第81話 涙の理由

「もしかして……泣いているのか?」


 俺が勝子に尋ねると、勝子はつむじをフルフルと振りながら言った。


「な……泣いてなんかいないよ……ただ……只……」


 勝子は言葉を詰まらせた。


「只何だって?」


「只……怖かったのよ……」


 勝子でも怖い事があるのか?


 と、聞こうとして口を噤んだ。


 そんなのは誰にだってあるに決まっているし、強い格闘家程案外臆病だったりするものだ。


 それは恥ずべきことではない。


 恥ずべきは恐れを知らず、自分の弱さに気付かない事だ。


 しかし、勝子にとって怖い事とは何だろうか?


「何が怖かったの?」


 次に勝子の口から洩れた言葉は意外な台詞だった。


「お前が……お前がもしあの時ボウガンで撃たれたとしたら……怪我をさせてしまったとしたら……幾ら威力が低めの小型ボウガンとは言え刺さり処が悪かったら死んでしまったかも知れない……そう思うと……肩の震えが止まらなくて……」


 幸い、あの時は丁度いいタイミングで亮磨が助けてくれたが、恐らく数秒でも亮磨達が遅れれば、俺はボウガンの餌食になっていた可能性が高い。

 確かに俺は運が良かっただけで、今頃とっくに病院に送られていたか、勝子の言うように刺さり処が悪ければ死んでいた可能性も少ないとはいえあったのだ。


 だが、まさか、勝子自身の事ではなく、俺のせいで勝子がこんなにも怖がっていたとは思いもしなかった。


「ご……ゴメン。俺が怪我したら麗衣が悲しむだろうから勝子も心配してくれたんだろう?」


 そう言うと、勝子は顔を上げ、涙で頬を濡らしながら、それでも強い意志を灯した眼光で俺を睨み据えた。


「馬鹿! 麗衣ちゃんは関係ない! 私は……お前の事が……」


 勝子はそこまで口に出しかけ、ハッとした表情を一瞬浮かべると顔を背けた。


「そうだよ! 麗衣ちゃんは優しいからお前みたいな奴に対しても心配してくれるけれど、私はお前の事何か全然心配していないんだからね!」


 そう言いながらも、勝子は再び俺の胸元に顔を埋めた。


「ああ……俺が悪かった……」


 俺は安心させるように勝子の肩を軽く抱き寄せた。


 勝子の肩が一瞬ビクンと震えた。


 恋人でもない、ましてや俺には麗衣という惚れた女が居るのに不誠実と言ってしまえば不誠実だが、勝子を落ち着かせるには今はこうしてやるしかないのかな?


 と、女について不得手な俺は何となく直感で行動してしまった。


 殴られるリスクも頭を過ったが、それで気が済むなら殴らせてやろう。


 まぁ歯の一本や二本折られるのは覚悟の上だ。


 コイツも麗衣と一緒に俺の命を救ってくれた恩人だ。そのぐらい如何って事は無い。


 どんな形だろうが好きにさせてやろう。


 俺が殴られるのを覚悟したが……勝子は自分から俺の背中に手を回してきた。


「え? 勝子?」


 予想外の反応に俺は戸惑いながら勝子に聞くと、勝子は消え入るような声で言った。


「お願い……麗衣ちゃんには言わないから……少しだけ……少しだけで良いから……このままで居させて……」


 俺の腕の中で震える勝子はいつも以上に小さく見えた。



              ◇



「ありがとう……お陰で少し落ち着いたよ」


 勝子は言葉通り落ち着いたようで、俺からそっと身を離した。


「この事は麗衣ちゃんに言わないでね。私もお前が浮気をしていた事を言わないから」


「浮気も何も、俺と麗衣は付き合ってないから。そんな事お前だって知ってるだろ?」


「うん。知ってるよ。お前が意気地なしだって事は麗衣ちゃん以上に私が知っているから」


「この野郎……事実だけど」


「あははははっ!」


 幾ら俺を酒の肴にしてくれても構わない。


 とにかく少し勝子が元気を出してくれて良かった。


「……でも、今度はあんな無茶な真似はして欲しくないよ」


「分かっているさ。俺だってあんな事は二度としたくない」


「どうだろうね? チキンナイフ君に対しても素人の癖に素手で立ち向かおうとしていたしね……その内死亡フラグでも立つんじゃないの?」


「まぁ……その時の状況に依るかな?」


「駄目だよ。あんな事二度と許さないから」


 強い眼光で勝子は俺にそう言った。


 この場は安心させるために嘘でも勝子の言葉に従っておくべきだろう。


「分かったよ。もう無茶はしない」


「約束だよ?」


「ああ。約束する」


「……信用できないなぁ……」


 そりゃそうだよな。

 ここは勝子を安心させる為に何か行動で示す必要があるのだろう。

 俺は溜息交じりに尋ねた。


「如何すれば信用してくれるんだい?」


「そうだねぇ……」


 勝子はにんまりと微笑むと、俺の前に立って顔を寄せた。


 ちっ……近い。


 小動物の様に見える美少女の顔があまりにも近いので背けようとすると、両手で俺の顔を挟んだ。


「目を閉じなさい」


 この流れはもしかして……俺は観念した。


「分かったよ」


 俺が瞳を閉じると―


 ちゅっ♪


 勝子の柔らかい唇が俺に重なり、勝子の舌が口腔を割る。


「んっ……くっ……」


 暫しの間絡み合う舌先―

 勝子の気が済むまで成すがままに任せ、長いキスから解放された俺と勝子の唇から糸を引いた。


「ふふふっ……あんなに嫌がっていたのに、ついにちゅーしちゃったね。これでお前は麗衣ちゃんだけじゃなくて私の下僕でもあるから、命令は絶対だからね♪」


「キスされたら下僕って誰がそんなこと決めたんだよ……まぁ元々お前の下僕みたいなものだったし、別に構わないさ」


「ねぇねぇ……ところで今日は麗衣ちゃんとちゅーしていないの? していたら丁度間接ちゅーになったんだけど」


 ……何時もの勝子に戻った様だ。


 果たしてこれで良かったのか良くなかったのか……。

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