第66話 織戸橘姫野(日本拳法)VS長野賢二(空手+柔道) (2)男じゃないのが残念だ

 ―やーい! 男女!―


 小学高学年の時、同じ道場の男子が僕との実乱撃(防具稽古)で負けた時、悔し紛れに投げかけて来た言葉だ。


 その頃の僕は同世代の間では男子でも僕の敵は居なかった。


 体格は頭一つ以上僕の方が大きかったし、小さな男子相手に負けた事は無かった。


 だが、中学に入った頃から、体格・技量ともに僕を軽々と超えて行き、勝てなくなってきた。


 昔、僕にコテンパンにされて僕を男女呼ばわりした男子と実乱撃を行った際、その圧力に圧倒されあっさりと敗北した時、僕は始めて道場で泣いた。


 その姿を見て、その男子は僕を慰めるつもりなのか、声を掛けてきた。


 ―男に勝てなくても仕方ないだろ? 織戸橘は女なんだから。―


 ―違う! 僕は違うんだ!―


 その男子は不意に僕が激しい態度を取ったので、困ったような表情を浮かべていた。


 ―そんな事言ってもお前、女だろ? 落ち着けよ―


 違う!


 僕はXXXXXX何だ!


 この言葉を何度も口にしようとして言葉を飲み込む。


 この物心着いてから僕に付きまとって離れない心と体が分離しているような違和感を誰にも理解してもらえない。


 でも、そんな僕の気持ちとは裏腹に、僕のXXは段々Xらしくなってゆく。


 こんな僕のどこが魅力的なのか分からないが、酔狂な数名の男子から告白されたりもした。

 子供の頃、僕を男女となじり、中学になってから僕を打ち負かした男子もその一人だ。


 だが、僕が感じたのは違和感しかなかった。


 僕のを知らぬ彼らには悪いけれど交際は一切断った。


 女子の友人達は皆彼らの事を素敵だ等と言っていたけれど、僕にはそれが全く理解出来なかった。


 生まれてこの方、男子を愛した事など無い。


 単に精神的な成長が遅いとか、たまたま初恋が遅いとかそんな単純な話ではない。


 でも、他者に理解される事は一生無いだろう。


 この気持ちを押し隠し、一生を過ごすしかない。


 受験を控え、将来の事も考えざるを得なり、現実を見なければならなくなると、悲観的な想いが益々強くなっていく。


 そんな諦め気味の日々を過ごしていた時だった。


 ―よう。アンタが織戸橘姫野だろ? アンタに頼みがあるんだけれど……聞いてくれないか?―


 露出が多い制服から覗く褐色の肌に金髪のショートカット。


 派手な格好とは正反対に何か深く思い詰めたような暗い表情をした女の子が下校中の僕に声を掛けてきた。


 覗く手足、微かな所作から伺える彼女の肉体的な強靭さと、正反対にその眼差しから気のせいか、何か危うい脆さを感じる。


 何故だろう? 


 僕も体と心が常にアンバランスな為、この子も僕と違った意味で同じ様な状態になっているのかも知れない。


 ―何か用かい?―


 まさか同類なのか?


 僕は少し彼女に興味を……いや、少し惹かれて尋ねてみた。


 ―アンタ強いんだろ? あたしとタイマン張ってくれないか?―


 返事の内容は全く想像もしない様な事であり、僕を失望させるものだった。


 ―君は正気かい? 何で僕がそんな事しなきゃならないんだ?―


 ―確かにアンタには何の得も無いしなぁ……じゃあ、負けた方は勝った方の事を何でも聞くってのは如何だ?―


 僕と麗衣君との初めての出会いは、こんな最悪の会話で始まった。



              ◇



「はっ!」


 駐車場の天井にある黒いヒビが僕の目に映る。


 僕は一瞬気を失っていたのか?


 それにしては長い間夢を見ていたような気がする。


 いや。アレは過去の出来事がフラッシュバックしたのか?


 何れにせよ僕は今戦いの最中であるのだからゆっくり感傷に浸っている場合じゃない。


 軽く身を起こすと、廃ホテル故に電気を使用する電灯などの設備が死んでいる為、照明に使っている僕のクロカンや天網のメンバーのバイクのライトを背に、長野君が膝を掲げた姿勢から脚を振り下ろしている。


 そうか。思い出してきた。


 僕は長野君に胴突きを食らわせようとしたら逆にカウンターで膝蹴りを喰らい、一瞬意識を吹き飛ばされていたのだ。


 僕は両足で地面を蹴り、開掌拳でクルっと下受円したうけえんを描く勢いを利用して身体を反転させる。


 投げ技もある日本拳法の膝立ち構えによる起き上がりで、素早く相手に向き直り、手を地面につくことなく起き上がる方法だ。


 手をつくことなく立ち上がる為、立ち上がる時も相手に向けて両手で構える事により防御が可能であり、尚且つ立ち上がった時にすぐさま攻撃の構えを取れる。


 柔術立ちとはまた違った、総合格闘技である日本拳法らしい実戦的な立ち方である。


 だが、長野君は倒れた僕に対して攻撃する意思はなかったらしい。


「安心しろ。女相手に寝技グランドで勝負する気はない」


 先程の夢の影響もあり、長野君の一言は僕をイラつかせた。


「全く……誰も彼もが女、女って……世の中にはその一言で傷つく人間も居るって事を知って欲しいものだね」


 頭がくらくらする。


 たった一発の膝蹴りでノックアウト寸前だ。


 全く……女の体というものは柔くて仕方ない。


 いや、長野君相手なら男子でもこんな攻撃耐えられないであろう事はせめてもの慰めか?


 まぁ良い。


 この最強の男を乗り越えられれば、こんな劣等感は掃いて捨てられるだろう。


 その可能性はゼロに近いけれどね。


 長野君の弱点を突けばあるいは……とは思ったけれど、難しそうだな。


 僕が考えた完全無欠に見える長野君の弱点。


 それは顔面防具ありのルールに慣れており、顔面殴打に弱いのではないかという事だ。


 セーフガード使用が義務付けられている南斗旗の試合は勿論の事、フルコンでは顔面への殴打は許可されておらず、長野君が出場したというアマチュアキックボクシングの大会では胴の防具と面にはスーパーセーフ着用のルールだったはずだ。


 だから、裸拳に近い拳サポーターによる日本拳法の直突きが面に決まれば必ずしも倒れないとは限らない。


 それが、僕が賭けた薄い勝機だったけれど、面と胴を防具で守っている日本拳法も共通する弱点ではあった。


 面への攻撃へつなぐ為、先ずは中段への攻撃を意識させるという餌をバラまいている時点で長野君の膝蹴りによるカウンターを喰らい、一瞬とは言え意識を飛ばされていたのだ。


 ミイラ取りがミイラになるとはこの事だろう。


 だが、僕はまだ諦める訳には行かない。


 先程の夢? あるいはフラッシュバックした過去の記憶で見た麗衣君の思い詰めたような陰のある表情を思い出す。


 今後は二度と彼女にあんな顔をさせてはいけない。


 その為なら僕は喜んでこの身を投げ打とう。


「セイっ!」


 長野君は右足の膝頭を高く胸につけるよう迅速にもって行き、足裏を地面に平行に向け、強くスナップを効かせ、弧を描いて虎趾(上足底)が飛んできた。


 この蹴りはトンデモなく遠い距離から飛んでくるけれど、唯一スピードだけは仮想長野君に見立てて何度も練習を繰り返した麗衣君の蹴りに僅かばかり劣っていたのが幸いだ。


 僕は半歩後退しながら掌拳前腕部内手首の箇所で下から掬い取る様に長野君の前蹴りを受け、一方の手は巴形に上から重ねた。


 巴受した長野君の足を、僕の体の左外にずらし、長野君の太腿部へ左手を移動し、右手は腰部にあてがうと、彼の体を両手で抱きかかえるようにして、長野君の軸足を内から刈り倒した。


 蹴取大内刈


 柔道には無い蹴りを取る日本拳法独自の大内刈りと思われるこの技で、長野君を地面に倒した。

 幾ら長野君とは言え、不安定な片足立ちになればバランスが崩れるというもの。

 それに南斗旗における彼の勝利は打撃で圧倒した場合が殆どである。

 逆に言えば寝技が得意ではなく、寝技が得意なタイプや小柄な選手には案外苦戦をしていた。


 僕はそのまま長野君が立ち上がるのを許さず、片腕を自分の太ももに挟んで絞め、自分の両手で長野君の腕全体を伸ばして極めようとした。


 腕ひしぎ十字固め


 どのような体勢からも仕掛けることができる関節技だ。

 これを逃したら僕に勝機は二度と訪れないだろう。

 ギリギリと彼の腕を伸ばし切ろうと全力を込める。


 ―だが


「これ程の技術と折れない心。お前が男ならば少しは面白い戦いになっただろうに」


「馬鹿なっ!」


 長野君は信じがたい事に何と僕を持ち上げながら立ち上がり、言った。


「歯を食いしばれ。下手すると舌を噛むぞ?」


 持ち上げた僕ごと長野君はブンと腕を振り下ろした。


「!!!」


 コンクリートの衝撃がモロに僕の頭を打つ。


 視界が一気に暗くなると


 ―貴様が男でなくて残念だ―


 遠くからそんな声が聞こえる。


 五月蠅いよ。


 君なんかに言われなくても、それはなんだから。


 反論しようと口を動かそうとするが、身体おろか、口すら動かす事が出来ない。


 こうして僕の意識は無明の闇底に堕ちて行った。



              ◇



 Xは伏字です。複数伏字がありますが、必ずしも同じ字とは限りません。伏字は姫野先輩の秘密に関わる事です。所々にヒントは出していますが後に明らかになっていきます。

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