優勝経験がある荒賀龍太郎氏の得意技だが、とても初見で躱せる技ではない。


「香織……お前……」


 麗衣が何かを言いかけた時、香織は大声で遮る様に言った。


「どんなに安全性を考慮してもアクシデントは付き物です。それにアタシ達は暴走族を潰すのが目的ですよね? いざ喧嘩になった時、この位で怖がったりして居たら戦力になりませんよね?」


 こちらからセーフガードを被る香織の表情は良く見えなかったが、香織の声は一切の怯んだ様子もなく、力強い物だった。


 香織が相手にしているのは暴走族なんかより遥かに強くて怖い勝子だが、その声を聞く限り、香織の心は折れた様子はなさそうだ。


 麗衣は睨む様に香織を見ていたが、「はぁ」と一つ溜息をついて香織に言った。


「OK分かったぜ。でも、もう一回ぶっ倒されたら止めるからな」


「ハイ! ありがとうございます!」


 香織は頭を下げて礼を言った。


「勝子! 今のわざとだろ! 次やったらお前でも許さねーからな!」


 麗衣は珍しく勝子を叱った。


 ルール上、上段への突きはコントロールした威力の突きでなければならないが、セーフガードが無ければKO間違いないような強打だった。


「うん。わざと強めに打った。二人ともゴメンナサイ」


 勝子は反論することも無く、二人に向かって頭を下げた。


「反則注意。次やったら反則になって香織の勝ちになるからな」


 ノンコンタクトにの試合においてルール上、明らかに禁止事項を犯したが、軽微で相手に損傷のない場合は「警告」、2回目は「反則注意」または「反則」となり、「反則」の場合は、相手選手の勝利が宣告される。


 禁止事項の行為が重大または悪質であり、あるいは相手選手に相当の損傷が見られる場合は、段階を踏まず一回目であっても「反則注意」あるいは「反則」が宣告される。


 今回の麗衣のジャッジは通常一回目に行われる警告ではなく、より重い反則注意を与えた。


「ハイ。注意します」


 勝子はしおらしく麗衣の言う事を聞いた。


「あと、しつこいようだけど香織は本当に平気なんだな?」


「ハイ! 平気です!」


「良い根性だ。じゃあ、二人とも中央に戻れ」


 そして、麗衣の指示のもと中央に戻った。


「始め!」


 組手が再開されると、再び勝子から攻撃を仕掛けた。


 勝子は左足を前に出した前屈立ちから右足の膝を体の横に抱え込む様に上げると、腰を廻しながら円を描くような上段廻し蹴りを放つ。


 香織は左手を外側に振り出し、捻る様に出された上段揚げ受けで勝子の廻し蹴りを防ぐと、ステップインしながらカウンターの中段突きを放つ。


 だが、勝子も蹴りを引き戻した勢いを利用し、前足に体重を乗せ、腰を回転させながら右腕を振り下ろす中段内受けで、香織の突きを強く叩きつけて反らした。


 勝子は動きを止めず、上段突きを香織に向けて放つ。


 先程転倒するほどの突きを貰い、内心は恐怖もあっただろう。


 香織は若干大袈裟に思える程、顔を引くスウェーバックして躱そうとするが、勝子の突きは当てるのが目的ではなく、意識を上段に逸らす物だった。


「やあっ!」


 勝子の掛け声とともに爪先で槍を突き刺すような強い中段蹴りがプロテクターに打ち込まれる音が響き渡った。


 完全に上段に意識を向けられ、香織は勝子の中段蹴りに反応出来なかったのだ。


 上段から中段へ散らすのはセオリー通りだが、突きに対する恐怖心も作用して香織は防御の意識が必要以上に上段突きの方に向いてしまっていたのだろう。


「技あり!」


 中段蹴りの技ありが決まり勝子が2ポイント獲得。


 勝子2-0香織



 二人は一旦引き離され、組手が再開される。

 勝子はポイントを先取しても手を緩めない。


 勝子は右足を前にした前屈立ちの姿勢から腰を回転させ、蹴り足の膝を横に引き付けるように上げると、鞭の様にしなやかな蹴上けあげを放つ。


 香織は上段に両腕を上げ、蹴りを防ごうとする。


 これがムエタイならばガードの上からでも強引に蹴りを叩き込んでダメージを与えるのがセオリーだが、空手ではポイントにならない。


 その為か、勝子は蹴り足を強引に当てに行かず、蹴り足を素早く引いた。


 だが、勝子が蹴りを当てに行かなかったのは当然ルール上の事だけではない。


 勝子は蹴り足の爪先を下に落とさず、体の正面で抱え込んだ膝を上げたまま、続けて腰を押し出す様に蹴こみを放った。


 横蹴りには相手と距離が近い場合に使う「蹴上げ」と遠い間合いの相手を蹴り込む大技「蹴こみ」があるが、勝子は「蹴上げ」で香織のガードを前の方に出し、「蹴こみ」で前に出た香織のガードの間から蹴こみを打ちこんだのであった。


 香織もスウェーバックで必死に避けようとしたが、スーパーセーフに軽く当てられる。


「一本!」


 スキンタッチが認められ、上段蹴りの一本が決まり勝子が3ポイント獲得。


 勝子5-0香織



「すげぇ……勝子先輩ってパンチだけじゃなくて、蹴りもハンパねぇっスネ……」


 澪は驚いていた。


「まぁ、テコンドー使いの依夫さんを殆ど蹴りだけで倒したって言うぐらいだからね……香織ちゃんも頑張ってはいるみたいだけど、正直遊ばれている感じはするよね」


 恵はさも当然かのように言った。


 遊ばれている。


 確かに、最初のワンツーで力の加減をしていたら有効のポイントが入っていたから6-0で完封勝ちしていたはずだ。


 あんな強打を打たなくても勝子の方が実力は上な事は分かっているだろうに、何故あんな事をしたのか、勝子の胸中が分からなかった。


 そもそも、再試合にしなくても最初の組手で勝子がワザと中段突きを貰ったように思えるし、ポイントアウトする事も可能だったように見えたが……。


「いいえ。香織ちゃんはこれからです!」


 ここまで追い詰められながら、吾妻さんはまだ香織の勝利を信じていた。


 俺は馬鹿にする気にもなれず、寧ろその信頼関係を羨ましく感じた。


 俺も麗衣達にこの位信頼されるぐらい強くなりたいと思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る